403 ▽力ある者の愉悦
カリカリカリ……
鉛筆が机を叩く音だけが教室の中に響いている。
誰もが一問でも多く回答を埋め、一点でも多くの点数を得ようとする。
これは日頃の勉学の成果を試すという、学生たちにとって当たり前の儀式。
定期テストである。
高等学校に進学した生徒たちは、他の市民よりも長く学業に携わることになる。
その分、より多くの知識と、高い技術を身につけてから、社会に出ていくのが責務なのだ。
とはいえ、テストのための知識など、大部分が無意味な文字の羅列に過ぎない。
一〇〇年前の為政者の名前を記憶して一体何の役に立つというのか?
人間を歩く辞書にするのが目的なら常に書籍を傍らに持っていれば事足りる。
無駄な知識を増やす暇があったら、もっと別のことに時間を使った方が有意義だ。
そう誰もが思いながら、しかし彼女たちは文句を口にしない。
テストの点数がそのまま自分の価値を表すと信じ、ひたすら役にも立たない単語や方程式、歴史的事件を暗記する。
ターニャも以前はその中の一人だった。
高得点をとらなければダメだと思っていた。
得意な勉強でクラスで一番になれないと悔しかった。
ここは南フィリア学園。
フィリア市はもちろん、ファーゼブル王国でも有数のお嬢様学校である。
この学校に入学するという目標があった頃は、勉強だってそれほど辛くはなかった。
ターニャは中等学校、常に成績学年トップだった。
自分は他の人間より頭の出来が良いのだと信じていた。
しかし高等学校に入学してすぐ、その考えは変わってしまった。
ターニャは非凡ではなかった。
得意の勉強であってもだ。
学園一位の座は、あっさりとナータに奪われた。
テストで上位を保つには、徹夜の予習復習が必須になった。
寝る間も惜しんで勉強して、それでも学年五位に入るのが精一杯。
いつしかターニャは勉強を怠けるようになった。
学校の授業など無駄だと思うようになっていた。
成績も全体から見て上の下あたりに落ち着いた。
どうせ努力しても、一番になんかなれないんだから。
諦めの言葉を自分に言い聞かせながら、なんとなく毎日を過ごしていた。
だが、今回は違う。
ある程度の回答を埋め、鉛筆を置いた。
瞳を閉じ、空を飛ぶようなイメージを浮かべる。
意識が体を離れ、宙に舞い上がる。
ターニャは机の前で目を閉じたままである。
けれど、視界は天井からクラス全体を見渡していた。
ゆっくりと視点を下降。
そのまま、横に流れていく。
一人一人の答案を眺めていった。
いつも学年二、三位を争っているアンジェ。
さすがというか、やはり彼女は回答のほとんどを埋めていた。
ターニャは一旦意識を自分の体に戻し、たった今覗き見た回答を写した。
輝術である。
自分の体から意識を切り離す。
遠く離れた場所を見る、ターニャのオリジナル輝術。
術の名前は特にない。
輝言を唱える必要がないからだ。
発動キーとなる、術名すら要らない。
自身の中の輝力をそのまま術へと変換するだけ。
イメージさえ完璧なら、難しい理論は不要。
術の発動自体もまずバレることはない。
もう一度、ターニャは意識を頭上に飛ばした。
アンジェが答えられなかった回答を埋めている生徒を探すためだ。
単純ミスもあり得るので、何人かの答案用紙を見比べ、明らかに間違っていそうなところは書き直しておく。
ナータはやはりサボりが尾を引いているのか、回答に空欄が多かった。
それでも、答えを埋めているところはほぼ間違いない。
元々の頭の作りが違うのだろう。
ジルは早々に諦めて、余裕の昼寝モードに入っている。
彼女はスポーツ特待生なので、最低限の点数さえ取れば、進級が許されている。
その開き直りが以前は鼻についたものだ。
まあ、ジルはジルなりに時間を大事に使えばいい。
放課後のための体力温存が、彼女にとって最も有意義なこの時間の使い方なのだろう。
自分もしかり。
徹夜で練習した輝術の成果を試しつつ、テストの点数も稼ぐ。
これほど有意義な時間の使い方はない。
今回のテストで、ターニャは学年トップをとった。
これまでも上位にランキングしたことはあるが、全教科満点はちょっとした話題になった。
しかし、それだけなら「いつもよりがんばった」と言われてお終いだ。
ターニャが変化を如実に表わすのは、体育の時間でのことだった。
※
体育の授業は、前回に引き続きサッカーだった。
この間と同じ、二チームに分かれての試合。
はっきり言って教師の手抜きである。
試合開始のホイッスルが鳴る。
まずは即座にジルがボールをキープした。
彼女はドリブルで前進し、前線のチームメートにパスを出す。
が、勢いが強すぎた。
チームメイトは誰もボールに追いつけない。
そのままボールはラインを割ると誰もが思った、その時。
「ジル、ナイスパス」
横から駆けてきたターニャがボールをトラップした。
ターニャは輝力によって、自身の運動能力強化を行っている。
輝攻戦士とまではいかないが、常人を遙かに超える力を引き出している状態だ。
体は羽のように軽い。
頭上を行くボールもスローに見える。
ボールを蹴ればゴムのように軽く、計ったように正確にゴールに吸い込まれていく。
相手キーパーはもちろん、チームメートすらも、彼女の活躍を呆然と眺めていた。
笛の音が鳴る。
歓声がターニャを包んだ。
「すごい、ターニャさん!」
「ナイスプレー」
「実はスポーツ得意だったのね」
こんなに気持ちいい声援を受けたのは初めてだった。
試合は続く。
最初のプレイ以降、ターニャは目立った活躍をしていない。
その理由は、別のことに意識を使っていたからだ。
今回、ジルはほとんどボールに触れていない。
彼女の元にボールが渡りそうになると、何故か逃げるように別の方向へ転がってしまう。
もちろん、ターニャが妨害しているのである。
強風を吹かしたり、地面をわずかに隆起させボールを弾いたり。
とにかくジルにボールが渡らないよう、ひたすらに邪魔をしていた。
中盤までに、ナータを中心とする相手チームの猛攻を受け、一点を奪われた。
そのまま試合は終盤に差し掛かる。
自軍ゴールの近くでボールを受け取ったターニャは、ドリブルで敵陣に突っ込んでいった。
軽やかに相手のディフェンスをかわし、たったひとりで敵陣に突っ込んでいく。
ただの女子高生の動きなど、今のターニャにはなんの障害にもならない。
だが、快進撃は敵ゴール直前で阻まれた。
運動部四人がターニャを取り囲む。
この間のジルと同じ状況である。
苦い記憶を思い出しつつ、視線を斜め前方に向ける。
まるで計ったように、彼女はそこにいた。
「ターニャ、パスだ!」
ジルは自身についたマークを振りほどき、ゴール前でフリーになった。
運動部四人の意識が彼女の方に向く。
そのチャンスをターニャは見逃さなかった。
素早くディフェンスを引き離し、バレない程度に風を吹かす。
舞い上がった砂塵が、キーパーの視界を奪った。
オーバーヘッドキックなんて派手なマネは必要ない。
ターニャが放ったシュートは動けないキーパー脇を抜け、見事に相手ゴールに転がり込んだ。
終了のホイッスルが鳴る。
ターニャはチームメートたちと手を叩き合った。
「やったね!」
「すごーい、ターニャさん」
「本当に、かっこよかったよ!」
賞賛の言葉は惜しみなく浴びせられる。
最高の気分だった。
ふと、茫然としているジルの姿が目に入る。
ターニャが近寄ると、彼女はぎこちない笑顔を浮かべた。
「ど、どうしたんだ? 今日はなんかすごいな」
……なんかすごい、ね。
自分が何をしようと、その程度の感想しかないのだろう。
「ごめんね。本当ならパスを出すべきだったんだろうけど、今日のジルって調子悪そうだったじゃない? 自分でシュートした方が確実だと思ったの」
ジルの笑顔が凍りつく。
彼女は言葉を失って立ちすくんでいた。
ターニャはくるりと踵を返し、笑いを堪えながら歩いて行った。
体育になると、いつも自信満々のジル。
それが、あの顔!
テストでいくら点差をつけても顔色一つ変えなかったのに。
そんな彼女に、とうとう悔しさを刻みつけることができた。
それだけでもターニャは手にした力に感謝したいと思った。
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