374 ▽たまの休日
レスタの店は中央商店街の外れにある小さなパン屋だった。
ドアを開けるとベルの音がカララと鳴る。
「ただいまー」
「おかえり、レスタちゃん」
カウンターの奥から恰幅のいい中年女性がお鍋を片手に現れた。
「おや、そちらの方は?」
「そこで偶然会った、私の学園時代の同級生」
「おやおや、いらっしゃい。ええと……あら、どこかで見たような」
「メルルさんも知ってるでしょ。いま話題の特殊部隊の隊長さん。と、そのお側付きの人」
「初めまして」
ベラは頭を軽く下げて挨拶をする。
メルルさんという中年女性は、目をまん丸に見開いた。
「ま、まさか、
「そうだよ。最年少にして初の女性天輝士! で、私の同級生」
「あわわ、どうしましょ、どうしましょ」
ベラたちの活躍はすでに国民に知れ渡っている。
王都だけでなく、ファーゼブルの各
ちょっとした有名人になっている自覚はあったが、こんなふうに驚かれると、少し困ってしまう。
「天輝士様がいらっしゃるってわかっていたら、もっと綺麗に掃除しておいたのに。レスタちゃんがベレッツァ様と知り合いだったなんて知らなかったわ、どうしましょ、とにかくご馳走を作らなきゃ。アトランティーデの紅茶は残ってたかしら? あらやだ突っ立ってないでどうぞおかけになって下さいな。ごめんなさいね、むさ苦しいところでたいしたおもてなしもできなくて」
「あの、お構いなく……」
慌しく駆け回るメルルおばさん。
そんな姿を見てレスタは苦笑する。
「そんなに張り切らないでも、長く引き留める気はないから。よければ軽食でも作ってもらえますか?」
「わかったわ。とびきり美味しいパンケーキを焼くからね」
メルルさんは鍋を置いたまま、奥のキッチンに引っ込んでしまった。
レスタは近くのテーブルでベラたちを手招きする。
「こっち、こっち」
お店の窓際にはテーブル席が三つあった。
店内での食事もできるようになっているらしい。
ベラは椅子に座って店内を見回した。
壁側には焼きたてで良い香りのするパンが並んでいる。
カウンターの下のケースには、ケーキやデザート類が陳列されていた。
「どう? 小さいけど、いいお店でしょ」
「ああ。こういった雰囲気は好きだな」
「えへへ、ありがと」
レスタは嬉しそうに笑った。
「あの女性は親戚の方か?」
「まあ、近いうちにね」
「と言うと?」
「私のダーリンのお母様」
今さらだが、ベラはレスタの左手の薬指に指輪があることに気づいた。
「結婚するんだ、もうすぐ」
「そうだったのか」
ベラはレスタの学生時代を思い出す。
彼女はあの方の所属する、子どもたちと遊ぶサークルで部長を務めていた。
てっきり将来はフィリア市内で保育士でも目指すものだと思っていたので、卒業間近になって急に王都に行くと聞かされた時は驚いたものだが、まさか婚約をしていたとは。
「そうか、おめでとう」
「ん、ありがと」
三年間を共に過ごした友人だ。
彼女の幸せをベラは心から祝福したい。
「って言っても、これからが大変なんだけどね。今も毎日朝から晩までパンばっか焼いてるんだけど、なかなか上手くいかないんだ、これが。メルルさんは優しく丁寧に指導してくれるんだけど、やっぱり押しかけ女房としては、姑さんに迷惑かけるわけにいかないじゃん?」
大変といいながらも、日々の苦労を語るレスタはとても嬉しそうだ。
「ところで、その旦那様は――」
「お待たせしましたぁ」
いい香りが漂ってきた。
メルルさんが紅茶を運んで来てくれたのだ。
「わあ、アトランティーデだ!」
「せっかくのお客様だからね。とっておきを開けたよ」
「ありがとメルルさん……って、どうしたのサポォさん、座んなよ」
「いえ、私はここで」
不思議そうな顔でベラの背後に視線を向けるレスタ。
サポォはさっきから、ずっとそこで立っていたようだ。
どうやら遠慮しているらしい。
侍女としては正しい姿かもしれないが……
「いいから座れ。そんなところに立たれてると、こっちが気を使う」
ベラはわざと命令口調で言った。
「ですが、お側付きとしては……」
「せっかく良いお茶を淹れてもらったんだ。いただかない方が失礼だぞ」
「そうそう。サポォさんもお客さんだしね」
「待ってなよ。いまパンケーキを焼いてるからね」
三人に促され、サポォは少し気まずそうにベラの隣に座った。
こうして同じ食卓に着くこと自体、最近はとんとなかったことを思い出す。
彼女のためにも、適度に休みを取っておくべきだったなと、ベラは改めて反省した。
「ところで、レスタの旦那さんはどこだ?」
見たところ、店内にはメルルさん以外の人はいない。
「んとね、今はちょっと隣の国まで出向いてんだ」
「隣というと、クイント国か?」
「そ、組合の隊商と一緒にね。出発は移動制限がかかる前だったから、明日の夕方頃には帰って来る予定なんだけど」
ベラは表情を強張らせた。
彼女の婚約者は国家間商隊に同行しているらしい。
国境を越える商隊には護衛も付くので、平時であれば何事もなく行き来が可能である。
が、現在は残存エヴィルがどこに出没するかわからない状況だ。
向かった先が国内の
帰って来るのは難しくなるが、その代わりに身の安全は保障されるだろう。
しかし、向かったのが隣国なら話は別だ。
滞在制限の方に引っかかってしまい、期間内に戻って来なくてはならない。
今の時期に国境を越えた移動を強行するのは、かなり危険な行為だと言えるだろう。
「何事もなければ良いが……」
「心配しなくても大丈夫だって。明日には帰ってくるんだし、危なそうなら無理はしないでって言ってあるからね」
この一ヶ月、エヴィルが旅人や隊商が襲ったという話は聞いていない。
斥候部隊があらかじめ近隣の
守りに重点を置くファーゼブル王国が、先の魔動乱を教訓に、人的被害を最小限に抑えるため徹底した措置である。
だが、万が一という可能性もある。
「それよりさ、休みはまだ取れるの? 彼が帰ってきたらすぐ挙式なんだ。ベラには是非、式に参加してもらいたいと思ってるんだけど……」
「あ、ああ……そうだな」
いや、忘れよう。
今日は久しぶりの休日だ。
旧友と会っている時くらい、戦いのことを考えるのは止めるべきだ。
それに、今日もレガンテを始めとした、部隊の仲間たちが王宮に控えている。
彼らがいる限り、もしものことなど起こらない。
……はずだ。
『放送の途中ですが、ここで臨時ニュースを申し上げます』
と、古い映画を流していたいた映水機が、突然ニュース番組に切り替わった。
『先ほど、西部街道付近に残存エヴィルの一群が出没したとの情報が入りました。これを受け、王宮は臨時の街道封鎖を――』
「あらやだ。西部街道って言えば、クイント国方面の主要街道じゃない」
メルルさんが甘い香りのパンケーキを運んできた。
彼女はどこか気の抜けた声で独り言のように呟いた。
「あちゃあ。これじゃアイツ、今夜は帰ってこれないかな」
「サポォ、なんだこれは」
王都のあちこちで見られるこの卵型の映水機は、リアルタイムの映像受信装置である。
普段は映画などの娯楽放送を流しているが、某かの緊急事態が起これば、素早く国民全体に伝えられる仕組みになっている。
しかし、このような放送が行われていることを、ベラは知らない。
「は、はい。斥候部隊が結成されて以来、残存エヴィルの情報は情報局から放送局へと伝わると、すぐに市内で発表されることになっています」
「バカな、このような放送は民衆を不安にさせるだけだ!」
ただでさえ先日の襲撃と移動制限で王都の人々はナーバスになっている。
その上、日ごとに増え続けるエヴィル出没の情報を逐一伝えるなんて。
「いやいや、なんにしても情報は必要だよ。街道の封鎖状況は私たちにも関係あるし、輝士団の活躍を聞けばスカッとするしね」
レスタはすでに毎日の放送に慣れているらしい。
彼女の落ち着いた様子が、少し癇に障った。
「サポォ、行くぞ」
「え、あ……」
「なんだよ、今日は休みなんだろ。もうちょっとゆっくりしていきなよ」
「残存エヴィル出没の情報を聞いたのだ。休んでなどいられない」
「でも、仲間たちが闘ってくれてるんだろ?」
異常事態とはいえ、まだ国内に大きな被害は出ていない。
国民が受けた実害は、精々が
それも全て、ベラたち特殊部隊を始めとする、輝士団の奮闘による成果である。
だが、実際の戦場は決して楽なモノではない。
現にベラたちの部隊にも、すでに重傷者が出ている。
命に別状はないものの、傷つく仲間を見るたびにベラの心は激しく揺らぐ。
みんな、命がけで戦っている。
エヴィルとの戦闘は単なる作業ではない。
レスタはわかっていない。
親しい人が傷つくことの辛さ。
死んでしまうかもしれない不安を。
彼女は画面越しの情報しか知らないのだ。
ベラはそんな市民たちの、平穏な暮らしを守るために闘っている。
彼女たちが不安を感じていなければ、それはむしろ良いことのはずだ。
それは重々承知しているのだが……
『なお現在、クイント国方面への情報伝達には遅れが生じている模様です』
ベラたち四人は一斉に映水機に目を向けた。
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