375 ▽出撃不可

 情報の伝達が遅れている。

 ということは、街道封鎖前に隊商が出立した可能性がある。


「ちょ、ちょっと。これってヤバイんじゃないの?」


 街道筋にエヴィルが出没するのは珍しいことではない。

 だが、王都ではなく国境側へ向かって移動しているのは、確かに珍しい。


 普段ならベラたちは迫ってくるエヴィルを迎撃する形を取る。

 今回の場合は逃げる敵を追う形になってしまい、接触までに時間が掛かる。


 この非常事態にさすがのレスタも不安を感じているようだ。

 しかし、問題はそれだけでは終わらなかった。

 放送の音声は続ける。


『対エヴィル特殊部隊は今朝早くに国内北部方面へ出動しており、対応に向かえるのは、早くとも今日の夕方以降になりそうです』

「なんだって!?」


 レガンテたちがすでに出撃していたなどベラは知らない。

 サポォを見ると、彼女は手で口元を隠して青ざめた顔をしていた。


「……知っていたのか?」

「た、たまの休日くらい、ゆっくりと休んで頂こうと思って……」


 なぜ知らせなかったのか……

 いや、それを責めるのは無意味である。

 彼女なりにベラを気遣っての判断だったのだろう。

 エヴィル出没の知らせを聞けば、ベラは休日を返上して飛び出してしまうと思って。


 逆に考えよう。

 これはチャンスだ。

 なぜなら、自分がここにいる。


「行くぞ、荷物を持て!」

「あ、ベ、ベラ」


 ベラは怯えるサポォに激を飛ばし、椅子を跳ね飛ばす勢いで立ち上がる。

 戸に手を掛け、店を出ようとしたところでレスタが声を掛けた。


「大丈夫だよね? クァルティは、エヴィルに殺されたりしないよね?」


 クァルティというのは、クイント国に行っているレスタの恋人のことか。

 ベラは肩越しに振り返り、旧友が引きつった作り笑いを浮かべているのを見た。


 内面の不安を誤魔化そうとする痛ましい表情。

 大切な人を失うかもしれないという恐怖。

 それを現実として認識した者の顔。


「私は誰も死なせない」


 かつての友人に、悲しい思いをさせたくはない。

 ベラは決意の言葉を呟くと、ドアを開けて外へと飛び出した。


 残暑の続く青空の下、ベラは走る。

 王宮へ向かって。




   ※


「輝動二輪が使えないだと!?」


 息も切れ切れに厩舎へと飛び込んだベラを、最悪の事態が待ち受けていた。


 広大な領土を持つファーゼブル王国。

 今回のエヴィルの出没地点も、徒歩では丸一日近く掛かる場所だ。

 輝動二輪という移動手段がなければ、迅速にエヴィルの元へとたどり着くのは不可能である。


「いったい、どういうことなんだ」


 ベラは憤りを堪えて問い質した。

 整備担当の兵士は困ったような声で説明する。


「ですから、ベレッツァ様の機体は今、整備工場の方に修理に出してるんですよ。毎日毎日、無茶に乗り回してるせいで、あちこちガタが来てるって前から言ってたでしょう」


 輝動二輪を本格的に整備するなら、本人が出撃しない日しかない。

 だが、ベラがまったく休日を取らないせいで、その暇もなかったのだ。

 ほとんど問題なく乗れていたので失念していたが、定期的な車両整備は必須である。


「ならば代わりの機体でいい。すぐに用意してくれ」

「代わりの機体なんてありませんよ。斥候部隊が国中を飛び回ってるせいで、タダでさえ機体が不足してるんです。しかも今日は新入りの研修だとかで、あまってる機体も全部、特殊部隊の人たちが乗っていっちまいました」


 部隊の志願者を実戦に同行させ、実力と度量を試しつつ入隊者を選別する。

 それはレガンテの提案で、前々から行うことになっていた。

 だが、何故よりによってそれが今日なのだ……


「明後日には工場の方から何台か卸してもらう予定になってます。けど残念ながら、いま使える機体は一台もありませんよ」


 輝士用の輝動二輪は運転資格だけでなく本体の取得資格も非情に厳しい。

 市民用の小型の機体ならともかく、輝士用の大型は持ち主が決まった後も最終チェックがある。


 手続き及びチェックには最低半日は掛かるので、いくら緊急事態とはいえ、工場に乗り込んでその場で借りるというのも不可能だ。

 

「なにか方法はないのか……」


 ベラは焦った。

 額には汗が滲んでいる。

 ふと、彼女は厩舎の奥へと目を向けた。


「あれは使えないのか?」


 そこは工具類が散らばる整備所。

 その奥に、一台の輝動二輪が停まっている。


「あれも部品待ちでしてね。今のままじゃ乗れないんですよ」

「なんの部品が足りないんだ」

「エネルギーパックが無いんですよ」


 輝動二輪を動かすには、大量の輝力を必要とする。

 そのための輝力を液状にして蓄えておくのが、エネルギーパックと呼ばれる部品だ。


 輝力は輝鋼石から輝流変換所を経て輝工都市アジールに運ばれるので、輝力の補充自体は決して難しいことではない。


 しかし、輝力を圧縮して液状にするエネルギーパックは、まだまだ貴重品だ。

 大型ともなると、その輝力消費量は莫大で、充輝にも時間が掛かる。


「そんな慌てなくても、街道の封鎖は完了してるから、どこの町にも危険はありませんよ。ここは大人しく部隊の皆さんが帰って来るのを待ちましょうや」

「くっ……」


 発見された残存エヴィルは現在、どこの都市町村にも向かっていない。

 なので、それほど危機的な状況だとは思われていない。

 輝士団の出撃予定もないようだ。 


 とは言え、万が一にも旅人や隊商が出くわしたらどうなる?

 友人の大切な人が、その中にいるかもしれないのだ。


 隊商がすでに出発したと確定したわけではない。

 が、決してありえないほどに低い可能性でもないだろう。


 こうして黙って待つしかないことが、ベラにはどうしようもなく歯がゆかった。




   ※


「♪ふふん、ふーふふーん」

「どうしたクアルティ。ずいぶんとご機嫌だな?」


 馬車の窓から山々の稜線が見える。

 それを眺めながら、青年は鼻歌を歌っていた。


「いえ、ちょっとね……」

「何かいい事でもあったのか?」

「実は俺、この仕事が終わって王都に帰ったら、結婚するんですよ」

「本当か? がははは、そいつはめでたい!」


 大声で笑うのは、この隊商のリーダーである中年男性。

 その声につられて馬車の中の全員が青年の方を振り向いた。

 誰かが拍手をすると、それはすぐに波紋となって皆に拡がった。


「ありがとう。みんなありがとう」

「ほら、結婚祝いだ」

 

 リーダーがクアルティにジュースの缶を差し出した。


「って、これだけっすか?」

「式に呼んでくれたら、もっと良い物を用意するよ」

「おっけ、わかりました。絶対呼びますからね。期待してますよ」


 缶を頭上に掲げ、みんなで乾杯をする。


 職人修行を兼ねたクイント国への出張。

 その間、この豪放なリーダーにはずいぶんと世話になった。


 クアルティが王都から出るのは今回が初めてだった。

 右も左もわからず、輝工都市アジールの常識すら通用しない、隣国への旅。

 不安は大きかったが、リーダーは文化の違いから風習まで、あらゆる事を丁寧に教えてくれた。


 今回の旅で新商品の製法を確立できたのも、この人の力に寄るところがかなり大きい。


「しかし残念だったな。せっかく新製品のアイディアが浮かんだってのに、出入り制限のせいでちょっとしか材料が仕入れられなくて」

「こんな時期だし仕方ありませんよ。とりあえずある分で造ってみて、評判次第では少しずつでいいから仲介屋に仕入れてもらいます。なんなら郊外に自分たちで畑を作ってもいい」

「きっと大評判になるに違いねえ。奥さんも大喜びだぜ、がははっ」


 まだ結婚したわけでもないのに、奥さんなんて……

 クアルティは気恥ずかしく思ったが、言われてみると実感が湧いてくる。

 彼女と結婚するという現実を再認識できる。


 きっと自分は、いまが幸せの絶頂期なんだろう。

 高等学校へ進学せず、実家のパン屋で働き始めてから五年。

 ようやく技術が追いつき、順調に仕事をこなせるようにもなってきた。


 辛い下積み時代を思い出すと感慨深いものがある。

 だがそれがきっかけで、レスタと知り合うこともできたのだ。

 自分の辿ってきた道が間違いではなかったことをクアルティはとても嬉しく思う。


 父が死んでから働き通しだった母にも、これからは楽をさせてあげたい。

 自分が母に代わって、せいいっぱい店を盛り上げていかなくては。


 家族を養うため、より一層がんばって働こう。

 そう決意したクアルティであった。

 が。


「ん、なんだありゃ?」


 誰かが馬車の前方を見ながら言う。

 クァルティも外に目を向けた。


 土煙が立っている。

 よく晴れた秋空の下。

 まだ遥か遠い王都へと続く道。

 そのずっと先から、何かがやって来る。


 黒く淀んだ空気が渦を巻いている。

 闇が嵐のように流れてくると錯覚する。

 その正体を悟ったとき、馬車の中に戦慄が走った。


「ありゃ、エヴィルの大群だ!」

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