360 ▽生涯任務
「今日からお前は、この娘のために生きるのだ」
私は四歳にして両親と引き剥がされた。
海辺の
まだ幼かった私は、その言葉の意味がよくわからなかった。
だけど、見知らぬ男性に抱かれる幼子の安らかな寝顔を見た瞬間、この子は自分が守ってあげなくちゃいけないんだと思った。
始めは使命感と言うより、単純に妹ができた喜びだったのかもしれない。
その幼子の名前はルーチェと言った。
その日から、私の生涯任務が始まった。
ルーチェには母親がおらず、父親は仕事で留守がちだった。
彼女にとって、私は姉でもあり、母代わりの存在でもあった。
私はフィリア市の初等学校に入学した。
授業が終わると、友達と遊ぶこともなく、真っ直ぐ家に帰った。
私が戻るのと入れ替わりに、ルーチェの父親であるアルディ氏は仕事に出かけて行く。
「べらおねーちゃん! おかえりなさい!」
「ただいま、ルーチェ」
私の顔を見るとルーチェは無邪気に喜んだ。
それがとても嬉しくて、私は自分の幼少期を子守りに費やすのに何の抵抗もなかった。
「すぅ、すぅ……」
安らかに寝息を立てるルーチェ。
その傍らで、私はこの娘の平穏がずっと続くようにと願った。
年を重ね、自分に課せられた使命の重さを知ってからも、その想いは変わらない。
この可愛い『妹』だけは、いつまでも幸せに暮らせるようにと願った。
※
「べらおねーちゃん、いっちゃやだよう!」
「ごめんな……またきっと、会えるから……」
ルーチェが初等学校に入って一年が経った頃。
私は祖父と共に王都へと引っ越した。
本格的な輝士修行を行うためだ。
実の両親や年の離れた弟と過ごす日々は、それはそれで素晴らしいものだった。
しかし、私は別れ際にルーチェが流した涙を、一度たりとも忘れたことはない。
当時の私はまだ九歳。
家族の下で平穏に暮らすよりも、あの子を守るという指名の方がずっと大切だった。
私が王都で編入したのは輝士養成学校の初等科。
やがて来る災厄から彼女を守るため、ひたすら修行と勉強に励んだ。
この頃には自分の使命を正しく理解していたし、そのために生きることを誇りにさえ思っていた。
日々の稽古は厳しかった。
国内最強の輝士と呼ばれた祖父。
その下で行う修行は、まさに地獄の一言だった。
それでも、私は苦しい日々を乗り越え、十五歳には輝士の修行過程を修了させた。
後は高等学校を卒業s知恵、正式な輝士に叙任されるのを待つばかり。
名門南フィリア学園に通うため、第二の故郷へと帰った。
※
「お帰りなさい、ベラお姉ちゃん!」
「ああ、ただいま」
十四歳になったルーチェは立派に成長していた。
私がいない間も良き友人に恵まれ、健やかに過ごしていたようだ。
あどけなさの中に時折、幼い頃に一度会った『あの方』の面影がちらつく。
それからの三年間は、ずっと彼女の側で一緒に暮らしていた。
私の役割はお隣のお姉さん。
そして……
※
「おい、起きろ」
肩を揺する大きな手に起こされる。
ベラはゆっくりと瞳を開いた。
「疲れているだろうが、闘えるか?」
第一の試合が全て終わり、二時間の休憩を取れた。
ベラは個別に用意された控え室で祖父と話しこんでいたが、そのうちウトウトとし始めて、ついには眠ってしまったのだった。
「いえ、大丈夫です」
「ずいぶんと幸せそうな顔で眠っていたな」
「そうでしたか?」
「夢でも見ていたのか」
夢。
心地よい眠りの中で見るのは、心の中で強く願っていること。
「はい。妹の夢を見ていました」
祖父は僅かに眉をしかめる。
これは失言だった。
祖父は元、天輝士である。
ロイヤルガードを除けば最も王家に近い人間だ。
ベラの馴れ馴れしい呼び方を、不敬と思ったかも知れない。
「ベラよ。忘れぬように言っておくが、お前はあくまで……」
「わかっています」
ベラは立ち上がり、乱れた服装を正す。
「私はあの方を守るため、生涯を捧げた輝士です」
腰に下げた剣の感触を掌で確かめる。
祖父の目をじっと見据える。
「平穏な日々に浸かったのは、守るべき者たちの生活と幸福の形を知るため。心地よさに溺れ、
使命を忘れることはありません」
フィリア市での三年間は本当に幸せだった。
過酷な修行の日々が嘘のような、穏やかな学園生活。
仲間たちの笑顔に囲まれて過ごしたのは、みなが守りたいと願う時間だ。
その暖かさを知っているからこそ、こうして上を目指して闘える。
あの子もまた、戦いの渦中に身を投じようとしている。
少しでも力になるためベラは天輝士を目指した。
こんな所で立ち止まってはいけない。
※
「ふふ……これで、終わりだ!」
闘技場ではレガンテの試合が行われていた。
相手は北部方面輝士団出身の剛力無双の輝攻戦士。
怒濤のラッシュを受け、レガンテは場外近くにまで追い込まれた。
しかし……
「甘い!」
彼は対戦相手の剣をかわし、懐に入り込む。
「はあっ!」
輝工精錬された剣の柄で相手の鳩尾を叩く。
急所に強打を食らった相手選手はたまらず腹を押さえた。
「ぐ、お……」
「もらった!」
レガンテはその隙に背後に回る。
そして相手の背中に強烈な斬撃を叩き込んだ。
「おっ、おおお……っ、ぶべっ!?」
対戦相手の輝士は闘技場の端から足を踏み外してしまう。
その瞬間、アナウンサーがレガンテの勝利を宣言した。
「場外! 勝者レガンテ!」
「おおおおおおっ!」
闘技場に響くアナウンスの声。
そして耳を聾するばかりの客席の大歓声。
「番狂わせに続く番狂わせ! なんと、衛兵出身の生身の剣士に輝攻戦士が敗れました! これでベスト4が出そろったわけですが、果たして今回、天輝士の栄誉を手にするのは誰なのか!?」
アナウンサーのセリフは完全にお祭りの司会者のそれだ。
その声を聞くともなしに聞きながら、客席のベラは個別控え室へと足を向けた。
※
控室へ向かう途中の廊下。
ベラは試合を終えたレガンテと出会った。
「よう」
「ああ」
すれ違いざまレガンテの方から声を掛けてくる。
ベラはさきほどの彼の試合ぶりを称賛した。
「見事な試合だった。まさか輝攻戦士に勝ってしまうとはな」
見込んだとおり、レガンテはすごい剣士だった。
確かに輝工精錬された武器なら輝粒子の上から攻撃が通る。
とはいえ、衛兵が輝攻戦士相手に勝利するとは誰が思っただろう。
「相手はかなり油断していたし、現役の天輝士を破った君ほどの大金星ではないよ。楽に勝ったように見えるかもしれないが君のように手加減をする余裕もなかった」
「手加減など……」
していなかった、わけではない。
正確に言えば全力を尽くさなかっただけだ。
「俺と戦うときは、こちらに合わせて輝攻戦士化しないでいてくれるのかな?」
ヴェルデとの試合。
ベラはピンチになるまで輝術を使わなかった。
得難い強敵を相手に、修めたばかりの輝攻戦士の力を試したかったのだ。
これは負けたら終わりの選別会である。
本当なら最初から全力を尽くすのが当然であり、礼儀だろう。
得意技を出し惜しみしたことは、手加減したととられても文句は言えない。
「もし、そのつもりなら警告しておく。油断していると痛い目を見るぞ。さっき俺に負けたマヌケな輝攻戦士のようにな」
レガンテは真っ直ぐにベラを見つめる。
何と言い返そうか迷っていると、彼はフッと笑ってベラの肩を軽く叩いた。
「ま、お互いにベストを尽くそうぜ」
そう言って彼は自分の控室の方へと歩いて行く。
この男はたとえ輝攻戦士と当たっても、それに打ち勝つだけの技量と信念があるのだ。
試合という限られた空間なら、生身の人間が輝攻戦士を負かす方法はある。
それはたった今、はっきりと彼自身が証明してくれた。
手加減などせずに全力で挑んで来い。
そうレガンテの背中は語っていた。
「いいだろう」
その挑発、たしかに受け取った。
お互い次の試合に勝てば、決勝で合間見えることになる。
「必ず決勝でお前を倒す。覚悟して待っていろ!」
レガンテは振り向かず、肩越しに手を振って応えた。
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