EX3 一番星 編 - bis der rote mond wächst -

338 ◆力とさだめを背負って生まれた娘

 最初の記憶は母の胎内。

 柔らかな肉の揺りかごに抱かれた安らぎの空間。


 光は届かなくても、自分がそこにいることを知覚していた。

 アタシはそれが自身であり、世界の全てではないことを理解していた。


 生まれる前の記憶を持っているって人の話は他にも聞いたことがある。

 けど大抵の場合、それは何かの勘違い、もしくは思い込みの虚言に過ぎない。

 物心つく前の記憶や、この世に誕生する前のことなど、覚えているわけがないのだ。


 だけど、アタシは母の中にいた頃を覚えている。

 もちろん、二十年近くも前のことなので、鮮明にというわけにはいかない。

 精々「小さい頃ころにこんな場所に行ったことがある」といった程度のうっすらとした記憶だ。


 なぜ生まれてもいないアタシが、胎児の頃の記憶を持ち続けているのか。

 それは母の呪術による影響だった。


 アタシの母は輝攻戦士だった。

 世界の暴れ者の異名を取る軍事国家シュタール帝国……

 通称『鉄の国』最強の称号である、星帝十三輝士シュテルンリッターの一番星。

 世界最強の輝攻戦士だった。


 アタシが生まれた頃は魔動乱の末期。

 世界中に異形の獣が溢れ、混乱を極めていた、そんな時代。

 日々どこかで異界へと続くゲートが開いては無数のエヴィルが吐き出されていた。


 若い時は自己研鑽にのみ没頭していた母だったが、その頃には積極的にエヴィルを討伐していた。


 拳での戦いを得意とする母は、多くのエヴィルをその手で葬り去った。

 その余りに壮絶な戦いぶりから、人々につけられた二つ名がある。


『血塗れ』ノイモーント。


 そんな戦いの最中に母がアタシを身ごもった理由はただ一つ。

 自分が死ぬことで、受け継がれてきた力を失わないためだ。


 当時母は四十後半。

 戦士としての絶頂期はとっくに過ぎていた。

 己を鍛え上げることだけに命をかけてきた人生。

 夫に相応しいと思える男にもついぞ出会わなかったと言う。


 アタシは自分の父が何者かを知らないし、知りたくもない。

 少なくとも母が愛した人物でないことだけは確かだ。


 タネを植え付けて間もなく、アタシの遺伝子上の父は死んだと聞いている。

 アタシを身ごもった母は、高名な輝術師にとある術を掛けてもらった。

 自分の三代前の祖先からずっと続けられてきた呪術を。


 模倣転生。


 自身の能力と記憶の一部を、そのまま胎内の子に宿らせる術。

 古い歴史書の中にしか登場しない厳然たる呪法だ。


 当然、相当なリスクもある。

 術を施せば母の体に重大な障害を残す。

 そこまでしてでも、母は自分の力を後の世に残したかったのだ。


 強者の傲慢と言う人もいるだろう。

 けど、それは違うとアタシは思っている。

 母は未来への希望を残すと同時に、自らは死ぬ覚悟で戦いに挑もうとしていた。


 血塗れの二つ名とは裏腹に、平和を愛する心を持つ優しい人だった。


 母の胎内に命が宿った瞬間から、アタシは物事を知覚する力を手に入れた。

 模倣転生って言っても、別に母の生涯を丸ごとコピーしたわけじゃない。

 けど、アタシは生まれた時から自分のものでない記憶を持っていた。


 それは年を重ねるごとに少しずつ薄れていったけど、今でも僅かながら、自分のものではない記憶が頭の片隅に残っている。


 そしてアタシは産み落とされた。

 母の代替品として、母と同じ灼熱色の髪を持って。


 アタシは満月を意味する『ヴォルモーント』という名が名付けられた。

 込められたのは希望か。

 皮肉か。




   ※


 生まれてすぐアタシは周囲の物事を理解していた。

 声帯が未発達なので言葉を喋ることはできなかったけど。

 周りの人間が何を言っているのか、その意味もちゃんとわかった。

 その中で一番印象的だった母のセリフは今でも憶えている。


「愛情は湧かないと思っていたけど、いざ生まれてみると愛おしいものね」


 母はしばらくの休息を挟んだ後、また戦場へと戻っていった。

 ほとんどの時間を離れて過ごしたけど、寂しくはなかった。

 人々を救いたいっていう母の気持ちはわかっていたから。


 生まれて一年が経つ頃には、人並みに会話もできていたし、読み書きも覚えていた。

 周りの大人たちは異様な成長を見せるアタシを気味悪がっていたけど、当のアタシはむしろ体が思うように動けないことに不満を感じ続けていたくらいだ。


 三歳になるまでは、数名の養育係以外の人前に姿を表すことを許されなかった。

 別にそれでもいいと思ったし、読むための本は無数にあったから飽ることもなかった。


 体の中に渦巻く莫大な輝力のためか、たびたび高熱が出て、専門の治療を受けることもあった。

 そのときばかりはかなり辛かったけど、三日も経てば収まると知っていたので我慢した。

 アタシはひたすら知識を吸収することに幼年時代を費やした。




   ※


 しばらくして、母は国を離れた。

 終わりのない戦いを終結させるため。

 とある冒険者たちと共に、新代エインシャント神国へと向ったのだ。


 帝国の消極的な対抗策よりも、彼らに賭けたいと思ったのだろう。

 守り一辺倒のいつ終わるとも知れない戦いに疲れきっていたのかもしれない。


 出発前に、一度だけその冒険者たちと会ったことがある。

 久しぶりに会った母は最後の別れのつもりだったのか、日が暮れるまで一緒に遊んでくれた。


 母が連れてきた冒険者は四人。

 精悍な顔つきの青年輝士。

 目も覚めるようなピーチブロンドピンク髪の女性。

 無骨な中年輝士。

 まだ少年と言っていい年齢の輝術師。

 母は彼らを信じ、世界を救うために旅立った。


 それから二年後、母たちの活躍で世界は救われた。

 ゲートから異界に渡りエヴィルの王を打倒。

 彼ら『五英雄』は新たな伝説となった。


 五英雄の内、一人は最終決戦で死亡し、一人は戦後に行方不明になった。

 母を含む二人は隠居の道を選んだ。


 今も第一線で活躍しているのは、当時わずか十二歳だった『大賢者』グレイロードだけ。

 彼は現在、新代エインシャント神国の輝術師団長を務めている。




   ※


 魔動乱は終結した。


 今にして思えば、母はアタシを戦わせたくなかったんだろう。

 五英雄の活躍がなければ、魔動乱はあと二十年知覚は続いたと言われている。

 母も老いから戦場を退かざるを得なくり、代替品としてのアタシの出番がまわってくる。


 だけど実際に腹を痛めて子を産んで、自分の娘を道具のように扱うのが嫌になった。

 だから命を賭してでも、英雄達と行動することで早期に魔動乱を終結させた。

 ……なんて、これはアタシの勝手な想像でしかないけどね。


 母の本当の考えはわからない。

 けど、確かなことが一つだけある。

 終戦後はたくさんの愛情を注いでくれたこと。


 自分が特別な存在だということは理解していた。

 けれどアタシは、普通の子供として暮らすことにした。

 いろんなところで子供らしくないところもあったけど……

 初等学校に入学する前くらいには、年相応に振舞うという演技も憶えた。

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