297 ラスト・トラップ

 もうもうと白い水蒸気が立ち上る。

 私とフレスさんは遠く離れた場所からそれを見ていた。


 やがて、水蒸気が晴れた。


「そんな……」


 カタナを片手に、立っていたのはナコさんの方だった。

 ジュストくんは彼女の足元にうつぶせに倒れている。

 彼の体を覆っていた液体状の輝粒子はない。

 二重輝攻戦士デュアルストライクナイトは解除されていた。


 ナコさんがゆっくりとこちらに向かってくる。

 異国風の服はあちこちが破れ、覗いた肌からは浅くない傷や火傷の痕が見られる。


 油断したのは私たちの方だった。

 彼女は輝術に耐え、ただ目の前のジュストくんだけを斬った。


「るうてさん」

「ひっ」


 ナコさんと視線が合った。

 その瞬間、体が動かなくなる。

 私は戦慄っていう言葉の意味を知る。


「あなたのことは殺さないつもりでしたが、邪魔をするなら仕方ありません」


 腕を斬られた時の恐怖がよみがえる。

 いやだ、怖い。


 ジュストくんまでやられちゃ、もうどうしようもない。

 私とフレスさんの輝術師二人じゃ彼女には手も足も出ない。


「うっ……」

「フレスさん!?」

「ごめんなさい、これ以上は、もう……」


 しかも、フレスさんはほとんど輝力を使い果たしてる。

 隷属契約スレイブエンゲージでない輝攻戦士化の術は相当に消耗が激しかったみたいだ。


 絶体絶命。

 と、ナコさんの足が止まった。

 彼女の背後に黒いシルエットが浮かび上がる。


「もうやめろよ、姉ちゃん!」

「大五郎……?」

「それ以上動いたら本当に死んじゃうぞ!」


 ダイが後ろからナコさんを押さえつけていた。


「放してください。るうてさんは私を嫌いなので、殺される前に殺すしかないでしょう」

「ルー子は姉ちゃんを殺そうとなんかしてない! オレたちは姉ちゃんがこれ以上人を殺すのを止めたいだけなんだよ!」

「そんな事はどうでもいいんです。私ははるうてさんを斬りたいの!」

「なに言ってんだよ! さっき仲良くするって言ったじゃんか、そんなのダメだよ!」

「じゃあ、あなたが斬られて?」


 ナコさんは背中を抑えるダイを振り払う。

 そして、その凶悪な刃を振り上げた。


「え……?」


 突き飛ばされたダイは呆然としている。

 彼女がなぜ自分に刃を向けているのか理解できないでいる。

 ナコさんのカタナが、ダイの頭上めがけて振り下ろされる、その瞬間。


「待てぇっ!」


 ジュストくんが飛び込んだ!

 まだ、彼の体には僅かな輝粒子が残っている。

 腰で剣を構え、体ごとぶつかるようにナコさんにあたっていく。


「しつこい男ですね!」


 ナコさんはすぐに反応した。

 カタナの先をジュストくんに向ける。

 キラリと光るその刀身から、輝力の塊が放たれた。


 輝力の塊がぶつかる直前、ジュストくんは剣に残った輝力を集中させて振りぬいた。


「うおおおおおっ!」


 彼の持つ剣がまばゆい光を放つ。

 それはナコさんの放った輝力の塊を見事に打ち消した。

 輝力を操る天才のジュストくんならではのエネルギーコントロールだ。


 けれど、その代わりに彼の体を守る輝粒子はほとんどなくなってしまってる。


 攻撃を打ち消した後もジュストくんは止まらない。

 全力で飛び込み、体当たりのような突きを放つ。


 ジュストくんの剣がナコさんの肩を貫いた。

 ビッツさんの狙撃を食らった部分を、さらに抉った形になる。


「あなたも――」


 ナコさんは苦痛に顔をゆがめた。

 けれど、叫び声一つあげることなく、


「死になさい!」


 カタナを左手に持ち替えた、ジュストくんの脇腹を突き返した。


「がっ……!」


 なんて気力。

 なんて執念。

 同じ場所を二度も貫かれて、痛くないはずはないのに。


 ナコさんはよろめいたジュストくんを突き飛ばす。

 右肩に刺さった彼の剣を引き抜くと、それを遠くへ投げ捨てた。


 彼女の右腕はだらりと垂れ下がって動かない。

 肩口からは止めどなく大量の血が流れてる。


 彼女はまだ呆然としているダイの姿を見下ろすと、


「……大五郎、ごめんね」


 穏やかな笑顔でそう告げた。

 そして彼女は反転し、森の奥へと走って行った。


 逃げ……た?


 足から力が抜けそうになる。

 けど、


「お、追いかけなきゃ」


 ダイが去って行く彼女の方を見ながら呟いた。

 それを倒れたジュストくんが止めようとする。


「よせ、放っておくんだ……」

「放っておいたら姉ちゃんが死んじゃうよ!」


 彼は落ちていたゼファーソードを拾い上げた。

 けれど折れた輝攻化武具はもう使い物にならない。

 代わりにナコさんが投げ捨てたジュストくんの剣を掴む。


「追わなきゃ」


 武器を手にしたことで、ダイの目に強い意志の力が宿る。


 彼はもう輝攻戦士になることができない。

 ナコさんはすでにダイを大切にする気持ちすら侵食され始めている。

 手負いの今こそ彼女を止める最大のチャンスだっていうのはわかるけど、今度は彼が斬られてしまうかもしれない。


 私は周りを見回した。

 ビッツさんは向こうで気絶したまま。

 フレスさんは輝力を使い果たして動くのも億劫そうだ。

 ジュストくんも怪我はかなり深く、これ以上は戦えそうにない。


 でも、逃げたのが森の中なら、上手くいけばが使える。


「とにかく、オレは行くから」

「まって」


 一人でナコさんを追いかけようとするダイ。

 私は彼の腕を掴んで止めた。


「邪魔するんじゃ――」


 続くダイの言葉を、私は唇で塞ぐ。


「んっ」


 隷属契約スレイブエンゲージが完了。

 触れ合った唇から輝力が流れる。

 ダイの周囲には輝攻戦士の証の輝粒子が舞った。


「これは……」


 自分でも何でそうしたのかよくわからない。

 けれど、こうしなきゃいけないような気がした。

 恥かしいとか、そういう雑念は欠片も湧かなかった。


「一緒に追うよ」

「お、おう」


 ダイは頬を赤く染め、力強く頷いた。




   ※


 ナコさんを追いかける。

 ダイは慣れた輝攻戦士の機動力で。

 私は木々を避けながら輝力を放出して飛ぶ。


 ナコさんは生身で、しかも怪我を負っている。

 それほど速くは逃げられないはずだ。

 すぐに私たちは追いついた。


「姉ちゃん!」


 ダイが叫ぶ。

 ナコさんはちらりとこちらを見る。

 けれど、ダイの姿を目にしても足を止めようとしない。


 彼女が走った跡には転々と血の痕が残っていた。

 それは彼女の傷の深さを物語っている。

 このままじゃ命が危ない。


火蝶弾イグ・ファルハ!」


 私は逃げるナコさんのを退路を塞ぐように火蝶を飛ばし、先回りさせた。

 ナコさんは走るスピードを緩めない。

 左手でカタナを振って火蝶を斬る。


「ちっ」


 ダイが舌打ちし、足を屈めた。

 一気に飛び込んで距離を詰めるつもりだ。


「ダメ!」


 私は彼の腕を掴んで止める。


「なにすんだよ!」

「下手に近づいたら斬られるよ!」

「わかってるよ! でも、このままじゃ……」

「私に任せて。この先に罠が張ってあるの」

「罠?」


 私は走りながら彼に説明した。


 万が一の万が一に備えて用意した最後の作戦。

 私はビッツさんに言われて、ある罠をこの先に仕掛けてある。

 まさか使うことになるとは思わなかったけど、この状況なら下手に追いかけるよりも、彼女が罠にかかるのを待ったほうが良い。


「わかった」


 同意を得られるか心配だったけれど、ダイもそれで納得してくれたようだ。


 ナコさんの怪我は決して浅くない。

 だからって、絶対に油断なんてできるような相手じゃない。

 私たちは着かず離れずの距離を保ちつつ、逃げる彼女の後を追った。

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