273 我が名は桃色天使

 見張りに向かった三人を送ってから私はダイの方を見る。

 彼は床に拳を叩きつけ、今にも泣き出しそうな表情をしていた。


「ちくしょう、止まれ、止まれよっ……」


 怒りを込めて何度も叩きつける。

 彼の指の隙間からは血が滲んでいた。


「だめだよ、そんなことしちゃ……」

「くそっ……くそっ……」


 こんな彼の姿はこれ以上見ていられない。

 逆効果かもしれないけど、私は彼の後ろに回って背中を撫でた。

 けれどダイはそんな私を無視して床を殴り続ける。


「うるさいよ、何を暴れてるんだい!」


 階下から女将さんの怒鳴り声が聞こえてくる。


「止まれ、止まれよっ」

「もうやめなよ、本当に剣が持てなくなっちゃうよ!」


 無理やりにでも止めさせようと、私は振り上げた彼の腕を掴んだ。


「きゃっ」


 けれど、振り上げるダイの力に負けて振り飛ばされてしまう。


「あっ」

「いたた……」


 倒れた私に気づいて、ようやくダイの手が止まった。


「ゴメン、オレ……」


 したたかに打ちつけた背中が痛い。

 けどそれよりも、ダイの弱気な姿を見る方が胸に痛かった。

 普段なら、絶対に謝ったりなんてしないのに。


「自分を傷つけたって、何にもならないよ」


 私は起き上がって、ダイの体を正面から抱きしめた。


「今はジュストくんたちに任せて休もう。明日になれば、きっと震えも止まってるよ」


 いつものダイはナマイキでとびきり強い。

 それなのに、今日の彼はとても弱々しい。

 そんな姿は見たくない。

 ダイには似合わないよ。


「ルー子、ゴメン」

「謝んなくていいよ、仲間じゃない。辛いことがあったら何でも言ってね」

「ル……」


 胸の中で震えるダイが悲しくて、私は抱きしめる腕にぎゅっと力を込めた。


 私とダイはそのまま部屋で夜を越した。

 ダイは部屋の端で蹲り、ときおり思い出したように悔しそうなうめき声を上げる。

 私は慰めることもできずに、ベッドの上でもしもの時に備えていた。

 沈黙と重い空気が支配するいやな夜だった。




   ※


 明け方。

 私は帰ってきたジュストくんに起こされた。

 気を張ってたつもりだったのに、どうやらいつの間にか眠ってしまったらしい。


「ごっ、ごめん! 大丈夫だった!?」

「うん。輝攻戦士状態は解除されなかったし、昨晩は敵の襲撃もなかったから」


 以前の私は、眠ってしまうとその時点で隷属契約が切れていた。


 けど、それじゃ交代で休みを取るのも難しいってことで、無意識の間も輝力をコントロールする練習をして、今では眠っている間も輝力を貸し与えた相手の輝攻戦士状態を維持できるようになった。


 どっちにせよ敵の襲撃があったら戦うことになるから、起きているつもりだったんだけど……


「あれ、ダイは?」

「僕が来たときにはもういなかったけど」


 私が起きたとき、肩には毛布が掛けられていた。




   ※


 その後、夜通しの見張りを引き受けてくれた三人は、昼過ぎまで仮眠を取ることになった。

 一人だけゆっくり眠れた私は、村を散策することにした。


 村の中心にある小さな教会の鐘が鳴る。

 ちょうど、朝食の時間が終わる頃だったみたい。

 作業道具を担いだ大人たちが世間話をしながら畑に向かっていく。


 アグリキの村の惨殺事件のことはまだ伝わっていない。

 村は平穏そのものだった。


 実際の所、事件のことは伝えておいた方がいいって、私は思うんだけど……

 いたずらに混乱させるだけだから黙っておくべきだって、ビッツさんは言ってたしなあ。

 とりあえず、私が勝手に判断するのはよくない。

 今は何も言わないことにしよう。


 そうして村の端っこまで来たとき、大きめの建物の裏手で剣を振っているダイを見つけた。


「もう大丈夫なの?」


 問いかける私を無視。

 ダイは黙って素振りを続ける。


「昨日、毛布かけてくれたでしょ。ありがとね」

「…………」

「ひょっとして、夜からずっとやってるの? ダメだよ、少しは寝ないと、肝心なときに力が出せないよ」

「……動いてないと、本当に戦えなくなりそうで」


 昨日の夜と変わらない、弱気な彼の声が胸に痛い。


「止まらないんだ。怖いはずなんてないのに、手が震えて……」


 ダイはがむしゃらに剣を振り続ける。

 その剣筋には、いつものようなキレがない。

 素人の私でもわかるくらいにメチャクチャだった。


 どうすればいいんだろう。

 彼を元気付けるために、何ができるんだろう。


 優しく慰めるのは逆効果なのかな?

 いつもみたいに冗談まじりにからかってみる?

 いい加減に立ち直りなさいって無責任に怒ってみる?


 大切な人をいっぺんに失った彼の気持ちなんて、私には想像もつかない。

 中途半端な気持ちで、余計な事は言っちゃいけない気がした。


「ほどほどにね」


 私はいたたまれない気持ちのまま、それだけ言ってその場を去った。




   ※


 当たり前だけど、遊び歩く気分にはなれない。

 そろそろ宿に戻ろうとした時、気になる噂を耳にした。


「じゃあ、あの何とかって言う盗賊団の残党は、まだこの辺りにいるのか」

「そうらしいな。セアンスの輝士団を呼び寄せた連合を相当恨んでいるらしい」

「おっかねえな。まさかと思うけど、トチ狂って俺たちを襲いやしないだろうな」


 盗賊団の残党?

 連合を恨んでいる?


「あの。その話、詳しく聞かせてもらえませんか?」

「なんだい、お穣ちゃん」


 立ち話をしている青年二人の会話に割り込むと、彼らは怪訝そうな目で睨みつけてきた。


「私は旅の輝術師です。もし物騒な話だったら、何か力になれないかなと思いまして……」

「その桃色の髪……もしかして、フェイントライツのルーチェ様?」

「あ、はい」

「うわあ、マジですか!?」


 青年の片方が大げさに驚く。

 まさかこんな村にまで私たちの噂が伝わっているとは思わなかったから、少しびっくり。


「なんだよ、フェイントライツって」

「知らないのかよ!? たった六人でエヴィルの巣窟を十個以上も潰したり、あの黒衣の妖将や、沈黙の爆童や、海塞の悪帝まで退治したって人たちだぜ! その中でも桃色天使ルーチェ様って言えば、当代最強の輝術師! たった一人で数百匹のエヴィルを葬ったって噂だぜ!」


 ……ずいぶんと噂は誇張されてるみたいだけど。

 私たちが潰した巣窟は六つだし、沈黙のバクドウとかカイソクのアクテイなんて聞いたこともない。


 っていうか、数百匹を葬ったってなに!?

 それ、私はどんなバケモノだって話だぞっ!

 あとなんなのその桃色天使とかいう恥かしいあだ名は!


「こんな小娘が? 信じられねえな。偽物じゃねえのか?」

「むっ……」


 もう片方の青年が疑わしげな目を向ける。

 別に威張るつもりもないけれど、小娘って言われたことにちょっとムッとした。


火蝶弾イグ・ファルハ


 私は火の蝶を作り出して彼の周囲に飛ばしてみる。


「うおっ、輝術か! こんなの見たことねえ!」

「気をつけろ、きっと触れると大爆発して、村ごと吹っ飛んじまうぞ!」

「わあっ、すいません! 謝りますから、これ消してくださいっ!」


 いや、そんな泣いて頭を下げなくても……大爆発とかしないし。

 偽物じゃないと証明するためとは言え、輝術を使ったのは大人気なかったかもしれない。


「で、盗賊の残党って何ですか?」




   ※


 宿に戻ると、なぜか一階の食堂に幼少モードのカーディがいた。


「よう」


 彼女は一人で朝食をたべていた。

 むしゃむしゃとパンをかじる姿がかわいくて、思わず抱きしめてしまう。


「かわいい!」

「だから会うたびにいちいち抱きつくな!」

「あばっ」


 顔パンチを食らった!

 私は鼻の頭をさすりながら彼女の隣の席につく。


「今日はカーディ一人なの?」

「メガネは惨殺事件の調査をしてるよ」


 何事もなかったかのように食事を続けながら彼女は答える。


「事件のこと、知ってるんだ」

「まあね。わたしは興味がないんだけど、メガネはどうしても放っておけないって」


 もしカーディが力を貸してくれるなら百人力なんだけど。

 けど、彼女は人間同士の争いには興味がないみたい。


「おまえたちも関わっているみたいだけど、下手に騒ぎ立てない方がいいよ。村がパニックになったら収集つかないからね。黙って解決するくらいじゃないと」

「それくらいわかってるよ」


 さっきの人たちに私たちが泊まっていることを教えたのは余計なことじゃないよね?

 それより……と前置きして、私はさっき仕入れたばかりの情報を彼女に伝えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る