255 ▽地方官の正体

「えっ、ジュストくんたちが見つかったの!?」


 ビッツが地方官の使いから聞いた話を伝えると、ルーチェは一瞬の驚き顔の後、ぱあっと表情を綻ばせた。


「そっか、無事だったんだね。よかったぁ……」

「すでにトラントに着いているらしい。ダイとも合流しているそうだ」


 あのジュストやフレスが簡単に死ぬとは思っていなかったが、なにせ船上から投げ出されたのだ。

 絶対に大丈夫だと信じていたルーチェも、はっきり安否を確認するまでは気が休まらなかったことだろう。


「これでまた、旅を再開できるね」


 安心したように言うルーチェ。

 そこに子どもたちが群がってくる。


「ルーチェせんせい、いっちゃうの?」

「やだー。もっとお勉強おしえてほしいー」

「うっ……」


 子どもたちから熱心に引き留められ、彼女はかなり困った様子である。

 微笑ましい光景だった。


「ごめんね。私も、もっと皆と一緒に居たいんだけどね……」

「旅を終えたら、また戻ってくればいいさ」


 ビッツはフォローするように言った。

 ルーチェたちの旅の目的は、魔動乱の再来を阻止すること。

 それはきっと、子どもたちの未来を守ることにも繋がるのだから。




   ※


 結局、即興のお別れ会が開かれることになった。

 ビッツは彼女たちの邪魔をしないよう、先に一人で出発の準備をする。

 一時間後、屋敷の外で待っていたビッツの所に、子どもたちの手作りの折り紙の花束を抱えたルーチェがやって来た。


「ごめんなさい。おまたせしましたっ」

「いいや。子どもたちとしっかり別れは済ませてきたか?」

「はい!」


 笑顔で答えるルーチェ。

 その頬には、うっすらと涙の跡があった。


 今回は仲間がバラバラになるという大変な状況だった。

 けれど、この寄り道も、彼女にとっては有意義な時間であったようだ。


 これから二人は小舟でトラントの町へと渡り、そこでジュストたちと合流する。

 ビッツは見送りに出て来てくれたブルート地方官に感謝の言葉を述べた。


「そなたには世話になった。国に戻ってからも、遠方の友として懇意にしたい」

「しがない地方官ごときが一国の王族の方にそう言ってもらえるのは、とても励みになりますね。こちらこそ、あなたからは多くのことを学ばせていただきました」


 今回の逗留はビッツにとっても有意義なものだった。

 屋敷に滞在する間、ビッツたちは様々な意見を交換し合った。

 それぞれの統治論、新技術の応用方法、そして大国とのつきあい方まで。

 ブルートと出会って、じっくりと語り合えたのは、本当に良い経験だったといえる。


「地方官様、ありがとうございました」


 ルーチェも丁寧に頭を下げる。


「どうか、これからもあの子たちを守ってあげてください」

「もちろんです。子どもたちは国の宝ですからね。ただし、勉強は厳しく教えますが」


 ブルートの返事にルーチェはニコリと微笑んだ。

 しかし、なぜか悲しげに表情を曇らせて、


「それで、あの、最後に一つだけお聞きしたいんですけど……」

「何ですかな?」

「あー、えっと……」


 彼女は言いにくそうに視線を逸した。

 そのまましばらくの間うーうーと唸る。

 やがて彼女は顔を上げ、まっすぐブルートの目を見て、言った。


「なんで、ケイオスが地方官なんてやってるんですか?」


 ビッツは最初、彼女が何を言っているのかわからなかった。

 言葉を頭の中で反芻し、その単語の意味が浸透しても、何故そんなことを言ったのか理解できない。


「……いつから気づいてらしたのですか?」

「最初からです。地方官様に町でお会いしたときから。私、そういうのわかっちゃうんです」


 ルーチェの言葉をブルートは否定しなかった。

 彼が……ケイオスだと?


「最初は、隊商の人たちを人質にしているのかと思ってました。でも、移動中もみんな和気藹々として、屋敷の人たちからも慕われてて、子どもたちからも……」


 そこでルーチェは言葉を詰まらせる。

 数秒後、上目遣いにブルート地方官を見上げ、問いかけた。


「ぜんぶ、演技なんですか?」

「はい。その通りです」


 ブルートがぎょろりと目を剥く。

 ビッツは本能的に彼が異形の生物であると理解した。

 即座に腰のベルトに固定してある火槍を取り外し、距離をとって射撃体勢を整える。


 ビッツが火槍を構えると、即座に妖精が弾丸を込める。

 すでに引き金を引けば即座に弾丸を撃ち出せる状態だ。


「我々を欺いていたのか」

「結果的にはそうなりますね」

「ドラゴンを差し向けたのも貴様の仕業か。我らを分断し、ルーチェの力を奪うつもりだったのだな」


 ルーチェの持つ莫大な輝力は、ケイオスにとって大きな価値がある。

 彼女がいれば人を襲わなくても無限に輝力を吸収できるからだ。

 なにせあの黒衣の妖将から非常食扱いされるくらいである。


 なので、このケイオスも同じようなことを考えているのかと思ったのだが、


「それは違います。私があなた方と会ったのは、本当にただの偶然ですよ。それに、私では彼女を害することなどできませんよ」

「何?」

「私は弱い。戦った所で返り討ちに遭うだけでしょう……むしろ、できるなら出会いたくなかった」

「ならば、何故あの町で我らに声をかけた?」


 ビッツたちがブルートと出会ったのはカナールという町。

 依然としてジュストたちの行方は知れず、沈んだ雰囲気で食事をしていた時のことだ。


 人の良さそうな笑顔を浮かべたブルートが「どうかしましたか?」と話しかけてきたのである。

 

 彼は隊商を引き連れて隣の地方の視察をした帰りだと言っていた。

 仲間とはぐれたというこちらの事情を話すと、部下を使って捜索させてあげるから、代わりにトラントまで護衛をしてくれないかと頼まれた。


 出会いたくなかったと言うのなら、明らかに不自然な行動だろう。


「それは、あなた方が困っていたからですよ。私が演じている心優しい地方官は、あの場面であなたがたに手を差し伸べるのが自然でした。せっかく長い年月をかけて信頼を築いてきたのに、つまらないことで周りに不審の目を向けられるのは面白くありませんから」


 その理屈はわからないでもない、が。


「そこまでして立派な地方官を演じて、そなたは一体何がしたかったのだ?」

「まず、最初の質問に答えますね。私がこの体を乗っ取ったのは、トラントを含めた周辺地域を活性化させ、この周辺の人口を増やすためです」

「人口を増やすって、なんのために……?」

「もちろん、食料にするためですよ」


 ルーチェの質問に対するケイオスの答えは、極めて非情だった。


「食、料……?」

「はい。間もなく侵攻が再開された暁には、我々が『かわき』を潤すために大量のエネルギーが必要になります。この地方にはそれを賄えるだけのキャパシティがあった。もったいないことに、この体の本来の持ち主はまともなまつりごとを行っていませんでしたがね」

「人間が好きになったからじゃ……ないんですか?」

「我々にそんな感情はありません」


 エヴィルが人間を好きになるなど、普通はありえないことである。

 けれどルーチェは、ここ数日の彼の立派な姿に淡い希望を持ったのだろう。

 あっさりとそれを否定されたルーチェは、感情を露わにしてブルートを問い詰める。


「なんで!? だって、あんなにみんなから慕われて、町の人たちの生活も豊かになって、とても立派な地方官様なのに! 元々の目的は知らないけど、このまま人間として暮らしちゃダメなんですか!?」

「ダメなんですよ。あなたがたがエヴィルと呼ぶ我々異界の者にとって、ヒトとは殺してエネルギーを奪う対象であり、それ以上でも以下でもないのです」

「そんな……!」


 エヴィルと人間は決して仲良くはできない。

 ビッツの肩に止まっているフェリキタス妖精のような例はある。

 ただし、これは別にビッツを慕って懐いているわけではない。


 主食である輝力を効率よく摂取するための餌場。

 そう思わせる代わりに、こちらの都合良く扱っているだけに過ぎないのだ。


 このケイオスも、それと少し似ている。

 当人の目的は自分たちの食料となるエネルギー源人間を育てること。

 その過程で、一時的に人間にとって良いことをしているように見えるだけだ。


「このままそなたを放っておけば、いつか町の人に牙を剥くのだな?」

「はい。それが私の目的ですから」

「現在は『かわき』とやらを感じていないのだろう。仮にこのままウォスゲートが開かなかったとして、人として生き続けることは可能なのか?」

「それは無理です。私たちは目的もなくヒトと共存はできない。そういうふうにできているのですから」

「できている?」

「おっと、これ以上は失言になりますね」


 ケイオスはふと瞳を閉じた。

 数秒後、瞳を開いた彼はルーチェとビッツを交互に見比べて言う。


「さあ、もう良いでしょう。私は自ら望んで人間世界にやって来たケイオスです。殺すのも殺されるのも覚悟の上ですよ」

「一体なんなのだ。エヴィルとは、ケイオスとはいったいどういう存在なのだ」

「お答えできません」

「本能に逆らえないのか。お前のような理知的な者がなぜ、人間を殺すことにそこまで拘る」

「お答えできません」


 ビッツは苛立った。

 そもそも人類は、驚くほどエヴィルについて知らない。


 なぜ異界からやって来たのか。

 なぜ死ぬとエヴィルストーンに姿を変えるのか。

 なぜ、ケイオスは高い知性があるにも関わらず、人間と共生する道を選ぼうとしないのか。


「殺すか殺されるか、それしかないのだな」

「ええ。あなたたちが私の正体に気づいてしまったからには」

「そんな……!」


 ルーチェが悲痛な声を上げる。

 しかし、エヴィルとはそういうものなのだ。


「もう一つ聞きたい。なぜ、素直にケイオスであることを認めた? 少なくとも私はお前の正体に気づいていなかった。いくらでも言い逃れはできたはずだ。あるいは、このまま人間社会に溶け込むつもりだと嘘を吐けば……」

「ああ、それは考えつきませんでした。さすが地上のヒトは悪知恵が回る」

「貴様!」

「褒めているのですよ。羨ましいと言った方が正解かもしれませんが」


 ビッツが銃口を突きつける。

 ケイオスは全く表情を崩さない。


「ずる賢いくせに、情に甘い。私の行動が上辺だけのものだと知ってもなお、改心の可能性を信じようとする。姿形が同じだから? わかり合えると信じているから? この人間の体を奪って八年、経済活動や社会の仕組みは理解できても、人間の心というものがどうしてもわからない」

「でも、あなたはあんなにも子どもたちから慕われてるのに……」

「そう思われるよう演じてきましたから」


 そのケイオスは――

 ブルート地方官の皮を被った異界の存在は、あまりにも人間らしい諦観のため息を吐いた。

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