237 ▽幻惑の踊子

 カーディナルの纏う黒衣が彼女の心を反映し、風もないのにはためく。

 幻惑の踊子の言う上物のエサというのが、誰を指しているのかは明らかだった。


「手を出すな、それはわたしのものだ」

「これは異なことを言う。お前が狙いを定めて何故、アレは未だ生存しているのだ?」


 ケイオスにとって、人間とは殺すべき対象である。

 人間から輝力を得ようと思ったのならなら殺せばいい。

 あの黒衣の妖将に狙われてなお、その標的がまだ生きているわけがない。

 このケイオスにとってはその意味が理解できないようだ。


「おまえに説明してやる義理はないね」


 ひと思いに殺して奪うより、定期食糧としてキープして置く方が有意義。

 そう言った考えもあるが、そんな言い訳をこのケイオスに対してする必要はない。


「まさか、本当にヒトに肩入れをしているのか……?」

「だったらどうする?」

「理解できぬ。所詮は地上産ということか」


 侮蔑を込めた声色で幻惑の踊子は言葉を吐く。

 本物のケイオスにとって、この世界で生まれた者は同類とは認められない。

 カーディナルのように人の定義ではケイオスであっても似て非なる者に対する蔑称であった。


 本物のケイオスは総じてプライドが高い。

 地上産であるカーディナルが最強のケイオスなどと呼ばれているのを、快く思っていない者は多いのだ。


 カーディナルはそのような蔑称を何とも思わない。

 だが、自分のものに手を出されるとなれば、話は別だ。


「あれを横取りしようっていうなら、この場でおまえを消すよ」

「悪いがこちらも必死なのでね。早い者勝ちとさせてもらうよ」


 幻惑の踊子が後方に跳ぶ。

 その姿が闇にかき消えるように消失しかけるが――


「なっ!?」


 左腕が突然大きく裂けた。

 ケイオスにとってはたいしたダメージでもない。

 だが、攻撃はあまりに突然で、薄くなっていた幻惑の踊り子の姿は再び鮮明になる。


「逃がすと思ってるの?」

「罠か……いつの間に!?」


 カーディナルが武器を消したのは、相手の油断を誘うためでもある。

 何のために現れたのかわからない正体不明のケイオス。

 会話次第で即時敵対する可能性は十分に考えられた。


 殺人遊技場マーダーアトラクション


 これもオリジナルの術で、周囲一帯に見えない刃を配置するというものである。

 触れれば相手の体を切り裂く広範囲トラップである。


「流石は黒衣の妖将……だが!」


 幻惑の踊子の瞳が妖しげな緑色の光を放った。

 何かの攻撃かと身構えるが、いくら待っても何も起きない。

 単なる脅しと判断し、カーディナルは虚空から剣を取り出した。


 瞬間、足もとが奇妙にぐらついた。


「……っ?」


 後ろに何者かの気配を感じて剣を振る。

 しかし、そこには誰もいない。


 周りには誰もいなかった。

 気配を隠して近づかれたわけでもない。


 ならば、今のは錯覚だ。

 そう気づいた時には、幻惑の踊子は姿を消していた。


「ちっ」


 おそらくは何らかの精神攻撃。

 今のカーディナルの肉体は脆弱な人間のものだ。

 輝術に対する耐性は低く、自動防御を維持する事もできない。


 あれは単なる目眩ましだったのだろう。

 用心していれば気にもならない程度だが、油断していたせいでまんまと逃げられてしまった。


 強引に殺人遊技場マーダーアトラクションを突破したのなら、決して浅くない傷を負ったはずだ。

 すぐに追いかければ、捕まえることも可能かもしれないが……


 残念ながら、タイムリミットが近づいている。

 全身から急激に力が抜けてく。

 体の自由が効かなくなる。


 カーディナルがラインの体を支配し、力を発揮できる時間は非常に短い。

 これはラインやルーチェたちにも知らせていない、今の彼女の最大の弱点であった。




   ※


「あ、あれ……?」


 ラインは星空の下で意識を取り戻した。

 ボーッとする頭で状況把握に努めようとする。


 ボクは……

 ドラゴンと戦っていた。


 気絶する前のことを思い出し、ラインは慌てて飛び起きた。

 輝攻戦士化し、愛用の鞭を握りしめる。

 が。


「……?」


 ドラゴンの姿はどこにもなかった。

 代わりにカーディナルの幼声が、どこからともなく聞こえてくる。


「今すぐトラントの町に向かって」


 ラインの口からではない。

 辺りを見回すが、幼少モードで具現化しているわけでもなさそうだ。


「カーディナルさん? どこにいるんですか?」

「ここだよ、ここ。それより急いで。遅れた時間を取り戻すって言っただろ」

「ここってどこですか? いや、それよりもドラゴンはどうしたんです……あばばばばっ!」


 ラインの体に電流が走る。

 比喩ではなく本当に全身がしびれた。

 それほど強い電撃ではないが、お仕置きには十分なレベルである。

 もちろん、やったのはカーディナルだ。


「言うこと聞かないと、もう一回やるよ」

「なんですかそれ! いつの間にそんなことできるようになったんですか!」

「さっき。ギリギリまで意識を保とうとしたら、中に入ったまま一部だけ体を出せるって気づいた」

「一部だけって……ひゃあああっ!?」


 脇腹の辺りから、幼い少女の腕が生えている。

 服をめくってみると、その横には小さな唇があった。


 カーディナルの声はそこから出ていたのだ。

 異常に不気味な光景である。


「怖いです! お願いだからそこで喋るのは止めてください!」

「やだ。話してる最中に声を被せられると、すっごいムカつくんだよね」


 怪物に寄生されているのは元より承知の上だった。

 しかし、これはさすがにあんまりである。


「さあ、早く走って。飛んで。説明は移動しながらするから」

「ま、待ってくださいよ。ドラゴンはカーディナルさんが退治してくれたんですよね? ならツェッテル王都に戻って、討伐の報告をしないとあばばばばば」

「何度も言わないよ。というか、街に寄ったらまた余計な寄り道をしようとするでしょ」


 否定はできない。

 ラインの性格上、困っている人を見つけたら、放っておくのは不可能だ。


 しかし、カーディナルに勝手に使われた体は相当な疲労が蓄積している。

 トラントまでは相当な距離があるし、このまま夜通し飛び続けるのはいくらなんでも……


 口答えしようとしたら、三度目の電撃がきた。


「はやく」

「わかった! わかりましたから電撃はやめてください!」


 まるで鞭を入れられる馬車馬の気分だった。

 よくわからないが、カーディナルがそう言うなら従うしかない。

 いつか絶対に追い出してやると心に固く誓いつつ、お人好しなラインは今日も誰かのために旅を続けるのだった。

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