182 超絶イケメン敗北す

 余ったお金でちょっと高級なホテルに泊まった、翌日。

 食堂で朝食を済ませている時に、その噂は聞こえてきた。


「信じられませんわ」

「あのマルス様が……」


 絶望を体現したような深く沈んだ声。

 この世の終わりのような顔をした婦人さんたちが、いろんな所で囁き交わしている。


 何が起こったのかはすぐにわかった。

 輝工都市アジールの噂話の伝達速度はフィリア市も帝都アイゼンも変わらないみたい。


 移動のために乗った輝動馬車の中も、その話題で持ちきりだった。

 博士のいる高層棟に到着する頃には、事件の詳細まで理解できるほどに。


 星輝士の六番星。

 役者や劇場ダンサー顔負け、帝都アイゼンの全女性のアイドル。

 超絶美青年輝士マルスさん。


 彼が今朝、路上でボロボロの姿で発見された。

 場所は街の外れにある公園広場。

 近所の人が、昨夜遅く彼が何者かと戦っている様子を目撃したという。

 現場にはマルスさん一人じゃなかった。

 彼の妹であり、同じく九番星のメルクさんもいたそうだ。


 マルスさんはまるで心を奪われたかのように茫然自失。

 メルクさんは目立った外傷はなく、彼女が倒れたマルスさんに必死に呼びかけている所を、近所の住人が発見したらしい。


 彼らに何があったのかは正式に発表されていない。

 吸血鬼による被害者が毎日のように出ていると事実も、一応は隠蔽されている。


 けれど市民はすでに噂で知っていた。 

 マルスさんが噂の吸血鬼にやられたということも

 これまでの被害者と同じように意識を失い、専門の治療を受けているということも、噂で……


 噂、のはずなんだけど。


「凄い人だかり……」


 高層棟に到着した私たちは、ものすごい光景を目の当たりにした。

 物凄い数の女性たちが建物の入り口に詰めかけている。


「マルス様は無事なんですか」

「マルス様に合わせてください」

「ああ、マルス様に大事があれば、もう私は生きていけませんわ」

「ちょっと! マルス様に万が一のことがあったら、ぶっ殺すわよ!」


 半には泣き出しそうな人や、熱狂的に叫んでいる人もいる。

 なんとか人の波を掻い潜ってエレベーター前に着いた。

 メガネの助手さん……ラインさんって言ったっけ?

 彼が暴徒と化している女性たちに、あたふたしながら説明をしていた。


「ですから、マルス様は現在、私たちが全力をもって治療に当たっていますので」

「そんなの当たり前でしょ! マルス様に何かあったらアンタ責任取れるの!?」

「いいからマルス様に会わせなさいよ!」

「非常に精密な検査をしていまして、面会はお断りしておりまして……」


 今にも殴りかからんばかりの勢いの女性たち。

 そんな人たちを相手に、ラインさんは泣きそうな顔でなだめている。

 これは引き返した方がいいかもしれないね。


 そう思っていると、ラインさんが私たちに気づいて声をかけてきた。


「あ、えっと、昨日の方たち! 博士がお呼びですので、どうぞ上へ!」


 女性たちの視線が一斉にこちらを向いた。

 余計なことを!


「なにあのガキども」

「あ、私コイツ知ってるわ。昨日マルス様にお声をかけてもらってた小娘よ」

「どうしてコイツラだけ……いったいマルス様の何だって言うのよ」

「何だっていいわ。あの女、出てきたら殺してやる、殺してやる……」


 ひぃ、お許しを! 

 別に私たちはマルスさんに会いに来たわけじゃないんです!

 言い訳は聞いてもらえそうになかったので、急いで身を隠すようにエレベーターに入り込んだ。


「凄い人気なんですね、昨日の輝士様」


 怯えて縮こまっていたフレスさんが恐る恐る呟いた。

 すごくてカッコイイ人だとは思ったけど、まさか本当にアイドル扱いとは。

 普段から誘惑の術を使ってるとかじゃないよね?


「私たち、出て行ったら本当に殺されちゃうんでしょうか」

「だ、大丈夫だと思うよ?」


 たぶん。

 あんな熱狂的な追っかけに目の敵にされたんじゃ、生きた心地がしない。

 フレスさんなんて本気で怖がって……

 いや、よく見るとうっすら笑っている。

 見なかったことにしよう。


「しかし、星輝士の六番星がやられるとは」


 ジュストくんも、マルスさんがやられたことは別の意味で相当にショックらしい。

 私だってまさか、あんなに自信満々の人がやられるとは思わなかった。

 なので、ついこんな事も思ってしまう。


「意外と見せかけだけで、たいした事なかったとか……」


 星輝士っていうのがどれくらい凄いか知らないけど、人気先行で過大評価されてただけとか。

 下の人たちに聞かれたら本気で八つ裂きにされるかもしれないけど……

 でも、ジュストくんはそう思ってはいないみたいだった。


「それはないよ、星輝士の選別は純粋な実力主義で行われるからね。六番星ともなれば、間違いなく相当な実力者のずだよ」


 まあ、普通に考えればそうなんだろうけどね。

 ってことは、やっぱり相手がそれ以上に強かったってことになるのかなあ。


 黒衣の妖将。

 魔動乱期、最強のケイオス。

 カーディナルには、この国で六番目に強い輝士ですら、敵わない?

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