151 ▽親友の娘
食堂に移動して紅茶とお菓子をごちそうになるルーチェとフレス。
「聖典で一番好きな場面ですか? そうですね……やはり聖魔大戦で荒廃した世界を神々がそれぞれの方法で救おうと決意をなさる所でしょうか」
「主神は新世界のアダムとイブを地上に遣わせ、海神は海底に都を作り、天空神は蒼き月に民を導いた。なんとも壮大な救世神話ですな。かのシーンを描いた画は是非とも手に入れたく思っています」
お茶の間も二人は神話談義ばっかりでルーチェはなんとも所在ない。
さすがに黙り続けているのもつまらないので会話が途切れた瞬間を狙って話題を振ってみた。
「そういえば、テオロちゃんはどこに行ったんですか?」
「テオロなら自室で不貞腐れているでしょう。家出の後はいつも三日ほど謹慎を命じていますから」
「家出?」
「なぁにいつものことです。彼女は
神父さんはやれやれと肩をすくめながら天井を仰ぐ。
「修道女になることを強要する気はありませんが、独り立ちするまでは共同生活のルールを守ってもらわないと他の子たちに示しがつきません。厳しいかもしれませんが必要なことなのです」
「他にもテオロちゃんみたいな子がいるんですか?」
「隣の建物に十三人の子を預かっております」
ルーチェは素直に感動した。
絵画コレクターでお喋り好きだけど、立派な神父さんのようだ。
話の向きが変わったので聞きたいと思っていたことを尋ねることにした。
「聞きたいんですけど、テオロちゃんは
「いいえ。何故ですか?」
「あの子が輝術で使うところを見ました」
神父さんの目つきが急に鋭くなる。
が、別にルーチェを咎めているわけではないようだ。
フレスが温泉で転んだとき、彼女は何もない場所で足を滑らせたように見えた。
だが確かにあの時、彼女の足もとには氷が張られていた。
あの熱気の中で氷が存在するはずはない。
それに二人が追いかけっこをしている最中、小声でテオロが古代語を呟いていたのをルーチェは確かに耳にした。
「人前で輝術を使うなとあれほど言ったのに……」
「あ、あの。別に攻撃をされたとかそういうわけじゃないので。ちょっと転んですりむいただけですから」
フレスが慌てて擁護するが、神父さんは机を叩いて立ち上がり、
「ひっ」
彼女の隣に跪いた。
「怪我はどちらに?」
「あ、あの」
「見せてください」
フレスは恐る恐る長スカートをめくり上げてすりむいた膝を見せる。
傷口はすでにかさぶたにになっており放って置いても数日経てば後も残らず消えるだろう。
神父さんは傷口に手をかざすと、小さな声で古代語を呟き始めた。
「
輝術だ。
神父さんが手を放した時にはフレスの傷はすっかり塞がっていた。
そこに怪我があったことすらわからないほど綺麗に治っている。
「治癒の術……?」
「申し訳ありませんでした。テオロに代わって謝罪をさせてください」
深々と頭を下げる神父さんにルーチェは改めて尋ねた。
「神父さんも
「若いころは世界を旅して回っていましたが、
「じゃあどうして輝術が使えるんですか? 治癒の術なんて……世界に何人も使える人がいないほど高度な術なのに」
普通、輝術を習得するには
そのため都市以外に住む人間が輝術を取得するのは不可能のはずだ。
都市の人間が洗礼を受けるにも厳しい試験を突破しなくてはならない。
「なにも不思議はありません。治癒の術など教会所属の輝術師ならば習得していて当然の術です。輝鋼石はもともと教会が管理していたものですからね」
「えっ?」
「あなたは
「それって、どういうことですか」
通っていた学園をバカにされたような気がしてルーチェは少しムッとする。
「どうか怒らないでください。都市における医療需要を守るための情報統制を否定する気はありません。そうですね、端的に説明すると、私やあの子が輝術を使えるのは幼いころに小輝鋼石との契約を行っているからです」
神父は小声で輝言を唱え、
薄暗かった室内が明るく照らし出される。
「生活に必要な輝術は一通り使えますよ。魔動乱のころは冒険者たちに手ほどきなどをしておりました。私のような者はかつて教会輝術師と呼ばれていましたね」
「ひょっとして身体強化の術なんかも使えるんですか?」
「
ルーチェとフレスは互いに顔を見合わせ、どちらからともなく頷いた。
「あの、お願いがあるんですけど」
※
「ありがとうございました、神父さま」
「いえいえ、お役に立てたようでなによりです。またケーザに立ち寄った時には是非ともお尋ねください。テオロも喜ぶと思います」
教会の前、二人は優しく微笑む神父さんに見送られる。
「客人たちよ、この時勢に旅を続けるあなた方にはきっと深い事情があるのでしょう。お二人が輝術を扱える理由は詮索は致しません。貴女たちなら力の使い方を誤ることはないでしょうからね。どうか一人でも多く傷ついた人々を癒してあげてください」
「はい」
「それからこれは私からの餞別です」
神父は奇麗に折りたたまれた服をフレスに手渡した。
「これは?」
「青の法衣です。私が若い頃に使っていたものですが、きっとあなたにお似合いだと思いますよ」
聖職者の法衣には階位に応じて四段階に色分けされている。
青の法衣はその中で三番目に位の高いものだ。
「そ、そんな。受け取れません」
「遠慮しないでください。テオロを無事に連れ戻してくださった恩人へのささやかなお礼ですよ。それに法衣と言っても正式なものではなく、冒険者用に簡略化された物です」
神父さんに強く勧められて結局フレスは法衣を受け取った。
「ありがとうございます」
「こちらの桃色髪のお嬢さんにはこれを。友人のお古ですが、ある程度の性能は保証しますよ」
「え、私にも何かくれるんですか?」
「これを」
ルーチェは黒っぽい布のようなものを受け取った。
拡げてみると肩に装着する大きめの
「おお、かっこいい!」
「貴女たちの旅が無事に終わるよう祈っています。神のご加護がありますように」
「はい、ありがとうございました」
「ありがとうございました」
二人は最後にもう一度礼を言って教会を後にし、仲間たちの元へ向かった。
※
去っていく少女二人を見送る神父。
その後ろ姿が見えなくなると彼はボソリと独り言のように呟いた。
「まったく、輝術師として旅を始めるなんて血は争えないものですね」
その眼はどこか懐かしいものを眺めるよう。
彼は遠く過ぎ去った過去に思いを馳せていた。
「我が友ウーノ、安心してください。あなたの娘は元気に育っていますよ。彼女が私の所にやってきたのも神のお導きでしょうか」
礼拝所に戻り、神と聖天使の出会いの絵画を見上げながら、神父はうっすらと微笑んだ。
「それに一緒にいた桃色髪の少女、天然輝術師とは……おそらく彼女は……いえ、私などが思慮することではないでしょう。さて子どもたちの様子でも見に行きますか」
「しんぷさまー」
可愛らしい声に振り向くと彼が保護している少年少女たちがわらわらと駆け寄って来ていた。
「おやおやどうしました。午後のお勉強はもう終わったのですか?」
「あのね、テオロがね」
一人の女の子の悲しげな表情に、神父は嫌な予感を覚えずにはいられなかった。
※
「――
フレスが傷口に手を当て覚えたての術を使う。
左腕の切り傷は瞬く間に消えてしまった。
「わわ、みてください! 本当に傷が消えましたよ!」
「すごいすごい。でもいきなり自分の腕を刃物で斬るのはもうやめてね」
「この力があればどんなひどい怪我をしても大丈夫ですね」
「使い方を間違えないようにって神父さんと約束したよね?」
「ルーチェさん、そのマントとっても良く似合ってます」
「フレスさんも素敵だよ。でももう二度とフレスさんに鉈は貸さないからね」
もらった法衣を身に纏って輝術の練習をするフレス。
清純な彼女の雰囲気と相まって本物の聖職者のように見える。
ルーチェがもらったマントは大きめの肩当てがついた輝術師用の立派なものだった。
術師服の上から羽織ると本当に一流の輝術師になった気分である。
家出した子を無事に送り届けたお礼とはいえ、こんなに良いものをもらってしまっていいのかと恐縮するほどだ。
「こうしていると私たちって本当に冒険者みたいですね」
「みたい、じゃなくて本当の冒険者だよ。どんな時でも力を合わせて頑張る仲間なんだから」
ルーチェはくるり、とその場で踵を返してみせた。
肩につけたマントがふわりと翻る。
「さ、行こう。ジュストくんたちが待ってるよ」
「ルーチェさん」
先に歩きだそうとするルーチェをフレスが呼び止める。
「私、もう弱音を吐いたりしません」
服装のせいもあるだろうがフレスは今までよりもずっと凜として見えた。
「みんなの役に立てるように精一杯がんばります。だから」
「うん」
「一緒に旅する仲間として……ともだちとして、これからもよろしくお願いします」
フレスはそう言って深くお辞儀をした。
ルーチェはなんだか照れくさい気分になった。
照れ隠しの笑みを浮かべながら決意を新たにした仲間に手を差し伸べる。
「こちらこそ、よろしくね」
二人の輝術師は手を取り合い、仲間が待つ宿へと向かった。
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