152 ▽襲われた商人

洗風ウォシュル


 術名を唱えながらフレスがルーチェの体に手を触れた。

 心地いい風が体を包み、旅の汚れを洗い流していく。

 数秒の間を置いて黒い術師服にマント、さらには下着までもが洗濯した直後のような着心地を取り戻した。

 汗でベトベトになっていた髪も埃でパサパサしていた肌もすっかり元通りになる。


「おわっ、本当にさっぱりしたっ」

「どうでしょうか?」

「うん。すごい良くなった。ありがとうフレスさん」


 ルーチェが礼を言うとフレスは嬉しそうに微笑んだ。

 前の町で神父から治癒輝術と一緒に教えてもらった洗浄の術は決して高度な術ではないが、なかなか身体や服を洗えない長旅には欠かせない便利な術である。


 輝工都市アジールでも一昔前までは洗い屋という職業があったほどである。

 ただし洗濯機や湯沸かし器といった機械マキナが作られたせいで取得する人間も減ってほとんどが現代では廃業している。

 フレスが続けて自分の身体を衣服ごと洗浄していると、外からダイが声を掛けてきた。


「おーい、メシ取ってきたぞー」


 夜の食料を調達に行っていた男性陣が帰ってきたようだ。

 体を清め終えたルーチェたちは馬車から出ると手早く夕食の準備を始めた。


 ダイが捕まえてきたラウンドラビットの肉をさばいている。

 その間ジュストが組み立て式のかまどをセットして枯れ葉などの燃料を置く。

 ビッツはフレスと一緒に採ってきた植物の中から食べられる木の実やハーブなどをより分けている。

 内臓をとった肉に街で買いだめした調味料で下味をつけ、ハーブで包んでかまどの中に埋める

 その下の狭い隙間にルーチェが火蝶を潜り込ませて加熱する。


 しばらく待つといい香りが漂い始めた。

 ラウンドラビットは世界中の平原に生息する野生動物。

 栄養価も高く調理もしやすいので旅人にとっては非常にポピュラーな食糧元である。

 焼けた肉をかまどから取り出し小皿に分ける。


「大いなる主神よ。慈しみに感謝し今日も食事を頂きます」


 即席の肉料理を前にフレスが胸元で聖印をきって神に感謝の祈りを捧げる。

 その隣ではダイが黙って手を合わせていた。

 様式は違うがどちらも命を食べて生きることに対する礼儀らしい。

 ルーチェは二人を見比べ、神様ではなく目の前のウサギさんに感謝するため黙ってダイと同じ仕草をした。


 獣よけのため火はそのままに一行は食事を始める。


「ビッツさん、次の町まではどれくらいなの?」

「早朝出立すれば昼前には到着できるだろう。その後はまもなくシュタール帝国の領土に入る」

「今日はほとんどエヴィルに遭遇しませんでしたね」

「毎日こうだと楽なんだけどね……あ、フレス。ソースとってくれない?」

「肉うめー」


 一日の終わりの骨休めに彼らは翌日の予定を話し合いながら食事をとる。


 本当は町で宿を取れたら最高なのだがどうしても外で夜を明かさなくてはならない時もある。

 そういう時は山中や言わばなどの視界が取りづらい場所を避け、街道沿いや見晴らしのいい草原などに馬車を止めて即席のキャンプを作る。


 旅を始めた頃はダイを除く四人は野宿に慣れていなかった。

 最初は食事調達にも苦労していたがこの数日間でかなりサマになってきたようだ。


 食事を終えると二人ずつ見張りを立てて残りは仮眠をとる。


「じゃあ四時間に交代ね」

「辛くなったらいつでも代わるから」

「おいジュスト、あんまりルー子を甘やかすなよな」


 ジュストやビッツは男性だけでのローテーションを組むつもりだったが、自分たちも旅の仲間だからと女性二人はそれに反対した。

 それでも女一人で見張りはさせられないのでペアで当番を決める。


 今晩の前半の見張りはダイとルーチェ。

 後半はフレスとジュストである。

 ビッツのみ全休の日だ。


「二人っきりだからって変なことしないでよ」

「するかバカ」


 旅人たちの夜は更けていく。




   ※


 夜間の襲撃もなく日の出を迎えた。

 昨日の残りの木の実とパンで軽い朝食をとったらすぐに出発する。

 御者当番はダイである。

 彼も動物に好かれやすい性質らしく手綱を握るのに苦労はないようだ。


 馬車が街道を進むこと二時間弱。

 ルーチェがエヴィルの気配を察知した。


「この先にいるよ……数は一体だけ」


 輝力の流れを探る『流読ながれよみ』を習得しているルーチェは、エヴィルが接近すればとその数と大体の位置がわかる。

 さすがにあまりに離れた場所に潜む敵はわからない。

 だが事前に察知していれば戦闘の準備を行う時間は十分に取れる。


「問題ないな。このまま進むぜ」


 ダイが特に気を張るそぶりも見せずに馬を進めた。

 彼ら一行にとって今や残存エヴィルの一体くらいならたいした障害にはならない。

 もちろんまだ見ぬ凶悪な種族と出くわす可能性もないとは言い切れない。

 しかしダイにとってはそれこそ望むところなのだろう。


「でもおかしいな。このエヴィル、街道の上にいるっぽいのにちっとも動いてないよ」

「……ダイ、ちょっと急がせてくれ」


 ルーチェの言葉にジュストは何かを察した様子だった。

 彼は真剣な表情で馬車から身を乗り出すが、まだ前方にエヴィルの姿は見えない。


「わかった。ちょっと揺れるぜ」


 ダイが鞭を入れると馬は猛スピードで加速した。

 街道の石畳の上とはいえものすごい揺れが車内を襲う。

 仮眠をとっていたフレスが跳ね起きてルーチェは必死で手すりにしがみ付く。


 やがて前方にエヴィルとそれに襲われている人間の姿が見えた。

 襲っているのはキュオンが一体。

 やせぎすの行商人がその身体に不釣り合いな長剣を振り回して必死に抵抗している。


「急停止するぜ! しっかりつかまってろ!」

「いや必要ない。ルーチェ、力を貸してくれ」

「わかりました!」


 ダイの叫ぶ声が聞こえる中で平静に火槍かそうに火薬と弾丸を詰めるビッツ。

 ルーチェは彼に手を伸ばして輝力を送り込む。


 輝攻戦士化したビッツは腰を落として火槍を構える。

 馬車が減速を始めると同時に引き金を引いた。

 銃口から飛び出した弾丸はまっすぐにキュオーンのこめかみに吸い込まれる。


 紫色の巨体が頭部に一撃を食らって吹き飛ばされたのは、その爪が行商人の喉元を引き裂くまさに直前だった。




   ※


「ありがとうございます、おかげで命拾いしました」


 助けた男はやはり行商人らしかった。

 明け方に街道の先にある町を出て一人用の馬車で移動していたが、運悪くエヴィルに遭遇してしまったようだ。

 すぐに反転して逃げればよかったものの、散らばった荷物を集めるのに時間をかけている間に怯えた馬が逃げ出してしまい、絶体絶命のまま売り物の武器で抵抗していたそうだ。


「このご時世に傭兵の一人も伴わないとは、いささか不用心ではないか」

「へぇ。あっしもできれば腕利きの剣士の一人でも雇いたかったんですがね。なにせ魔動乱の頃と違って傭兵の数が少なくって」

「魔動乱期から商売をしているのか?」

「もう二十年以上こうして旅を続けては各地を渡り歩いて商売してまさ。あの頃はお国が冒険者を支援してたからよかったんですがね。今は輝士の抱え込みだとか輝術師の免許制だとかで、金で雇える傭兵なんざとんと見なくなっちまいました」

「で、なんでそんな危険を冒してまで移動してたんだ?」


 ビッツと行商人の会話に馬車から降りたダイが割り込む。


「この少し先に侯爵様のお屋敷があるのはご存知で?」


 ダイはビッツに視線で問いかける。

 基本的に彼に聞けばなんでもわかるという雰囲気が一行の中にはある。

 だが今回は水を向けられたビッツも首を横に振った。


「この辺りは古くからクーゲル家の領地でして。貴族制度が廃止された後も周辺の町村の人間にとってのお殿様といえばクーゲル侯爵のことなんでさ」

「その人物がどうかしたのか?」

「いえね。なんでも最近、近隣各国から侯爵の館に旅人が集まっているらしくて。昔でいうところの私設冒険者組合って奴ですか? そこに売り込めばいい商売になると思ったんですが」

「こんな時代に珍しいな。さぞ儲かったことだろう」

「ところが門前払いをされちまいました。なんでも集めているのは腕に自信のある女性ばかりだとかで男はお呼びじゃないと」


 ダイがぴくりと反応したのを隣にいるルーチェだけが気づいた。


「旅人を集めること自体はおかしなことじゃありません。残存エヴィルの活発化で腕利きの用心棒はいくらでも欲しいところですし、力を持て余してる無頼漢や元冒険者にとってはいい働き口になりますからね」

「だが女性ばかりというのは気になるな。事件性はないのか?」

「滅多な事を言っちゃいけませんよ。クーゲル侯爵は近隣の民から信頼厚い方です。それに良からぬことを企んだりしたらすぐに輝士団の監査が入りますよ。この辺りで問題を起こしたら隣国のシュタール帝国からも目をつけられますからね」


 行商人の言葉になにか想うことがあったのかビッツは黙って顔をうつむけた。

 怒らせてしまったと思ったのか行商人は気まずそうに一礼をして、


「それじゃ、あっしはこの辺で失礼します。助けていただいて本当にありがとうございました」


 そのまま街道を一行が来た方向へと歩いていった。

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