150 ▽天使の絵画
「あー、そろそろ敵でも出てこねーかな。何か斬りたくてたまんねーわ」
「逃げる的を狙い撃つというのも悪くないと思わないか?」
聞えよがしなダイとビッツの声に少女の片身がさらに狭くなる。
最悪な空気の中で馬車は街道を進んでいた。
現在、馬の手綱を握っているのはジュストである。
あの後フレスとルーチェは少女を捕縛し、盗みを働こうとした理由を問い詰めた。
聞いてみればなんということはない。
彼女は旅先から故郷の町に戻るための路銀が欲しかった。
高そうな剣を持っていたダイをたまたま見かけて狙ったというだけだった。
それが
彼女の住む町はルーチェたちの進行方向の途中にある。
せっかくだから送っていってあげようと言い出したのはルーチェだが、フレスが不敵な表情で賛成したのはこういう嫌がらせのためだったようだ。
ちなみにフレスは怯える少女を見て満足そうにほほ笑んでいる。
「もう、二人とも武器はしまってよ。テオロちゃんが怯えてるじゃない」
「ルーチェが言うのならそうしよう」
少女の名前はテオロと言う。
歳はまだ十歳になったばかり。
子ども好きのルーチェにとっては無条件の保護対象である。
仲間達にもあんまり彼女を責めてやって欲しくなかった。
ルーチェが注意するとビッツはすぐに脅すのをやめてくれたが、
「んなこと言っても、オレは剣を盗まれそうになったし」
「私は転ばされて怪我をしたことなんか少しも恨んでませんよ?」
実際に被害を受けた二人は言うことを聞いてくれない。
特にフレスは笑顔でねちねちと責めるのが逆に怖かった。
「と、とにかく、ちゃんとごめんなさいしたんだからテオロちゃんをこれ以上怖がらせるの禁止!」
もちろんダイもフレスも本気でテオロを憎んでいるわけじゃないだろう。
だが町に着くまで怯える少女を守るのは自分の義務だ。
彼女には聞きたいこともあるし。
※
翌日、到着したのはケーザという名の町だった。
マテーリアほどではないが、なかなか活気のある大きな町である。
入口で三手に分かれ、ルーチェとフレスがテオロを彼女の家まで送っていくことになった。
「ここだよ」
テオロが足を止めて目の前の建物を指さす。
見上げるほどに高い建物を目にしてルーチェは思わず呟いた。
「教会……?」
それはどこの町にも必ずある、神に祈りを捧げるための教会だった。
「教会の家の子なんだ」
「いいや、世話になってるだけ。神父さまが親父代わりみたいなもんだ」
なにやら深い事情がありそうなのでそれ以上詮索しないことにした。
重い両開きの木戸を開いてテオロは建物の中に入って行く。
ルーチェとフレスは顔を見合わせて後に続いた。
※
机が並んだ礼拝所。
薄暗くがらんとした室内で二人の視線は祭壇の上の絵画に注がれた。
思わず目を奪われるほどに美しい絵が飾ってある。
太陽の光が差し込む森の中に二人の男性が立っている。
二人は手を取り合い視線を交わして微笑み会っている。
片方の男性の背にはうっすらと翼が描かれていた。
その絵画は信仰心の薄いルーチェでも思わず見入ってしまうほどに荘厳な輝きを放っていた。
「その日、神と聖天使は巡り合い――」
同じくその絵を見上げていたフレスが、胸の前で手を合わせて呟いた。
何事かと彼女の方を見ると、さらに別の声が重ねられるのを聞いた。
「――永遠の楽園への扉は開かれた」
いつの間に現れたのか、司祭服に身を包んだ神父さんが二人のすぐ後ろに立っていた。
「ようこそ客人たちよ。テオロから話は聞きました。彼女に代わって深くお礼を申し上げます」
神父は二人に向かって深々と頭を下げた。
「そちらのお嬢さんは聖典に造詣が深いようで」
「村の教会には毎日通っていましたから」
フレスが呟いたのは聖典の中の一節のようだ。
聖典とは神話時代の歴史が描かれた書物のことである。
「開闢の章、第七節。主神と聖天使様の出会いのシーンですね。混沌とした世界の中で神は運命の出会いを果たされました」
「え、聖天使って世界を作った神様よりも偉いんですか?」
ルーチェの質問に神父はきょとんとした顔になる。
横を見るとフレスも同じような顔をしていた。
つい口から出た質問だったが、まずいことを聞いてしまったのだろうか。
「世界は主神がおつくりになったわけじゃありませんよ」
フレスが優しい声で言う。
まるで小さい子どもに教えて聞かせるように。
「主神誕生以前から世界は存在していましたが、その始まりは誰にもわかりません。ですが初期の世界はまさに獣の世界。人間は頼り縋るものを持たず永遠の冬の世界で泥の文明を築きながら、細々と生き存えていました」
「神はそんな世を嘆き、聖天使と共に世界を造り変えたのです。神は地上を治め聖天使は永遠の楽園をお作りになりました」
「聖天使様はほとんどの絵画では翼を持った人間の姿で描かれていますね。ところが実際はどのような姿であったのかはよくわかっていません」
「原初の天使である聖天使も言わばもう一柱の神と呼べるでしょう。最もオーソドックスな
「
「神の御許に召されるにはたゆまぬ努力と多くの善行を積むことが必要なのです。あまねく人々にその手助けをするのが我々聖職者の使命なのですよ」
「へ、へぇ……」
フレスと神父の二人から交互に宗教論を語られたルーチェはあいまいに頷くしかなかった。
そもそも神様なんて信じて祈っていればお願いをかなえてくれるくらいにしか認識していない。
そんな彼女は二人の話にとても口を挟めそうにない。
「もしよければ別室に飾ってある他の絵画も見て行かれませんか?」
「わあ、ぜひ拝見したいです」
いきなり意気投合した二人はそのまま別室に向かってしまった。
ハッキリ言ってルーチェは聖典なんかに微塵も興味はない。
精々、終末の章の大戦をモチーフにした神話戦記(ほぼ創作)について多少知ってるくらいだ。
それらは本格的に神話を学んでいる人に語ったら怒られるような内容である。
どうしようか迷ったが、教会内を勝手にうろつくわけにもいかないので二人の後についていった。
※
「愛の女神エミィ。聖天使の最初の妻でもあります」
「まあ、なんて美しいんでしょう。この世のものとも思えません」
「堕天ルシ。主神の実子でありながら反旗を翻した哀れな邪神です。神々との戦いに敗れたあと、自ら作り出した邪悪な世界に無数のエヴィルを解き放ちました」
「胸が締め付けられる思いです。先ほどの絵画ではあんなに可愛らしい姿で描かれていた子が、こんな醜悪な魔物になってしまうなんて」
「泥の文明に固執する悪しき人間と神のもとに集った選ばれし人間たち。同じ種族でありながら手を取り合うことのできない者たちの悲しき運命を見事なタッチで描き出した傑作です」
「太古の昔から現在に至るまで人は争うことを止められないのですね……」
「赤の天使カサカーヤと白の天使オリトコ。二対の剣と槍が交わる様は、さながら勇敢なる聖輝士のようだと思いませんか?」
「はい。ですがこの絵画は……」
「ご存知の通り、赤の天使は開闢の章での神の先兵。対する白の天使が活躍したのは終末の章であり、まったく異なる時代の天使です。この絵画は庶民に人気のある二柱を並べた、いわば一種のイメージ画でしょうね」
フレスはすっかり絵画に夢中になっていた。
神父もそれが嬉しいのか一枚一枚詳しく解説をしている。
内容がよくわからないのでルーチェは勝手に室内を眺めることにした。
その中で一枚、見覚えのある絵画を発見した。
「これ……」
「おや、新世界のアダムとイブに興味がおありかな?」
教科書にも載っている有名な絵画であった。
そこに描かれた人物をじっと見つめるルーチェを神父が目ざとく見つけて話しかけてくる。
「こっちの女の人、私の友だちにそっくりなんです」
「それはそれはとても美しいご友人をお持ちで。ひょっとしたらその方は新イブの生まれ変わりかもしれませんな」
「新イブは白の天使と同一人物であるとも言われていますね」
「すべての旧文明が砂と消え去った後、二人は幼き子だけが残された世界で生涯をかけた旅を始めます。なんともロマンに溢れた話ではありませんか」
またしても勝手に話を始める二人。
その隣でルーチェが抱いたのは敬虔な気持ちなどではなかった。
故郷を懐かしむ少し寂しい郷愁が、ほんのりと胸に沸き上がっていた。
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