141 ▽殴り込み

「いくわよ、ルーちゃん!」


 ナータは授業が終わると同時にルーチェの席に駆け寄って乱暴に鞄を置く。


「えっ、あっはい! わかりました!」


 その迫力に押されたのかルーチェはなぜか敬語で返事をする。

 この娘こんなんで大丈夫なのかなと心配になったが、とりあえず今は彼女を連れて剣闘部へ向かうのが先決だ。


「あれ、どこ行くの?」


 ルーチェの手をぐいぐい引っ張って歩いているとジルが声をかけてきた。


「殴りこみよ!」

「ちがう! 部活見学に行くの!」

「へー、何部?」

「剣闘部!」


 ナータが意気込みをみせた瞬間、ジルの表情が固まった。


「剣闘部に入るつもりなのか?」

「別にそうと決まったわけじゃないけど、とりあえずは様子見ね」

「あー、あー」


 なんだか歯切れが悪い。

 ジルはルーチェに「ちょっと借りるね」と断ってナータを教室の隅へと引っ張っていった。


「なによ」


 一刻も早く剣闘部へ向かいたいナータは不機嫌さを隠しもしない。


「おまえ、この学校の剣闘部がどんなとこだか知ってんの?」

「国内最強レベルの強豪なんでしょ。それくらい知ってるわよ」

「じゃあ部長がどんな人だか……」

「ベラって人でしょ。昨日会ったわ。凄そうな人だったけど負けないわよ」

「おい!」


 何故か真剣な表情でナータの両肩に手を置くジル。

 突然大声を出したので教室に残っていた生徒が一斉にこちらを振り向いた。

 ナータは心配そうな表情のルーチェを見つけ「大丈夫、なんでもないわよ」と笑顔で手を振った。


「まさかとは思うけど、おまえベラ先輩にケンカ売る気じゃないだろうな」


 注目を浴びたのが恥ずかしいのか顔を赤くしながら囁くようにジルが言う。


「人聞き悪いわね。あたしはただルーちゃんが凄いって認めてる人がどれほどのものか確かめてみたいだけよ」


 それを聞いてジルはがっくりと頭をうなだれた。

 が、すぐに顔を上げてナータを睨む。


「あのな。ルーチェに関してのことはとやかく言うつもりはないし、あたしはこの間のことはもう水に流した。けどベラ先輩にケンカを売るのだけは絶対に止めとけ。冗談じゃ済まないぞ」


 やたらと切羽詰った態度にナータは正直気圧された。

 ジルのことは多少なりとも認めたつもりだった。

 特に腕力においては敵うとは思えない。


 実際、隔絶街でナータがビビってしまった輝術師を前にしてもジルは少しも怯まなかった。

 そのジルがこうして念を押してまで絶対に関わるなと言うほどの人物。

 あのベラという人はそれほどまでに恐ろしい人なのか。

 そう考えると気持ちが萎縮してくる。

 しかし。


「そういうつもりはないし、ちょっと見学に行くだけなんだから!」


 ジルの手を振り払い、ナータはいそいそとルーチェの元へと駆け寄った。

 そのまま手を引いて教室を出て行く。

 前髪に隠された額には冷や汗が浮かんでいた。

 これから『そういうつもり』で剣闘部へ向かうのだ。




   ※


 剣闘部の道場は部室棟の裏。

 体育館へ向かう外通路を途中で折れ曲がって裏山方向へ少し歩いたところにある。


 道場の入り口に立つ。

 中からは練習用の模造剣が防具を打つ音と掛け声を上げる生徒たちの声が聞こえてくる。

 その声だけで体育の授業とは比べ物にならない真剣さが伝わってくる。

 ルーチェが先に立って剣闘場の扉を開いた途端、聞こえてくる音はより一層大きくなった。


 縦十メートル、横二十メートルほどの剣闘場は強烈な熱気に包まれていた。

 場内の奥半分では二、三年生と思われる人たちによるデモンストレーションが行われている。

 二人一組試合形式の演舞、その周りでは制服姿の一年生たちが黄色い声を上げながら見学している。

 手前では制服の上から簡単な胴当てと面だけを被った一年生が上級生相手に打ち込みをやらせてもらっているようだ。


「やっぱり高等学校の部活ともなると活気が違うわね」


 予想してはいたことだが真面目にスポーツに打ち込んでいる。

 真剣な雰囲気にナータはなんとなく勢いを削がれてしまった。


「私も滅多に来ないけど運動部はやっぱり違うなって思うよ」


 ルーチェもこんな感じの雰囲気に慣れていないのかちょっとオドオドしている。

 その仕草が怯えた小動物みたいで抱きしめたくなったが精一杯の気合で自分を律した。


「いらっしゃい」


 と、防具を着込んだ上級生らしい女の人が優しげな声をかけてきた。

 短い髪の女性だった。

 ベラではない。


「どうぞゆっくり見学してってね。もしよければ実際に打ち込みの練習にも参加できるわよ」

「あ、あの……」


 ナータは迷ったが思い切ってこの先輩に言ってみることにした。


「あたし一応経験者なんですけど。よかったら試合とかさせてもらえませんか?」

「なっ、ナータっ?」


 隣でルーチェがひきつったような声を上げた。

 彼女にはとりあえず今日は見学するだけと言ってある。

 いきなりこんな事を言い出すとは思っていなかったことだろう


「へえ経験者なんだ」


 短髪の先輩は嬉しそうにナータの体をジロジロ見た。


「うちの新入生は初心者ばっかりだから経験者は大歓迎だよ。良かったら手合わせしてみてよ」


 大半が良家出身のお嬢様で外部から受験をするには相当な学力が必要である。

 ここに入学できるだけの頭を持って、かつ剣闘もやっているという文武両道な人間は珍しいのだ。


 国の法律で中等学生以下の公式試合は禁止されているので経験者であるということ自体がまず珍しい。

 ナータの中学には剣闘部こそあったが、試合をやるにしても部活内での練習試合や近所の学校相手の対校試合に過ぎない。

 若い頃から本気で剣闘に取り組みたいのなら剣闘道場に通うしかないのだ。


 しかしそもそも道場の入門資格は高等学生以上の制限を設けているところばかりである。

 それらの理由によって学生の剣闘選手は高等学校から始める者が大半なのである。

 にも拘らず南フィリア学園の剣闘部のレベルの高さを考えれば、普段の練習がどれだけハードなのか良くわかる。


 先輩の言葉に甘えてナータは道場奥へと連れて行ってもらった。

 その場に残したルーチェが不安そうな顔をしていたが、もう後には戻れない。




   ※


 見た目の重厚さとは裏腹に軽量化されて動きやすい剣闘用の疑似プレートメイル。

 借りた防具を着込んだ後は同じく軽いが顔全体を覆う暑苦しい疑似クローズヘルムを被る。

 そして刃の削がれたショートソードを模した模造剣を手にしたナータは堂々とした足取りで剣闘場に戻ってきた。


 彼女の正面に立つのは二年生らしい先輩。

 長身で引き締まった体つきのいかにもスポーツウーマンといった風情の女性だった。


「経験者なんだって? よろしくね」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 丁寧に挨拶を返してナータはゆっくりと剣を構えた。

 まさか経験者だと言うだけであっさりと試合をさせてもらえるとは思ってもいなかった。

 ともすれば多少乱暴な手段も考えていたナータにとっては都合の良いことだ。


 剣闘場の奥の一角に試合場が用意されている。

 周りでは主に一年生が、そして興味を持った二、三年生までもが二人に注目している。


 しかし……これであっさり負けたらかなり恥ずかしい。

 さすがに多少の緊張はあるが簡単には負けるつもりはなかった。


 先ほど見た二、三年生の演舞が本気のものだとは思わない。

 だけど自分なら身体能力だけで十分に対抗できるはずだ。

 たとえ剣闘自体は体育の授業程度の経験しかないとはいえ、いわゆる実戦経験ならナータの方が遥かに上回っているはずである。

 スポーツではない命がけの修羅場を何度も潜り抜けてきたんだから。


「両者、互いに誓いを」


 長身の先輩が腕を伸ばして剣を掲げる。

 ナータも切っ先を合わせるように腕を伸ばした。


「我らの闘志に」

「互いの栄光に」


 試合前の定型文の誓いを交わし剣を引いて一歩ずつ下がる。

 ナータは両手正眼に、先輩は柄を体に密着させる防御重視の構えを取った。


 まずはナータが軽く仕掛ける。

 頭を横から切るような素早い斬撃。


 しかし見え見えの攻撃は長身の先輩によって容易く払われた。

 今度は相手が体を狙っての横薙ぎを繰り出す。

 ナータはこれを剣で受けることなく後ろに跳びのいてかわした。

 両者の動きが止まり、再び睨み合う。


「なるほど確かにシロウトじゃないようだね。動きが違う」

「どうも」


 と返事をしたナータだが、実際のところ彼女はシロウトである。

 しかしその体さばきは一年間剣闘を続けてきたはずの先輩に決して遅れはとっていない。

 一応、体育の授業での経験はあるので多少の型くらいは覚えている。

 やれる――ナータは確信した。


「やっ!」


 掛け声とともに相手が突きを放つ。

 ナータは体をひねってこれを交わした。

 相手のわき腹を狙い小さな薙ぎ払いを繰り出す。


「ヒット!」


 攻撃は見事に相手に命中しポイントを得る。

 しかしすぐに相手が引いたためか勝負が決する一撃にはならなかった。


「や、やるね! だが――」


 再び間合いを取って再度攻撃に転じようとしていた先輩が息を呑んだ。

 ナータが本気の闘志を持って彼女を睨みつけたからだ。

 睨めば凍り付いてしまうような冷たい眼差し。


 二、三の攻防によって戦闘意欲が引き出された。

 今やナータは敵を仕留める非情の狩人の顔になっている。

 スポーツでしか敵と相対したことのない女子校生が向き合うには、あまりにも場違いな気合。


「う……っ」


 怯んだ相手の隙は見逃さない。

 ナータは一足飛びで間合いを詰める。

 敵の頭頂部に勢いよく剣を振り下ろした。

 道場に乾いた音が響き渡る。


「グッド! 勝負あり!」


 痛烈な上段打ちによって、ナータの勝ちが宣言された。

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