140 ▽見境なくケンカを売る娘
「でも、本当に部活どうするの?」
学校からの帰り道。
潮風が吹きぬける坂道を下りながらルーチェが問いかけてきた。
「あ、うーん」
ナータは正直まだ決めかねていた。
できるだけ彼女と一緒にいたいと思ったから仮入部に誘ったのだ。
もしルーチェが何も決めていなければこのチャンスに二人でいろいろと廻ってみて、いい部活があれば一緒に入るつもりだった。
しかし教育学なんたらとかいう会はどう考えても肌に合わなさそうである。
子供は好きじゃないし、知らない人が大勢いる中で和気あいあいという雰囲気も苦手だ。
なにより自分にボランティア活動などできるとは思えない。
「やるなら運動部だろうけど……」
体を動かすのは好きだ。
何をやってもそれなりにできる自信もある。
というか合唱部以外の文科系は始めから考えていなかった。
「ジルさんと一緒にバスケ部に入るとか」
「それはイヤ」
「なんでえ。仲良くなったんじゃないの」
別にジルがイヤと言う訳ではない。
単に団体競技が好ましくないだけだ。
やるなら個人技がいい。水泳とか陸上とか。
「うちのバスケ部、結構強いんだよ。南フィリアってお金かけてるわりにはあまり運動部が強くないんだけどバスケ部と剣闘部だけはすごいんだ。どっちも国内代表を出すレベルなんだよ」
「剣闘部?」
剣闘なら中学の時に体育の時間にやったことがある。
防具を身につけて刃のない模擬剣で打ち合う完全な個人スポーツだ。
「それはいいかも」
剣闘は得意である。
持ち前のセンスもあって、体育で剣闘の授業が終わる頃には中等学校の剣闘部エースとも互角の試合ができるようになっていた。
その後は部にも勧誘されたが当時荒れ始めていたナータは申し出を断っていた。
「剣闘に興味あるの?」
「ちょっとね。ルーちゃんはどう思う?」
「いいと思うよ。カッコイイしナータにならぴったりだと思う」
そう言われればなんだか悪い気がしない。
もしそれで活躍しようものならルーチェの自分に対する好感度も上がるのではないか?
試合に応援に来てくれたり、練習の後は「おつかれさま」と言ってタオルを渡してもらったり。
いや、別に彼女はマネージャーではないのだけれど。
ひとしきり妄想した後でナータは思い切って決意した。
「そうね、じゃあ明日仮入部に行ってみようかしら。一緒についてきてくれる?」
「あっ、うん。いいよ。私も活動が始まるまでは暇だから」
よし明日の放課後デートをこぎつけたとナータが喜んでいると、
「ルーチェじゃないか」
耳に残る澄んだソプラノの声が聞こえて振り返る。
深緑色の南フィリア学園のブレザーを纏った緩やかなウェーブのブロンド美女がいた。
校章の色から察するに上級生のようだ。
二年生か三年生かはわからない。
隣を見るとルーチェが人懐っこい笑顔を浮かべて手を振っていた。
「ベラお姉ちゃん!」
弾んだ声はいかにも大切な人に対するものである。
お姉ちゃん?
「いま帰りか?」
「うん。ベラお姉ちゃんは?」
「今日は練習が休みなんだ。中央体育館に行って練習する」
「へーっ」
これはどういうことだ。
ルーチェはこの女性のことをお姉ちゃんと呼んだ。
ナータが知る限りルーチェに姉妹はいないはず。
それとも聞いたことがなかっただけで実は姉がいたのだろうか?
小学校の頃はどこか別の場所で暮らしていたとか。
いやいや、いま現在南フィリア学園の生徒なら家を出るような年齢ではない。
もしかしたら複雑な事情があるのかも。
そういえばルーチェは幼い頃に母を亡くしていると聞いた。
ひょっとしたら父親の再婚相手とか――
「ナータ?」
「ひえっ」
考えようによっては失礼な思考をしていた時に名前を呼ばれ、つい声が裏返ってしまった。
「紹介するね。ベラお姉ちゃん」
「あっ、うん。は、始めましてっ。インヴェルナータですっ」
余計な詮索はやめてナータは必要以上にピシッと背筋を伸ばして挨拶した。
もしルーチェのお姉さんなら良い印象を与えておいて損はない。
「ルーちゃ……ルーチェさんのお姉さまでいらっしゃいますかっ。彼女とは日ごろからお付き合いをさせていただいて」
のだが、変に緊張しておかしなことになってしまった。
「なっ、ナータ? かなり変だよ?」
「ははっ。面白い娘だね」
微笑むルーチェの姉という女性は男っぽい喋り方のくせにやたら気品がある。
「ベラお姉ちゃん、この娘が今朝話した小学校のときの友達って娘」
「ああルーチェから話は聞いてるよ。よろしくね」
「こっ、こちらこそっ」
もう一度ペコリと頭を下げたのは赤くなった顔を隠すため。
ルーチェが自分のことを家族に話していたということが嬉しかったのだ。
「入学早々あのジルとケンカしたんだって? 度胸あるね」
「は、えっ? ああ! ルーちゃん!」
いったいルーチェは自分をどのように紹介したのだろうか。
見境なくケンカを売るような人間だと思われたらどうするんだ。
「へ、へんなことは言ってないよ。そうだ、ベラお姉ちゃんについて説明するね」
話をはぐらかそうとしているのが見え見えだが、お姉さんの手前もあるしこれ以上詮索はしないことにする。
「小さい頃から隣に住んでてね、いろいろとお世話になってるの。私が初等学校に入学した次の年からしばらく王都で暮らしてたから会うのは初めてだよね」
なるほどそれなら初等学校二年生からルーチェと同じ初等学校に編入したナータは知らなくて当然だ。
ちょうど入れ違いの形になったわけである。
「ベレッツァよ。よろしくね」
「ああどうもごていねいに……って、隣に住んでて?」
ルーチェの説明に引っかかりを感じた。
「本当のお姉さんじゃないの?」
「うん。でも小さい頃からお姉ちゃんって呼んでるの」
なんだ実の姉じゃないのか。
まあ、ルーチェと関わりの深い人物なら仲良くしておくに越したことはない。
ジルとの時みたいに取り乱さないように気をつければ問題ないだろう。
「よろしくお願いします。ベ……えっと」
「呼びにくかったらベラでいいわ」
「あ、はい」
こういうタイプの人間と関わった経験は少ない。
ナータはどんな対応をすればいいのかわからなかった。
もし元不良だってことがバレたら軽蔑されるもしれない。
この人と話すときは特に気をつけて言葉を選ぼう。
「そうだ。さっき言ってた剣闘部、ベラお姉ちゃんが部長なんだよ」
「え? ああ」
何を言うべきか考えているとルーチェが話題を振ってくれた。
バスケ部と並んで南フィリア学園を代表する功績を残している剣闘部。
その部長ってことはかなりの実力者なんだろう。
「ナータも剣闘をやるのか?」
どうやら興味を持たれたようだ。
何故か恥ずかしくなりナータは俯いて呟く。
「い、いえ。本格的にやってたわけじゃないんですけど」
「ナータは入部する部活を探してるんだって。運動神経があるから剣闘をやるのがいいんじゃないかってさっき薦めてたんだ」
今日の彼女はやたらと気が回る。
本当は人付き合いが下手な自分をフォローしてくれているのかもしれない。
「うちは少し厳しいけどやる気があるならいつでも歓迎するよ」
ベラはそれだけ言うと「もう時間だから、またな」と告げて去っていった。
ルーチェはベラの背中に手を振っていたがナータはぼーっ彼女の後姿を見つめていた。
「ナータ?」
ちょんちょん。
ルーチェがナータの肩を指でつつく。
「あ、ああ。なに?」
意識がどこかへ飛んでいた。
ハッとして友人の方を振り向く。
「どしたの? なんかナータらしくないよ、緊張しちゃって」
「あ、う」
やっぱりらしくない態度と思われていたようだ。
自分でもそう思っていたが、どうにも緊張は隠せなかった。
「いや、何ていうか……気圧されちゃって」
ちょっと見ないような美しい容姿。
それに加えてあの凛とした態度。
ナータは完全にベラの雰囲気に飲み込まれてしまっていた。
「すごい人だね。なんかオーラみたいなのが出てた」
あまり人のことを褒めるのは好きではないが、そんな言葉もすんなりと口を出てくる。
少なくともこれまでの人生では初めて出会うタイプの女性だ。
「そうかもね。ベラお姉ちゃんは本当にすごい人だから」
「ん、そうなんだ」
「美人なのは見ての通りだけど学校の成績もトップクラスでね。何よりすごいのが剣闘なの」
ベラのことを話すルーチェはとても嬉しそう。
「もう動きとかすごい速くって、気がついたら『ばあん!』って相手をやっつけてるの。試合中のベラおねえちゃんは気迫が違うっていうか、ともかくめちゃくちゃカッコイイんだよ」
「へえ……」
優雅な立ち振る舞いのベラからはあまり想像がつかない。
素直に感心したいところだが、ナータの胸には違う感情が沸き始めていた。
「本物の輝士みたいで絶対に誰にも負ける気がしないの!」
「ルーちゃんはあの人のことが本当に好きなのね」
あの人、というところに力が入ったのをルーチェは意識しなかったみたいで、
「うん。大好きなお姉ちゃんだよ」
と満面の笑みで答えた。
「そうなんだぁ」
たしかにすごいと思うし、実際に目の前に立って気圧されもした。
悪い人だとも思わなかったし幼い頃から知り合いだというルーチェが憧れる理由もわかる。
だけど、これとそれとは別問題。
「明日、剣闘部に行ってみるわ」
いけない、と思いながらもルーチェから顔を逸らしたナータは自分が陰惨な笑みを浮かべているのを自覚した。
「わあよかった。ベラお姉ちゃんとナータならきっと仲良くやれるよ」
無邪気に喜ぶ愛すべき友人の声を聞くと心苦しくなる。
だがナータはすでに明日ベラを剣闘で叩きのめすことだけを考えていた。
自分以上にルーチェの気を引く人間は問答無用で敵なのだ。
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