133 ▽仲良し兄妹
「あんがとね、送ってもらっちゃって」
輝動二輪の後部座席でジルは運転手の兄に礼を言った。
二人を乗せた輝動二輪はフィリア大通りを走っている。
日はすっかり沈んでいるがルニーナ街は華やかな街灯で彩られていた。
「別にいい、ただしちゃんと代金はもらうぞ」
「はいはい。十エンでどう?」
「なめるな」
今日はバスケ部の学外練習があった。
中等学校時代からのスタープレーヤーだったジルの名前は南フィリア学園高等部の生徒にも既に知られている。
いわば期待の新人であり入学早々に先輩たちに混じって遠征練習に参加させてもらったのだ。
中等学校時代はエースだったと言ってもやはり高等部になればレベルも高く周りについていくだけで精一杯だった。
しかしジルにとっては新しい環境が面白くてついつい時間を忘れて練習に集中してしまい、気づけばすっかり夜になってしまった。
本当は初日だから早めに切り上げさせてもらうつもりだったのだ。
こんな遅くまで練習して先輩たちも帰りはどうするんだろうと思っていたが、部長が近くに住んでいるらしく夜遅くなる場合は彼女の家に皆で転がり込むのがバスケ部の習慣らしい。
ジルも誘われたが、まだ正式に入部もしていないのに先輩たちに混じって夜を過ごすのも気まずいので断らせてもらった。
部長は残念そうだったが次の機会にということで納得してくれた。
かといってこの時間から歩いて帰っていたのでは家に着くのがかなり遅くなってしまう。
そこでジルは近くの衛兵詰め所で働いている兄の元に押しかけたのだった。
「やっぱり高校でも続けるのか、バスケ」
正面を向いたまま兄が聞いてくる。
「……あたりまえじゃん」
少し間を開けたがジルはきっぱりと答えた。
兄のフォルツァもジルには道場で門下生との稽古に参加して欲しいと思っている。
今は衛兵をやっているがやがては彼が道場を継ぐ。
その時、若い女性師範が居れば門下生たちの活気も違ってくるだろう。
次期道場主としてはジルの助けは是非とも欲しいところだろう。
だがこればかりは譲る気はなかった。
少なくとも高校を卒業するまでは自分がやりたいことを続けたい。
中学に入った頃、父と大喧嘩してまで勝ち取った最低限の権利。
それをみすみす手放すつもりはなかった。
しばらくジルは黙って兄の腰にしがみついていた。
フォルツァもそれきり何も言わない。
流石に沈黙が苦しくなってきたので、ジルは片手を後ろについて流れる景色を見るともなしに眺めた。
輝光灯の薄蒼い明かりに彩られた街の中、ふと気になる光景を見つけた。
「止まって!」
輝動二輪が急停止し体が兄の背に押し付けられる。
「何だよ」
「知り合いがいたかもしんない」
ジルは素早く飛び降りて大通りの一角を見た。
いまは誰もいない。
だがさっき見かけたのは間違いなくあいつだった。
「三人乗りは無理だぞ」
「んー、ごめん。やっぱ一人で帰るわ」
「なんだそりゃ」
「ごめん」
兄の方を向きもう一度謝る。
自分から押しかけておいて勝手だとは思うけど、どうしてもいま見た光景が気になった。
ジルの声に込められた真剣さを汲み取ってくれたのかフォルツァは素直に頷いた。
「わかった。あんまり遅くなるなよ」
「うん、ほんとにごめんよ」
軽く手を振って路地へと歩き出す。
「ジル」
背に声がかけられた。
ジルは振り向かずに兄の言葉を待った。
「気をつけろよ」
さすが格闘道場の跡取り息子。
見ていなくてもよく気づいている。
「ああ平気へいき」
振り返って愛想笑いを浮かべ、ジルは駆け出した。
さっき目にした光景に間違いないのなら事は一刻を争うかもしれない。
しかしわかっていながら妹を一人で行かせるかね。
非常に理解のあるお兄ちゃんだこと。
※
「い、いいのかよ。これ以上近寄ると頭かち割ってザクロにしちゃうよ?」
口では強気だがナータの体は震えていた。
これまでピンチに陥ることは何度もあった。
不利な状況をどうにか切り抜けてきたことも二度や三度ではない。
けど今回だけは全く絶望的だった。
一対十一という圧倒的に不利な状況。
すでに武器を持った程度で覆せる戦力差ではない。
しかも助けに来てくれる援軍は全く期待できないときた。
ここにはナータを知っている仲間は誰も居ないのだ。
すでに男たちの怒りも頂点に達している。
謝ったところで許してはくれないだろう。
「やれるもんならやってみな。その震える手でできるもんならな」
金髪のチャラい男が言った途端、それが合図であったかのように周りから爆笑の渦が巻き起こった。
やはり恐怖を見抜かれている。
ナータは屈辱に顔を歪めた。
「大人しくしてりゃ可愛がってやるよ。もし抵抗するなら半死状態で俺ら全員の相手してもらうことになるけど、どっちがいいよ?」
「あんたらに犯されるくらいならそこらの犬とした方がマシだっての」
男たちの笑いが止まる。
「そうかよ。じゃあ望みどおりに……」
男の手がナータに向かって伸びた。
瞬間。
「やあっ!」
掛け声とともにナータは握っていた鉄パイプを後ろに投げつけた。
加速のついた鉄パイプは進路を塞いでいた男の顔面にぶちあたった。
「あがっ!」
情けない声が耳に届くや否やナータは駆けた。
鉄パイプの投擲が直撃してまず一人。
続いて何が起こったのかわかっていない様子の男の鳩尾に、体重を乗せた肘打ちを思いっきり打ち込んで二人。
とりあえず数は減らした。
その隙にナータは道を塞いでいた男たちを突破する。
怒りを踵に込めて倒れた男たちに追い討ちを食らわす余裕も残っていた。
これでこいつらはもう起き上がれまい。
「に、逃がすなっ!」
数だけは多くてもこいつら一人一人は奇襲に対して反応もできない見かけ倒しだ。
逃げるだけならなんとかなるかもしれない。
ナータは包囲を突破し市街地へと向かって走った。
とりあえず、逃げる!
やられっぱなしは癪だが、まだ敵は九人も残っている。
数を頼りの油断に隙をつけるのは一度だけ。
同じ手は二度と通用しないだろう。
下手にやりあってまた追い詰められたら今度こそ終わりだ。
とりあえず何人かには致命的な打撃を与えたし、これくらいで痛み分けと思っておこう。
後は全力で逃げ切るだけだ。
もう二度とこんな所にくるもんか。
どうせあいつらバカそうだったし、しばらくルニーナ街に近づかなければそのうち忘れるだろう。
そう思った矢先――
「ぐえっ!」
わき腹に鋭い痛みが走り、自分のものとは思えない声が喉から漏れる。
走っていた勢いそのままにナータは前のめりに倒れこんでしまう。
何? 一体何が?
焼けるように痛むわき腹に手を当ててみるとひんやりとした物体が突き刺さっていた。
氷。
鋭く尖った冷たい矢。
「は、はあっ?」
氷はすぐに溶けた。
液体にはならず手に感触を残さない光の粒子になって消えていく。
「舐めたマネしてくれるじゃんか、オイ」
力を振り絞って立ち上がろうとするが足に力が入らない。
片手を地面につき座り込んだまま男たちを見上げる。
残る九人、全員が目の前にいた。
「暴力事件だよ? 犯罪だ。女だからって許されると思ってんのか?」
「あっ、あんたらこそ、今のっ! 輝術の乱用は重犯罪だろうがっ」
輝術ば輝鋼石から輝力を引き出し、輝言と呼ばれる特殊な言葉を介することでさまざまな現象を引き起こす術である。
程度の差こそあれ輝鋼石と契約さえしていれば一般人でも習得できる。
しかし使い方を誤ると大きな危険も伴うこともあり術を習得するためには多くの試験がある。
輝術の習得はすべて国家よって管理されており、術の習得に相応しい人格やしっかりした習得理由がなければ契約をさせてもらうことはできない。
もちろん習得した後も乱用は禁物である。
特に輝術を利用しての犯罪は他の罪と比べても遥かに罪が重い。
「重罪がどうしたって?」
腰まで届く銀色の髪を揺らしながら低い声で進み出てきたのは、凶悪な顔つきをした長身の男だった。
どうやらこいつが輝術師らしい。
「どうせ二度と口が利けない体になるんだ。俺が
銀髪が言うと他の男たちが嫌らしい笑い声を上げた。
物腰から見てこいつがグループのリーダーだ。
コイツの言うとおり、いくら犯罪だからって目撃者がいなければ露見はしない。
それどころか口封じの意味も含めてますます逃がしてもらえる望みはなくなった。
こんな奴がいたんじゃ逃げたところでまた後ろからやられるだけだ。
どうしようもない。
ナータは絶望に目を閉じた。
このままあたしの一生はここで終わるんだ。
仮に命が助かったしても目か喉のどちらかを潰されるに違いない。
もう普通に生きてはいけないだろう。
「そうそう。大人しくしていれば命くらいは助けてや――」
「残念。ばっちし目撃しちゃったもんね」
銀髪の声が耳元に届いた瞬間、どこからともなく別の声が聞こえてきた。
どこかで聞いたことがあるような女の声だった。
「誰だっ!」
ナータが目を開くと、銀髪が笑えるくらい動揺していた。
重犯罪の現場を目撃されたのだから当然だ。
輝術を使っての傷害を目撃されたとあっては十年近くの懲役は免れない。
「通りすがりの女子高生よ」
みすぼらしいプレハブ小屋の陰から声の主が姿を現した。
「あっ、あんた……」
ナータは彼女を見て呆気にとられた。
ブラウンのショートヘア。
男たちと比べても見劣りすることのない長身。
昨日から今日にかけての不機嫌の原因。
ルーチェの友だちのジルとかいう女だった。
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