132 ▽路地裏の逃亡戦

 ナータは素早く人ごみに紛れ、路地裏へと逃げ込んだ。

 人通りのまばらな薄暗い陰湿な小道に入るとちょっと歩くだけで華やかな商店街は姿を変える。


 こんなところで捕まったら一巻の終わりだ。

 それこそ奴らがヤリやすい場所へと自ら導いてしまったようなもの。

 だがここを抜ければフィリア大通りまで一直線だ。

 あとは人の流れに紛れて一気に捲いてしまえばいい。


 幸い追っ手の姿はすぐに見えなくなった。

 知らない場所で万が一袋小路に当たったらという不安もあったが、輝工都市アジール繁華街の裏路地なんてどこも似たようなものだ。


 人ひとりが通れるくらいの隙間を抜けて走る。

 前方の視界が開けた。

 フィリア大通りだ。


 これで一安心。

 振り返って追って来ているだろう男たちに罵声を浴びせようとした瞬間。

 わき腹に鈍い痛みが走った。

 めまいがして思わずよろける。


「残念~。俺らこの辺りの地理にはちょっと詳しいんでよ」


 さっきの男たちの一人、坊主頭の男が片足をひらひらさせて立っていた。

 振り向いた一瞬の隙にこいつの蹴りが入ったらしい

 倒れそうな痛みよりもこのふざけた男に対しての怒り湧き上がってきた。


「お、女相手に全力で蹴り入れるなんて、カッコ悪いんじゃねーの?」

「普通の女があんなおっかねえ目ぇするかよ。お前どこのチームのモンだ?」


 なるほど、そう判断したか。

 ビビらせるのには成功したが同時に警戒も強めてしまったらしい。


「おらっ!」


 乱暴に蹴り飛ばされ路地裏に押し戻されてしまう。


「痛ってーな、ボケ!」


 強がって罵声を浴びせてはみたものの内心はかなり焦っていた。

 路地の奥から足音が近づいてきた。

 残りの男たちが追いついたのだ。


 ヤバイ、しくじった。

 左右は壁で逃げ道なんかありゃしない。

 突破するならば正面の男だろうが痛みで満足に走れるか怪しい。


 まさかこんな大通りのすぐ脇で強姦されるとも思わないが、集団になった臆病者どもは何をするかわからない。

 ボコボコになるまで袋叩きにされる可能性くらいはある。

 

 相手はただのチンピラ。

 泣きながら謝れば酷いことはされないかもしれない。

 けど、そんなの絶対にイヤだ。

 

 後ろを振り向く。

 最初に缶をぶつけた逆毛の男が下卑た笑いを浮かべながら近づいていた。

 その様子に無償に腹が立ち、思いっきり睨みつけ怒りに任せて罵声を浴びせた。


「なあ気分はどうよ? 臆病者。女に睨まれて逃げちゃった腹いせにお強いお仲間を連れてきて集団で嬲ってそれで満足? 男の風上にも置けないわね。バーカ。○○○野郎。死ね」


 余計に怒りを買うだけの行為だとはわかっていたけど、数の暴力にしか頼れないような奴らの思い通りになると思うと我慢がならない。


「口が減らねえアマだぜ……」


 逆毛が顔を真っ赤にして睨み返してきた。

 お仲間が周りに控えているせいか怖気づいてはくれない。

 周りの男たちも「女になめられてんなよ」とか言って煽っている。

 それが余計に逆毛の怒りを倍増させ、その怒りは全てナータに向けられた。


「いい気になってんじゃねえよ!」


 座り込んでいるナータの背に男がいきなりつま先で蹴りを放った。


「がはっ」


 手加減は全く感じられなかった。

 激痛が走り思わず咳き込んでしまう。


「女なら殴られないとでも思ったか? だとしたらとんだ思い違いだったな」

「ええ全く思い違いだわ。この程度の挑発でキレちゃうほどの単細胞だとはね」


 しかしナータは気勢を削がれることなく逆毛を氷の瞳で睨み返した。

 もう止められない。


「てめっ……」


 ムシャクシャしてケンカを売った自分が悪かったことはわかっている。

 でも。

 ムカつく。


「あんた、社会に出たら生きていけないからさっさと死んじゃえよ」


 悪態をつきながらゆっくりと膝を立てる。


「図に乗ってんじゃ――」


 言い終わるより早くナータは立ち上がり、素早く裏拳をお見舞いした。

 逆毛ではなく待ち伏せして蹴りを入れてくれたハゲ野郎の顔面に。


「あがっ!」


 ニヤニヤしながら眺めていたハゲは突然の攻撃を避ける暇もなかった。

 情けない悲鳴を上げ膝から崩れ落ちる。

 その頭が膝の高さまで来たとき顔面に追い討ちの膝蹴りをくれてやる。 

 たまらず男は昏倒、地面に這いつくばった。

 他の奴らがぽかんとして眺めている隙にナータは大通りに飛び出した。




   ※


 やってしまった。

 こっちに戻ってきたら絶対に暴力は振るわない。

 二度と不良じみたマネはしないと誓っていたのに。

 まあ、やってしまったものは仕方ない。

 反省は後でしよう。

 それよりもまずこの場を逃げ出すことが先決だ。


「待ちやがれっ!」


 五人の男たちが怒りの形相で追いかけて来る。

 一人を打ち倒して大通りに飛び出したものの、仲間をやられて息巻いた奴らは周囲の目も憚ることなく大声を上げながら追いかけて来る。

 他人に舐められるくらいなら騒ぎをでかくする方を選ぶ。

 そんな典型的な馬鹿集団だ。


 これは非常に不利な展開である。

 万が一こんな表通りでケンカを始めて衛兵に捕まりでもしたら、学校に連絡されしかるべき処罰を受けることは想像に難くない。


 作戦を変えよう。

 ナータは大通りを横切って北の街外れに向かって走った。




   ※


 急速に発展した輝工都市アジールにはその変化について行けずに社会からあぶれた者が多くいる。

 国はできるだけ彼らを保護するよう務めたが何百人もの人々に満足のいくだけの生活を保障することは不可能である。

 彼らは市のはずれに仮設住宅を与えられ最低限の生活を送っていた。


 中には都市を出て近隣の町村へ向かった者や新しく住む場所と仕事を見つけて都市の生活に戻る者もいたが、そのままギリギリの生活に慣れてしまった者も多くいる。


 薄汚いみすぼらしい仮設住宅が並ぶ混沌とした地区。

 今や世界中のどの都市にも存在する市政の半空白地帯。

 裕福なフィリア市も例外ではなくそれは存在する。

 隔絶街という地域は。


 ルニーナ街から北へ二キロほどの場所。

 かつて小さな漁村であったこの場所に小規模ながら衛兵の目が届かない治外法権地帯がある。

 市としては隔絶街に住む人間の生活を保障するよりも、一定の土地を与えて放置しておいた方が安上がりなのだ。

 そのためよほど大きな事件でも起こさないない限り衛兵もこの土地には不干渉を貫いている。


 つまりここなら多少騒いだところで大事になる心配はない。

 それは裏を返せば助けを期待できない危険地帯でもあるのだが。


 ナータは隔絶街という場所に慣れていた。

 もちろんこの街の隔絶街に来るは初めてである。

 だがフィリオ市の、ここなどもっと大きくもっと危ないヤツラの集まる隔絶街は、中等学校時代のナータにとって第二のホームでもあったのだ。


 ナータはここで追っ手を迎え撃つつもりだった。

 素早く角を曲がり地面に落ちていた細い角材を拾った。


「待ちやが――がはっ!」


 追いかけてきた先頭の男の姿が見えた瞬間、遠心力をたっぷりと乗せた一撃を顔面にお見舞いした。


「あはっ」


 手に鈍い感触が走る。

 暴力的な快感が全身を駆け巡りナータは思わず暗い笑みを浮かべた。

 男はたまらず昏倒し仰向けに倒れこんだ。

 素早く角材を放り投げて後続への牽制とし再び振り返って走り出す。


 非力な自分が敵を倒すには何よりも奇襲が第一だ。

 あと四人。

 そろそろ息も上がり始めてきたが立ち止まって戦う前にあと一人くらい数を減らしたい。


 ケンカに自信はある。

 しかし同時に相手をできるのは三人が限界だ。

 それ以上の人数差はどうにもならない、強さ以前の問題だ。

 猛獣並みの腕力があるならともかく生憎と普通の女子学生。

 捕まったらおしまいだ。


 度々後ろを振り返りながら明かりすらほとんどない隔絶街を走り抜ける。

 この辺りは輝工都市アジール特有のインフラ整備がされておらず、上下水道は愚か輝光灯すら存在しない。

 時々見える明かりは仮設住宅から漏れる旧時代的なランプだけ。


 すでに後方に見える人影は闇の中に紛れて小さくなっていた。

 あらゆる意味で餓えた住人が多く存在する隔絶街。

 繁華街のチンピラなら怖くて近寄ることもできないはずだ。

 あわよくばこのまま男たちが追撃を諦めてくれることを祈った。


 だが敵も二人も仲間をやられて必死になっているらしい。

 男たちは怒号と共に迫ってくる。

 見逃してくれる気はないみたいだ。


 足を止めて周りを見回すと、手ごろな獲物が落ちているのを発見した。

 鉄パイプ。

 女の腕でも殺傷能力十分な強力な武器だ。


 自分でも嫌になるくらいの愉悦感が湧き上がってくる。

 これさえあれば四人くらいが相手でもどうってことはない。

 勝利を確信し、それを拾おうと身をかがめた瞬間。


 世界が揺れた。


 一瞬遅れてそれが頭に走った痛みによるものだと気づく。

 たまらず倒れこんだナータはすぐ隣に落ちてきた物体を目にした。

 鉄製のスパナ。

 追っ手の誰かこれをナータの後頭部めがけて投げてきたのだ。

 押さえた頭からドクドクと血が流れる。


「こ、こんなもの投げるか? フツー」


 自分だって角材で顔面をぶっ叩いたりしてるんだから人のことは言えないけど、いくらなんでもこれはあんまりだろう。

 死んだらどうすんだ。


「追い詰めたぜ」


 声はすぐ真後ろから聞こえた。

 追いつかれた。

 逃げなきゃ。


 グラグラする頭を押さえ気合を込めて立ち上がる。

 途端に眩暈がしてそのまま気を失いそうになった。

 唇を強く噛んでどうにか持ちこたえる。

 痛みに耐え走り出そうとしたナータは愕然とした。

 前方からも別の男たちが迫ってきていたのだ。


「このお嬢ちゃんか? オメーらに舐めたマネしてくれたのは」

「どんなバケモノかと思えば、ただの女じゃんか」

「こんな娘にいい様に扱われてんのかよ。ケケケ情けねえの」

「見ねえ顔だがどこのチームよ?」

「俺らを『或場無あるばむ』だと知った上で調子くれてんだろうなぁ、コラァ!」

 

 進路を塞ぐ男は全部で六人。


「外見で判断するな。相当ケンカ慣れしてやがるぞ」


 後ろからの追っ手もいつの間にか数を増やして五人になっている。

 本当、女一人相手にカッコ悪いこと。

 心の中で悪態をついて見たものの絶望的な気分だった。

 どうやら彼らは隔絶街を根城にする少年グループだったらしい。

 無法地帯に連れ込んでビビらせるどころか、まんまと敵地に入り込んでしまったわけだ。


 ただのチンピラと決め付けてた浅はかさが招いた最悪の状況だ。

 相手は全部で十一人。

 下手したらもっと出てくるかもしれない。

 まともに争っても勝ち目はない。


「で、どうすんの? コイツ」

「オトシマエはつけとかねえとな」

「二度とでかい口利けねえよう男の恐ろしさをカラダに教え込んでやるよ」


 しくじった。

 激しく後悔したがもう遅い。

 怒り任せにケンカを売って気がつけばこんな大ピンチに陥っている。

 本当、バカみたい。


「あは、あはははっ」


 あまりのマヌケさに自嘲の笑いが止まらない。


「このアマ何がおかしい」

「あんたらの顔に決まってんでしょうが」


 ちょっとくらい痛い目でも見たほうがいいんだ、こんなバカ女。

 ああでもキズモノにされちゃったらどうしよう。

 二目と見れないほどボコボコにされたら、もうルーちゃんに会えないかな。


 でも、もういいや。

 一人でも多く道連れにしてやるから。

 ナータは覚悟を決めて鉄パイプを拾い上げた。

 怒りに顔を赤くした男たちが両側から一斉に飛び掛ってきた。

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