131 ▽憂さ晴らし
「はあ……」
体の中に滞る暗いものを吐き出すようにナータは深いため息をついた。
俯き歩く瞳は泣きはらして真っ赤に染まっている。
あたしって、本当にバカ。
学校を逃げ出して駅に向かい、飛び乗るように機動馬車に乗った。
ルニーナ街入り口で降りてあてもなく歩き回ってみた。
だけど気分は全く晴れない。
何をするでもなく街をさまよい続け気がつけばもう空も暗くなり始めている。
頭の中でルーチェが最後に言いかけた言葉がリフレインする。
――ナータなんか、大っ……
嫌い。
その言葉を聞きたくなくって突き飛ばしてしまった。
大切な、大切な友だちを。
自己嫌悪に押し潰されて今にも崩れ落ちてしまいそうだ。
顔を上げることすら辛い。
赤と緑で網目状に色どられた道路の模様だけを眺めながら歩く。
なにやってんだろあたし。
せっかく必死で勉強してルーちゃんと一緒の学校に通えるようになったのに。
これまでの努力の意味はなんだったんだろう。
彼女に嫌われちゃ何の意味もないのに。
でも、だからって許せる?
目の前で、あんな、あんな……
「あーっ、腹立つ!」
ふいに視界に入った目ざわりな空き缶を怒りに任せて蹴り飛ばす。
思いっきり蹴ったせいで足の筋が伸びきって痛かった。
その上、空き缶を蹴ったくらいじゃちっともスッキリしない。
気分は沈むばかりで発散させる元気も出ない。
「いてっ」
視線を道路に落としトボトボと歩く。
ふと目の前に障害物が現れたのを感じて一瞬立ち止まってから右に避ける。
「おいネエちゃん」
これといって目的があるわけじゃない。
別にこんな所に来たかったわけでもなかった。
ただ目の前の現実から逃げようと少しでも遠くに行くため輝動馬車に乗った。
やや冷静さを取り戻し、このまま遠くまで乗り続ければ料金が払えないと気づいた頃に降りたのがルニーナ街入り口だっただけの話だ。
「シカトかよ、おいっ」
これからどうしよう。
今から戻って謝る?
ダメだよ、きっともうキラわれた。
あいつはきっとルーちゃんの大切な人なんだ。
邪険に扱って、それを責められたら暴力を振るうなんて、最低。
こんな女もう友だちとすら思ってくれないかもしれない。
けど。
ヤダよ。
そんなの嫌だ。
せっかくまた会えたのに。
たった二日でこんな風になっちゃうなんて。
辛すぎるよ。
「待てよっ!」
突然、肩を思いっきり掴まれた。
指が食い込み鋭い痛みが走る。
「痛っ!」
振り返ると大柄な男が立っていた。
目つきは悪くて顔はニキビだらけ。
髪を逆立て、ちゃらい服装をだらしなく着こなしている。
どう見てもただのチンピラ。
「なにすんのよっ!」
人が落ち込んでるときに、なんだっていうのよ。
ナータは怒りに任せて男の手を払いキッとにらみつけた。
「なにすんのじゃねぇよお嬢ちゃん。人にこんなモンぶつけといてそのまま行く気か?」
男は指先で空き缶をつまんでいた。
ナータは少し遅れてそれが自分の蹴り飛ばした物だと気づく。
あーあー、あたしが蹴った缶に当たったのね。
そりゃ運の悪いこと。
謝る気はなかった。
ムシャクシャしている時にこんな男に頭を下げるなんてゴメンだし。
何よりさっき掴まれた肩は痛かった。
振り向かせるならもっとやり様があるだろうに。
むしろこっちが謝って欲しいくらいだ。
「あら何? 『ごめんなさぁ~い、その缶あたしのなんですぅ。拾ってくれてありがとうございますぅ~』とでも行って欲しいの? 構って欲しいならそういいなさいよね。それともそれ新手のナンパ? ダサっ。あたしに声かけんなら鏡と相談してからにしてよね、ばーか」
一度喋りだすと止まらない。
溜めていた怒りの発散場所を発見して口から次々と口汚い言葉が飛び出す。
自分が悪いのはわかっているけど気がつけば思いっきりケンカを売っていた。
「なん……だと……?」
男の顔色が変わった。
やや不機嫌程度だった顔が爆発寸前な怒りの色に染まる。
顔を真っ赤にして歯をむいて拳を握り締めている。
「なによ」
男の態度が気に障り、ナータは思いっきり睨みつけた。
ルーチェが『ゾッとするほど冷たい』と形容した瞳。
中等学校時代に少なからず修羅場を潜り抜けたナータがいつの間にか身に着けていた、相手を貫き射殺すための目だ。
男はナータが発する無言のプレッシャーに気圧されて力なく後退した。
はっ、女に凄まれてビビるくらいなら最初っから絡むなバーカ。
ナータは暗い満足感を覚えて小さく嘲笑した。
「何? なんか用があったんじゃないの? ああ、あたしがあんまり美人なんで食事でも奢ってくれるのかな? だったらお金だけ置いてってくれればいいわ。お礼にあんたの顔は一秒くらいなら覚えておいてあげるから」
口元は笑っていても依然として瞳は無言の威圧感を放っている。
弱者を痛めつけることを至上の喜びとする絶対的強者。
あるいは慈悲など欠片も持ち合わせていない、悪魔に魅入られた魔女。
ケンカもそこそこ強かったが、それ以上にこの天性の迫力は荒んでいた中等学校時代において強力な武器になってくれた。
ナータは生まれた時から親兄弟を知らない。
いつでも心の裡に冷たい何かを秘めていたのかもしれない。
他者と争うことを知って、それを表に出す術を得ただけの話だ。
こうしていると昔の自分が戻ってくる。
ルーチェと離れた後、新しく引き取られた先での親と折り合いがつかず、暴力が日常茶飯事の荒んだ学校で過ごした中等学校時代に。
若くしてしてフィリオ市最強のレディースチーム『
誰とも親しくなれず他人と触れ合うことを嫌った幼年時代、彼女は心に氷の壁を張っていた。
周りのすべてが嫌で自ら進んで他人を傷つけた中学時代、氷の瞳を武器に戦い続けた。
せっかくまた戻れると思ったのに。
唯一心から安らげた、あの初等学校時代の自分に。
自分が壊した。
余計な自己主張とわがままのせいで。
気がつくと男は捨て台詞を吐いて逃げ出していた。
「ふん」
満足感も一瞬のうちに消えてなくなり、後には泥にまみれたような不快感だけが残された。
こんな姿、ルーちゃんには見せられないな。
自分が彼女に近づくこと自体いけないことなのかもしれない。
そういえば、あいつは少しもビビらなかったな。
ルーチェが友だちといっていたあの背が高い女。
頼りがいがありそうでいい奴っぽいし。
口が悪い以外に嫌な所は見当たらなかった。
ルーチェも彼女のことを慕っているみたいだし。
仲良くできないのはあたしの性格がひん曲がってるからってだけ。
やめよう。
考えれば考えるほど自分が最低な人間に思えてくる。
暗い考えに沈まないよう再び歩き出そうとした時。
「おい待てよ!」
またも後ろから声がかけられた。
ガラの悪そうな男が六人ばかし。
前に出て嫌らしい目つきをしているのはさっきしっぽを巻いて逃げた男。
「人にケンカ売っといてガンだけくれて逃げようってか? そいつはスジが通ってねえんじゃねえのか?」
逃げたのはあんただろ。
それに女相手にビビッて仲間を連れてくるっていうのはスジが通っているって言えるのか?
そう思ったが口には出さない。
いくらナータがケンカ慣れしているとはいえ五人の男を相手にするのは辛い。
一人くらいならば睨みを利かせるだけで乗り切ることもできるが、数で自信を得た男数人相手にそうはいかない。
いくら凄みを利かせたところでハッタリとしか取られないだろう。
ここでは氷女兎の名前も通用しない。
武器でもあれば話は別だがどっちにせよここは繁華街のど真ん中だ。
もし乱闘騒ぎでも起こせば即効で補導される。
名門南フィリア学園の生徒が傷害事件など起こせば退学は間違いないだろう。
……それもいいかな。
わずかにそんな考えが浮かんだが、やはり一時の気の迷いで二年近くの努力を水の泡にする気はなかった。
何よりたとえキラわれていたとしても、まだ離れたくない。
「じょーとーじゃん」
ナータはこれでもかというくらい男たちを思いっきり睨みつけた。
視線だけで殺すくらいの気合を込めて。
男たちがわずかにたじろいだ。
その隙に後ろを振り向きダッシュで駆け出す。
「あっ、待ちやがれ!」
誰が待つか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。