130 ▽格闘家の娘

「ジルさん、大丈夫?」

「ああ。もう平気」

 

 ルーチェがジルの心配をする。

 あれからすぐ教室にやってきた担任の先生に許可をもらってジルはシャワー室で頭を洗った。

 当然このような事になった事情を聞かれたが、正直に言ったものかと迷っていると、


「イタズラしようとして失敗しちゃいました」


 と当のジル自身があっけらかんと言ってのけたのだった。

 先生は呆れていたが、とにかくそのままでは授業には出れないので特別にシャワー室の利用を許可してくれた。

 程なくして戻ってきたジルはやスッキリした態度で「サボれてラッキー」と言って皆を笑わせた。


 学園生活二日目は簡単なオリエンテーションだけで終わった。

 明日からに備えて担任からいろいろと説明を受ける。

 その間、ルーチェはずっと気が気ではなかった。

 結局ナータは戻ってこなかったから。


「あの、ほんとにごめんね」

「ん? 何が」

「だから……ナータが」


 ジルはぱたぱたと手を振る。


「ルーチェが謝ることじゃないだろ? ま、昨日はあたしが先に手を出したんだし、おあいこだあね」

「そういう問題じゃ……」

「暴力振るおうとしたしね」


 ぐさり、と突き刺すような冷たい声を投げかけたのはターニャ。

 机に肘をつきジルを睨んでいる。

 いま一番怒っているのは間違いなくターニャだ。


「わ、悪かったって。だからこうやって反省してるんじゃんか」


 ジルはジルで反射的に手が出そうになったことを反省しているらしい。

 たとえ一〇〇パーセント相手が悪かったとしても殴ってしまえば完全にジルが悪い。

 特に彼女にとっては大問題になりかねないことだ。


「昨日だってさ、口で言い返すなりできたはずなのに、いきなりバシャーだもん。最悪だよ」

「だからー、それも反省してるってばぁ」

「反省してるならなんでわざわざ蒸し返すようなこと言ったわけ? せっかくインヴェルナータさんの方から謝ってくれて仲直りするチャンスだったじゃない」

「いや、あれはその、あいつの顔見たら昨日のこと思い出しちゃって、それでついイライラしちゃって……」


 ジルはとにかくターニャに弱い。

 昨日の一件、原因はどう見てもナータにある。

 だけど二人のやりとりだけ見ているとジルの方が一方的に悪いみたく見えるから不思議だ。


「と、に、か、く。暴力だけは絶対にダメだからね」

「はい。気をつけます」


 机に手をついてペコリと頭を下げるジル。

 やっぱりターニャは強いなぁ。


「カッとなったとか言い訳は通用しないからね。ジルが本気で相手を殴ったらどんなことになるかちゃんと理解している?」


 ジルの家は格闘技の道場で父と兄の三人で暮らしている。

 病弱だったお兄さんの代わりにジルの父親は彼女を幼い頃からスパルタで鍛え上げた。

 中学に入って自らの意思でバスケットボールは始めるまでは、それこそ修行漬けの毎日だったと聞いている。

 親に逆らってやりたいことを主張するまでにも文字通り血を見るような修羅場があったらしい。


 幸い病気が治って健康になった兄はすぐに復帰し、あっという間にジル以上の才能を発揮したため道場は兄が継ぐ事になりジルは解放された。


 それでもジルはそこら辺の男じゃ全く歯が立たないくらい強い。

 中学の頃に三人で出かけた時、ガラの悪い男たちに絡まれたことがある。

 運が悪かったのは彼らの方でターニャに乱暴を振るおうとしたところ、カッとなったジルによって全員病院送りにされてしまった。


 その事件がバレてジルは一週間の自宅謹慎の処分を受けた。

 退学にはならなかったものの親や教師からは一生分でも余りあるほど怒られたらしい。

 それ以上に怒ったのが助けてもらった当のターニャだった。

 以来、ジルは何があっても暴力は振るわないと約束させられているのだ。


「で、結局インヴェルナータさんは何が気に入らないんだろうね」


 突然ナータに話題が移ったのでルーチェはぎくりとした。

 いや、別に話の流れからいけば自然な流れではあるのだけれど。


「あたしが聞きたいってば。そら確かに水ぶっかけたのはやりすぎだとは思うけど……」

「ルーチェは心当たりない? ジルが知らずにインヴェルナータさんの怒りそうなこと言っちゃってたかもしれないとか」

「えぇ……わかんないよぉ」


 それはルーチェも昨日から考えているのだけれど、さっぱり思い当たらない。

 何度思い返してみてもジルがナータを怒らせるようなことを言ったとは思えなかった。

 あくまでルーチェの知っているナータなら、だが。

 昨日の冷たい瞳がルーチェの脳裏にフラッシュバックする。

 嫌な汗が背中に伝う。


「でも絶対に人を見かけだけで判断するような娘じゃないよ。何か理由があるんだよ」

「あたしがあいつにキラわれる正当な理由があるんかい」

「そういう意味じゃ……」

「ジルっ」


 ルーチェを責めるジルをターニャが注意する。


「へいへい……けどもう、あたしも疲れたよ」

「でもやっぱりジルにも何か原因があるはずだよ。昔からの知り合いのルーチェはともかく、私とかクラスの娘たちには普通に話してたんだから」


 昨日の朝ナータを質問攻めにしていた女の子たち。

 今はさっきのナータの態度をいろいろ推測して盛り上がっている。

 ターニャの言うとおりナータは人見知りをするような性格でなくなっているみたい。

 けど、だとすると……


「やっぱあたしだけが特別気に入らないってことなんだろうな」

「そうみたいだね。なんでなんだろ」


 ほんとなんでなんだろ。何でジルさんだけ……

 結局いくら考えても答えは出てこない。


 となれば。

 やっぱり今日ナータに会いに行ってみよう


 学校では話しづらいことでも二人っきりなら話してくれるかもしれない。

 昨日はちゃんと話せなかったけど、こんな状態が続いていいはずないんだ。

 明日までにはなんとかしないと。

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