89 牛頭魔人、再び
薬を飲んだ男の体が痙攣を始めた。
皮膚を破るように筋肉が膨張し、人間離れした体格を形成していく。
「仲間を犠牲にするなんて……」
数秒後。
悪魔の薬を飲んだ団員は、内側からエヴィルに飲み込まれていた。
「おおっ? 見たこともねえ姿、大当たりだな」
しかもよりによって、あの鋼の肉体を持つ牛頭の半獣人、クインタウロス。
その体躯は元の男性より二回りくらい大きく、腕も足も丸太のように太い。
以前にも同じエヴィルと戦ったことがあるから、こいつがとんでもない相手だってことは知ってる。
なら、先手必勝!
「
拳大の火球がクインタウロスの頭めがけて飛んでいく。
クインタウロスが腕を振る。
私の放った火球はあっさりとかき消けされた。
やっぱり、生半可な攻撃は通用しない。
「おおっ、すげえ! よし、その女を殺して、新生狼雷団の立ち上げだ! 今度は俺が団長として――ぐぺっ」
髭の男が歓喜の声を上げた、直後。
クインタウロスは右腕を振り上げると、何も言わずに男の頭を叩きつけた。
まるで大ハンマーを振り下ろすような一撃。
それを脳天に喰らった髭の男は、薄笑いを浮かべたまま死んだ。
グチャグチャに砕け散った頭の破片と血と脳が汚らしく散らばる。
「うっ……」
凄惨な光景に私は口元を押さえる。クインタウロスは倒れているもう一人の仲間の元に近寄り、その巨体で容赦なく踏みつけた。
「ぎえええええっ!?」
絶叫とともに、骨の砕ける音が響き渡る。
「ひ、ひえっ!」
二人の仲間が殺され、恐怖に耐え切れなくなったんだろう。
ソフィを人質にしていた男が背を向けて逃げ出そうとする。
クインタウロスはそいつを次の標的に選んだ。
大きな体に似つかわしくない速度で駆け、男を追いかける。
「
たとえ悪い奴でも、これ以上の犠牲者は出したくない。
放った火球はクインタウロスの背中に直撃する。
やっぱりたいしたダメージを与えていない。
狩りを邪魔されたクインタウロスが怒りの形相でこちらを振り向く。
その表情に人間としての理性は欠片も見られなかった。
以前に戦ったやつとは違う。
完全に身も心もエヴィルになっている。
だったら――
「
スカラフも吹っ飛ばした私の最強の術。
あの日の夏祭りの風景を思い浮かべ、空に咲く大輪の炎でやっつける!
「あ、あれっ?」
――はずだった。
声だけがむなしくこだまし、煙一つ立たない。
失敗……?
集中が足りないのか。
この前のは偶然だったのか。
迷っている間にも脅威は近づいてくる。
いけない、この至近距離じゃ、たとえ成功しても私が巻き込まれる。
「
作戦を変えて火球を連発する。
けれど、丸太のような腕に悉く振り払われてしまう。
どうしてっ? どうしてこんな小さな火の玉しか出ないの?
狼雷団と闘った時は、もう少し大きな火球が出せたのにっ!
「ひっ……あっ」
拳大だった火球は平静を失うにつれ共にどんどん小さくなっていく。
ついには不発した。
いけない、集中しなくっちゃ……
「ひ……ひいっ、ひひひっ」
焦れば焦るほど成功しない。
ど、どうしよう、どうしよう。このままじゃ殺される。
「……どいてなさい」
後ろから肩を掴まれた。
いつの間にか立ち上がったスティが剣を握っている。
顔は赤く腫れ、血を流し、瞳はギラギラと怒りに燃えている。
「これはあたしたちの村の問題だって言ったでしょ」
「な、なに言ってるの、無理だよ。普通の人間がエヴィルに敵うわけないよ」
「いいから。ここはあたしがなんとかする」
なんとかっていっても……そうだ!
ジュストくんなら、輝攻戦士にさえなれば、クインタウロスにだって負けないはず。
「あの、ここは私が足止めするから、スティはジュストくんを呼んできて。私なら逃げ回りながら戦えば少しは時間が稼げるから」
「うるさいっ!」
スティのあまりの迫力に、私は思わず言葉を飲み込んだ。
「あたしはエヴィルにだって負けない。そのために死ぬほど特訓してきたんだから、もう、誰も殺させないために……」
いけない、スティは怒りで状況が見えてない。
スティもエヴィルにお姉さんを殺されている。
その当人じゃないとはいえ、仇とも言える敵を前にして、彼女は正常な思考を失っているんだ。
でも、エヴィルは気合だけでどうにかなる相手じゃない。
ましてや鋼の皮膚を持つクインタウロス。
輝攻戦士でもなければ傷ひとつつけられやしない。
「あんたこそ、力を使い果たしたんでしょ。さっさと逃げないと殺されるわよ」
うぐ。
さっきから輝術が成功していないことがバレてる。
私が何とかしなきゃいけないのに、敵を倒すどころか術すら発動しない。
火の術なら完璧なんて言っておきながらっ……
だからって、スティに任せたら彼女はすぐに殺される。
どうしよう。どうしようもできない。
無力さが、悔しい。
途端に弱気が顔を出した。
このままじゃみんな殺される。
「に、逃げよう。一緒に」
スティは掴もうと伸ばした私の手を乱暴に振り払った。
「勝手に逃げてなさい。あたしはみんなを守る」
「違うの。そうじゃなくて、ジュストくんさえいてくれれば」
「村を捨てて逃げ出したやつのことなんか頼りになるかっ!」
胸倉を掴み上げられた。
スティが殺気の篭った目で私を睨みつける。
「ジュ、ジュストくんは逃げたんじゃない。輝士になるために村を出て……」
「輝士になって戻ってくる? それまで一体何年掛かると思ってるの? その前に村が襲われたら、誰がみんなを守るのよ。あいつがいなくなったせいで、どれだけ……」
視界が暗くなった。
見上げると、巨体が太陽を遮るように空にいた。
信じられない跳躍。
スティは呆然と顔を上げていた私を突き飛ばし、自分も横に跳んだ。
私たちがいた場所の地面が、クインタウロスに押しつぶされ陥没する。
「やあっ!」
スティが斬りかかる。
あの恐ろしい攻撃を見てもひるみはしない。
けれどクインタウロスは防御すらしなかった。
乾いた音とともに剣が折れる。
鋼の皮膚に、ただの鉄の剣はあまりに脆すぎた。
「このおっ!」
武器を失ってもなおスティの闘志は消えない。
気合いと共に折れた剣で殴りかかる。
クインタウロスの拳がそれより早くスティの体に迫る。
「ダメえっ!」
スティが死んじゃう。
なんでもいい、私のなかの輝力、アイツをやっつけて!
目を閉じて、クインタウロスの背中に向けて、思いっきり腕を突き伸ばした。
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