87 殺された一番上のお姉さん

 しばらく歩くと、とつぜん視界が開けた。


「わあ……」


 思わずため息がこぼれるほどの奇麗な景色が広がっていた。

 見渡す限り一面の花畑。

 遠くまで敷き詰められたさまざまな花。

 太陽の光を浴びて色とりどりに輝いている。

 おとぎ話でお姫様が一休みするような、素敵な場所。


「ソフィのとっておき」


 ソフィちゃんは嬉しそうに呟くと、花畑の中に座って何かを作り始めた。

 しばらく待っていると、綺麗な花冠をくれた。


「わあ、上手」


 喜んでそれを受け取ると、ソフィちゃんの顔に少しだけ笑顔が見えた。


「ローザに教えてもらった」

「ローザさん?」

「一番上のお姉ちゃん」


 あれ、一番上はフレスさんだと思ってた。

 村に来てから一度も見てないけど、もうひとりお姉さんがいるんだ。


「ローザお姉さんはいまどこにいるのかな?」


 ソフィちゃんはふるふると首を横に振った。

 町や王都に出て働いている、そんな答を予想していた。

 だから、ソフィちゃんの口から出た言葉に私は、自分の失言を悟った。


「殺された」

「えっ……」


 ソフィちゃんの顔から微笑みは消えていた。

 いつもの無表情に戻っている。

 声も不自然なほどに平坦だった。


「残存エヴィルに」




 英雄たちの活躍でウォスゲートが閉じられ、魔動乱は終わった。

 けれど、現れたエヴィルは煙のように消えたわけじゃない。

 退治されずなかったエヴィルはそのままミドワルトに残ってしまった。

 ほとんどのエヴィルは人間に危害を与えることをやめ、魔霊山のような人里離れた魔境に姿を隠したのだけど、稀に本能を押さえきれずに人を襲うものもいる。


 それが残存エヴィル。

 現在、残存エヴィルはほとんどが退治されているはずだけれど、戦後の数年間は被害を受ける町や村も少なくなかったという。

 特に、満足な戦力を持たない小さな町村は、対応の遅れから悲劇を生むことも多かった。


 ……って歴史の授業で習ったことがある。


 輝工都市アジール育ちの私には無縁な話だと思っていた。

 けれどソフィちゃんの話はそれが単なる歴史の中のできごとじゃないことを教えてくれた。

 私はここの村に来た時、こんな感想を持った。

 争いなんてない平和で穏やかな村だって。


 違う。

 魔動乱の時に真っ先に被害を受けたのは、ここみたいに輝士も輝術師も持たない、小さな村なんだ。


「聞いてくれる?」


 無表情で口調も平坦だけど、切実な彼女の声色。

 私は頷いた。

 ソフィちゃんは今にも消え入りそうな声でぽつりぽつりと話し始めた。




 八年前のある日、村の近くに残存エヴィルが出没した。

 情報はすぐに村中に伝わり、外出禁止令が出された。

 村一番の駿足の青年がふもとの町に助けを呼びに向かった。

 けれど、助けを率いて戻ってくるまでには数日かかる。


 その頃、ソフィちゃんは高熱を出して寝込んでいた。

 熱にうなされるソフィちゃん。

 彼女は看病をしていたローザお姉さんに、うわごとのように呟いた。


「虹の草が欲しい」と。 


 それはソフィちゃんが読んでいた本に出てきた、どんな病気もたちどころに治してしまう奇跡の植物の名前。

 もちろん架空の植物だ。

 ソフィちゃんは熱で夢と現実の区別がつかなくなっていた。


 けれど長女のローザさんはソフィちゃんの辛そうな様子を見て、気休めでも似たような草を探してこようと外出禁止令を破って村を抜け出した。

 ローザさんは一人の少年を伴って山の奥へと足を踏み入れた。

 そして日が暮れた頃。

 戻ってきたのは一緒に行ったはずの少年一人だけだった。


 二人は運悪く残存エヴィルに出会ってしまった。

 ローザさんは少年を先に逃がすため、わざと囮になったらしい。


「早く助けにいかなきゃ。このままじゃローザが死んじゃう」


 訴えかける少年の言葉は大人たちに届かなかった。

 ローザさんを助けようと山へ向かえば、今度は別の人が犠牲になってしまう。

 村の人たちは、ローザさんが無事に戻ってくる事を祈った。

 誰もが祈って待つしかできなかった。


 それから数日後。

 ファーゼブル王国から派遣された輝士によって、エヴィルは退治された。

 大人たちは総出で山探しを行った。そして……

 村からそれほど離れていない場所で。

 変わり果てた姿のローザさんは発見された。




「………………ソフィがバカなことを言ったから」


 自分の言葉が原因で親しい人を失った悲しみ。

 それがどれほどのものか、私には想像もつかない。


 ソフィちゃんは自分を責めている。

 熱にうなされていたとはいえ、自分が変なことを言わなければ、ローザさんは危険を冒して村の外へ行くことはなかった。

 自分がお姉さんを殺してしまったも同然だ、って。

 見ていられなくなって、私はソフィちゃんを抱きしめた。


「ソフィちゃんは悪くない、悪くないよ……」


 胸がいっぱいで、苦しかった。

 腕の中の無表情な彼女が悲しかった。

 ソフィちゃんが泣いてないのに、私が泣いちゃみっともない。

 けど、悲しすぎるよ。

 こんな小さな子が、どうしてこんな風に苦しまなきゃいけないの?

 

 魔動乱は私が二歳の時に集結していた。

 私にとって歴史上の事件、過去の出来事でしかないと思っていた。

 授業でその悲惨さは教えられたけど、フィリア市がエヴィルの攻撃を受けたという話はなく、戦災の爪あとみたいなものを感じた事は一度もなかった。


 魔動乱は過去のものじゃない。

 今もその重みを深く受けている人がいる。

 都市の外では、こんな風に悲しい思いをした人がいくらでもいる。


 私は恐ろしい事に気づいた。

 輝士も輝術師もいない村。

 そんなところにエヴィルが出現すれば、王都に助けを呼ぶしかない。

 その間、村の人たちはどうすればいい?

 怯えながら過ごすしかない。

 万が一村にエヴィルが攻めてきたら、どうやって戦えばいいのか。


 いま気づいた。ジュストくんの言葉の意味。

 ソフィちゃんははっきりとはいわなかったけど、ローザさんと一緒に村を抜け出した少年っていうのは多分、ジュストくんのことだ。


 いつか立派な輝攻戦士になって、自分の村を自分の手で守りたい。

 その言葉の裏には、こんな重い過去があったんだ。

 スティが私に冷たく当たった理由もなんとなくわかる。

 普通じゃない力があるのに、平和な日常に戻ろうとしているのが許せないんだ。


 ジュストくんもスティも、エヴィルに負けないために必死に努力してる。

 私が友達と遊んでいる間にも、都市の外の人たちはこうして現実の問題と向き合い続けている。

 なのに、私は……


「私……」

「きゃあっ!」


 私たちが来た方向から、悲鳴が聞こえた。

 この声は、スティだ!

 ソフィちゃんが不安な目で私を見上げる。

 何があったかは知らないけど、あの声はただ事じゃない。


「待ってて、すぐ戻るから!」


 私はソフィちゃんを置いて声の方角に走り出した。

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