86 気の合わない娘

 翌日。

 ジュストくんが見回りに出かけると同時に、フレスさんは村の子どもたちに勉強を教えると行って家を出て行った。

 なんと彼女は村の先生をやっているそう。

 小さな村に専門の教師はいないので、若くて一番しっかりしている彼女がその役をやってるんだって。

 学校って言っても校舎とかはなく、村の広場で計算や町の暮らしについてを教えたりするってだけらしいけど。


 スティは朝起きたときにはすでにどこかへ出かけていた。


 ソフィちゃんは部屋の端っこで読書をしている。

 意外にもソフィちゃんは十三歳。

 見た目はもっと幼く見える。

 普通、村の子どもは十二歳で学校を卒業すると同時に働き始める。

 けれど身体が小さいソフィちゃんは、朝と夜に少しだけ畑仕事を手伝う以外は、家で読書をしていることが多い。


 無表情だと思っていたけれど、ソフィちゃんは本を読んでいる時、驚くほど喜怒哀楽を顔に表す。

 悲しんだり、笑ったり、怒ったり。

 そんな時に話しかけると、顔を上げてこちらを向けた途端に無表情に戻る。

 読書の邪魔をしちゃ悪いと思って、私はそれきり話しかけるのをやめた。


 する事もないので、ネーヴェさんと二人でお茶を飲んでいた。


「リムのことを聞きたいって?」

「はい。どんな人だったのかなぁって」

「そんなに仲良かったわけじゃないけど……懐かしいな」


 ネーヴェさんは窓の外に視線を向けた。

 きっと昔のことを思い出してるんだろう。

 最初に会ったときは大らかでガサツな印象を受けたけど、黙っていると深窓の淑女って感じにも見える。

 まだ四十前なんだって。


「美人で、純粋で、いろんな意味で浮世離れした娘だったね。初めて会ったときはずいぶんと儚げな印象を受けたけど、意外と芯の強いところもあった。あたしが知ってるあの娘はとにかくいろんな意味で純粋で……まあ、良い娘だったよ」


 お母さんの事を話すネーヴェさんはどこか嬉しそう。

 懐かしそうに語る表情を見てると、私もなんだか嬉しくなる。


「じゃあ、昔のお父さんはどんな人でした?」


 昔の事が聞けるのが嬉しくて、私は質問を重ねてみた。

 が、その質問をした途端、ネーヴェさんの顔つきが変わった。


「……あん?」

「あ、だ、あの。私のお父さん……アルディメントの昔はどうだったのかなって」


 ネーヴェさんの目つきが鋭く射抜くように私を見る。

 怒ってる? ま、マズイことを聞いちゃったのかなっ。


「……アイツの事は喋りたくない」

「ど、どうしてですか?」

「親の悪口は聞きたくないだろ」


 ネーヴェさん、それ……

 うちのお父さんの事を嫌ってるのかな。


「あの、でも、お父さんとは冒険者仲間だったんですよね」

「冒険者仲間ぁ……?」


 ひゃうっ、怖いっ。

 悪気はないので怒らないでくださいっ。


「アイツがそう言ったのかい」

「え……はい、でも」


 あまりの迫力にそれ以上は聞けなかった。


「別にいいけど。とにかく、その話はやめて。茶が不味くなるわ。ったく、なんでリムはあんな奴と……」


 ネーヴェさんは不機嫌そうに紅茶を啜る。

 うう。そ、そりゃ、お父さんは家も開けっ放しで、家事を私に全部押し付けて、中等学校の頃に私が辛かったときちっとも気づいてくれない人で、ジュストくんに罪をかぶせたり私を軟禁したりあんまりいい所のないダメ親だけど……

 そんな風に言われると、さすがにちょっとカナシクなるぞっ。


「……輝術」


 気がつくと、いつの間にか隣にちょこんとソフィちゃんが座っていた。

 彼女のために焼いた私特製クッキーをぽりぽりと齧りながら、首を真上に上げて私の顔を覗き込んでいる。

 上目遣いが異常に可愛くて、一瞬前の悲しみは全て吹き飛んでしまった。


「苦しい」

「あ、ごめん」


 腕の中でソフィちゃんが苦しそうに呟いていた。

 無意識のうちに抱きしめていたらしい。


「ごめんね。何?」

「輝術、使える?」


 そう言えば昨日もそんな事を聞かれたね。


「まあ、ちょっとは。伝説の英雄みたいな凄いことはできないよ」


 先日の狼雷団との戦いで大賢者様が見せてくれた、竜を一撃で吹き飛ばしてしまった大輝術みたいなのを期待されちゃ困る。

 あんなのに比べれば私ができるのなんてたいしたことないし。


「エヴィルには勝てる?」

「えっと……」


 どう答えたものか。

 大げさに言うのも良くないけれど、嘘をつくのも良くない気がする。


「まあ、一応。戦って勝ったことはあるけど」


 曖昧に答えると、ソフィちゃんの目がキラキラと輝いた。

 表情はほとんど変わっていないんだけど、期待されているのがはっきりと伝わってくる。


「け、けど。そこまですごいわけじゃないよ。仲間と一緒だったし、ちょっと前まで自分が輝術師だってことも知らなかったし……」

「でも、大賢者の弟子なんだろ」


 私の言葉を謙遜ととったのか、ネーヴェさんが紅茶を啜りながらフォローした。

 あ……

 そういえばまた、本当の事を話していない。


「あの、私、大賢者様の弟子になるの、断ることにしたんです」


 私の袖を掴んでいたソフィちゃんの手がピクリと動いた。


「才能はあるって言われても、本当にたいした事はできないですし。戦いとか怖いから、私は普通に暮らすだけで精一杯だし。通行証を作ってもらったらフィリア市に帰るつもりなんです」

「あ、そう」


 ネーヴェさんは表情も変えず、気のない返事をした。

 けれど、ソフィちゃんの顔には明らかに落胆の色が溢れていた。

 ソフィちゃんが輝術師に対して憧れを抱いているのは何となくわかる。

 でも、ごめんね。私はそんな凄い人じゃないんだよ。

 と、ソフィちゃんは席を立って、私の服の袖を掴んだ。


「来て」


 えっ、えっ。

 どこへ行こうって言うんだろう。

 まさか、エヴィル退治に連れて行かされるんじゃ……。


「ネーヴェ。ちょっと出かけてくる」

「あいよ。夕方までには帰るんだよ」


 ソフィちゃんに引っ張られ、私は外に連れ出された。




 向かったのは村の外。

 山の麓とは逆へ、森の中の獣道をずんずん登っていく。

 山道には嫌な思い出があるけど、この辺りの森は光も届いて明るいし、景色も綺麗。

 穏やかな雰囲気の中、夏虫の声がうるさいくらいに耳に響く。


「あら、こんな所で何やってんのよ」


 少し開けた場所に出ると、朝から出かけていたはずのスティがいた。

 全身汗だくで、手には木で作った剣を持っている。

 そっちこそなにやってんのよって聞き返したくなる格好だ。


「ルーチェと遊んでる」

「あっそ。別に良いけど、夕方までには帰んのよ」


 最後に彼女はちらと私を見て、すぐに目を逸らした。

 嫌われてるなぁ。


「あのっ」


 とはいえ、ずっとこのままでいるわけにはいかない。

 これから一ヶ月間も家にお世話になるんだし、できれば仲良くしたいし。


「剣闘の練習? 私の友達でも剣闘やってる娘がいるんだよ」


 とにかく、話しかけて、どうしてこんな態度なのかだけでも理解したい。

 少し悔しいけど、ここは下手に出るべきだ。

 って思ったんだけど。


「剣闘ぉ?」


 スティは侮蔑の目で私を見た。


「やっぱり都市生まれだわね。スポーツは淑女のたしなみってやつ? いいわね、お遊び感覚で剣を握ってるような人は」


 むか。

 な、何その態度っ。

 せっかくこっちから話しかけたのに。

 それに、その言い方じゃまるで、剣闘をやってる人はみんな遊んでいるみたいじゃない。


「な、なによ、知ったようなこと言って。みんなだって勝つために真剣にやってるんだから」


 ナータやベラお姉ちゃんを見ていれば、お遊びで剣を握っているわけじゃないことはわかる。

 こんな頭ごなしに馬鹿にされるのはとても嫌な気分だ。


「同じことよ。命を賭けない剣術なんて、結局は単なるスポーツじゃない」

「じゃあ、あなたは何のために剣を振ってるわけ?」


 年下相手に大人気ないって、心の中ではわかっているけど。

 友達を馬鹿にされたような気がして黙っていられない。


「強くなるためよ。決まってるでしょ」

「剣闘やってる人だって同じだよ。他の人に負けないため、せいいっぱい努力してるんだから」

「じゃあ、あんたはなんで努力しないわけ?」

「な、なんのことよ」

「あんた、生まれつき強力な輝術が使えるんでしょ」

「だったらなに」

「それがどうして、平和に都市の学校なんかに通ってるのよ」


 な、何よっ。天然輝術師が学校に通っちゃいけないわけ?

 っていうか、自分が天然輝術師だって気付いたの、最近だし!


「あたしはね、村の自警団に参加しているの。あんたが遊んでる間も、いざっていうときに備えてに毎日訓練してるのよ」

「フィリア市とこの村じゃ事情が違うじゃない」


 外の町や村の子どもが十二歳で働きに出るのに対して、輝工都市アジールでは最低十五歳までは中等学校で教育を受ける。

 それから何割かは、私みたいに高等学校に進学してさらに三年間勉強する。

 単に環境からくる生活の違いや、学ぶべき内容の違いなんだけど、スティはまるで働いていない私がダメみたいな言い方をする。


「そうね。あんたら都市の人間は、何もしなくても輝士に守ってもらえるものね」

「そ、それはっ……」


 反論できなかった。

 平和は輝士が守るのが当たり前。

 私もずっと思っていたから。

 輝工都市アジールにいる限りそれは事実だし、結局私は大賢者様の弟子入りを断って、ただの学生に戻ろうとしている。


 どうしてスティが自警団なんかをやっているかはわからない。

 けれど、自分の手でみんなを守ろうと努力しているのは確かみたいだ。

 スティの言葉は口だけじゃない重みがある。


「ルーチェ、行こう」

「う、うん」


 ソフィちゃんが私の服をひっぱる。

 それを幸いと、これ以上イライラする前に、この場から逃げることにした。


「スティも、言い過ぎ」

「ふん」


 スティはそれきり黙って素振りを再会した。

 私は彼女に背中を向け、ソフィちゃんと手をつないでその場を去った。

 スティの姿が見えなくなったところで、ソフィちゃんがボソリと呟いた。


「ルーチェ、ごめん」

「どうしてソフィちゃんが謝るの?」

「スティ、口は悪いけど、悪い子じゃないから」


 ……うっ、しまった。

 私ってば、こんな小さい子に心配させて……。

 スティはソフィちゃんのお姉さん。

 どっちが悪いかはともかく、ケンカをするところなんて見たくないはず。


「ごめんね。大丈夫、きっとスティともすぐ仲良くなるから」


 正直、自信はないけれど。

 でも私がそう言うと、ソフィちゃんは首を小さく縦に振って微笑んでくれた。

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