29 隷属契約 -slave engage-

 どこからか声が聞こえる。

 私のものだけど私のじゃない声。


 ――今のお前にそんな力はない。


 時間が切り取られたように周りが真っ暗闇になる。

 わかってる、私はただの学生だから。

 不思議と冷静に私は声に反論する。


 ――違う。今はまだ使い方を知らないだけだ。


 今、自分が誰と何を喋っているのかわからない。

 紅茶にミルクが解けるように意識が何かと混じり合う。


 ――だから今のところは使っておけよ。それそいつを。


 暗闇の中で何かが形を作った。

 キラキラと輝くそれは三角形の板のようにも形を成していない液体のようにも見える。

 力が溢れてくる。

 勘違いじゃない。

 私の心の中にそれはある。


 光の欠片が確かに私の心の中にあって、はっきりとイメージできる。

 今なら何でもできる。

 そんな気持ちになる。


「ルー?」


 ふと周囲に光が戻った。

 目の前には心配そうなジュストくんあたしのドレイの顔。

 未だに目覚めぬこの身体の代わりに使うための容れ物。


 あたしは腕を掴んで彼を強引にこちらを振り向かせる。


「何を……」

「大丈夫、怖がらないで」


 それはある種の確信だった。

 できるとかできないとかじゃなく、そうするのが当たり前だから。

 私は彼に『それ』をしようとしていた。


「え?」

「あなたに力をあげる。闘うのよ、あたしのために」

「な、何を……」

「……ごめんねっ!」


 つま先を伸ばし、ジュストくんの顔を引き寄せる。

 そして無理矢理唇を押し付ける。

 はじめてのキスだとか、こんなのはしたないとか、そういうことを考えている余裕はなかった。

 ただ絶対にやらなくちゃって思った。

 だから私はあたしの言うとおりにした。

 だってこのままじゃジュストくんが死んじゃうから。


 体の中で暖かい光が生まれたような気がした。

 感じる。

 私の体内を血液と共に流れる微かな力の波動が。

 見える。

 体の奥底でくすぶる炎のように輝く光の奔流が。

 奥底から引き上げられた光が体を駆け上っていく。

 それは胸元を過ぎた瞬間、川が氾濫するように唇を通して彼に流れていく。


 たまらず私は目を開いた。

 出てくる。体の奥から熱いものが湧き上がってくる! 

 これは輝力だ。

 秘めていた私の輝力が暴れている。

 やがてエネルギーの奔流が弱まって、私はゆっくりと唇を離した。


 ジュストくんはきょとんとした表情で私を見ている。


 ……え?

 いま私、なにを……


 と、彼の背後にいつの間にかエヴィルが迫っている。


「危ないっ!」


 思考を一時的に放棄して私は叫んだ。

 ジュストくんが振り返る。

 彼はほとんど反射的に剣を振っていた。


「ウォォウ!?」


 その一撃がエヴィルの腕を斬り飛ばした。

 赤黒い見事な切り口を覗かせて切断された腕が飛んでいく。


 えええっ!?

 何、なになになにっ!?

 さっきまでとは桁違いの威力だ。

 私も驚いたけど攻撃をしたジュストくん本人が一番驚いている。

 彼の全身が淡い光の粒に包まれていた。


「こ……これは?」


 訝しげに自分の手を見つめている。

 そんな彼にキュオンが迫る。


「ジュストくん、後ろ!」


 体の変化に慣れてきたのかキュオンの動きは今までにないほど俊敏だった。

 瞬時にジュストくんの後ろに回りこみ残った腕を振り上げる。

 鋭い爪が振り下ろされる。

 避けられない!


 と思った次の瞬間、ジュストくんの姿が視界から消えていた。

 キュオンの爪はなにもない宙を切り裂く。

 一体どこへ?

 辺りを見回す。

 彼の姿はすぐに発見できた。


「いてて……」


 一瞬前まで彼が立っていた場所から五メートルほど右の地面。

 そこでジュストくんは倒れて蹲っていた。

 な、何が起こったの?

 私は起き上がろうとするジュストくんに駆け寄った。


「へ、平気?」

「……大丈夫、転んだだけだから」


 転んだって。

 どう見てもそんな風じゃなかったけど……


「あの、私」


 ジュストくんは私の言葉を遮って再び剣を握り締めた。


「説明は後でいい。一応状況は理解してるつもりだ」


 ジュストくんが流星のように光の尾を引いて跳ぶ。

 ――速い!

 突き出した剣はキュオンの右肩を掠めそのまま後方に突き抜ける。

 目にも留まらぬ速さっていうと言い過ぎかもしれないけど、人間ができる動きじゃない。

 剣闘の試合とかでも驚くような達人がいるけどそういうのとはまるで別次元。


 そう、これが輝攻戦士ストライクナイト

 たぶん私は彼と隷属契約スレイブエンゲージをした。

 なんでそんなことができたのかはわからない。

 ただひとつ言えるのは、ピンチを切り抜ける希望が生まれたってこと!


 ジュストくんはまた着地に失敗して地面を転がった。

 けれど今度は前方向に二回転しその勢いで起き上がる。

 両腕を切断されたキュオンが怒りの雄叫びをあげる。

 人間だった頃の習性が残っているのか後ろ足だけで立ち上がろうとする。

 けれど見るからにバランスを欠いてフラフラだ。

 それでもキュオンは口を大きく開き牙を突き出してジュストくんに食らい付こうとする。


 ジュストくんは姿勢を低くして剣を構えた。

 倒れ込んでくるキュオンに切っ先に全体重をかけて体ごと体当たりをする。

 銅の剣が魔犬の腹を易々と貫いた。


 巨体が浮き上がり後ろ向けに倒れていく。

 ジュスト君は剣を引きキュオンの腹を横薙ぎに断ち割った。

 黒い返り血を浴びながら。


「ウオオオオオオォォォォォォーッ!」


 断末魔の咆哮を上げてキュオンが倒れる。

 けれど魔犬は死んでいなかった。

 狂ったような叫び声をあげながら跳ねるように身を起こす。

 血液を噴水みたいに迸らせても怯むそぶりは微塵も見せない。

 キュオンが下あごを地面にくっつけながら後ろ足を屈める


 魔犬は地面を思いきり蹴った。

 ジュストくんは横に跳んで体当たりを逃れたけれどまたしてもバランスを崩して倒れてしまう。

 キュオンは体を反転させ器用に後ろ足で着地すると再びジュストくんに飛び掛かった。

 口を大きく開きながら。

 丸呑みにする気!?

 狙いは頭!


「せいっ!」


 ジュストくんはとっさに剣を立て口中を斬り付けた。

 間一髪でかみ砕かれるのを阻止すると後ろに飛んで距離を離す。

 よろけながらも今度はなんとか踏ん張った。


 ジュストくんが跳躍する。

 右上から振り下ろされた渾身の一撃がキュオンの首の付け根を打った。


 攻撃は止まらない。返す剣を今度は横っ面に叩きつける。

 半回転。遠心力を乗せた一撃が頭を叩き割る。

 魔犬が今度こそ脱力したと思った直後、突然首をもたげて口を開いた。

 真紅の口内に禍々しい光が収束する。

 光は明々と燃え始め炎に変わった。

 炎の球体がキュオンの口から吐き出される!

 避ける間もなくジュストくんは正面から直撃を受けた。

 体が後ろに飛ばされ地面に着弾するとともに炎が拡大した。


「い、いやあっ!」


 私は叫んだ。

 これがエヴィル。

 ただ硬くて強いだけの獣じゃない。

 まるで輝術師のように様々な力を操る悪魔のような存在。

 こんなのをまともに喰らったら間違いなく丸焼けだ。

 いくら輝攻戦士でも炎に包まれて生きていられるわけが――


「はあっ!」


 その直後。

 ジュストくんが炎の中から飛び出した。

 まるで不死鳥のように。

 そう、文字通り飛んでいた。

 体が宙に浮きスピードで低空飛行する。

 一陣の疾風。一筋の閃光。

 後ろ足だけで立ち上がったキュオンが再び口内に炎を集める。

 その時には既に二人の距離はほとんどゼロに近い。

 すれ違いざまジュストくんが剣を振る。

 キュオンの首が宙を舞った。 

  

 頭部を失ったキュオンの本体は苦しみながら地面を這い回りやがてピクリとも動かなくなった。

 

 ……こんどこそ、やった?

 恐る恐る眺めているとキュオンの体が淡い燐光に包まれていく。

 まるで煙のように血の跡ひとつ残さず肉体は消滅し、後にはカラリと音を立てて赤色の石が残された。


「や……」


 隷属契約をしてからたった一分ちょっと。

 ジュストくんの圧倒的な力によってエヴィルは退治された。


「やったぁ!」


 私は思わず喜びの声を上げて駆け寄った。

 ジュストくんが剣を落とす。

 同時に彼の体を取り巻いていた光の粒が消滅した。


 ああ、でももう大丈夫。

 エヴィルはやっつけたんだから。

 驚いたことにジュストくんは怪我一つ負っていない。

 もちろん炎に包まれたことで火傷もしていない。


 私は彼と輝攻戦士になるための隷属契約をしてしまった。

 エヴィルをやっつけた喜びと脅威が去った安堵感。

 それとジュストくんが無事でいてくれたことの嬉しさから彼に飛びつこうとして……


 彼がとても悲しそうな目でこちらを見つめているのに気づいて足を止めた。

 あ、あれ。どうしたの?

 ジュストくんが望んでいた輝攻戦士の力を手に入れたのに。


「ルー、これは……」

「動くなっ!」


 遠くから鎧に身を包んだ人たちが駆けつけてくる。

 十人くらいの男の人たち。

 みんな剣を手に持っている。衛兵さんだ。

 いまさら来てももうエヴィルはジュストくんがやっつけちゃったもんね。


 これだけの事件だもん。

 ただの学生が解決したってわかったら衛兵の人たちびっくりするだろうなぁ。

 ひょっとしたら表彰されちゃったりして。

 手伝った私も一緒に市長さんから感謝状をもらったり……

 ジュストくんと二人で街の英雄なんて言われちゃったりして!


 とか考えていると。


「動くなっ。抵抗しようなんて考えるなよっ!」


 あ、あれ?

 衛兵さんたちは私たちをぐるりと取り囲み、鋭く尖った剣をなぜかこちらに向ける。


「な、何ですかっ? 私たちは何もしてませんよっ。暴れてたのはエヴィルでもう彼が退治しちゃいましたから――」

「動くなと言っているっ!」


 私は思わず身を縮めた。


「連行する。大人しく武器を捨てろ」


 私は言われている意味が分からずなおも食って掛かろうとする。


「な、なんでっ? 私たちは何も悪いことはやってないの――」

「ルー!」


 鼻先にギラリと光る剣の切っ先が突きつけられた。

 ぞわわわわっ! 

 ジュストくんが腕を掴んでくれなかったら顔が真っ二つにされていたかもしれない。


「正体不明の輝力エネルギーの乱用。及び市内での戦闘行為。どう言い訳しようと許されると思うなよ、貴様らは死刑だ!」


 し、死刑……?

 って、えええええええっ!?

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