23 小説『深緑の聖女』

 読み終えた本を閉じて私は目を瞑った。


 ……。

 うっ。

 ぽろっ。

 うううっ。

 ぽろぽろっ。


「あうううっ。すごい、かんどうしたっ」


 涙が止まらないよお。

 ターニャから貸してもらったのは『深緑の聖女』っていうタイトルの小説。

 実際にあった話を元にした物語で、生まれつき輝術を使うことのできた少女ソレイユがその力を戦乱の中で利用されながらも愛しい人たちを守るべく懸命に戦うお話。


 自分の力を知ったソレイユは最初、天然輝術師であることに戸惑っていた。

 けれど戦乱をきっかけに彼女は自分自身と向き合うようになり、ついには自らの意思で生まれた国を守るために戦うことを決意する。


 まだ半分くらいしか読んでないけど、すごく面白い。

 特に自国の輝士団と敵対すること覚悟で仲間たちを救いに行くシーンはものっすごく感動した。

 その勇気に感動した王様が彼女を許してくださった場面ではついに堪えきれなくなって……


 うっ、また涙が。ちーん。ちり紙で鼻をかんでゴミ箱へ投げる。外した。

 天然輝術師について調べるつもりで借りた本だけどつい夢中になって読んじゃった。

 気がつけばもう窓の外の空はオレンジ色に染まっている。


 物語だから誇張はあるだろうけど、天然輝術師の事少しはわかった。

 ソレイユも最初は自分の力を知らないただの女の子だったみたい。

 本当に特殊な才能のことなんて気付いてもいなかった。


 ある時、預言者に自分の運命を予知され自分の中にある不思議な力に気づく。

 最初はそれがなんだかわからなかったけれど、とあるきっかけで天然輝術師の素質であることを知っていく。


 そのきっかけっていうのがまさに私が知りたかったこと! 

 ソレイユには自分の半身も同然の輝攻戦士がいた。

 名前は同郷の少年レヨン。

 山賊に襲われたことがきっかけで二人は隷属契約スレイブエンゲージを行う。

 その後、隣国との戦争でも彼は命を懸けて彼女を守った。

 ただの幼馴染だった二人は次第に惹かれ始めて……

 これからの展開は読んでのお楽しみ。


 隷属契約で力を得た輝攻戦士は力を与えてくれる人の傍でしか力を発揮できない。

 術者の輝力を体内に入れているため身も心も相手に捧げなくてはいけない。

 だから二人はいつでも一緒。

 レヨンはソレイユだけの輝士。


 なんかそれって凄いなっ。

 も、もも、もしもだよ?

 私がジュストくんと隷属契約を結んだとしたら……


 って、お、おちつけ。

 輝攻戦士になるための契約の方法も書いてあった。

 ソレイユは預言者に言われるまま心の中の光のかけら――

 つま、秘められた輝力を強く意識して、く、口移しでレヨンに分け与えることで契約は成立する。


 その儀式を境にソレイユは本格的に輝術師として覚醒していった。

 つまり輝攻戦士になるための隷属契約がすべての始まりだったんだ。

 もし自分が天然輝術師かどうか知りたかったら隷属契約をためしてみればいい。

 よし、簡単だから試してみよう。


 ……って、できるか!


 親しい男の子なんていないし。

 ああ、別に男の子じゃなきゃいけないってわけじゃないけど。

 友だちに「自分が天然輝術師かどうか確かめたいからキスさせて」って言うの?


 そ、それじゃまるっきり私変なヤツみたいじゃない。

 ぜったいにおかしくなったって思われる!


 けど……もし、その、する、としたら……。

 やっぱり、ジュ、ジュストくん、と、とか……。


 ほ、ほら、彼ってば、ああ彼って言っても付き合ってるとかそういう意味の彼じゃなくってああそんなことはいいんだけどキコウ戦士になりたいって言ってたからダメもとでも試してみるくらいならいやでも私もいちおうまだ学生の身としてはそんな簡単に男の人に唇を差し出すわけにも行かないわけでけどジュストくんになら助けてもらった恩もあるからけどもし契約が成功しちゃったりしてジュストくんはキコウ戦士になったら自分の故郷に帰るつもりだって言ってたからそうなると私もついていかなきゃいけないって事で私はこの街を離れる覚悟があるかって聞かれたら困るけどもしそうなったら彼の村で初等学校の先生なんかやりながら二人で。


 うっわあああぁーっ!


 ……はぁはぁ。

 おちつけ!

 落ち着くんだ私!


 妄想に取り込まれちゃダメ。

 今読んだばかりの本に影響を受けすぎて正常な思考ができなくなっているだけだから!

 私は別に天然輝術師じゃない!

 冷静に考えればそんな都合のいいことあるわけないじゃない!

 そもそも天然輝術師なんてただの作り話だって言ってたのに!


 小さい頃はよく自分が実はお姫様だったら……とか空想してたこともあったけど、この年になったら流石にねぇ。

 いい加減自分が特別な人間じゃないってことくらい気付いてるし。


 これ以上恥ずかしい想像してると本当に頭が沸騰しちゃう。

 そうだよ、私はいま面白い物語を読んだ直後でハイになってるだけ。

 あの夢を見た後と同じでよくわからない全能感を錯覚してるだけだから。


 すーっ、はぁーっ。

 深く深呼吸して気分を落ち着ける。

 紺色に染まりはじめた薄暗い空を見上げ昂った気持ちを落ち着かせる。


 ああ、バカな妄想しているうちにもうこんな暗くなってきちゃった。

 そろそろ晩ごはん作り始めないとお父さんが帰ってきちゃう。

 よし落ち着いてもう一度深呼吸を、


 カララン、カララン。


「はわっ! はっ、げほげほっ」


 突然鳴った呼び鈴に驚いて思わずむせてしまった。

 な、何? お客さん? 


 本をベッドに置いて部屋を出て手串で髪を整えながら玄関へ向かう。

 こんな時間に誰だろう、お父さんなら呼び鈴なんか鳴らすわけないし。

 ジルさんやターニャは予定があるはずだから違う。

 じゃあ……


 玄関の前で足が止まる。

 もしかして、ナータかな。

 謝りに来てくれた……とか。

 だとしたらどんな顔して会えばいい?

 最初に何を言えばいい?

 もう一度カラランと呼び鈴が鳴った。

 考えが纏まらないままドアを開ける。


「あ、よかった。留守なのかと思っちゃったよ」


 玄関前に立っていたのは昨日気まずいまま別れたジュストくんだった。


「じゅ、ジュストくんっ? あ、あのっ、ど、どうしっ」

「? どうしたの?」


 予想外の来客に思わず取り乱してしまう。

 ふ、不自然だぞ。落ち着け私!


「きょ、今日はどうしたんですかっ? お父さんならまだ帰ってないけどっ」

「昨日ちょっと忘れ物をしちゃって、取りに来たんだけど……」

「忘れ物? あ、ジャケット!」


 昨晩、客間に見慣れない服が置いてあったのを思い出す。

 お父さんが買ってきたにしてはサイズが小さいなとは思ってたけど、あれってやっぱりジュストくんの服だったんだ。


「うん。昨日うっかり忘れちゃって」

「ちょっと待ってて、いま取りに言って来ますから」


 リビングへ向かいハンガーに掛けておいた緑色のジャケットを取ってくる。


「これこれありがとう。よかった。学生証とかサイフも入ってたからどうしようかと思っちゃった」

「え、それじゃ昨日の馬車のお金は……」

「うん。乗ってすぐ気づいて降りた。すごく怒られたけど衛兵に通報するのだけは許してもらえた」


 そんなこと笑顔で話されても反応に困る。


「じゃあホテルまで歩きだったの? ルニーナ街まで遠かったでしょ」

「体力には自信あるんだ」


 そういう問題でもないんじゃないかな。


「うちに戻って取りにくればよかったのに」

「いやあ、もう暗くなりかけてたし女の子が一人でいる家に行くのも悪いかなって」


 別にそんなこと気にしてくれなくてもいいのに。

 私ならいつでもおっけー……って違う!

 もしかしたらナータとのことがあったから気を使ってくれたのかもしれない。

 迷惑をかけたのはこっちの方なのに。


 あれ、よく考えれば今ってまさに二人っきりじゃない? 

 玄関先とはいえ一つ屋根の下に男の人と二人っきりなんて、まるで……

 ダメだってば! 変なこと考えないの! 

 は、はなしっ、話を変えないとっ。


「だったら朝に来てくれればよかったのに。きょう一日サイフがなくて大変だったでしょ。お父さんは朝早いから馬車が運行してる時間ならもう起きてるはずだし」

「そのつもりだったけど、ちょっと道に迷って気付いたらこんな時間になっちゃって」


 ……はい?

 靴箱の上の置時計を見る。

 六時半をややまわったところ。もちろん夕方の。


「えっと、つまり早朝からずっとうちを探して歩いていたと」

「いや昨日はホテルに戻れたのも明け方近くだったから、正確には十時くらいからかな」


 本物だ! この人、本気で本物の方向音痴だった!

 ルニーナ街からうちまでは結構な距離があるから歩いたなら一時間くらいかかる。

 けどいくらなんでも八時間以上もかかるなんて事があるわけない!

 それだけあれば市内を縦に往復できる!

 私は内心の驚きを顔に出さないよう、できるだけ穏やかに対応することにした。


「そ、そう。じゃあ疲れてるよね? お茶でも煎れるから上がっていってよ」

「ううん。これから役所に行かなきゃいけないからまた今度にするよ。ありがとうね」


 そ、そうなんだ。ちょっと残念。

 けどやっぱりマズイよね。

 しばらくフィリア市に滞在するのに道が分からなくなっちゃったりするのは。

 これはチャンスかも。今なら……

 うん、思い切って。


「あの、また来てくださいね。よかったらまた市内を案内しますから」


 ちょっと顔が赤くなっているかもしれないけれど、彼とお近づきになるには自分から積極的にいかなきゃ。

 ジュストくんは微笑んで「また来るよ」と約束をしてくれた。

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