24 雨の日の小さな演奏会

 それからの数日、ジュストくんはほぼ一日おきのペースで家に来てくれた。

 さすがにホテルから家までの道のりくらい覚えたのか、もう迷うことはなかったみたい。

 午前中はお父さんの研究所で課題をこなして午後は特別な用がなければ私に会いに来てくれる。


 二人で市内を歩きながらいろいろな話をするだけ。

 一方的にしゃべる私にジュストくんは嫌な顔一つせずつきあってくれる。


 夏休み直前のため学校は午前中で終了。

 私はまいにち彼と会える時間を楽しみにしていた。

 先日のナータとの件のことは話さなかったし、ジュストくんも気を使ってくれているのかその話題を出すことはなかったけど、それでも話は尽きなかったしなんでもないことで会話を盛り上げることができた。


 ある日ジュストくんが家に来ると同時に雨が降り出した。


「まいったな。これじゃ外に出ない方がいいかも」

「ね、よかったら今日は家でゆっくりしていかない?」


 一緒にいたい一身で引き止めると彼は快諾してくれた。

 ジャケットを脱いで壁にかけるジュストくんの背中を見ながら私は紅茶をテーブルに運ぶ。

 お茶菓子を棚から出そうとするとジュストくんの興味深げな声が聞こえた。


「あれ見せてもらっていい?」


 壁に立てかけてある木製の年代物のアコースティックギター。

 彼はそれを手に取って左手でネックを握った。


「これルーチェの?」

「ううんお父さんの。ジュストくん、ギター弾けるの?」

「少しなら。上手くはないけどね」

「すごい! ちょっと弾いてみせて!」


 手を叩いてお願いするとジュストくんは椅子に腰掛けて照れたように笑いながら演奏を始めた。

 流れるようなアルペジオ。

 古びた見た目とは裏腹に一つ一つの音がよく響く。

 春風を思わせる穏やかなメロディーから緩やかなアップテンポに変わる。


 ……あ、これ知ってる。


「『風の便り』?」

「うん」


 ジュストくんが頷く。

 こっちを向いても演奏に乱れは無い。

 ファーゼブルの歌手グリージオの『風の便り』は一昔前の有名な曲で、うちにも風音盤レコードがある。


 ギター、上手だなぁ。

 なんか私も……ちょっとだけいいよね?


「――Io volo al……」


 演奏に合わせて口ずさむ。

 ジュストくんは驚いた顔でこちらを向いた。

 目で「続けて」と合図すると彼は再び弦を叩いた。

 彼が奏でる音に合わせて私も歌う。


 ♪Io volo al luogo dove è Lei.

  I miei sentimenti non cambiano anche se non è possibile a ritorno.

  Io divengo un vento blu ed uno.

  La melodia di Suo e le mie ricordi sono cantate.

  Io sarò anche capace incontrarLa se fa così.


 ボーカルパートが終わりギターの独奏に。

 メロディーに乗せた想いが風に運ばれるように遠く離れた地にいる大切な人のところへと飛んで行く。


 ジャ、ジャ、ジャン。三度和音をかき鳴らしフィニッシュ。

 ……う、うわっ。調子に乗って歌っちゃったけど、恥ずかしいぞっ。


「す、すごいすごいっ。ジュストくんすごい上手いねっ」


 私は照れ隠しのため大げさに拍手してジュストくんの演奏を褒めた。

 けど本当、上手だったのは本当。

 うちのクラスの合奏部の人にも負けてない。

 演奏を終えジュストくんはギターをベッドに横たえた。

 ちょっぴり頬が紅潮している。


「ありがとう。下手だって言われたらどうしようかと思ってた」

「そそ、そんなことないよ。すっごく上手」

「それよりびっくりしたよ、僕なんかよりもずっとルー……」


 ジュストくんが口ごもった。


「ごめん、やっぱり女の子を呼び捨てにするのは気が引けるかも」


 えーっ。せっかく親しみを込めて呼んでもらえたと思ったのに。

 またさん付けに戻るのはやだなぁ。


「友達にはなんて呼ばれてるの? 愛称とかあるでしょ」


 愛称? っていっても私は本名が短いから友だちも本名で呼ぶ。

 ナータは「ルーちゃん」って呼ぶけどそれって子どもの時の呼び方をそのまま呼んでいるだけだから、逆に恥ずかしいかも。


「えっと、友だちにも名前で呼ばれてるから……あ」


 あ、いや、あった。

 私が小さい頃、ベラお姉ちゃんしか呼ばかったけど名前をもっと短くした呼び方。


「ルーって呼ばれてたことはあるよ」


 初等学校に入るくらいから呼ばれなくなった。

 理由は忘れたけど確か私が嫌だって言ったような気がする。

 それからお姉ちゃんも名前で呼ぶようになった。


「それいいね。ルー、可愛いんじゃないかな」


 え、可愛い?


「イヤかな」

「う、ううん! イヤじゃない!」

「だったらいいよね。ルー。元気な君にぴったりだと思うな」


 ルー。そっか、アリなのかぁ。

 う、うん。いいかも。

 そう言われてみれば可愛いかもっ。

 愛称で呼ばれちゃった。男の子に、ジュストくんに。

 どうしよう超嬉しいかもっ!


「話を戻すけどルーって歌上手なんだね」

「あ、あはは。わ、私これでも中等学校の頃は合唱クラブだったんですっ。音楽を聴いてるとつい歌いたくなっちゃってっ」


 やだぁ。舞い上がっちゃってる。


「すごく綺麗な歌声だった。歌ってるときは雰囲気変わるんだね」

「よくいわれます」


 歌う時の声は意識しないと少し低めになる。

 自分ではそんなに上手いとも思ってないけど褒められるのはやっぱり嬉しい。

 自然に頬がゆるむ。

 ジュストくんも微笑んでいた。

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