16 いつも見る夢
「ただいまー」
返事がないのはわかってるけど、習慣的に言っちゃうよね。
だって黙って家に入るのって寂しいじゃない?
いつものように家には誰も居なかった。
お父さん、また研究で忙しいのかな。
二階の自室に駆け込み鞄を放り投げてベッドに倒れむ。
「はふ」
枕を抱きしめて小さくため息を吐く。
仰向けになってしばらくそのままぼーっとしてた。
閉じたままの薄緑色のカーテン、その隙間から漏れた光が埃をキラキラ照らし出す。
部屋の中は薄暗いけどわざわざ起き上がるのはおっくうだからそのままで。
はぁ。
下校中もずっと昨日のことを考えていた。
ピンチを救ってくれたカッコいい男の人。
勇敢な輝士さま。颯爽と現れて悪い奴らをばたんばたんとなぎ倒して私を救ってくれた。
ナータたちは疑ってたけど、絶対にあの人は悪い人なんかじゃないよ。
だって本当にすっごくすっごくかっこよかったんだもん!
凛々しいお顔。圧倒的に強い洗練された剣術。私に向けてくれた優しい笑顔。
思い出すだけでぽわわーってなっちゃう。
ああ。私ってゲンキンだなぁ。あんなに怖い目に会ったのに。
もう少しで本当に危ないところだったのに、こんなにドキドキしてる。
昨日、隔絶街に行ってよかったなんて思ってる。
ああもう一度会いたいな……
そんなことを考えているとだんだんと瞼が重くなってきた。
瞳を閉じて眠気に誘われるまま意識を沈める。
※
…………。
……。
わあっ!
はぁ、はぁ……。
……えっと、ここは…………私の部屋、だ。
ああ、びっくりした。
またあの夢を見た。
燃える街で破壊の限りを尽くすエヴィル。
炎の輝術で戦う私。となりにいるのはいつも同じ輝士。
目が覚めると決まって記憶が混乱していて夢と現実の境がごっちゃになる。
何回見ても慣れない、リアルな夢。
夢の中の私は一流の王宮輝術師でも使えないような術を使っている。
ふと鞄から転がり出た一冊の教科書が目に止まる。
近代史の教科書。それを手にとってパラパラとページを捲る。
『――十五年前まで私たちの住む人間世界ミドワルトは異界の魔物エヴィルによる侵攻を受けていた。世に言う魔動乱である。
大昔にはミドワルトにも生息していたエヴィルであったが、長い生存競争の果てにそのほとんどが駆逐され姿を消した。
しかし二十数年前、突如として世界各地に次元断層が出現し(→p98コラム【ウォスゲート】)その中からエヴィルが大発生するという事件が起こった。
ミドワルトと表裏一体となるもう一つの世界が存在する可能性は以前から示唆されてきた。
異世界より現れた魔物達は世界を未曾有の大混乱に陥れる。
動乱初期、世界各国は圧倒的な力を持つエヴィル相手に各国は消極的な対応しかできなかった。(→p102コラム【冒険者ギルド】)
ウォスゲートの調査、小規模な討伐隊の編成など国家同士の連携も取れないままに人類は長く辛い戦いを強いられることになる。
多くの若者が兵士として、あるいは冒険者としてエヴィルと戦い命を散らせていった。
そんな地獄のような時代を終わらせたのはたった五人の冒険者だった(→p103コラム【五英雄】)』
よっと。
歴史の本を枕元に投げ出して、私はベッドの淵に腰掛けた。
日が沈みかけてきているのですでに室内は薄暗い。
目を閉じて言葉を呟く。
「パワー、オブ、ブライトネス、ドロウ、イン、ザ――」
北部古代語で唱える
この言葉が導くのはナータがこの前の授業で使った術。
頭の中で眩い光が室内を照らす光景をイメージしながら長い言葉を正確に紡ぐ。
「――アンド、ライトアップ、アン、エリア……
発動の鍵となる術名を叫ぶと同時に私は両手を前に差し出した。
けど部屋には何の変化も訪れなかった。
わかってるけど、がっくりしちゃう。
現実の私はもちろん輝術なんか使えるわけがない。
でも夢の中の出来事があまりにリアルで心地よかったから、目が覚めるといつもこんな風にむなしい気持ちになってしまう。
ああもう。気持ちを切り替えよう。
顔を洗ってすっきりしてこよう。
部屋を出て階段を下りるとリビングから話し声が聞こえてきた。
まだ日も沈んでいないのに、こんな早くにお父さんが帰ってるのかな?
玄関には靴が二足増えていた。一足は黒い革靴でいつもお父さんが履いているやつ。
もう一足は……見覚えがない。動きやすそうな茶色い靴。
職場の人かな?
挨拶くらいはしておいた方がいいよね。
とりあえず顔を洗って寝癖を確認。
できるだけ礼儀正しく思われるようゆっくりと歩いてリビングへ向かう。
音を立てないように丁寧にドアを開けた。
「失礼しま――」
す。
と言おうとして、固まった。
「おお帰ってたのか」
お父さんの声に反応するのも忘れて私は呆然としていた。
その向かいの椅子に腰掛けた人に視線が釘付けになっていたから。
茶色い髪に、端正な顔立ち。
きちんとした革の服を纏った二十前後くらいの若い男の人。
彼が座る椅子には鞘に収められた立派な剣が立てかけられているけど、あれは本物じゃなくって訓練用の銅の剣だってことを私は知っている。
「おじゃましてます」
ちょっと照れたように男の人は頭を下げる。
それは昨日、隔絶街で危ないところを助けてくれた人。
勇敢にも隔絶街の男たちに立ち向かって私を救い出してくれたとても強い輝士さま。
彼がいま、リビングで私のお父さんと向かい合って紅茶を飲んでいた。
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