15 彼は良い人? 悪い人?

「……ここ二十数年の間に発達した機械マキナ技術は私たちの生活をとても便利なものにしました。しかしその反面輝術による利便性は失われ、近年の輝術習得者の減少に繋がりました。これは輝工都市内における文化の成熟という……」


 透き通った青い海。

 抜けるように晴れ渡った空は遠くにいくほど白みを増す。

 水平線の向こうに入道雲がわきあがっているのを見ると夏なんだなぁって実感する。


 南フィリア学園のいいところを一つ挙げろって言われたら、私はまず教室からの景色が素晴らしいって答える。

 青の国ファーゼブルを代表するような風景。

 それを私は近代史の授業中ずっと海を眺め続けていた。


「しかし薬学や建築学、金属精錬などの分野においてはまだまだ輝術を必要とする専門家が第一線を担っており、数百年続いた輝術文明が全て機械文明に成り代わるのはまだまだ先のことだと……おっともう時間ですね」


 近代史の先生が教科書を閉じると、解放を告げるチャイムが鳴り響いた。

 授業が終わると同時に後ろの席のジルさんが話しかけてくる。


「よっ、どしたんだ。ボーっとしちゃって。何か悩み事か?」

「え? なんで?」

「ずっと上の空だったろ。よかったら相談に乗るぞ」


 そ、そうかな? 別に悩んでる訳じゃないんだけど。

 疲れているのは昨日いろいろあったせいだと思う。

 昨日は本当に大変な一日だった。

 小さい子に騙されて誘拐されそうになった。

 悪そうな男の人たちに囲まれて、もうダメだって思った。

 

 けど。

 男の人に助けてもらっちゃった。すごいカッコイイ輝士さまに。 

 いくつもショックな事が続いた中で それらを帳消しにするくらい一番鮮明な印象として残っている。

 ナータが言うように私はあの人が悪いやつらの仲間だなんて思えない。

 危ないところに颯爽と現れて私を助けてくれた。

 思い出すだけで胸が熱くなる。

 素敵な人だったなぁ。


 ああ、どうして私はあの時ありがとうございましたの一言が言えなかったんだろう。

 そういえば名前も聞いてないや。


「ど、どうしたんだ? 今度はいきなりニヤけて」


 あ、顔に出ちゃってたかな。


「何があったの?」


 隣の席のターニャも教科書を閉じて話に入ってくる。


「あのねぇ」


 私は昨日の出来事を順を追って説明した。

 と、話をしている途中でジルさんが突然大声を出した。


「隔絶街に入り込んだぁ!?」

「はうっ?」


 び、びっくりした! なに突然!


「だ、大丈夫だったのか? ナータは一緒だったんだろ? ああって言うか、なんで隔絶街なんかに。隔絶街なんてルーチェが行くような場所じゃないよ。隔絶街は……」

「ジルちょっと静かにして。皆見てるよ」


 すっかり興奮してしまっているジルさんをターニャが窘める。

 いつの間にか教室中の注目を浴びている。

 しかもジルさんってば隔絶街、隔絶街って連呼するもんだから周りの視線がなんだか痛い。

 あちこちからひそひそ声が聞こえてくる。

 周りから変な勘違いされてなきゃいいけど。


「あ、あのほら。私はこうして無事なんだから。ちょっと話を聞いて。ね?」

「ああそうか。無事だったのか。よかったなぁ」


 ジルさんは心から安心したように胸を撫で下ろした。

 心配してくれるのは嬉しいんだけど、ジルさんってばナータ以上に早とちりなんだから。

 何かあったんなら私は今ここにいないよ。

 想像したくもないけど。


「そっか、だからナータはまだ来てないんだな」


 そういえばナータはまだ学校に来ていない。

 急に休む事なんてめったに無いから珍しいなあ。

 ところでどうして私が隔絶街で襲われるとナータが学校に来ないのが関係あるんだろう?


「で、その後どんないい事があったの?」

「そうそうそれでね……」

 

 ターニャが話の続きを促してくれたので私は一番肝心な場面を説明した。

 絶体絶命のピンチになったとき、颯爽と現れて助けてくれた輝士さま。

 すっごくカッコよくってすっごく強かった。

 思い出すと今でも興奮しちゃう。


「本当にカッコよかったんだから! 銅の剣でバシバシぃっ! って次々と悪い奴らをやっつけちゃって。もう最高に……あれ?」


 人が身振り手振りを交えて必死に説明しているっていうのに、二人は何故か気の毒そうな顔で私を見ている。

 やがて二人はおずおずと口を開いた。


「あのなルーチェ、言いにくいんだけど……」

「多分ナータの言うとおりだと思うよ」


 な、なんで!

 二人とも私の説明の何を聞いてたの!


「そんなことないよ! 二人は見てないからわかんないだろうけど、すごく真面目で優しそうなひとだったもん! 悪い人なんかじゃないよ!」


 はぁ、なんて二人そろってため息ついてる!


「そうだな。危ないところを助けてもらったなら、そんな風に考えちゃうよな」

「けどやっぱり輝士証を見せられないのは怪しいよ」


 うう違うんだってばぁ。どうして二人ともわかってくれないの?


「輝士証なんかついうっかり忘れちゃったのかもしれないじゃん。もしかしたら休暇中に偶然通りかかったのかもしれないし」

「あのな、ルーチェ……」


 ジルさんが頭をぽりぽり掻きながら何かを言おうとした時。

 ドタドタドタ……と神聖な学園に似つかわしくない足音が聞こえてきた。

 誰かが廊下を猛ダッシュしている。先生に見つかったら怒られちゃうぞ。

 足音は私たちの教室の前で止まる。勢い良くドアが開いた。


「うぃっす!」


 足音の主はナータだった。

 可憐な見た目にそぐわない元気な挨拶と共に教室に入ってくる。

 昨日からやたらと唐突な登場が多いなこの娘は。

 ナータはズンズンと足早にこちらに向かって来る。


「ルーちゃんおはよっ!」

「おはよう。珍しいね遅刻なんて」


 ナータは私の質問に答えず鞄の中から何かを取り出して机に置いた。


「あっ、私のサイフっ!」


 それは昨日なくしたはずのサイフだった。

 ドサクサ紛れで盗まれちゃったはずの。


「落ちてたわよ」

「ど、どこに?」

「広場の停留所近く。ちょっと用があってそばを通ったんだけど、落ちてたからついでに拾っといたわよ……あ、けどお金は抜き取られてたみたい」


 わーい、それでも嬉しいよ!

 ベラお姉ちゃんからもらった大事なおサイフだもん。

 元のピンクは色あせてすっかり白くなっちゃってるけど、今でもお気に入りなんだから。

 あれでもおかしいな。ルニーナ街に着いたあたりまではポケットに入ってた気がしたんだけど……馬車に乗るときに落としたのかな。

 まあいっか。みつかったんだし。


「ナータ、ありがと!」

「いやいやついでによ」


 ぱたぱたと手を振るナータ。その彼女にジルさんが冷ややかな声をかける。


「別の用、ね」

「何よ」

「あんま危ないことすんなよな」

「あんたにだけは言われたくないわ」


 何の話してるんだろうね。


「ともかくルーちゃん。昨日はあたしも悪かったわ。ごめんなさい」

「え? なんでナータが謝るの?」

「あたしがちゃんとルーちゃんを保護していれば危ない目には合わせなかったのに、ちょっと目を離したばかりに……」


 なんだか言い方が気になるけど本当に心配してくれていたんだよね。


「そんなことないよ。ちゃんとナータは来てくれたじゃない。それに本当に危険な目に遭う前に輝士さまが助けてくれたからぜんぜん――」


 輝士さま、と言った瞬間三人の周りの空気が一変した。


「なあナータ、これってやっぱり……」

「うん、本当に危ない所だったわ」

「もう隔絶街には近寄らない方が良いね。もう一押しだったと思われてたら次も狙われる可能性があるよ」

「確かに肝心のルーちゃんがこれだから、まだ気は抜けないわね」


 ……三人とも、シツレイだよ!

 私が騙されてるって決め付けてる!

 

 どうして? なんでみんなして悪い人だなんて言うの?

 あんなに優しそうな人だったのに!


「ともかく、もし街中で昨日の男を見かけても絶対に話しかけちゃダメよ」

「なんで? 街中なら心配ないじゃん」

「ダメなの。気を許したらまた連れ去られるかもしれないのよ」

「そんなわけないよ。あの人は本物の輝士さまだから心配なんてないもん」

「だからそれが思い込みだって言ってるの。いい? 未然に防げる危険なのよ。ルーちゃんさえしっかりしてれば危ないなことはないんだから!」


 むー。どうしてそう疑り深いかなぁ。

 いいじゃない別に。隔絶街じゃないところで誰と話したって。

 それにナータは私がまた誘拐されるみたいに言ってるけど、私はお礼が言いたいだけだもん。さすがにホイホイと知らない人に着いていったりはしないよ。

 ……うん、もう二度と。


「ああ心配だわ。ジル、あんた今日この娘を見張っててくれない?」

「なんでだよ。お前が一緒にいればいいだろ」

「今日は予定があるのよ。前々からの約束だから断るわけにいかないし」

「あたしも今日は練習に行かなきゃなんないんだよ」


 なんか二人が勝手な話をしてる。


「あのさ」

「ターニャは?」

「ごめん。私も今日はちょっと……」

「ああ……どうしよう」

「ねえナータ……」


 心配してくれているのはわかるけど、こうも私の意見を無視されると腹も立ってくる。ナータってば私をちっちゃな子どもと勘違いしてるんじゃないの?


「いくら助けてもらった恩があるからってよく知らない人に着いて行ったりしないよ。私だってそれくらいはわかるつもりだよ」


 ナータに比べれば私はトロいけど、反省できないほどバカじゃない。隔絶街の人じゃなくても誘われるまま知らない男の人について行ったりしない。

 昨日のは、ほら。小さい子が困ってたんだから助けようとするのは当然でしょ?


「うん、そうね……」


 ナータはまだ心配そうな顔をしてるけど、とりあえず納得してくれたみたい。

 

「ならいいけど……でも隔絶街に行くのだけはやめなさいよ」

「行かないよ!」


 お礼をしたいとは思うけど、そのためにあんな恐ろしい街に行こうなんて絶対思わない。頼まれたって二度と行くもんか。


「心配しないでも今日は真っ直ぐ家に帰るよ」

「ああそうね。それがいいわ」


 本当に心配性って言うかなんていうか……

 けど昨日もナータの言うことをちゃんと聞いていれば助かったんだよなあ。

 やっぱりうかつな行動は反省するべきかもしれない。

 そうこうしてると、二時間目の予鈴のチャイムが鳴った。


「あ、そう言えば……」

「何? まだ何かあるの?」


 注意されるのはいいけどあんまりしつこいとうんざりしちゃう。


「ルーちゃん、昨日の宿題はやったの?」


 ………………?

 あ。思い出した。 

 昨日の居眠りの罰として教科書の課題をやってくるように言われたんだった。

 完っ全に忘れてた。


「あのさナータ。お願いがあるんだけど」

「絶対に知らない人についていかないって誓うなら聞いてあげてもいいわよ」

「ちかう。だからお願い、ノート見せて」


 やれやれねと肩をすくめながらもナータはノートを貸してくれた。

 私はそれを受け取ると猛烈な勢いで作業に取り掛かった。

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