11 隔絶街
店を出てすぐに見えた赤い看板を言われた通り右に曲がる。
どことなく薄暗いのは建物が色あせているせいかな。
人通りは少ないけど人が全くないわけじゃない。
買い物帰りらしいおばさんや、本を読みながら歩いている学生らしい人もいる。
確かに南部とは雰囲気が違うけど、この辺りにはこの辺りなりの生活があるんだっていうのがわかる光景だ。怖そうな場所なんて言っちゃ失礼だね。
ナータが言っていた公園はすぐに見つかった。目的の場所は入り口すぐ近く。壁にはドクロの絵柄だとか、よく意味の分からない古代語だとかの落書きがされている。
……思っちゃいけないと思ってもこういうのを見るとやっぱり怖い場所なんじゃないかって考えちゃうよ。
だ、大丈夫。公共のトイレをお借りするだけだから。
中もまたお世辞にも綺麗とは言えなかった。と言うかはっきり言って汚い。床も壁もほとんど掃除された形跡がなくってひび割れや落書きでいっぱいだった。こういう場所に来るとなんだか気分が滅入っちゃう。
できるだけ長居はしたくないので個室に入って手早く済ませた。
外に出るとなんだか雲行きが怪しかった。さっきまであんなに晴れてたのに。
この上、雨なんかに降られたら最悪だよ。私は走って古着屋へ戻ることにした。
「いたっ」
公園を出て道を曲がったところで横から誰がぶつかってきた。
な、何よっ。もう。
文句を言おうと振り返ると小さな子が地面に尻餅をついていた。
「あ、だ、大丈夫?」
子ども相手じゃ怒れないし、それより怪我が心配だ。
私が差し伸べた手を彼は恐る恐る握り返す。
「あ、ありがと」
十歳くらいの可愛い顔をした男の子。
けど髪はボサボサで服も随分汚れている。
「前見て走らなきゃあぶないよ」
しゃがみ込んで目の高さを合わせる。と、途端に男の子の表情が変わった。
「お、お姉ちゃん。助けてっ」
「え?」
悲しみと不安が入り混じった悲痛な顔で男の子は私の肩を揺すった。
「大変なんだ、妹が、妹がっ」
「まずは落ち着いて、ね? お姉ちゃんに話してごらん?」
この慌てようはただ事じゃない。肩を抱いて安心させようとするけれど男の子はちっとも落ち着いてくれない。
「妹が、向こうでっ。血がいっぱい出てて呼んでも返事しなくて、病院に連れてってあげたいけど運べなくって、誰か大人の人いないかって探して」
「それはどこ?」
男の子は取り乱しているけれど言いたいことは大体わかった。
妹が大変な怪我をしていて助けになる人を探しているってことらしい。
この子の妹だったら七、八歳か、もしかしたらもっと小さいかもしれない。
「私が行くから場所を教えて。君はもっと大人の人を探して来て」
そんな子が怪我をしているのを放っておける訳ない。
「あ、でも口じゃ説明できないから、ついてきて」
少し迷う。私だけじゃたぶん適切な処置はできない。
それよりももっと大人の人を呼んできた方がいいはず。
「お願い早く、しんじゃうかもしれないの!」
せめてナータに……ううんそんな暇はない!
「わかった、案内して!」
男の子に案内されるまま私は古着屋とは反対方向に向かって走った。
この辺りに来ると空き家が多いのか建物はあるのに人気が全くない。
三百メートルくらい走ったのに誰ともすれ違うこともなかった。
前を走る男の子をよく見ればその服は古いどころか継ぎはぎだらけで、とてもまともな生活を送っているとは思えなかった。
近づいてみてわかったけどすこし臭いもキツイ。
髪の毛も随分洗っていないみたい。
家が貧乏……ううん、ひょっとしたら家もないのかもしれない。
そういう人たちが寄り集まって暮らすのが隔絶街っていう場所だ。
住人たちはその日を生きるのに精一杯で、周りに構っていられるだけの心の余裕はない人たちばっかりだって聞いた。
だからこの子も満足に人の助けも借りられなくて……
そんなのあんまりにもかわいそう。
さらに行くと道がなくなった。
いや、道はあるんだけどここまでの石畳が急に途切れて地面がむき出しになっている。
周りの建物も適当な木材を寄せ集めて作ったようなとても簡素なものばかり。
どこからともなく悪臭が漂っている。
人が住めるような環境だとはとても思え得ない。
隔絶街。
多分ここから先がそうなんだ。ここを境に街の常識は通用しなくなる。
私は一瞬このラインを超えるのをためらったけど、男の子が躊躇なく駆けていくのを見て勇気を奮い立たせた。
そうだよ。小さな子が怪我をして大変なんだもん。怖いとか言ってる場合じゃない!
狭い路地裏に入っても男の子はそのまま走り続ける。
「ま、まだなの? 妹がいる場所は」
だいぶ奥まで来てしまった。
不安になって声をかけると男の子の足が止まった。
「どうしたの? この辺りなの? それとも道を間違え――」
「あはははははははっ」
「な、何?」
突然笑い出した男の子に私はぞくりと背筋が震えるのを感じた。
ゆっくりと振り返った男の子はさっき取り乱していた子と同一人物だとは思えなかった。
冷たく目を細めて嫌らしく口元を歪めている。
「お姉ちゃんバッカだぁ。まだ気づかないの?」
「な、何が?」
聞き返す声が震えていたのが自分でわかった。嫌な予感が全身を駆け巡る。
路地のあちこちから人が集まってきた。
「ひっ」
現れた男たちは一様に覇気のない暗い表情をしている。男の人ばかりが六人。
皆ボロボロの衣服を身に纏い、一見してまともな生活を送っていないことがわかる。
「妹なんかいないよ。お姉ちゃん、騙されたってまだ気付かない? 最初から人を連れてくるのが目的だったのさ」
男の子はさっきまでとは別人のような淡々とした冷たい口調で私に告げる。
――なあんだ。冗談だったのかぁ。
ってことは誰も怪我なんてしてないんだね。
よかったぁ。お姉ちゃん騙されちゃったよ。
けど本気で心配したんだからね。
もうこんな嘘ついちゃだめだよ。お姉ちゃんとのお約束。
なんて、そんな笑い話で済ませられる状況じゃない。
ナータは気をつけろって言ってたのに。
私はまんまと騙されちゃったらしい。
けどまさかこんな小さな男の子が……
「ほらどうだよ? ちょっとガキ臭いけど、そこそこ上物だぜ。こいつ譲ってやるから上納金の不足分は勘弁してくれよ」
まるで人攫いみたいなことを男の子は後から現れた大柄の男に言った。
次の瞬間、突然男の子が蹴り飛ばされた。
「……え?」
めまぐるしく変わる状況に頭の整理が追いつかない。
「このバカガキ! 誰が女を攫って来いって言った! 衛兵にでも見られたらどう責任とるつもりだったんだ!」
「ぎゃあっ!」
大柄の男が倒れた男の子のお腹を踏みつけた。振り上げた足を頭に乗せぐりぐりと体重をかける。
「恩を仇で返すようなマネしてみろ。タダで済むと思うなよ」
「痛い、痛いっ! ごめんなさい、ごめんなさいっ!」
男の子は悲痛な声で謝罪の言葉を繰り返す。
余りに酷い信じられない光景にボーっとしていた私の意識が覚醒する。
「や、やめてっ!」
気がつくと思わず叫んでいた。
全員の視線がこちらに集中する。暗くいやらしい六組の瞳が私を見た。
「なんだいお嬢ちゃん」
「そ、その子から、足をどけなさいっ」
声が震える。膝がガクガクする。
怖い。こんな大きくて凶悪そうな人、まともに顔を見ることさえ恐ろしい。
しかもこの場所は市の法律も及ばない。
もし彼らを怒らせてしまえばどんな目に合わされるかもわからない。
冗談じゃ済まない。
けど、言わずにはいられないよ!
「乱暴は、ダメっ。子どもなんだから、やさしくっ」
必死に声を出そうとするのに、擦れ声になってしまう。男たちが笑う。
「な、何がおかしいんですかっ」
「お嬢ちゃんいい娘だなぁ。あんたこのガキに騙されて連れて来られたんだぜ? ただのイタズラじゃねぇ。ここに足を踏み入れた女がどんな目に合わされるか想像つくだろ?」
なんとなく言っている意味はわかる。そんなこと想像したくもないけど自分がどういう立場なのかは理解しているつもりだ。
「で、でもっ。子どもに暴力を振るうなんて最低です」
「言われなくてもなぁ。あんたらから見れば俺らはゴミみてぇな存在だろうよ」
大柄の男は歯軋りをして私を睨む。
「そ、そういう意味じゃ……」
「まあ俺も意味のねえ暴力は好きじゃねえ。止めてやってもいい」
「本当ですかっ」
意外な言葉に私は驚いた。男の足がゆっくりと男の子から退けられる。
わかってくれた! そうだよ、暴力なんてダメだよ。こんなところに住んでるからやっぱりいろいろと厳しいルールがあるんだと思う。けど本当は誰だってこんなことしたくないはず。
それを誰かが言わなくちゃいけなかったんだ。私の思いが通じたんだ。
「あ、ありが……」
「ただし」
お礼を言おうと近づくと、大柄の男がおもむろに私の胸倉を掴み上げた。
「ひっ」
「タダで見逃しちゃ他の者に示しがつかねえ。コイツの努力を認めてやらなきゃなぁ」
「な、何を……」
「わかんねぇか? コイツが最初提案した通りお嬢ちゃんを買ってやるっていうんだよ。代金はガキを半殺しで許してやるってことでどうよ?」
背中に氷を当てられたようにゾッとした。
買われる? 私が? この人たちのモノにされちゃうってこと?
「や、やだあっ!」
逃れようと暴れるけれど大柄の男はしっかりと私を捕まえて離さない。
「うるせえ。どっちにせよここに来た時点でこうなることは決まってたんだよ。恨むんなら騙された自分と騙したガキを恨むんだな」
「やだ、やだっ! やめ……あがっ」
大柄の男の拳がお腹にめり込んだ。あまりの痛みに声も出せず私の意識は沈む。
「んじゃちょっと付き合ってもらうぜ」
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