7 お泊まり
暖かい白いご飯と手作りの料理が並ぶ食卓。
「いただきます」
ああ、温かいスープが美味しい。
私たちはジルさんの家で夕飯をご馳走になることになった。
明日は休みだし今日はうちのお父さんも仕事で遅くなるし、今から帰って自分のためだけに食事を作るのも面倒だって言ったらジルさんの方から誘ってくれた。
ジルさんとターニャの両親は貴族会で留守らしい。
せっかくなのでお言葉に甘えることにした。
日が暮れて先に切り上げてきたらしいターニャも合流する。
「ジル、ちょっとソースとって」
「あいよ」
もちろんナータも一緒だよ。
ナータは一人暮らしなので基本的にいつも夜は暇らしい。
ごちそうになることを全く遠慮せず料理も手伝わないでゴロゴロしていたけれど、ジルさんも別に文句を言わなかった。
口げんかはしょっちゅうだけど本当は二人がとっても仲がいいんだよね。
「メーラちゃん、うまくいってよかったね」
ジルさんお手製のコロッケを小皿に取りながら夕方の出来事を振り返る。
「ちゃんと野菜も食べなさい」
「あっ。わ、わかった、わかったからトマトは入れないで」
目ざとく私のお皿の単色具合を見とがめたナータが勝手にサラダを盛る。
でもコレは無理。私はトマトだけを取り除いてナータのお皿に移した。
「けどさ、本当にそれでよかったのかな」
ちまちまとコロッケをばらしていたターニャがボソリと呟いた。
貴族会を早めに切り上げてきたらしいけどなんだかお疲れの様子。
今日一日のできごとを彼女にも話したけれど難しい顔で聞いていた。
「なんで? 相手の男の子も楽しそうだったよ。ねっ、ジルさん」
「ああ、仲良さそうだったな」
「でもどうなのかしらね実際」
ジルさんは同意してくれるけどナータもターニャと同じくあまりいい顔をしていない。
「なんで? 何が悪かったの?」
「その子ってお父さんの仕事についてきただけなんでしょ。滞在期間が過ぎたら外の町に帰るんだよ。すぐ離ればなれになっちゃうじゃない」
うっ、それはそうだけど。
相手の男の子はフィリア市の子じゃない。
国内の他の
国外はもちろん国内でも都市民とそれ以外では権利や生活環境もまるで違う。
「でも、でもさ。少しでも一緒にいられるならいいじゃない」
たとえ短い時間でも好きになった相手と一緒にいたいって気持ちは……仕方ないんじゃないかな。
「ま、その子もわかってると思うけどね。一日だけでも楽しくできれば良い思い出になったと思うよ」
「そう、そうだよね!」
ずっと一緒にいられないのは辛いけどせっかく仲良くなれたんだから、あの子がフィリア市にいる間くらいは楽しくできたらいいと思う。見た感じあの子のお父さんは反対してなかったみたいだしあとはメーラちゃんが両親にバレなければいいよね。
「でもさ、好きになったらずっと一緒にいたいと思うんじゃない?」
ナータがお皿に視線を落としたままスプーンで野菜を切り取りながら言う。
「だから良かったのかはわからない。男の子の方が市民権を得るか、もしくは女の子が街を出ないとずっと一緒にはいられないもの」
「離れ離れになるなら最初からうまくいかないほうがよかったってこと?」
「そういう意味じゃないけど」
私にはわかんない。そこまで人を好きになったこともないし、生活を捨てる決意なんてかなんて考えてみたこともない。
「そ、そういえばさ、もうすぐ夏休みだよな。みんなで時間見つけて泳ぎに行かないか?」
「いいわね。あたしも土日はけっこうヒマよ」
重くなりかけた雰囲気に耐えられなかったのかジルさんが場を和らげようとして楽しい話題を振ってくれる。ナータがそれに乗り、ふんわりとした空気が食卓に戻ってきた。
と、家のどこからか音楽が聞こえてきた。
風話機の呼び出し音みたいだけどジルさんは立ち上がらない。
人の家のことだし気にせず会話を続けていると、やがて音楽は止まった。
コンコン。
部屋のドアを誰かがノックする。
「ジーリョ、入るぞ」
ドアが開き見上げるくらい背の高い男の人が入ってきた。
ジルさんと同じ茶色い髪に超がつくほどの美形! ジルさんのお兄さんのフォルツァさん。
ちなみにジーリョっていうのはジルさんの本名だよ。
「なんだよアニキ。勝手に入ってくんなよ」
家族相手にジルさんは普段より男の子っぽい喋り方をする。
仲が悪いってわけじゃないみたいだけどこの距離感は男の兄弟がいない私にはよくわからない。
「お前に用はない。ルーチェさん、親父さんからだ」
「私ですか?」
用件だけ伝えてフォルツァさんはどこかに行っちゃったのでジルさんに案内してもらって
箱型の風話機から保留中を示す音楽が流れてた。
三日月型の受話器を取って耳に当てると音楽は解除される。
「もしもし」
『あ、ルーチェか?』
受話器の向こうの声は間違いなくお父さんだった。
家にかけたけど誰も出なかったので友人の家に当たったらしい。
まずはナータの家、その次の二回目で当たったって。
用件は仕事が長引いて今夜は研究所に泊まるっていう連絡だった。
私はじゃあねおやすみと言って受話器を置いた。
「親父さん今日は帰らないって?」
「そうみたい」
「だったら泊まってっちゃえよ。明日はゆっくりしてるんだろ?」
「うん。いい?」
もちろん、とジルさんは快く了承してくれた。
客間に戻るとナータはテーブルに肘を着いて映水放送の国内ニュースを見ていた。
ターニャはソファで読書中。
「お父さん帰らないって」
「そ、じゃあどうすんの?」
ナータが映水機に視線を向けながら聞いてくる。
「泊めてってもらうことになった」
「じゃ、あたしも泊まってく」
許可もされてないのに勝手に決める図々しさはさすがだね。
夜中一人で帰るのは危険だしジルさんも優しいから断らないだろうけど、二人も泊めてもらって迷惑じゃないかな。
「いいけど空いてる客間一つしかないからルーチェと同室でいいか?」
「大歓迎よ」
やった、ナータとお泊り! 夜中までおしゃべりするもんね。
「ジルさんは?」
「明日は朝練だから自分の部屋で寝る」
あら残念。みんなでわいわい出来ると思ったのに
「ターニャは?」
「時間も遅いしそろそろ帰るよ」
ターニャは読んでいた本に栞を挟んで本棚に戻す。
「送ってこうか」
「大丈夫」
ジルさんの申し出をターニャはやんわりと断って鞄を肩に担いだ。
ターニャの家はすぐ隣だしこの辺りは上流階級の家庭ばかりで治安もいいから、夜中でも心配はないって。けどやっぱり女の子が一人は危ないと思う。
「じゃあ私が一緒に行くよ。近くのショップで買い物したいし」
私がそう言うとターニャは頷いた。
ターニャは他人の親切を遠慮しがちだけど自分のためって理由があれば断らないって知ってるもんね。
下着とお菓子を買って戻ると音楽が鳴っていた。
うちと同じ水温調節機の音だ。お風呂を沸かしてくれていたみたい。
「冷えてるだろ。先に入っちゃえよ」
確かに夏とは言えこの時間になると少し寒かった。
ジルさんの気づかいに素直に甘えてお先に入浴する。
ゆっくりあったまってお風呂から出る頃には客間に布団が敷いてあった。
「んじゃあたしはもう寝るから。お休み」
「うん、お休みなさい」
自室に戻っていくジルさんを見送って私はタオルを頭に巻いたまま壁に寄りかかる。
そしてなんとなく今日の出来事を思い出す。
内気だったはずのメーラちゃん。その彼女が気になる男の子に会うため親の目を盗んで家を抜け出すなんて。
中等学生になったんだからどんな子だって少しは変わる。
けれどそれがたった一つの特別な感情によるものだっていう事が、私にはとてもうらやましく思えた。
恋、か……
これまで十七年間生きて本気で好きになった人なんかいない。
南フィリア学園は女子学校だし中等学校の男の子はそういう対象になりそうな子はぜんぜんいなかった。
恋愛に興味がないわけじゃないけど出会いそのものが数えるほどにもないんだよね。
今も男の子の知り合いなんてほとんどいないし。
かといって自分から出会いを求めてみるだけの度胸もない。
恋愛小説なんかを読むとつい情熱的な恋をしてみたいと思ったりもする。
けれど人を好きになるっていう感じがいまいちよくわからない。
私はどんな恋愛をしたいんだろう。
どんな人なら好きになれるんだろう。
もちろん願望としては強くてカッコよくって、優しくて……漠然としたイメージだなぁ。
どうせなら素敵な人がいい。
たとえばそう――夢の中で一緒に戦っていた男の人。
いつも顔はよく見えないけれど、すごくカッコイイんだろうなって思う。
そういえば今日はとんだ大恥だった!
いくらなんでも授業中にまで見ることはないのに!
実は私があの夢を見るのは今日が初めてじゃない。
最初に見たのは南フィリア学園に入学して三カ月が経った頃。
それからというものここ一年と少し同じ夢をくり返し見てる。
私がすごい輝術師になってることといい、一緒に戦う男の人といい、あれってやっぱり自分の中の願望なのかなぁ?
「はぁーいい湯だったわぁ」
ナータが部屋にやってきた。タオルを頭に乗せて火照った体にブカブカの寝巻きを着込んでいる。
男ものの衣服が逆に彼女の魅力を引きたてる。
ナータくらい美人だったら私ももっと積極的に男の子と会話ができるのかも。
なんだかんだ言ってみたところで積極的になろうとしない私自身の性格が恋をできない一番の原因なんだろうなぁ。
「ルーちゃーん。どしたのー?」
ナータが私の前でぱたぱたと手を振っている。
いけない、また考え込んじゃった。
「は、早かったね」
「普段からこのくらいよ」
時計を見るともう日付が変わる直前だった。
私はいつも一時間近く入ってるけどナータは十分ちょっと。
あの長い髪をどうやったらそんな速く洗えるんだろう。
まあいいや。せっかくナータと二人なんだからうだうだ考えるのはやめよう。
買ってきたお菓子の袋を開け布団に入って私たちは眠くなるまでおしゃべりをした。
学校のこと。夏休みの予定。
それとなく恋愛話をもちかけようとしたけれどやんわりとかわされてしまった。
お菓子を食べつくしたところで歯を磨きに洗面所へ。
寝ているジルさんを起こさないように小声でおしゃべりを再会。
部屋に戻って一時間くらい話したあたりでナータが大きなあくびをした。
時計を見るともう午前三時。さすがに夜更かししすぎたかも。
「明日はルニーナ街だし。そろそろ寝ようか」
輝光灯を消すと窓から入る僅かな星明りだけが部屋を照らす。
「ねえルーちゃん」
眠そうな声でナータが話しかけてくる。
「なあに?」
「あたしは良かったと思うわよ、あの娘が上手くいって」
メーラちゃんのことかな?
「恋人同士になれなくっても好きな人に気持ちを伝えるのは素敵なことだと思うもの」
その言葉はどこか実感がこもっているように聞こえた。
「ナータは好きな人いるの?」
「さあ、どうでしょうね」
これはもしやと思ったけれど話は続かなかった。
それっきりナータは反対側を向いてしまったから。
むー、気になるぞ。
授業中寝たせいかいまいち眠くない。
ちょっとしたイタズラを思いついて私はナータの布団に忍び込んだ。
「な、なになになによっ」
背中に抱きつくとナータは上ずった声をあげた。
普段の彼女らしくない慌て様が可笑しい。
「一緒に寝よ」
「べ、別にいいけど」
ナータが寝返りを打ってこっちを向く。
闇の中、親友の端正な顔がうっすらと浮かんだ。
「えへへ……」
「な、なによ」
「なんでもない」
こうして一つの布団で誰かと寝るっていうのは気恥ずかしいような心地いいような不思議な感じ。
昔はよくベラお姉ちゃんと一緒に寝たりしたけれど最近はずっと一人だったし。
高等学生にもなっておかしいとは思うけれど、なんだか楽しいな。
もちろん安心できるのは一番の友だちのナータだから。
いくら私でも誰の布団にでも潜りこむわけじゃないよ。
布団の中で私はナータの手を握った。
「おやすみ」
「お、おやすみ」
親友の手の温かいぬくもりを感じながら目を閉じる。
不思議と心地よい眠気がすぐに訪れた。
翌日、目が覚めるとナータは布団にいなかった。
リビングで彼女はあたふたしながら朝食を作っていた。
完全無欠に見えるナータも料理だけは苦手らしい。
なにかが焦げたニオイが漂ってくるけど大丈夫かな。
勝手に人の家のキッチンを使わせてもらうのはどうかと思ったけれど、私たちは協力して簡単な朝ごはんを作ることにした。
卵とハム、パンとジャムだけの軽い朝食をとりながら私たちは今日の予定を話した。
すでにジルさんは出かけていてキッチンには置き手紙が置いてある。
鍵はポストの奥に入れておいてくれとのこと。
ジルさんもけっこう無用心だなぁ。
あるいは信用してくれてるってことかな。
「ふぁ……」
ナータが大きなあくびをする。
「どしたの? よく眠れなかったの?」
「まあ、ちょっとね」
よく見るとナータの目の下にクマができている。
夕べはあんなに眠そうだったのに寝付けなかったのかな。
はっ、ひょっとして私が布団に潜り込んだせいで狭くて眠れなかったとか。
……いやもしかしたら、寝相が悪くてせいで何度も起こしちゃったり。
「ちょっと早く目が覚めちゃっただけよ。枕が替わると寝付けないの」
そ、そっか。それならよかった。
「いちど家帰る?」
「うん。荷物とかジャマだし」
まだ時間も早いし服も着替えたいしね。
借りた寝巻きを水洗機に放り込んで制服に着替える。
私が食器を洗っている間にナータは洗面所で顔を洗う。
戻ってきたときには彼女の目からはクマが消えていつも通りの綺麗さを取り戻していた。
それからお互いの髪を梳かし合ってお礼の置き手紙を残してジルさんの家を後にする。
玄関先でちょうど帰ってきたフォルツァさんとすれ違ったので鍵を返しておいた。
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