1.5匹目 そうして彼は色を得た


 風に遊ばれるようにサラリと揺れる銀色の髪が、ひどく印象に残っている。




 青く澄んだ空の下、なんてお綺麗な場所ではない。ゴミが散らかり、悪臭が漂うこのエリアは、いわゆるスラム街と呼ばれる場所だろう。家は無く身寄りも無く、学も無い。その日一日を食いつなぐので精一杯。盗みも殺しも日常と化しているような、刹那的な生き方しか出来ない此処が、父も母も知らない俺の、唯一の帰る場所だ。


「ただいまぁ。元気だったっスか?」

「わぁ、兄ちゃん久しぶり!」

「兄ちゃんおかえりー!」

 ひょいと顔を出した路地の片隅、幼い子供達が壊れかけの建物の中からわらわらと出てきては、くっついてきゃらきゃらと笑う。せがまれるままにチビ達の頭を撫で、土産話を語ればキラキラとした目で見上げてくる彼らを見ると、昔の自分を見ているようで、微笑ましいような、むず痒いような。

 幼いがゆえにこの場所から出るすべを知らず、ゴチャゴチャとボロい建物が乱立するココから見上げる狭い空しか知らない子供たち。空を知らず、文字を知らず、世界を知らなかった俺を外に連れ出してくれたお節介な男と同じことがしたくて、いつの間にか路地の片隅でチビ達を構うようになっていた。

 懐かれるのも、存外イヤでは無かった。




 このスラム街も、一応はとある国の領土の一部である。ここら一帯の存在を嫌い、煙たがり、無いものとしてきたその政府が、どうやら外交できな臭い動きをしているらしい。そう伝えてくれたのはチビ達の中でも年長組に分類される二人だった。

「俺たちだって兄ちゃんの役に立ちたいからね」

「ボク等がやりたくてやった事だ、文句は受け付けねーからな」

 いつの間にこんなにも頼もしくなっていたのか。可愛くないのにカワイイ奴らめ。誇らしげに胸を張る二人の頭を思いっきり撫で回せば、楽しそうにきゃらきゃらと笑い、逃げるように駆けて行った。


 貧しく、その日一日を生きていくので精一杯でも、絶望しか無かったワケでは無い。笑顔はあった、希望もあった。


「またしばらく帰ってこれんけど、良い子でちゃんと生き延びるんスよ?」

「兄ちゃんこそ前みてーに怪我すんなよ!」

「行ってらっしゃい。でも、出来るだけ早く、帰ってきてね」

 控えめに、けれども真っ直ぐな瞳で見上げてくる彼女は確か、最近友人を殺されたのだったか。どんな悪事も起こりうるこの場所では、自分のすぐ隣に不幸が立っている。

「生きて、帰るっス。約束」


―—そう、誓ったのに。




 黒煙が立ち上る。嫌なニオイが蔓延している。木の燃えたニオイ、鉄の溶けたニオイ。……有機物の、溶けたよう、な。

 襲い来る炎の波から逃げ惑う人の声。小口径火砲の吐き出す砲弾の唸り声。我が身に降りかかった不幸の火の粉を振り払おうと神に縋る者の声。短機関銃が弾薬をばら撒く軽快な鳴き声。遥か彼方、四方八方から届く様々な声たちが、目の前に写る悪夢が現実なのだと訴えかけてくる。

 持っていた荷物を放り出し、通いなれたが崩れた建物で見慣れぬ様相になったいつもの路地へと駆け出す。爆風に乗ってパラパラとコンクリートやガラスの破片が小さな傷をつけていくが、そんな些細な事は気にもならなかった。走って走って、息が切れても走り続けて、そして。


 老朽化では無く、外的要因によってボロボロに崩れ落ちた、溜まり場となっていたいつもの建物。大きな瓦礫の下に見える、黒く焼け落ちたモノ。誰が救いを求めて伸ばした腕なのだろう。砲声よりも爆破音よりもうるさく聞こえる自らの荒い呼吸と心臓の音が、頬を流れていく液体が止まらないのが、気持ち悪い。

 生き物の気配が、己以外に感じられなかった。




 チビ達からもたらされた情報を元に、本国の動きを気にしながらも国の外で仕事をしている時の事だった。本国が突然、周辺諸国の中でも軍備が整っている事で有名な王国へと宣戦布告を行ったのだ。

 唐突だった。理由すら推測できない程、不可解だった。

 チビ達が不安がって泣いてはいないだろうかと大急ぎで国へ帰って。俺の、俺達の、唯一の帰る場所は、黒煙と炎の波に包まれ、砲弾が降り注ぎ、銃声と悲鳴が地獄を奏でていた。

 誓いは、想定外かつ最悪の形で破られた。




 ガラリと近くの瓦礫が崩れ落ちた音で、見たくもない現実に引き戻された。嫌なニオイを生み出す炎が、小さく、けれども存在を見せ付けるように揺らめいた。気付けば砲声は遥か彼方。頬を流れていた水分が乾いて肌に張り付き、不快だった。不規則に乱立していたボロい建物たちのほとんどが崩れて視界が広がっていた。掃き溜めのようで、けれど唯一の帰る家だった、場所。


 のろのろと顔を上げて見た、揺らいだ空気の向こう。黒のコートをはためかし、一人の男が立っていた。

「全く、この国のトップは酷い男だな。ただこのスラム一帯が国の汚点だから、と。辺りを焼き払うためだけに我々との戦争を始めたようだ」

 カツリと靴音をかき鳴らし、生命一つ無かった筈の道無き道を歩いてきた男。

「生き残りはお前だけのようだが……」

 不自然に言の葉を切り、こちらを見下ろす男。燃え残った炎が放つ火の粉と風に遊ばれる銀色の髪が、どこか浮世離れしているように見えた。

「一人残され、何を思う。何を為す」

 言いながらこちらに向かって放り投げられた物は、見慣れた荷袋。

「答えたまえ、エルメル」

 呼ばれたのは、自らの名。何故知っているのか、とか。そもそもこの男は誰なんだ、とか。脳裏を駆け巡る言葉は数多あれど、思うことはただ一つだけだった。

「この地獄を作ったやつが、憎い」

「ならば俺と共に来い、エルメル―—いや、グリーン。我々は貴公を歓迎しよう」

 邪悪なほほえみと共に差し出されたその手を、俺は。




「い、いやだ、殺さないでく……」

 パシャリ、幼子が水たまりで遊ぶかのような、そんなあっけない幕引きの音。白銀の髪をなびかせ漆黒のコートを翻して邪悪に笑う、ブラックと名乗った彼の在籍する部隊に所属することになった俺は、今までの名を捨て、グリーンとして。新たな生を得る事となった。

 グリーンになって、最初の任務。ブラックと共に敵国要衝へ出向き、宣戦布告を行った大臣の首級を上げる、という、明け透けなほどにお膳立てされた舞台。

真上に放ったナイフは自らの元に返ってくる、という自然の摂理をこの男は知らなかったらしい。腹が立つ。虚しくなる。あの子たちも生きたいと願っただろうに、縋っただろうに。自国の領土を戦渦に巻き込んでおいて、自分は素知らぬ顔で安全な後方でのうのうと生きようとするなど。

国の外れにある自らの別荘で、護衛を雇って安全を確保したと思い込み、酒と葉巻を楽しんでからその生を終える事が出来たのだ。本望だろうに、生き汚く命乞いとは。

「反吐が出る」

 紅く光るナイフを一払いし、ホルダーに収めた。此度の戦争はこれより収束に至るだろう。

「俺は先に外に出ている。お前は後からで構わん、俺たちの国へ帰還するぞ」

「……了解」

 真っ赤なカーペットの上を、パシャリパシャリとわざとらしく足音を立てて歩く、真っ黒な背中。これから先、グリーンとなった俺が帰るのは彼の下。月のような髪を揺らす彼の後ろを歩いていくのも存外嫌じゃないかも、なんて。

「一仕事終えたからって浮かれてる場合じゃないな」

 ブラックに貰った緑色のパーカーのフードを深くかぶり、紅く染まった屋敷から、新たな未来への一歩を踏み出した。




「おかえり、ブラック。早かったわね」

「ああ。お前も忙しいのにすまないな、ブルー」

 王国の所有する軍用車にもたれかかり、一人待機していたブルーが柔らかく、力なく、微笑んだ。

「いいのよブラック、気にしないで。……それよりも、本当にこれでよかったの?」

「これで、とは?」

「エルメルの事よ。彼を仲間にする為にわざわざここの大臣をおだてて煽って、自国領土であるハズのスラムを壊滅させるように仕向けるなんて……普通に勧誘するのではダメだったの?」

「駄目では無かっただろうさ。しかし、この方法が最も効率がいいと思ったから実行した。ただそれだけの話だ」

「だけどエルメルは、」

「エルメルという少年はもういない。グリーンという新たな仲間が加入した、それだけだろう」

「ブラック……いえ、そうね。私はあなたに従うだけ。ハイル・マインリーダー」

 たとえどんな手段を用いたとしても、非難を買おうとも、この歩みだけは止めるつもりはない。

ただ一つの、目的のために。




―——―そうして、新たな犬がまた一匹。


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COLOR DOGS ~国王直属独立特殊部隊~ 白野廉 @shiranovel

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