BRIGHTERS 外伝

とぅる

序章 桃瀬あみ編


ー赤石大貴には、いかなる期待もしてはいけない。


現在に至るまで何度も何度も自分に言い聞かせてきたことである。しかし、いつもなんかの拍子にうっかり破り、その度に激しく後悔して、今度こそはと誓う。私の人生は、割とそればっかりと言っても過言はない。それほどには大貴に振り回されてきた自覚がある。


「あみちゃん、俺も早稲田行くことにしたんだ」


そうは、そうは分かっているのだ。しかしこう言われて何も期待せずにいられるほど、私は鉄の女じゃない。

驚きと歓喜に震える指を抑えるように両手で携帯を握る。この動揺を察される訳にはいかない。


「な、なんで?」

「なんでって、…まぁ、色々と、ね。」

「…。ちなみに、学部は?」

「政経だよ」

「うわ……」


一緒じゃん!

頭の中の草原に花が溢れんばかりに咲くようだ。辛く抑圧された受験生活からの、第一志望の合格通知。更には大貴もそこに行くという。神様からのご褒美にしてもやりすぎだ。特にこれといった喜びのなかった一年間の反動だろうか、私は完全に舞い上がっていた。


「うわってなに、ひどいなぁ」

「や、どーせ大貴は猛勉強とかせずに受かっちゃったんだろうなって思ってさ」

「はは、流石に今回は勉強したよ」


「今回は」ね。誰かさんが高校受験の時に全く勉強しなかったせいでこっちは高校三年間棒に振ったんだから。

でもそんなこともこれでプラマイゼロ、むしろプラスに傾く。

自分のほっぺの代わりに、近くにあるクッションを抓る。痛覚により現実を感じたいとうより、高ぶる感情を物にぶつけたいだけである。

もしかして私を追ってくれたのだろうか。いや、流石にそこまではない。期待するな、思い上がるな、正気を保て、桃瀬あみ!


「入学式とか、遅れないでよね」

「気が早いなぁ、あみちゃん。その前に卒業式でしょ?」

「まぁ、そうだけど」


話の途中で横目にみた壁のカレンダーから、そんなに卒業式まで日がないことに気づく。カレンダーにある、赤丸で囲ってある方が大貴の、ピンクで囲ってあるのが私の卒業式の日だ。

大貴の卒業式は、来週の土曜日。休日で行けるからってのじゃないけど、私はなんとなく、行こうと思ってる。


「卒業、かぁ」


現実味のない言葉が宙に浮く。

楽しかった。けど、卒業したくないってほどの執着はない。無論、泣くつもりもない。

大貴はどんな三年間を過ごしたのだろう。

いつも突飛で、風の旅人のような大貴が平凡な、私みたいな高校生活を送ったとは考えられない。

たまに文章のやりとりはしていたけれど、こうして声を聞くのは久々だから、なんとなく不安になる。

…大貴が、あまり変わってないと感じることに。

大貴に変わってほしくないという危うい願望が本当に叶っているのかという不安、もしかしたら大貴が私の前だけ変わっていない様にふるまってるだけなのではないかという不安、私が単純に大貴の変化に気づかなくなったほどに鈍くなってしまったのかという、不安。


「あみちゃん?」

「な、なに」

「この前、俺の卒業式の日程聞いたってことは、来てくれるんだよね?」

「…え、うん。暇だし」

「そっか。じゃあ楽しみにしてて」


なにを?

衝動的な質問を飲み込む。大貴にその手のことを聞くのが無駄なのも分かっている。本人があえて隠していることを、大貴は絶対に言わない。


「期待しないでおく」


自分に言い聞かせる。そう、どうせロクなものではない。大貴が予想通りの行動をすることなんてないのだから。


「相変わらずだねぇ」

「大貴の扱いには慣れてるから」

「ハハ」


電話は、夕飯の呼び出しまで続いた。その日はなんだか寝つきが悪くて、それがなんか凄い悔しかった。


そして桜が咲いた。

ちょうど満開に咲いているのを見て、こういうのにも好かれる人なんだな、と大貴を恨めしく思った。

大貴はC組一番、名前を呼ばれて学ランを着た大貴は壇上につき、順序よく証書を受け取った。楽しみにしてて、なんて言うから式中になにかやらかすのかと思ったけど、本当に、普通に、流れよく手順を踏んだのみだった。遠目で見る大貴は、三年前と変わらない。

式が終わって、皆が校庭にわらわらと集まりだした。集合写真を撮ったり、泣いてる仲間の肩を揺すったり、感動と陶酔の空間だった。完全に部外者の私は、大貴を探すことに集中して気を紛らわせた。卒業祝いにクッキーなんて焼いてきてしまったけど、少々張り切りすぎだっただろうか。

生徒数が多く、大貴は特段背が高い訳でもないので、全然見つけられない。なんとなく、電話をかける訳にもいかない。違う制服を着ている自分の浮き具合が恥ずかしくて、誰かに助けて欲しかった。

そのとき右肩が何か、多分人に、当たった。

不意によろけた私は咄嗟に右腕から紙袋を左に持ち替えた。痛みの予感に目をつむるも、痛みは訪れなかった。そのかわり、背中を腕に支えられている感触。


「失礼」


私が体勢を立て直すとそれを合図に背中の支えが緩められる。他の人より頭一つ高い、黒いコートを纏った男の人だった。

咄嗟に助けてくれただけとはいえ、男性にいきなり背中に手を回されたことに少し恥ずかしくなってしまう。


「い、いえ、ありがとうございます」


どことなく、その人の目線に威圧を感じる。去り際が分からず、はにかんでいると、その人が「何かお困りですか」と聴いてくれた。優しい言葉にしては、感情の乗らない淡々とした声だった。もしかしたらこの人は教員で、違う制服の私を怪しんでいるのかもしれない。そう思ったら余計なことを口走ってしまっていた。


「あの、私桃瀬あみって言う者で、大貴の、あ、幼馴染の赤石大貴くんを探しているだけで、その、怪しいとかじゃないです」


高い位置になる眉毛がピクリと動く。ヤバイ、なんかほんとに私不審者だと思われてるかも。焦って私はカバンを漁って学生証を取り出そうとする。身分を証明すればそれなりに信用されるかもしれないし。しかし、そういう時に限って鞄の底に財布が引っかかって取れない。


「赤石なら、体育館裏にいますよ」

「え、」


カバンから目線を上げると、その人は私に背を向けていた。右手が指す方向には、先ほど式が行われてた体育館。


「あ、ありがとうございます!」


何も言わず、右腕をポケットにしまってその人は私から遠ざかっていった。

体育館裏、とにかくそこに向かうとしよう。

北側からまわり込もうとしたら、渡り廊下に阻まれ、無駄に半周逆回りする羽目になった。こんなことのために息を切らしてるのも少し馬鹿馬鹿しい。でも、ちょっと楽しかった。

しかし、大貴らしき影を見つけたとき、私は絶句した。大貴は、告白されていたのだ。角からこっそり覗くと、大貴が正面に見える位置で、よく見ると大貴の学ランは光を反射していない。…つまり、ボタンが1つもないのだ。

確かに大貴は、運動神経がいいし、顔だって悪くない。けど、その掴み所のない気障な性格のせいで、中学のときは変人扱いさえされて女子からは敬遠されていたというのに。しかも、あの子、恐らく後輩ではないか。部活にも委員会にも入ってないらしい大貴が、後輩の女の子と接点を持つことなどあるのか。

…しかもふった。慣れている様子で、微笑みながら眉を下げている。ぺこりと頭を下げた彼女がこっちに向かってきて、うっかりすれ違う。私は彼女が目を赤く腫らしながらもスッキリした面持ちなのを垣間見た。彼女は私のこと視界にも入ってないだろうけど。この流れで、私はどんな顔でコイツにクッキーを渡せというのか。


「あ、あみちゃん!」


最悪のタイミングで見つかってしまった。こうなったら顔を出すしかない。観念して大貴の元に歩み寄る。距離が近づいて分かったが、こいつ腕のボタンすらなくなっている。マジか。


「盗み見なんて、エッチだね」

「ば、ばか!そんなつもりなんてなかったわよ!」

「冗談冗談。」


へらりと笑う顔が憎たらしく映る。纏う雰囲気が以前にも増して謎めいた物になっている気がする。


「ていうか、大貴が『楽しみにしてて』とか言うから、なんかあるのかと思ってきたけど、何もないじゃない」

「あー、それね。実はあみちゃんに紹介したい人がいてさ」

「…は?」


まさか、彼女?この流れで?嘘でしょ?

心が凍りついていくのが分かる。いや、大貴ならやりかねない。感情が高ぶりながら冷めていく。新しい経験だ。


「…誰よ、その紹介したい人って」

「あ、なんか誤解してない?紹介したかったのは、俺に早稲田に行くって思わせた人。ほら、俺がなんで早稲田に行くの決めたか気になってたみたいだったから」

「…」


その人が、女で、大貴の心を揺さぶったっていう可能性を危惧してるの!誤解されたくなかったらちゃんと説明して!

心の中で叫んでも、当たり前のように大貴には届かない。紙袋がカタカタと小刻みに震えてる気がする。次の返答によっては、私もさっきのあの子みたいに泣いてしまうかもしれない。


「でもその人は、まだ紹介できないって、思ったんだよね」

「はぁ?」

「もっと先。いずれ来る、俺の覚悟の時に、言うね」


大貴が、意味深に微笑むから。

こんなこと言われたら、誰だって、「そう」だと思ってしまう。けれどこの時、大貴の目に私は映っていないことを意識の隅で感じてはいた。それでも、それ以外の選択肢がこの時のわたしには浮かばなくて、都合よく解釈した。小さな違和感を、こっそりと削除してしまった。

こうして、私はまたこの男に期待をしてしまったのだった。

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