2-28 愛のかたち

「アレイドラ様は、夫であるリートワイズ様との関係に疲弊しきっておられました」


 グレンは静かに語り始めた。ラヴォル王はじめ、場内にいる全員がその言葉に耳を傾ける。


「王族の方々、いえ、城で働く使用人たちから、一般の民衆にも知られていたことでしょうが、リートワイズ様は心多き男性――いえ、こんな言い方はやめましょう。あれはもう病気でした。あの男が大人しくしていたのは、アレイドラ様と婚礼後の少しの間だけ。生来の気性を抑えきれず、すぐにあの男は事あるごとに街に出て、浮気を繰り返していました」

「リートワイズが……」


 ラヴォル王が呟くと、グレンは「ええ」と頷いてから、


「ラヴォル王たちの目が届きすぎるため、さすがに城の使用人たちに手を出すことはなかったようですが、一旦城を出れば話は別でした。その浮気の手口は実に巧妙で、兄のラヴォル王や、姉のレイチェット様の目をすり抜けることは容易かったようです。とはいえ、妻であるアレイドラ様の目を誤魔化し通すことは出来ませんでした」

「アレイドラ……」ラヴォル王は、未だ全身の力が抜けきったかのように椅子にしなだれているままの、弟の妻を見て、「どうして……この私に話してくれなかった」

「お察し下さい」アレイドラの代わりにグレンが答えた。「自分が正式に妻となりながらも、まだ浮気をさせてしまうということが、アレイドラ様にはこの上ない屈辱と、恥に感ぜられたのです」

「だが……お前は気付いていたというのだな」


 ラヴォル王から、睨むような視線を向けられたグレンは、深く一礼してから、


「夜中の警邏中、偶然、城の裏門から隠れるように出て行ったリートワイズを見かけてしまったのです。その様子にただならぬものを感じたものですから、気になった私はアレイドラ様のもとを訪れました。そこで……聞かされたのです。リートワイズのことを。当時、まだ一介の騎士だった私に、どうしてそのような話を打ち明けて下さったのか。当時私は、王立騎士団唯一のブルザリアンで、他の騎士たちから疎まれがちな存在だったため、私なら誰にも口外されることはないと思っていただけたのかもしれませんが」


 その答えを持っているはずのアレイドラは、しかし、グレンが話し始めてもなお、ひと言も口を開かず、また指一本動かそうとはしなかった。そんなアレイドラを不憫そうな目で見てから、グレンは、


「それをきっかけに、アレイドラ様は、リートワイズが『お出かけ』になっている最中、私をお部屋に招かれるようになりました。もちろん、他の誰にも見つからぬよう、細心の注意を払っていたのは、申し上げるまでもありません」

「そういう関係を重ねるうち……お前とアレイドラは……」


 ラヴォル王に言われると、グレンはまた深々と頭を下げて、


「そして、あの運命の日が訪れました。ラヴォル王らが同盟国国王の誕生パーティーにご出席されるため、城を空けた、あの日。王族の方々の中では、身重のアレイドラ様と、リートワイズの二名だけが城にお残りになったのですが……やはりというか……リートワイズは、妻がそのような状態にあるにも関わらず、ラヴォル王らの目がないことを幸いにと、街へ出て行ってしまったのです。それを知った――いえ、知るまでもなく確信していた私は、アレイドラ様のお部屋を訪れました。このときだけは私によこしまな心づもりはなく、純粋に身重のアレイドラ様を案じての行動でした。そして……あとは、ホームズ殿の推理どおりです。アレイドラ様は双子をご出産され……そのひとりが、私と同じ肌の色をしているのを見たとき……この子をラヴォル王らに見せるわけには絶対にいかないと思いました」

「なぜだ……グレン」


 ラヴォル王の問いかけにグレンは黙っている。そこに、


「お察し下さい、陛下」ホームズが助け船を出し、「グレン団長も、陛下のご気性をよく知っていたのです」

「私の……気性?」

「はい。陛下は大変温厚で聡明な王であらせられますが、たったひとつ……浮気にだけはご寛容でないとか」

「――!」


 それを聞くと、ラヴォル王は一瞬身をよじらせた。


「そうです。グレン団長の行動は、自分の浮気を隠すためではなく、アレイドラ様のお立場を案じてのことだったのです。入り嫁のため、王族と血縁のないアレイドラ様が浮気の子を産んだと知れれば、アレイドラ様と、その子供の居場所は……」

「……アレイドラ」


 ラヴォル王は歯を噛みしめて渋面を作った。グレンは国王に深々と頭を下げたが、アレイドラは身じろぎもしなかった。

 頭を上げたグレンは、話の続きを語り始める。


「こういった事情から、その夜に城がからだったことは私にとっても幸いしたのです。加えて、アレイドラ様も難産のために気を失っていらっしゃいました。ホームズ殿の言われたとおりです。この状況は、神の采配以外の何ものでもないと私は思いました。私は双子のひとり、私と同じ肌の色をしたほうの赤ん坊をシーツにくるむと、急いで騎士団宿舎の自室に戻りました。赤ん坊を隠して、そのままアレイドラ様のお部屋にとって返そうとしたのですが、そこで私は窓からリートワイズが戻ってきたのを目にしました。これならば、部屋に戻ったリートワイズがアレイドラ様の状況を見て、すぐに産婆を呼んでくれるだろうと思い、私は部屋に留まることにしたのです」

「私たちは、産婆がひとりでアストルを取り上げたとリートワイズから聞いていたが……」


 ラヴォル王の言葉に、グレンは、


「その産婆は、故郷に帰りたいと言って、それからすぐに暇をもらったことをご記憶でしょうか。リートワイズが金で口裏を合わさせたのですよ。そして、ボロが出ないうちに故郷に帰させたのです。もちろん、金を握らせて」


 ラヴォル王は、言葉もないというふうに立ち尽くした。その先を促されはしなかったが、グレンは自発的に話を続けた。


「私は、引き取った――というよりも勝手に拉致した――赤ん坊をクレイドルと名付け、孤児を育てている知り合いの施設に預けました。ブルザリアンの孤児など、珍しくもありませんからね。他の孤児たちに紛れさせて育てるのは容易でした。同時に私は、暇を見つけては施設に赴き、クレイドルに剣技を叩き込んだのです。この先ひとりでも生きていけるように。身寄りのないブルザリアンがひとりで生き抜いていく手段など、剣しかないというのが世界の実情です。私は父親だとは名乗りませんでしたが、あいつ――クレイドルは、私によくなついてくれました。

 十四歳になる頃には、冒険者ギルドに登録して、パーティを組んで各地の地下迷宮ダンジョンに潜る冒険者生活を始めるまでになりました。そういった冒険が一段落するたびに、クレイドルは施設に――たっぷりの土産とともに――帰ってきて、私に冒険の話を聞かせてくれました。瀕死の重傷を負ったものを一旦石化しておくという処置は、そのときにクレイドルから教えてもらったものです。そういったことが何度か繰り返されていた、ある日、私はクレイドルに、もうここには戻って来ないほうがいいと告げました。と言いますのも、年齢を重ねるにつれ、だんだんとあいつの顔がアストル様に似てきたからです。元々双子なのだから当たり前ですがね。恐らく、クレイドル自身もそれは自覚していたでしょうが、私に何か尋ねてくることはありませんでした。

 そんなある日、施設を訪れたあいつは、ギルドの登録を抹消してきたと言いました。この先どうやって生きていくともりだと、私が厳しい口調で問い詰めると、私と同じ、イルドライドの王立騎士団に入りたいと。この顔と肌は、魔道士ウォーロックに呪いを掛けられたということにして、常に仮面で隠し通すから、と提案までしてきました。肌の色まで隠す必要はないと私は思ったのですが、私との関連を少しでも疑わせまいという、あいつなりの心遣いだったのかもしれません。

 無論、私は反対しました。ですがクレイドルの決意は固かった。もしかしたら……自分はアストル様の双子の兄弟なのだということに、確信することはないまでも、心のどこかで察していたのかもしれません。そばにいて兄弟を陰ながら守りたい。そんな気持ちを持っていたのかもしれません。あいつの実力は私が一番知っています。身分や出生が本当に不問となった我が騎士団の入団試験を受ければ、合格することは火を見るよりも明らかでした。こうして、クレイドルは『鉄仮面』と名を変えて、王立騎士団に入団したのです」


 息つく間もなく話していたグレンは、ここで大きく嘆息した。


「鉄仮面は……」と、その間隙にラヴォル王は、「他の騎士たちとは距離を置いていたが、こと、アストルに対しては自分から親しくしていたと聞いていた」

「はい。幸いなことに、アストル様もおやさしい性格でしたから、二人が打ち解けるのにそう時間は掛かりませんでした。あの夜、双子として生まれながら引き離された兄弟が、時を経てこうして肩を並べ剣の腕を磨いている。私はあの二人を見るたび、言いようのない、温かくも切ない気持ちになりました」


 話すうち、グレンのまなざしは次第に柔和なものへと変わっていった。まるで、我が子の成長を喜ぶ父親のような。


「ですが……」ここでグレンの目に憂いのような陰が差し、「蠱毒こどくの森でアストル様が戦死され、それを知ったとき、私は即座にクレイドルを身代わりにさせる企みを思いつきました。これは妙手だと酔う反面、自分が情けなくもなりました。当たり前ですね。実の双子のひとりに対して『一方の身代わりになれ』と宣告するなど、兄弟に優劣をつけるに等しい行為ですから。

 そうして、アストル様の遺体を前に煩悶していた私の後ろに、あいつが……鉄仮面――クレイドルが姿を見せたのです。振り向いた私と仮面越しに目が合いました。その刹那、あいつは私の心を読みでもしたのでしょうか? クレイドルのほうから提案をしてきたのです……『自分がアストル様の身代わりになる』と」


 グレンは硬く目を閉じ、再び開くと、


「『バジリスクの毒に侵されたことにして石化される』身代わりになる方法も私の考えと全く同じでした。クレイドルも気付いていたのです、ホイルシャフト殿の目がほとんど見えなくなっているということに。あいつの『提案』を私は拒絶しました。『ここで起きたことを、このまま全て報告する』と。そうしたら……あいつが何と言ったと思いますか? あいつはこう言ってきたのです『アレイドラ様のためにも』と……」


 そこでグレンは、また言葉を切ってまぶたを閉じる。ホームズは、鉄仮面、いや、クレイドルが名を口にしたという女性を見た。息をしているのかと疑うほどに微動だにしていなかったアレイドラは、だが、グレンの口から自分の名が聞かれた瞬間にだけ、反応するようにびくりと体を震わせていた。その様子をグレンは見ていまい。まぶたを持ち上げると、騎士団長は再び言葉を紡ぎ出した。


「その名前は私にとって最高の殺し文句でした……。私の心を読んでいたクレイドルは、全てお見通しだったのでしょう。あいつは自分の顔から仮面を外すと、アストル様の遺体に被せ、取り回しの効く小剣ショートソードで自分の右二の腕をえぐりました。『バジリスクに噛まれた傷です』真剣な顔で言うあいつの目を見て、私は決心しました。

 アストル様の遺体は〈鉄仮面〉として葬るために移動させ、そこにクレイドルを横たわらせました。万事準備が整い、ホイルシャフト殿を呼びに走ろうとしたとき、私の耳にあいつの言葉が入ってきました。『これで、アレイドラ様は、自分のことを本当の息子だと思って大切にしてくれるのですね』と……。振り向くと、あいつは笑うような表情を見せていました。猛毒に侵された芝居としてはどうかと思いましたが……私はそれを正す気にはなれませんでした。あいつのあんな顔を見たのは初めてだったものですから……。もしかしたら、クレイドルが騎士団に入りたがった理由は、兄弟だけでなく……」

「それで、お前は肝を……持ち込まれた収斂しゅうれん蠱毒の肝を、ことごとく……」


 ラヴォル王が噛みしめるように言うと、


「はい。全て私がやったことです。絶対にクレイドルの石化を解かれるわけにはいかない。あいつは、この先ずっと『石化王子』として、アレイドラ様の希望であり続けてもらわねばならなかったのです。冒険者のスティールジョー殺害についても、単純に私が力量で圧倒したというだけです。深夜に部屋を訪れた私のことを、あいつは一応警戒はしていましたがね。もし悲鳴を上げられたり、一撃で勝負がつかずに音を立ててしまい、同室の冒険者が起きてしまったら、一緒に始末するつもりでしたが、驚くほどあっけなかった。今となっては意味のないことですが、あの冒険者らが持ち込んだ肝は、体長数メートルを越えるバジリスクのものだという触れ込みでしたが、手合わせした見立て、果たしてあの冒険者パーティが、そのような大物を倒せたかは疑問です」


 場内を沈黙が支配する中、物音が響いた。アレイドラが、ゆっくりと椅子から立ち上がったのだ。手を貸そうとするラヴォルとラムペイジを振り払って、アレイドラは手すりを掴むと、


「……グレン……私は……あなたを……」


 心の擦れる音が、そのまま口から洩れ出たような、軋んだ声を吐いた。発せられた言葉はそこで途切れたが、彼女の口は以降も僅かに動いていた。続けて何を言おうとしたのか、訴えたかったのか。目に涙は浮かんでおらず、虚ろではないが輝いてもいなかった。そこに宿っているのは、感謝か、恨みか、後悔か、それら全てか、あるいはどれでもないのか。誰にも分からなかった。

 グレンは、アレイドラに向かって、これまでで最も深く頭を下げた。そして、


「グレン団長!」


 チャージャー副団長が叫んだ。グレンは、腰に帯びていた小剣ショートソードを抜くと、証言台の前、神殿中央に躍り出た。チャージャー以下、列席していた騎士たちも反応して抜刀し、数メートルの距離を置いてグレンと剣を向かい合わせた。


「血迷うなグレン!」

「逃げられないぞ!」


 ラヴォル王とラムペイジの声が浴びせられる。が、グレンは、何も問題ともしないような不敵な笑みを浮かべて答えとし、威嚇するように剣の切っ先と、それより鋭い眼光を周囲に散らせる。副団長チャージャーはもとより、騎士たちの誰もグレンに近づくことすら出来ない。それほどまでに圧倒的な戦士としての気をグレンは放っていた。

 ホームズは、グレンが二本帯剣しているうちの、長剣ロングソードではなく、攻撃力では劣る小剣のほうを抜いたことに疑問を憶えていた。グレンと視線が合ったとき、その目的を察し、


「やめろ――!」


 手を伸ばし叫んだが、遅かった。いや、どうにもならなかった。取り回しに優れる小剣の刃が斬り裂いたのは、グレン自身の喉笛だった。傍聴していた聖職者クレリックのひとりが走り寄り、傷治癒魔法キュア・ウーンズを掛けようと呪文の詠唱を始めたが、その間にも仰臥したグレンの首からは鮮血がほとばしり続けている。そのさまに動転しているのか、聖職者はたびたび言葉につかえ、なかなか呪文を詠唱しきれない。ようやく詠唱を終えて魔法が発動された頃には、傷口から吹き出る血は止まっており、同時にグレンの生命の灯も消えていた。

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