2-27 運命の王子

 がしゃり、という鎧の音が連鎖した。グレンの周囲で、騎士たちが身じろぎをしたためだ。副団長チャージャーをはじめ誰もが、信じられない、という目で自分たちの団長を見つめる。

 グレン本人は、微動だにせず泰然と佇んだまま、まっすぐにホームズの目を見返しているだけだった。


「グレン……?」


 告訴人席でもラヴォル王が、唖然として傍聴席の隅に立つ騎士団長を見つめる。


「馬鹿な……」ラヴォル王が吐き捨てるように、「アストルはすでに死んでいて、顔の似た別人が入れ替わっている……? しかも、持ち込まれた肝を破損していた犯人が……グレン……?」

「そのとおりです――」

「ちょっと待て!」


 声を張り上げたラムペイジは、ホームズの視線を受けると、


「今の話には、無理がある」

「どういうことでしょう」


 ホームズに対して、ラムペイジは、


「だったら、五年前、あの蠱毒こどくの森で、どういう経緯で鉄仮面が石にされたのかを、言ってみろ」


 挑戦的とも取れる、熱の籠もった口調で迫った。


「いいでしょう」ホームズは冷静な声を崩さないまま、「ですが、細部については俺の想像で補う箇所もある、という言い訳を口にすることでご容赦下さい。なにぶん、俺も命が懸かっているので」


 と自嘲気味に上げた右手を下ろしてから、


「バジリスクとの戦いを終えるとグレン団長は、戦死者の数を数え、生存者の点呼を取って、前線の人数と一致していることを確認しました。ですが念のためにと、部隊に休憩を与えたあと、ひとり戦場を見回りに出ます。そこで、遺体となったアストル様を発見しました。アストル様の戦闘への参加は全くの想定外の出来事だったため、当たり前ですが点呼の人数に入っていなかったのです。この余りに予想外の凶事に接したグレン団長は、ですが即座に一計を案じました。鉄仮面を身代わりにする計画です。

 ここで、この計画が鉄仮面とグレン団長、どちらの発案で行われたのかという問題が出てきますが、正直、こればかりは分かりません。ですが、グレン団長だけは鉄仮面の素顔を、それがアストル様と瓜二つだという事実を知っていたということは事実です。こう考える理由もあとでお話しします。

 ともかく、鉄仮面とグレン団長は、アストル様との入れ替わり計画を遂行します。王立騎士団所属の騎士は、同一デザインの鎧で全身を隈無く覆っており、アストル様の死因は、バジリスクの尻尾の一撃によるものだったため、鎧やその下の服が破れるなどして素肌が露出している箇所は全くありませんでした。加えて、アストル様と鉄仮面は同じ〈緑竜隊りょくりゅうたい〉に所属していましたから、鎧に刻まれた紋章の色も同じであるため、兜から除く顔に仮面を被せてさえしまえば、アストル様の遺体を鉄仮面に仕立て上げることは容易です。ですが、鉄仮面本人はそうはいきません。顔こそアストル様と瓜二つでも、肌の色が全然違っていたからです。

 そこを補うグレン団長の作戦が〈石化魔法ストーンド〉です。身代わりとなる鉄仮面の右二の腕に、いかにもバジリスクの牙を受けたような傷をつけ、『アストル様はバジリスクの牙を受けて毒に侵されてしまった』という状況を作り出します。すでにその時点ではバジリスクの体は腐敗を始めており、肝を取り出すことも不可能でしたから、取るべき手段はただひとつしかありません。魔法によって体を一時的に石に変えて、毒の廻りを防ぐという応急処置を施すことです。グレン団長は、宮廷魔術師長ロイヤル・ウィザード・マスターのホイルシャフトさんの提案だと言っていましたが、グレン団長も、この方法をご存じだったのでしょう。でなければ、そもそもこの計画を立案すること自体が出来ないですからね。ですが、グレン団長は、事情をホイルシャフトさんに説明すれば、必ずこの『石化応急処置』を提案してくれると踏んでいた。そのほうが事の成り行きが自然ですから。案の定、事態を重く見たホイルシャフトさんは〈石化作戦〉を提案し、アストル様に成りすまし、毒に侵された演技をしている鉄仮面に、石化魔法を掛けて――」

「そこだ!」


 ラムペイジは、指をさしてホームズの話を止めると、


「皆も知ってのとおり」と場内の全員に聞かせるように、「石化したアストル――まだ、あくまでこう呼ばせてもらう――は、兜から素顔を晒している。つまり、もしホームズ殿の言うとおり、鉄仮面がアストルと入れ替わり石化魔法を掛けられたのであれば、それを行ったホイルシャフトも、自分が魔法を掛けようとする人間の顔を見ていたことになる! つまり、ホイルシャフトは、自分が石にしようとしている人間が、アストルと瓜二つだが、肌の色が全く違っているということに気が付いていたはずだ!」


 おお、というどよめきが起きた。


「どうだ」ラムペイジは胸を張り、「石化魔法を掛けるためには、対象となる人間に直接触れなければならない。いくらホイルシャフトが老体でも、それほどの近距離で人の肌の色を見間違えるなどということ、あるわけがない」

「ラムペイジ」と、そこにラヴォル王が、「ホイルシャフトが共犯という可能性も考えられる」


 傍聴席に座る老齢の宮廷魔術師長を見やった。が、


「いえ。ホイルシャフトさんは共犯ではありません」


 ホームズが否定した。彼が言ったのならば本当なのだ。ラヴォル王と、ラムペイジも黙り、〈たんてい〉の次の言葉を待つ。


「そうですよね、グレン団長」


 ホームズに問われると、騎士団長はゆっくりと頷いた。


「では、どういう……」


 ラヴォル王が、さらなる説明を求めると、ホームズは宮廷魔術師長に目を向けて、


「ホイルシャフトさん、あなたの秘密に、グレン団長は気付いていたのです。団長は、それをも利用した」


 ホイルシャフトが、ぴくりと眉を動かした。さらにホームズは、


「ホイルシャフトさん、俺たちがあなたに初めてお目に掛かったときのことを憶えていますか? そのときに、あなたはこんなことを言っていましたよね。グレン団長の話題になったとき、『腕力だけが取り柄の野蛮なブルザリアン』と……俺のすぐ隣に、ワトソンがいたにも関わらず」


 それを聞くとホイルシャフトは、何かを察したように、ぴくりと眉を上げた。


「彼が、ワトソンです」


 ホームズは壁際にもたれていた少年を手で示す。聴衆たちは、その少年を見ると、おお、と声を上げた。その反応から「事態」を感じ取ったのだろう、ホイルシャフトの表情に、しまった、という色が浮かんだ。

 壁から背中を引き剥がした、褐色の肌の少年、ワトソンは、証言席に歩を進め、


「どうも」場内に挨拶をしてから、「僕も、腕力だけが取り柄の野蛮なブルザリアンです」


 おどけて言って、すぐにまた壁際に引っ込んだ。


「ホイルシャフトさん、あなたは……目が見えないのですね」


 ホームズに指摘されると、ホイルシャフトは、今や何も映すことも出来なくなった双眸をゆっくりと閉じ、黙って頷いた。ホームズは、さらに、


「それでも、五年前はまだ、完全に視力を失ってはいなかったのでしょうね。後方の陣地で、いつもならグレン団長がいるはずの席に、団長が不在のため一時的に責任者を担ったチャージャー副団長が座っているのを見て、グレン団長と間違えたことがあったそうですから。いつもグレン団長がいるはずの席であることに加えて、チャージャー副団長が責任者の腕章を巻いていたため、あなたは、かろうじて視界に入れることが出来たその情報だけを頼りに、チャージャー副団長のことをグレン団長と信じて疑わずに声を掛けてしまったのでしょう。戦場が鬱蒼とした森林だったことも、グレン団長が『石化王子計画』を実行しようとする後押しになりました。頭上を覆う木々の枝葉が日光を遮り、昼でも薄暗い森の中にあっては、当時のあなたの視力では、手を触れられる近距離でも肌の色を見分けることは出来ないとグレン団長は踏み、事実、そうだった」

「……やるのぅ」


 ホイルシャフトはホームズの推理を認めた。


「ありがとうございます」とホームズは、「ついでに言えば、先日、五年前に石化魔法を掛けたときのことを伺ったとき、あなたの口から出てくるのが、肌に触れた感触だとか、呼吸の音だとかだけで、視覚に関する情報が全く聞かれなかったことも、この推理を組み立てる材料となりました」

「……〈たんてい〉というのは、大した能力を持つ職業クラスなのじゃな」


 ホイルシャフトが呆れたような顔をすると、「いえいえ」とホームズも、


「あなたには負けます、ホイルシャフトさん。憶えておいでですよね、一番最初、俺たちがあなたに『五年前のことを訊かせてほしい』と頼んだとき、まずあなたは『何も見ていない』と答えられた。俺はその言葉を、『自分は後方待機任務だったから、戦場は見ていない』という意味に受け取ってしまいましたが……あれは、まさに真実だったのですね。先ほどの、視覚による情報を語らなかったことといい、試されていたわけですね、俺たちは」


 ホイルシャフトは、照れ隠しのように、ふん、と鼻を鳴らした。


「ちなみに、五年前に鉄仮面と『石化王子作戦』を共謀した、すなわち一連の事件の犯人がグレン団長ではなく、ホイルシャフトさんだったということも一見考えられますが、それはありません。なぜなら、目が見えずご老体のホイルシャフトさんには、街の宿屋に行って肝を盗み出すことも、ましてや、名うての冒険者であるスティールジョーを『剣で刺し殺す』ことも不可能だからです」


 ホームズの話を聞き、当然だ、という顔をしたホイルシャフトだったが、すぐに表情を硬くして、


「……そんなことよりも、ワトソンという少年に謝りたい、わしが軽率じゃった。すまない」


 ワトソンの位置を知ることが出来ないため、そのまま正面に向かって頭を下げた。ワトソンは、笑顔を浮かべながら顔の前で片手を振る。ホームズは、


「グレン団長、いかがですか」


 宮廷魔術師長から、王立騎士団長に顔を向けた。

 瞬きすらほとんどせず、直立不動のまま、ホームズたちの話を聞いていたグレンは、


「恐ろしいやつだ」ふっ、と息を漏らすと、「『想像で補う箇所がある』なんて保険は張らなくてもよかったぜ。全部、お前さんの言ったとおりだよ。呆れるくらいにな」

「グレン」ラヴォル王が、告訴人席から身を乗りださんばかりにして、「どういうことなのだ?」


 グレンは、背筋を伸ばし、直立して国王を向くと、


「申し訳ありません」


 と腰を折った。


「グレン!」が、ラヴォル王は声をトーンを落とさず、「私が聞きたいのは詫びなどではない。どういうことかと訊いているのだ。なぜ、お前は……そのようなことを……」

「グレン団長!」ラムペイジも手すりから身を乗り出して、「あなた、まさか、アストルを死なせてしまったという責任から逃れるために――」

「それは違います」


 答えたのはホームズだった。


「恐らく」とホームズは沈黙を貫いているグレンを見てから、「グレン団長の性格からして、ご自身の口から真実を語ることはないでしょう。ですから……代わりに俺が答えます。……いいですね、団長」


 グレンは沈黙を破りも頷きもしなかったが、ホームズは構わず口を開いた。


「鉄仮面とアストル様は……双子だったのです」


 証言席に立つ〈たんてい〉が何を言ったのか理解できない。とでも言うように、その衝撃的な発言内容とは裏腹に場内は静寂を保っていた。


「双子……だと?」


 沈黙を破る端緒を切ったのはラヴォル王だった。国王は拳をわなわなと震わせて、


「アストルが……双子?」

「そうです。よって、鉄仮面とアストル様が瓜二つだったのも当然というわけです」

「し、しかし――?」


 ラヴォルはアレイドラを向く。彼女は変わらず沈み込むような姿勢で椅子に体を預けていたが、今は顔だけを上げて目を見開き、焦点の定まらない視線を虚空に彷徨わせていた。


「ホームズ殿は先ほど……『グレンだけは鉄仮面の素顔がアストルと瓜二つだと知っていた』と言っていたな……あの鉄仮面が、アストルの双子で、グレンはそのことも知っていたというのか……? アレイドラ!」


 ラヴォル王は再びアレイドラを向いた。が、


「ラヴォル王、アレイドラ様は関係ありません」グレンが毅然とした口調で口を開いた。「全ては、この私の一存で行ったことです」

「し、しかし……」ラヴォル王は、もう一度グレンを見てから、アレイドラに視線を戻して、「当の母親であるアレイドラが、自分の産んだ子が双子であったとは知らないなどということが……しかも、双子で肌の色が違っているとは……どういうことなんだ?」

「〈たんてい〉さん」グレンは、ホームズに声を掛け、「あんたは、全て知っているんだろう。でなければ、今みたいなことを確信して口に出来るはずがない」


 ホームズは頷いて、


「俺はアレイドラ様から、アストル様をご出産された経緯を、こう聞かせていただきました。アレイドラ様は、陣痛が始まったとき、さる事情があって、産婆も使用人も誰も呼べない状況に陥ってしまい、ひとりベッドの上で襲いくる陣痛と懸命に戦っておられましたが、ついに耐えきれず、失神されてしまったと」


 それを聞くと、ラヴォル王は、「なに?」とアレイドラを見た。レイチェットらも初耳だったに違いない。目を見開いて「石化王子」の母に目を向けた。ラヴォル王は、


「まさか……リートワイズのやつが……」


 と呟き、拳を握った。心中だけで事情を察したのかも知れなかった。ホームズは話を続け、


「そして、アレイドラ様の意識が戻られたとき……すでに赤ん坊はお腹から出てきていたそうです。ご自身の脚の間にいたのは、白い肌の赤ん坊が、ひとりだけ」

「双子、ではなく?」


 ラヴォル王の言葉に、ホームズは頷いて、


「はい。ですが、本来そこには、もうひとり、褐色の肌の赤ん坊もいたはずなのです。そして、先ほどのアレイドラ様の話も、実は真実ではないのです」

「何が……違うと?」

「アレイドラ様がおひとりだった、という箇所です」

「なに?」

「本当はアレイドラ様のそばには、もうひとり人物がいたのです。双子の難産で、母親が意識を失ってしまったにも関わらず無事出産が出来たのは、その人物の助力もあってのことだったのでしょう。その人物は大変驚いたはずです。生まれてきた赤ん坊が双子で、そのうちのひとりが褐色の肌をしていたという事実に。アレイドラ様も、その夫リートワイズ様も肌の色は白い。その二人から褐色の肌の赤ん坊が生まれてくるはずがない。その人物は、全ての事情を……を察した。そして、赤ん坊を絶対にこのままにしてはおけないとも思った。双子のうちのひとり、褐色の肌をした赤ん坊だけは……。出産時にアレイドラ様が気を失われていたのは、その人物にとって僥倖、神の助けに思えたのではないでしょうか。出産に立ち会ったその人物は、アレイドラ様の意識がお戻りにならないうちに、双子のひとりを抱え、自分の部屋に連れて行ってしまったのです。をした、その赤ん坊を、生まれてこなかったことにするため」

「まさか……」


 ラヴォル王の絶望的な声が漏れた。


「はい――」

「そうです」


 ホームズを遮るように、グレンが声を被せた。その声色には、このことだけは自身の口から告白しなければならない、という使命、責任を帯びさせているかのようだった。

 グレンは、ラヴォル王と、アレイドラを真っ直ぐに見て、


「生まれてきた双子は……私とアレイドラ様の子です」

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