2-26 石化王子の秘密

「さて……」


 ホームズは、裁判官席、告訴人席、傍聴席、被告人席をぐるりと見回す。

 その間に、ワトソンは暗がりになっている壁際までゆっくりと後退して、壁に背中をもたれさせて腕組みをした。まるで、これから始まるホームズの推理劇を鑑賞でもするかのように。暗がりの中、ワトソンは値踏みをするような笑みさえ浮かべていたが、ホームズはそんなことには気付く素振りもない。


「何から話しましょうか……こうして跳び出てきたはいいのですが、今日一日、色々とありすぎて、頭の整理が追いつかないもので……」


 ホームズは言葉を溜める。あごに添えた右手の中指では、指輪が青い光を放ち続けている。


「そうですね……」ホームズは証言席を囲う手すりに両手を置くと、「まず、鉄仮面のことから話しましょうか」

「――なに?」


 ラムペイジだけでなく、その場にいる全員が意外な名前を耳にして固まった。傍聴席からもどよめきが聞こえる。王立騎士団の異形の騎士「鉄仮面」は、民衆の間にも知られていたらしい。裁判長が城内のざわつきを静める中、


「五年も前に死んだ騎士が、この事件に何の関係があるというのです」


 呆れたようにレイチェットが吐いた。あまりに場違いな話に高をくくったのか、ファスタードは侮蔑するような笑みまで浮かべている。ホームズは、その二人の顔を交互に見てから、


「その鉄仮面ですが……実は死んでいないのです」


 ホームズが、あまりにもさらりと言い流してしまったためか、場内はしばらくの間、静寂を保ったままだった。


「はぁ?」


 ラムペイジの声を皮切りに、場内、とりわけ、グレンらがいる王立騎士団に強く、ざわめきが巻き起こった。


「馬鹿な――!」何かを言い返そうとしたのか、ラムペイジは手すりから身を乗り出させたが、二の句を継ぐことは出来なかった。。その事実を前にしては、どんな抗弁も無意味だ。

 裁判長が「静粛に!」と両手を振り、場内が静寂を取り戻したところで、


「じゃ、じゃあ」と今度は幾分か落ち着いた声で、またラムペイジが、「鉄仮面は、今どこに? どこで生きていると言うんだ?」


 それを聞くと、ホームズは腕を組み、困ったような顔で首を傾げて、


「その言い方も、正確ではないのです。というのもですね……鉄仮面は、厳密に『生きている』とも言えない状態に置かれているからです」

「……」


 ラムペイジは黙った。ホームズの次の言葉を促すように。その期待に応えて、ホームズは、


「鉄仮面は、現在……アストル様のベッドの上に横たわっています」


 誰ひとり思考が追いつかなかったらしい。その意味を咀嚼すれば、鉄仮面生存説以上の余りに衝撃的な発言だったが、即座に反応を返すものはひとりもいなかった。


「何を馬鹿な――!」


 口火を切ったのはラヴォル王だった。豊かな髭を揺らして立ち上がり、ホームズを見据える。が、一国の王たる彼とて、反論の言葉を持たないことについてはラムペイジと同じだった。証人席に立つホームズの顔と、その右手指輪の光を黙って交互に見やることしか出来なかった。当然、場内はこの日何度目かのどよめきに支配されたが、今までと同様、裁判長により鎮圧された。


「そうです」ホームズはラヴォル王ら、王族の面々を見やって、「皆さんが『石化王子』としていた、あの石になっている人物、彼こそが鉄仮面なのです」


「し――しかし」そう宣言されても、なおもラヴォル王は、「あの顔……あれはアストルに間違いない――!」

「そうです!」ここで、アストルの母親であるアレイドラも、たまらずといったふうに立ち上がって、「あの子は絶対にアストルです! いくら石にされていようが……母親である私が息子の顔を見間違えるはずがありません!」


 非難するような目をホームズに向けた。


「そ、それに」今度はラムペイジも、「鉄仮面は、魔道士ウォーロックに掛けられた呪いのせいで、二目と見られぬ恐ろしい容貌に変えられてしまったという。あれが鉄仮面であるはずがない」


 ラヴォル王も、アレイドラも、その言葉に強く頷く。が、ホームズはいささかも冷静さを失わないまま、


「その話は嘘なのです。鉄仮面は呪いを掛けられてなどいなかった」


 はっきりと言い切られてしまい、三人は、いや、他の誰もが沈黙せざるを得なくなった。


「では、アストルは!」アレイドラが手すりから身を乗り出して、「アストルは、今、どこに……?」


 声と、手すりを掴む手が震えている。本能的に息子を襲った残酷な運命を察知していたのかもしれない。ホームズは、哀しい目でアレイドラを見ながら、


「残念ながら……すでに亡くなっています」


 アレイドラは、がくりと膝から折れ、ラヴォル王に抱きかかえられた。同時に、またしても場内に湧き上がるどよめき。今度ばかりは裁判長も呆然としているだけで、その混乱を収めようとはしていなかった。

 アレイドラを椅子に座らせると、ラヴォル王は、


「ホームズ殿」


 喧噪を静める目的もあったのだろう、よく通る重圧な声を幾分か大きな声量で投げた。その狙いは当たり、どよめきが波のように引いた場内で、


「そなたの言葉に疑問を挟む余地はないことは、重々承知している……」ラヴォル王は〈たんてい〉の右手を一瞥してから、「が、だからといって、そうか、とすぐに納得するわけにはいかないことは、貴殿にも承知していただけるだろう」


 ホームズは一礼して、


「不躾な発言をお許し下さい陛下。今から全て説明します。いかにして、このような事態が起きてしまったのかを」


 ラヴォル王が頷き、他の王族たちや、傍聴席を埋めた人々も、話を聞く体勢が整ったことを確認すると、


「事の起こりは、今から五年前、蠱毒こどくの森での戦いに遡ります。あの戦いで……残念ながらアストル様は戦死なされたのです。武勲を求めるあまりか、アストル様は持ち場であった後方待機を離れ、戦闘が行われている前線に赴いてしまいました。そこで……。それが発覚したのは戦いが終わってからでしたが、しかし、この事実は隠蔽されることとなりました。鉄仮面がアストル様の代わりに石になり、アストル様のほうは逆に鉄仮面として戦地に葬られることとなったためです。つまり、鉄仮面はあの戦闘で生き延びていたのです。あの戦いに随伴して前線にいた、宮廷魔術師ロイヤル・ウィザードのハイプスさんは、戦闘終了後に戦死したはずの鉄仮面を目撃していたそうですが、それは幽霊でも幻でもなかった。彼が見たのは本物の鉄仮面だったというわけです」


 そのハイプスは、驚愕の表情を貼り付けたまま、納得したようにゆっくりと頷いた。それを確認すると、ホームズは続けて、


「しかも、鉄仮面は、ただ生存していただけというわけではありません。毒に侵されてもいませんでした。皆さんの話を聞いた限り、鉄仮面ほどの手練れが、細心の注意を払っていたバジリスクの牙を受けてしまうとは考えがたいですしね」

「では……なぜ鉄仮面は石にされたというのだ?」


 ラムペイジが疑問を投げかける。


「――もしや」と、それに反応したのはラヴォル王だった、「鉄仮面が、自分の容姿がアストルと相似していることを利用して、アストルに成りすまそうと考えていたからなのではないか?」

「アストルに……成りすます?」


 ラムペイジが国王に目をやる。ラヴォル王の目は見開かれ、怒りによるものなのか、強烈な眼光を放っていた。


「そうだ」とラヴォル王は頷いて、「そもそも、鉄仮面が我が王立騎士団に入団したのは、それが目的だったのではないか? 自分の顔がアストルに似ていることに気付いた鉄仮面――と呼ばれていた何者か――が、募集要項が身分、経歴が一切不問であることを利用して、まんまと騎士団内部に潜り込む。顔のことは、先ほどホームズ殿が言ったように、呪いを掛けられたと偽って終始隠し通しておいてな。普段は人を寄せ付けない鉄仮面も、アストルとだけは例外的に親しくしていたという。それは、アストルから様々な情報を得て、その喋り方や癖を盗むためだったのでは? 虎視眈々と狙っていた、来るべき入れ替わりのときに備えて」

「その機会が、五年前にとうとう訪れたと……。蠱毒の森の戦い、そこで、アストルの死体を発見して……」


 ラムペイジの言葉に、ラヴォル王は、


「いや、もしかしたら、アストルの死因は魔物ではなく……」

「まさか――」

「戦闘の混乱に乗じて、鉄仮面自身が……」


 ラヴォル王の震える手の甲に血管が浮かび上がった。きつく拳を握りしめているのだ。


「鉄仮面は……アストルのかたき?」ラムペイジの声も震えていた。「で、では、鉄仮面が石になったというのは、どうして?」

「入れ替わりを果たしたとはいえ、そのままアストルとして城に戻ることは難しいと考えたのではないか? いくら顔が似ていても他人は他人だ。我々の、特に、母親であるアレイドラの目を欺き続けられるとは思えない」


 ラヴォル王は、椅子に項垂れているアレイドラを心配そうに見やると、


「そこで、一旦『石化』という形で城に潜り込むことにした。鉄仮面は、あたかも収斂蠱毒の毒に侵されたかのように振る舞い、グレンらの目を誤魔化し、石化の処置を受けた。そうしてまんまと城に潜り込み……そして……時折石化解除を受けていたのでは?」

「何ですって?」

「皆の寝静まった深夜、石化解除された鉄仮面は、アストルに関する情報の収集を続けていた。まだアストルに完全に成りすます自信がなかったのではないか?」

「あっ! もしかして、持ち込まれた肝を破壊した犯人も?」

「うむ。鉄仮面自身だ。まだ完全にアストルと成りきる前に石化を解除されることを阻むために。あるいは……」

「あるいは?」

「共犯者かもしれぬ」

「共犯?――そうか! 鉄仮面の石化を解除するためには、誰かから石化解除の魔法を掛けてもらう必要がある! つまり、共犯者は……魔法使いマジック・ユーザー?」


 ラムペイジの目が、傍聴席にいる宮廷魔術師の一団に向く。その一角を中心にざわめきが起きたが、


「お待ち下さい、ラムペイジ様、ラヴォル王も」


 ホームズの声に、広がりかけたざわめきは消滅した。


「申し訳ありません。お二人の推理が興味深く、聞き入ってしまっていたのですが、はばかりながら申し上げますと、それは真実ではありません」


 ホームズは一礼した。するとラヴォル王も、


「いや、ホームズ殿の推理を聞かせてもらい、勝手にこちらで暴走してしまった。なにせ……あまりに衝撃的な推理――いや、事実だったものでな」


 ラヴォル王に頭を下げられたホームズは恐縮して、


「いえ。しかし、ラヴォル王の推理は、その骨子においては決して的外れとはいえないものでした。私のいた世界(の小説の中)において、『加害者と被害者の入れ替わり』というものは実にポピュラーな手口として使われています。今度の事件は、その応用――と言っては変ですが、類似であることは確かです。問題なのは、鉄仮面とアストル様との入れ替わりのと、そして、ラムペイジ様の疑問にもありましたが、、いえ、、です」

「石化……されなければならなかった?」


 ラヴォル王の呟きに、ホームズは「そうです」と返して、


「その理由が分かれば、全ての謎は連鎖的に解かれるのです。鉄仮面とアストル様は、顔自体は瓜二つでも、見た目上に、ある決定的な違いがあったのです」

「見た目の……決定的な……違いだと?」


 ホームズは頷いて、少しの間をとってから、


「そうです。鉄仮面とアストル様とでは……のです」

「――!」


 ラヴォル王は声にならない叫びを発した。他の聴衆たちもそれは同じだっただろう。沈黙という悲鳴が支配するただ中、ホームズは、


「アストル様の肌は、お母様であるアレイドラ様と同様、透き通るような白い色をしていたと聞きます。ですが、鉄仮面は違いました。彼の肌は、アストル様とは全く違う、褐色の肌をしていたのです。これが、鉄仮面が石化されなければならなかった理由です。石化魔法を掛けられた人間というものは、どうなるでしょう。もう皆さんご存じですよね。何度もその目で目撃しています。! 顔のつくりが瓜二つである以上、『肌の色』という唯一の相似点が失われ、これで両者の入れ替わりは完全に果たされるわけです」


 場内の誰もが、どよめきを口から漏らすまいと懸命にしていた。


「待て、ホームズ殿……」ラヴォル王は、額に浮かんだ汗を拭おうともせず、「それはいったい、どういうことなのだ? 肌の色が違うだけで、アストルと瓜二つの男が存在していたというのは。しかも、そんな男が我が王立騎士団に所属していたとは、どういう……」

「その、鉄仮面が何者か、という疑問は、ひとまず置かせて下さい。今は、事件の概要にのみ話の焦点を絞ります」


 ホームズが断ると、ラヴォル王も素直に矛を収めた。


「つまり……」ホームズは話を再開して、「これが、犯人が肝を破損させた、ひいては、解毒剤の精製を妨害した理由です。解毒剤が作られ、アストル王子――と誰もが思っていた人物――の石化が解除されてしまうと、それが全くの別人だと判明してしまうからです。『石化王子』がアストル様でないことが露見するのを防ぐために、犯人は肝が持ち込まれるたびにそれを破損させ、あるいは盗みだすという犯行を繰り返していたのです」


 そうだった、というふうに顔を上げたラヴォル王は、


「犯人――その、犯人とは、誰なのだ?」


 手すりに身を乗り出して訊いた。


「『石化王子』がアストル様でないことを知られては困る人物……」


 呟くようにホームズが口にすると、皆の視線はひとりの女性に向いた。精根尽き果てたように椅子に項垂れ、まるで魂が抜けきったかのように、細かくまばたきを繰り返しているだけの女性、アレイドラに。しかし、


「――同時に」


 ホームズがその先を続けたことで、聴衆の視線は再び証言席に帰ってきた。


「鉄仮面とアストル様の入れ替わりが行われたのが、五年前の戦場においてだったということを忘れてはなりません。犯人は、その入れ替わりが成されたことを知る立場にあった人物。犯人は……あなたですね」


 ホームズが目をやった先を追い、聴衆たちもアレイドラから視線を引き剥がした。


「……グレン団長」


 ホームズに名指しされた騎士団長は、泰然として立ったまま、探偵の目を見返していた。

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