2-25 真実を語るもの

 裁判神殿内の法廷は、主に四つのエリアに区分けされている。入り口からすぐに広がる傍聴人席から見て、正面に裁判官席がある。中央の一番高い席には裁判長が座り、その両脇に一人ずつ、二名の裁判官が固めている。

 向かって左は告訴人席。今回、この席を占めているのは、イルドライド王族の面々だ。すなわち、ラヴォル王、その姉レイチェット、夫ファスタード、息子のラムペイジ、そして「石化王子」アストルの母親アレイドラの五名。王族全員が揃って告訴人席に座ることは、首都ルドラに裁判神殿が建てられてから初めての事態だった。

 その対面、向かって右は被告人席となる。今ここには女性がたったひとり座っていた。ルドラ城で使用人の職に就いているテセラ。彼女はイルドライド王家に告訴され、「冒険者スティールジョー殺人罪」の被告人となったのだ。それに付随する罪状として、過去四度に渡る、収斂しゅうれん蠱毒こどくの肝破損及び盗難による「王室反逆罪」も掛けられている。

 この世界では通常、どこの国でも、告訴状が裁判神殿に持ち込まれてから実際に裁判が執り行われるまで、数日から、長いものになると数年もの期間を要することもある。裁判官らが事件内容、罪状を吟味、理解し、関係者たちのスケジュールを合わせるためや、場合によっては、被告人が行方をくらましており、まずその捜索が必要となるような事例も存在するためだ。しかし、今回ばかりはその限りではなかった。告訴人代表であるレイチェットは、告訴状とともに、すでに「被告人」を連れて裁判神殿を訪れていたからだ。彼女は、夫であるファスタードはもとより、ラヴォル王をはじめとした王族全員も伴ってきており、その威光が開廷を超例外的に早めたという事情もあったに違いない。「石化王子」及び「肝破損、盗難事件」のことは国中で知らないものはいない有名な事件であったため、裁判官たちがレイチェットらから事件の全容を聞き、それを把握するのも難しいことではなかった。

 こうした事情から、緊急的に開かれることとなったこの裁判は、王族が告訴人となり、「石化王子」の回復を阻んだ犯人が明らかになるという大きな興味も手伝い、僅かな告知を行っただけで傍聴席はたちまち満席となった。


 裁判は、レイチェットによる、被告人テセラが一連の事件の犯人である根拠が述べられるところから始まった。

 被告人は「石化王子会」という組織に所属していたこと。その証拠として、会員しか持ち得ないはずのペンダントが彼女の部屋から発見されたこと。会の名簿にも名前が記載されていたこと。被告人は会の中にあって「過激派」と呼ばれるにしかる思想、すなわち「『石化王子』をずっと『石化王子』のままでいさせたい」という願いを持っていたこと。

 一連の説明が終わったところで、被告人に反論の機会が与えられるのだが、テセラは、ペンダントなどの証拠品が出てきたのは何かの間違いで、自分は無実であるとひたすら涙ながらに訴えることしか出来なかった。

 告訴人及び被告人に対しては、その主張を補強するための「証人」の召喚が認められている。これは何も事前に「誰々を証人として呼ぶ」と決めておく必要はなく(そもそも、今回の裁判では事前準備など不可能なのだが)、傍聴人の中から飛び入りで登壇してよいこととなっている。これは、交通手段が発達していないこの世界においては、事件の関係者や告訴人、被告人をよく知るものは皆、同じ街に暮らしていることがほぼ確実なためだ。自分の生まれ育った国はおろか、街や村からさえも一生外に出ないで生涯を終える人間が、この世界では大多数を占めている。

 ともかく、ただ無実を訴えるだけに終始したテセラの証言が終わると、彼女側の証人として即座に登壇したのは、王立騎士団長のグレンだった。裁判官席、告訴人席、被告人席のそれぞれから等距離の場内中央に設えられた証人席に立つグレンは、


「では、お訊きしますがレイチェット様……」グレンは、自分を見下ろすように告訴人席に座るレイチェットを見て、「前三件の肝の破損及び盗難事件は、まずよいとしましょう。ですが、今回起きた四度目の事件は殺人です。しかも、被害者は素人ではありません。戦闘の経験はおろか、訓練すら受けたことのない一介の使用人であるテセラさんに、どうして『電光速戦士ライトニング・スピーダー』と呼ばれた手練れの冒険者であるスティールジョーを殺害することが出来たというのですか?」


 熱弁で拳を振るうたび、身につけた鎧や、腰に提げた大小二本の剣がぶつかりあって金属音を立てる。鎧の上にはマントも羽織っている。この裁判に証人として立つため、騎士としての「正装」をしてきたのだ。


「簡単なことです」騎士団長を睥睨へいげいするように、レイチェットは、「冒険者といえど相手は男。色香に惑わせた隙を突くのは容易いことだったでしょう」


 卑猥なものを見るような目で、被告人席に座るテセラを見やる。テセラは終始俯いているため表情は窺い知れないが、膝の上に重ねられた手が、涙で濡れていることだけは見て取れた。

 ラムペイジは、母親の隣、同じ「告訴人席」にいながらも、強く唇を噛み、目の前の手すりを握り潰さんばかりの力で掌握している。そのさらに隣には、ラムペイジの父親ファスタード、「石化王子アストル」の母アレイドラ、ラヴォル王の順に計五人が連なっている。ファスタードは妻と似たような目で、アレイドラは複雑な表情で、ラヴォル王は泰然とした中にも厳しいものを宿した顔で、それぞれ被告人席と証人席を交互に見やっていた。


「なあ、グレン」手すりにもたれかかって頬杖を突いたファスタードが、「お前、どうしてそいつのことをそんなにかばうんだ?」

「私には信じられないのです。テセラさんが……そのようなことをしたなどと……」


 苦悶の表情でグレンが答えると、ファスタードは、


「さっきも言っただろ。その女はな、アストル様をずっと石にしたままでいさせようなんていう、大それた思想を持った怪しい組織の一員だったんだよ」


 被告人席を指さした。


「そ、それこそ、私にはとうてい信じられません……」


 なおもグレンが抗うと、ファスタードは舌打ちをして、


「れっきとした証拠があるだろ。それともお前、何か? が信用できないとでも言いたいのか? ええ?」

「それでも……私はテセラさんの無実を信じています」


 歯噛みをしながらも毅然と言い切ったグレンを見て、ファスタードは面白くなさそうにまた舌打ちをした、が、すぐに卑しい笑みを浮かべて、


「王室反逆罪の罪人を擁護した以上、お前もこのままで済むと思ってねえよな。最低限、騎士団長の任を解かれることは覚悟しておけ」


 レイチェットも、ふん、と小さく鼻を鳴らして、


「先ほどから聞いていれば、論理の欠片もない、実に野蛮な物言いですね。だから私は反対だったのです。あのような黒い肌をした卑しい人間を、栄誉ある王立騎士団に入れるなど。あまつさえ、団長にまでするなんて……」


 グレンを抜擢した当人、弟である現国王に横目を向ける。ラヴォル王は、一瞬だけ姉を見返してから、


「グレン、証拠はあるか? そなたの言うように、被告人が無実であるという証拠は」


 あるのならば出してほしい、という願いが込められているかのような、重い口調で証人席に問いかけた。グレンは眉根を寄せて黙るしかなかった。

 裁判長は、グレンに傍聴人席へと戻るよう命じて、


「他に、証言台に立ちたいというものはいるか?」


 集まった聴衆に対して訴えかけた。グレンの他に、副団長のチャージャーをはじめ王立騎士団員が数名、宮廷魔術師長ロイヤル・ウィザード・マスターホイルシャフト、ハイプスら宮廷魔術師ロイヤル・ウィザード、テセラの同僚である使用人たちも多数列席していたが、皆一様に顔をしかめるだけで、裁判長に呼応するものはひとりもいなかった。レイチェットとファスタードの二人は、勝ち誇った顔で悠然と構えている。沈黙が支配し始めた場内に、ガタリ、と椅子の音が響いた。告訴人席からだった。


「裁判長……」立ち上がり、ラムペイジは、「テセラは無実です」

「証拠はありますか?」


 問われると、


「……ありません。ですが、テセラは絶対に無実です」


 苦渋の表情で絞り出した。その訴えを耳にしたテセラが顔を上げる。真っ赤な目をし、頬を涙で濡らした顔で洟をすすった。「ラムペイジ様」と口にしたようだが、その声はかすれてほとんど聞き取れなかった。


「テセラ!」


 ラムペイジが手すりから身を乗り出して叫ぶと、


「落ち着きなさい」


 隣に座るレイチェットから冷ややかな声が浴びせられた。ラムペイジは振り向いて母親の顔を睨む。テセラと同じような真っ赤な目で。息子を見返したレイチェットは、


「何ですか、その目は」

「母上……」ラムペイジは、噛みしめる唇の間から絞り出したような震える声で、「このようなことをして、恥ずかしくないのですか」

「どういう意味です」

「テセラを陥れようとしていることです」

「言葉に気をつけなさい」

「そうだぞ」と、ファスタードも、「あの小娘が犯人だということは、間違いのないだ。何度も言っているが、証拠だってある」

「父上が用意したニセの証拠だ」

「おいおい、何を言い出すんだ、お前」

「そうに決まってる!」

「なあ、ラムペイジ……」ファスタードは、やに下がった顔になって、「あの『石化王子会』とかいう、いかがわしい組織のペンダントはな、俺とレイチェットに加え、ラヴォル王も立ち会いのもと、あの娘の部屋から発見されたものなんだぞ。会員名簿に名前が載っていることも調査で確認された。その娘は」と、ファスタードは被告人席を指さし、「さっきレイチェットも言ったように、アストル様のご回復に反対する過激思想の持ち主なんだ。証拠も動機も、これ以上ないくらいにそろってる――」

「茶番だ!」


 ラムペイジは立ち上がると、これ以上耐えきれないというように声を上げた。場内全ての視線が若き王族に向く。


「もう一度言います。恥ずかしくないのですか、母上! 父上!」ラムペイジの怒号にも似た声が場内に響く。「これが誇りあるイルドライド王家のすることですか? 王家の権威を笠に無実の民を陥れるなど……。父上のいう〈証拠〉とやらも、どうせ権力を振りかざして捏造したものでしょう。そこまでして私とテセラの仲を引き裂きたいのですか――」

「ラムペイジ!」レイチェットも立ち上がり、「お前こそ恥を知りなさい。よりにもよって、使用人などという卑しい身分の娘に懸想するなど。王家の人間としての誇りを持ち、もっと自分の立場を自覚しなさい」

「なに――?」


 ラムペイジは、腰に提げていた剣の柄に手をやった。が、


「――ラムペイジ様!」


 被告人席から届いた叫びを耳にして、その手を止めた。ゆっくりと向くと、手すりから身を乗り出したテセラが、顔を横に振っているのが見えた。顔を振るたび、双眸から止めどなく流れ落ちる涙が左右に散る。彼女の両手もまた、食い込むかのごとく強く、手すりを握りしめていた。

 レイチェットは、裁判長に何かを促すように目を向ける。それを受けると、


「もう証言台に立つものがいないのであれば……本件はこれより裁判官による審議に入る」

「裁判長、あの娘の犯した罪は甚大です。イルドライド王家として相応の処罰を求めます」


 レイチェットが含むように告げると、裁判長は小さく頭を下げ、二名の裁判官を引き連れて立ち上がろうとした、そこに――


「ちょっと待った!」


 傍聴席出入り口付近から声が響いた。その人物は、ひとりの少年を伴って中央通路を闊歩し、


「ぎりぎり間に合ったようですね」


 そのまま証言席に立った。急遽席に戻った裁判長は、ざわつく場内を静めてから、


「証人として証言を望むのか?」

「はい」

「そなたの名は?」

「……ホームズ。シャーロック・ホームズ」


〈たんてい〉が名乗ると、テセラは力が抜けたように椅子に腰を落とし、ラムペイジは剣の柄から手を離した。レイチェットとファスタードは忌々しそうに証言席を見やり、ホームズは、その二人と視線を合わせると、「あいにくと俺には、優秀な助手がいるんでね」と、背後のワトソンを親指でさし、笑みを浮かべた。


「皆さん……」ホームズは場内のぐるりを見回してから、「テセラさんは無実です」


 再び場内がざわつく。


「何か証拠はありますか?」


 裁判長に問われたが、


「ありません」


 ホームズは、さわやかな顔のまま、きっぱりと答えた。場内のざわつきは若干大きくなり、レイチェットとファスタードは侮蔑したような笑みを浮かべる。が、ホームズは少しも臆することなく、


「証拠はありません。が……代わりに、これでどうです?」


 自分の右手を高く掲げた。


「我、これより真実のみを語らん!」


 ホームズが言い終えると、中指にはまっている指輪の宝石が青い光を放ち始めた。おお! と場内のざわめきはいっそう大きくなる。その様子を満足そうに眺めて、ホームズは、


「これがか、皆さん、とっくにご存じですよね? そして、この指輪が光っていることが、俺にとってどういう状態を意味するのかも」


 誰の口からも答えは返ってこなかったが、その驚愕の表情こそが、すなわち返答だった。


「真賢者ブラウの神聖遺物ハイ・アーティファクト、〈真実か死かザ・トゥルース・オア・ダイ〉……」


 ラヴォル王が、その指輪の名称を呟いた。


「では……」とホームズは、「で改めて宣言させてもらいます……テセラさんは無実です。この事件の犯人ではありません!」


 場内のどよめきは、この日最大に達した。誰もが目の前で起きている事実を認めざるを得なかった。「証言席の男が、〈真実か死かザ・トゥルース・オア・ダイ〉発動状態において『テセラは無実』と口にした。にも関わらず、まだ立っている、生きているという事実」それが意味するところを。

 両手を振って場内のざわめきを静めると、ホームズは、一度深く息を吸って、


「今から、この事件の真実をお話しします」


 落ち着き払った口調で宣言した。

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