2-24 論より証拠より

「ホームズ!」


 地下室に声を響かせながら、ワトソンが駆け寄った。ランタンを床に置き、ホームズを拘束している荒縄を解きに掛かったが、固い結び目に手こずり、早々とワトソンは結び目を解くのを諦め、懐から取りだしたナイフで縄自体の切断に手段を移行した。


「よく来てくれたな」


 ナイフが荒い縄に切れ目を入れていく、ごりごりという音が響く中、ホームズが声を掛けると、


「この緊急事態に、いつまで経ってもホームズが戻ってこないからさ、あちこち探し回ってたんだ。もしかしたらと思ってランタンも持って来ていてよかったよ。で、いったいどうしたの? 何があったの?」


 余程堅い縄なのだろう、真下から照らすランタンの明かりが、ワトソンの額に浮かんだ汗を照らしている。


「話せば長くなるんだがな……怪しい男二人に拉致された」

「めちゃ短く済んだし」

「くそっ、俺もホームズみたいに〈バリツ〉が使えたら、あんなやつら――」

「えっ? ホームズみたいにって、ホームズは自分でしょ?」

「ああ、いやいや……こっちの話。それはそうと、あの男たちは何者なんだ?」

「話を聞いて状況が飲み込めたよ。多分、そいつらはレイチェット様の手下だ」

「なに? どういうことだ?」

「朝の食堂でのことだよ。あそこにいた男が、僕たちの話を聞いていて、それをレイチェット様に報告したんだよ」

「で、俺を拉致監禁したってことか? いきなりどうして?」

「それはね――やった!」


 そこで縄は切断された。


「ありがとう」


 ホームズは自分の手首をさする。赤い痣が出来ていた。


「ホームズ! 急いで!」


 ワトソンはランタンを拾い上げて出入り口に走る。


「待て待て」とホームズはワトソンを引き留めて、「まだ話の途中だったろ。俺が監禁された理由は何だ? それにお前、さっき『緊急事態』って」

「そうだった。説明しとく」ちょうど扉の敷居まで走っていたワトソンは、立ち止まって振り向くと、

「ホームズが監禁された理由はね、ホームズが邪魔だったからなんだよ」

「なに?」

「それと、緊急事態のほう。実はね……犯人が捕まったんだ」

「――はぁ?」


 ホームズは頓狂な声を上げた。ワトソンは頷いて、


「裁判神殿で、もう裁判が始まってるよ」

「裁判神殿? そんなものがあるのか? しかし、裁判とはいくらなんでも早すぎないか? というか誰なんだ? 犯人は」

「テセラさん」

「……はぁ?」


 意外すぎる人物の名前を聞かされたホームズは、


「どうしてテセラさんが? 誰だ、そんな世迷い言を抜かしたやつは――まさか?」

「そう、そのまさかだよ。テセラさんを犯人として告訴したのは、レイチェット様だ」

「俺のいない間に、いったい何が起きたんだ?」

「テセラさんの部屋から、証拠が出てきたんだよ」

「証拠だと?」

「うん、『石化王子会』会員の証であるペンダントが発見されたって」

「えっ?」

「つまり、レイチェット様の言い分は、こういうこと。テセラさんは『石化王子会』に入会していて、アストル様をずっと『石化王子』のままでいさせることを望んでいた。だから……」

「持ち込まれた肝を破壊したり、宿屋から盗み出したりしたっていうのか?」


 ワトソンが頷く。


「……馬鹿な。だいたい、テセラさんが『石化王子会』になんて入るわけが……そのペンダントだって、捏造された証拠だろ」

「間違いない。多分、レイチェット様の旦那のファスタード様の仕業だよ」

「なに? それはどういう……」

「昨日の夕食の席にいなかったでしょ」

「……そういうことか」

「うん。ファスタード様は、街に行って『石化王子会』のメンバーを探し出して、ペンダントを入手したんだろうね」

「なんで、そんなことを……それに、『石化王子会』のことを、どうして?――あっ!」

「うん。今朝食堂で見た男の仕業だ。あいつはホームズの記憶どおり、昨日のアストル様の披露式典のときも、僕たちの近くにいたんだよ」

「ずっと俺たちをマークしてたってことか。で、僕たちの会話を聞いていたのか。『石化王子会』の、あの女性との話を」

「うん。それで、その報告を受けたレイチェット様は、これは使えると考えたんじゃないかな」

「テセラさんを冤罪にかける手段としてか」

「そうだよ。だから、ホームズが邪魔になって監禁したんだ」

「どうして?」

「ホームズ、今朝、食堂で言ってたじゃない。『事件の謎が解けた』って。それをあの男が聞いていたんだよ」

「俺が真相を話したら、自分の仕掛けた冤罪が覆されるから?」

「そういうこと。だから、ホームズが今朝ひとりで町に出たのは、連中にとっては絶好の展開だっただろうね」

「……それは分かったが、しかし、レイチェット様は、どうしてそんな、テセラさんを犯人に仕立てあげようなんてことを……」そこでホームズは、動機に思い当たった。「――ラムペイジ様だな? 二人の仲を裂こうとして!」


 頷いたワトソンは、


「間違いないだろうね。殺人罪に王室反逆罪。立派な犯罪者になってしまったテセラさんは、ラムペイジ様と一緒になることなどもう不可能ということだよ。ラヴォル王といえど擁護は難しい……いや、無理だろうね」

「だが、テセラさんは罪を認めたわけじゃないんだろ?」

「当たり前だよ。でも、そんなの関係ないよ」

「なに?」

「相手は国王のお姉さんとその夫だよ。一介の使用人とは、あまりに立場が違いすぎるよ」

「ラムペイジ様が黙っていないはずだ」

「だろうね。でも、同じことだよ。立場では両親のほうが圧倒的に上だ。何を抗弁しようと、問題にもされないだろうね。おまけに、向こうにはペンダントという『証拠』もある」

「捏造のな」

「関係ない。王族が直接発見した証拠、ということになってるんだ。その効力は絶大だよ。逆に言えば、捏造だという証拠もない」

「めちゃくちゃだ! テセラさんが犯人のわけがないことは、少し考えたら分かるはずだ。彼女はアストル様の復活をこれ以上ないほど望んでいたんだぞ。自分と、ラムペイジ様のためにも」

「だから、動機は『石化王子会』の思想なんだって。そういうことにされてる。ペンダントという物的証拠に加えて、『犯行が可能なのは城の内部にいる人間』という状況証拠にもテセラさんは合致する」

「……」


 ホームズは呆然として黙した。見ると、ワトソンの顔が先ほどよりも闇に呑まれている。原因は明らかだった。ランタンの火が弱くなっているのだ。彼が持参してきたランタンには、十分な油が入っていなかったらしい。


「ねえ、ホームズ」半分以上闇に顔を埋めたワトソンが、ため息混じりに、「ここは、そういう世界なんだよ」

「なに?」

「大戦以降、世界は変わったなんて言っても、結局こんなものなんだよ。権威と権力を持つものの主張、言い分が絶対視される」

「白い鳩も、偉い人が『あれはカラスだ』と言えば、黒いカラスになってしまうってことか」

「いや、さすがにそれだけじゃもう通用しない。だから、鳩に黒い絵の具を塗りたくって、見た目だけカラスっぽくするのさ。今回で言えば、『石化王子会』のペンダントと、思想による動機が、その絵の具の役割を果たしてる」

「それくらいのことで――」

「騙されちゃうんだよ」ワトソンは、ホームズの声に被せると、「……いや、騙されるっていうのは、ちょっと違うかな。乗っけられちゃうんだよ」

「乗っかる?」

「そう、乗っけられちゃうの。昔なら、いきなりレイチェット様が『あの使用人の娘が犯人だ』って名指しすれば、問答無用でそれ――身分高き王族の言葉――が〈事実〉として通用しただろうね。でも、さすがに今の時代、それだけじゃ駄目。王侯貴族とはいえ、そこまでの力はない。民衆は乗ってこない。だから、『使用人の娘は、石化王子会という、これこれこういう思想を持っている組織の一員で、それが犯行動機なのだ。ほら、娘の部屋から組織の一員である証のペンダントが出てきた。犯行は城の内部にいるという状況証拠も満たしている』っていう〈絵の具〉を塗る作業をするんだよ。これに民衆は乗っちゃう。『証拠と動機』っていう、物的にも心理的にも納得のいく理由が付くからね。『王侯貴族とはいえ、権威を振りかざすだけでなく、客観的な証拠を探し出してくるとは、やるな』ってなっちゃう」

「何とかならないのか?」

「いちおう、裁判では傍聴している誰もが〈証人〉となって証人席で発言できるんだ。告訴人の論拠を補強するとか、逆に告訴人側の間違いを訂正して被告人を有利に導くとかね」

「飛び入りで証人になれる? 裁判に持ち込まれる早さといい、俺の知ってる裁判とは随分と違うな」

「でも、今回はテセラさんを助ける証言をするのは難しいだろうね。さっきも言ったけど、〈証拠〉と〈動機〉っていう二枚看板が見事にそろってる。しかも、告訴人である王族の折り紙付きだ」

「……どうにもならないってことか」

「いや、なる」

「なに?」

「ホームズが証人になって、自分の推理を披露すればいい」

「……」

「どうしたの?」


 黙したホームズに、ワトソンの声が浴びせられる。ランタンの火は消える寸前にまで弱くなっている。


「ホームズは真相に辿り着いたんでしょ。その推理によれば、犯人はテセラさんじゃないんだよね。それを披露すれば、テセラさんへの疑いは晴らせる」


 ワトソンが笑みを浮かべた。ように見えた、いや、思えた。なぜなら、すでにワトソンの顔は闇の中にあり、表情を窺い知ることが出来ないから。ランタンはすでに、豆粒程度の小さな火が灯るだけで、照明としての機能は果たしていない状態だった。

 暗闇の中、項垂れているホームズに、ワトソンが、


「食堂でも聞いたけどさ、ホームズは自分の推理を話したくないんだね。どうして?」

「……」

「ホームズの推理、つまり真相を聞かされると、誰か傷つく人がいるんだね」

「……」

「もっと端的に言うと……、って、そう考えてるってこと?」


 ホームズは、はっとして顔を上げた。「察してくれ」という表情を作ったつもりだったが、ワトソンに届いてはいないだろう。こちらから彼の顔が見えないということは、向こうも条件は同じはずだ。すでに暗闇と同化してしまっているワトソンは、


「気持ちは分かるよ。でもね、もうそんなこと言ってる場合じゃないでしょ」


 ホームズが返事を返さないでいると、


「レイチェット様は……テセラさんを処刑に持ち込むつもりだ」

「処刑だと?」


 ホームズは目を見開いた。姿の見えないワトソンは、


「出来るよ。それが権力ってものさ」

「そんなことをしたら、ラムペイジ様が本当に黙っていないぞ。それに、当人の心情はどうあれ、息子が好意を寄せている人物を処刑するだなんて……そんなことの出来る親がいるか?」

「身分の低い使用人を好きになるなんて、いっときの気の迷い、くらいに考えてるんだろうね。王族、いや、次期国王に相応しい身分の貴族の娘を与えてやれば、すぐにテセラさんのことなんか忘れると思ってるんだよ、レイチェット様も、ファスタード様も」

「そ、そんなことが……」

「むしろ、息子の、ラムペイジ様のためを思っての行動なんだよ」

「……狂ってる」

「ねえ、ホームズ、ここまで来たらもう、推理を披露するしかないんじゃないかな。誰が傷つこうが、テセラさんの命には代えられないでしょ……を使って」


 暗闇の中で視認不能だが、ワトソンが何をしたのかは分かった。ワトソンは、ホームズの右手を指し示したに違いない。


「――!」


 ホームズは咄嗟に自分の右手を左手で握る。右手中指にはまる指輪が、左の手の平を押した。


「……必要ない。こんなものは――」


 ホームズは努めて冷静に言ったつもりだったが、


「どうかな」


 返ってきたワトソンの声は、ホームズのそれに輪をかけて冷静なものだった。


「僕は、無理だと思うよ」


 耳にして冷たさすら感じるワトソンの声が、もう一度ホームズの耳朶を打つ。


「どうして?」


 ホームズは暗闇に向けて声を放つ。


「僕も、ホームズの推理は正しいと、真実を暴いていると、そう信じてるよ。だけど、ほら……」

「何の問題がある――」

「無理だって」

「な――?」

「いくらホームズの推理が筋道立った論理的なものだとしたって、誰も耳を貸さないと思うよ」

「そ、そんなことは――」

「残念ながら、そうなんだなぁ。レイチェットが持ち込んだ証拠は確かに捏造品だよ。だけど、それを暴く手段がないよね」

「そんなことはない……よく調べれば――」

「本来の持ち主の〈しもん〉とやらが残ってるとか?」

「――!」

「無意味」ワトソンの突き放したような声。「この世界には、ホームズが言う〈しもん〉を検出する手段がないし、出来たところで、そんなものに証拠能力なんてないよ。だって、みんな〈しもん〉なんて知らないんだもん」

「それは……」

「確かに、あのペンダントは『石化王子会』の誰かから金で入手したものだろうけれど、元の持ち主も、自分がファスタードにそれを売り渡した、なんて絶対に口を割ったりしないよ。権力って、そういうものだよ。王族の威光を浴びたそれは、この世界において誰も覆すことの出来ない、決定的な証拠なんだよ。それを前にしては、どんな論理も無意味なんだ。ホームズの世界の言葉にもない?……『論より証拠』って」

「……」

「それにさ、これは今回だけの問題じゃないよ。〈しもん〉に加えて、ホームズが言っていた〈けつえきがた〉も〈でぃーえぬえー〉も、そんなの誰も知らないし、あると証明するのも納得させるのも不可能なんだから」

「……」

「認めなよ」

「……何を?」

「手段は、ひとつしかないってことをさ」

「……」

「諦めろ、ホームズ」

「――なに?」

「これは意思だ。大いなるね」

「……」


 ホームズは、一旦は離した左手を再び自分の右手に添えた。固い感触。ホームズは、ごくりと唾を飲んで、


「し、しかし……」

「往生際が悪いよ、ホームズ」


 反射的にホームズは左手に力を込めた。指輪の感触がより強くなる。


「ホームズ、何を迷ってるの?」

「ま、迷いもするだろ……これの……この指輪の力は……」

「〈真実か死かザ・トゥルース・オア・ダイ〉」


 ワトソンが指輪の名前を口にすると、ホームズは息を呑んだ。


「自信を持てよ、ホームズ。な捏造証拠なんて、〈真実の言葉〉で打ち砕いてやれ」


 まるで、にやりと笑みを浮かべたような口調でワトソンは言った。

 ホームズは逡巡していたが、それは僅かな間だけだった。「くそっ!」ひと言吐き捨てると、


「行くぞ! ワトソン!」

「そうこなくっちゃ」


 直後、ワトソンの声が響いた。暗闇の中での二人の会話は終わった。ホームズは駆け出し、階段を駆け上がった。ワトソンも後ろに続く。長い階段を上りきり、一階に出たところで、


「うわっ」


 ワトソンは最後の一段を踏み外し、体のバランスを崩した、が、


「――おっと」


 ホームズに手首を掴まれ、階段を転げ落ちていくのを免れた。

 今朝別れた、いや、薄暗いながらも地下室で顔を合わせたばかりだったというのに、ホームズは久しぶりにワトソンの顔を見た気がした。肩まで伸ばした黒髪、大きくて丸い目、褐色の頬、いつもと変わらないワトソンだった。ワトソンも、その黒い瞳でホームズを見つめ返すと、


「……辻馬車を拾って裁判神殿へ飛ばそう」

「ああ」


 二人は笑みを交した。

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