2-22 四つの紋章

「では、俺たちはこれで」


 ホームズが立ち上がったことで、ワトソンとテセラもそれに倣った。使った椅子を元に戻し、退室しようとすると、


「ホームズ様」


 アレイドラに呼び止められた。ホームズが振り返ると、彼女もまた立ち上がっていて、


「何としても、犯人を捕まえて下さい。この子を助けて下さい。どうか……」


 深々と頭を下げた。


「全力を尽くします」


 一礼を返し、ホームズは二人を伴って部屋を出た。「全力を尽くす」と言うだけで、事件の解決を約束する言葉を口に出来なかった自分を情けなく、歯がゆく思った。

 アストルの部屋を出て、重い歩調で廊下を歩いていると、


「次は、どうされますか? ホームズ様」


 テセラに次の捜査方針を訊かれた。立ち止まると、ホームズは、


「少し、休みませんか。なるべく……人の来ないところで」


 それなら、ホームズたちが泊まっている客室がよいのでは、とテセラが提案し、三人はそこへ向かった。

 部屋に二脚ある椅子はテセラとワトソンに使わせ、ホームズはベッドに腰を下ろした。ワトソンは椅子に反対向きに座り、背もたれに腕を乗せる行儀の悪い姿勢で椅子を使っていた。


「しかし……」ホームズはベッドに後ろ手をついて、「驚きましたね。先ほどの、アレイドラ様の告白」

「ええ」テセラも沈痛な顔をして、「アストル様がああなる前は、アレイドラ様、いつも明るくされていて、とても幸せそうに見えましたのに、陰ではあんなことになっていたなんて……私、全然気付きませんでした。何だか申し訳ないです」

「ラヴォル王をはじめ、王族や大人の使用人の方々にも一切気付かれていなかったのでしょう? それだけアレイドラ様の振るまいが気丈で、しかも、リートワイズ様の浮気の隠蔽が巧みだったということでしょう」

「何だか、腹が立ってきました」


 テセラは眉を釣り上げる。


「まあ、でも、その怒りをぶつける相手のリートワイズ様は、もう故人なわけですが」


 ホームズは天井を見上げた。


「それにしたって、ひどすぎる話です。妻が臨月で、赤ん坊がいつ生まれてきてもおかしくない状態だっていうのに、ラヴォル王たちが不在なのをいいことに、浮気に出るだなんて……信じられません」


 テセラの怒りは収まらないようだ。無理もないことだとホームズも思う。怒りの表情を顔から消したテセラは、


「でもまあ、アレイドラ様のお体に不調もなく、アストル様が無事に生まれてくれたのが幸いでしたね」

「そうですね。思えば、出生のことに加えて、大人になって『石化王子』となってしまい、アストル様は大変波乱な人生を歩まれているといえますね」

「ええ……一刻も早く、平穏な日々が戻るといいのですが。ホームズ様、いかがですか? 何か掴めましたか?」


 期待に満ちたような表情を向けられて、ホームズは、


「正直……まだ何も分かっていません。ですが……」

「ですが?」

「何かが見えてきそうなんです。今まで見聞きしたことを、全て繋げて考えてみれば……」

「今までのこと、ですか?」

「はい。石化王子事件に直接関係がないと思われていることも、全部含めて……」ホームズは前屈みの姿勢になると、膝の上に肘を乗せ手を組んで、「蠱毒こどくの森での戦い、戦死した鉄仮面、グレン団長や、ホイルシャフトさんたちから聞いた話、それに……今しがた知った、アストル様の出生秘話まで」

「それらが全て、事件に関係があると?」

「断言は出来ませんが、何かが引っかかっているんです……今まで見聞きした話、そのどれかに欺瞞があって、それさえ分かれば、一気に謎が解きほぐされそうな、そんな気が……」

「欺瞞って、今まで話を訊いた誰かが嘘をついているということですか?」


 テセラは頓狂な声を上げたが、ホームズはあくまで冷静なまま、


「嘘、かもしれませんが、俺の目に入らない何かがあって……勘違いをしているという可能性も……」



 ホームズは、今日はこのまま考え事をしたいから部屋に籠もる、と告げ、テセラには使用人としての通常の仕事に戻ってもらうことにした。テセラは出がけに、「今日のお夕食も、昨日と同じ場所で晩餐形式で全員でいただきますので」と言い残して退室した。

 それからホームズは、考えをまとめようとベッドに倒れ込んだ。

 天井を見つめて黙考するホームズの横顔を、同じようにベッドに横になったワトソンは、何も口を挟むことなく、興味深そうな顔で見つめていた。



 結局結論の出ないまま、晩餐の時刻を迎えた。この日も二人が会場の一番乗りだった。昨日と同じ席に座って待っていると、まず、アレイドラが姿を見せる。アストルの部屋での告白を聞いていたため、ホームズはどんな顔で迎えればよいか迷ったが、アレイドラ自身が昨日と変わらぬ様子だったため、努めて表情を平静に保ちつつ会釈を交した。ホームズと彼女との間に空席があることも昨日と同様だった。

 次にラヴォル王、すぐにラムペイジが入室して席に着き、少し遅れて入ってきたレイチェットが、


「ファスタードは、所要で欠席させていただきますので」


 着席するなり口にした。


「何だ? 珍しいな」


 ラヴォル王の言葉には、


「ええ、ちょっと」


 と曖昧にしか返答せず、口元に僅かに笑みを浮かべただけだった。


「では、いただこうか」


 ラヴォル王の宣言で、晩餐が始まると、


「ホームズ殿、捜査のほうはいかがでしょう?」


 意外にも、まっさきに声を掛けてきたのはレイチェットだった。スープをすくう途中でスプーンを止めたホームズは、


「申し訳ありません。まだ、何もご報告できるようなことは……」


 嫌みでも言われるかと思ったが、


「そうですか」


 ここでも意外なことに、レイチェットは何も言い返してはこなかった。拍子抜けするとともにホームズは、彼女の口角が僅かに上がっているのを目に留めた。先ほどラヴォル王に対して答えたときと同じような笑み。まるで、何かを企んででもいるような。

 スープをひとさじだけ口に運んだホームズは、空席となっているレイチェットの隣席を見た。彼女の夫ファスタードが不在なことと何か関係があるのだろうか。ラムペイジを見てみるが、彼は何も知らされてはいないようだ。時折怪訝そうに母親と、父親が座るはずだった空席を横目で窺っている。

 そのまま視線を部屋の壁に持っていく。使用人たちが立ち並んでおり、中にテセラの姿があるのも昨日と同じだ。彼女の目が当然のようにラムペイジの背中に向いていることを微笑ましく思い、さらに視線を移動させたホームズは、壁際の天井付近から垂れ下げられている大型のタペストリーを目に留めた。昨日ほど緊張していなかったホームズは、今日はゆっくりとそのタペストリーに目を配る余裕があった。見るとそこには、竜が剣に絡みついた意匠の、いかにもといった感じの紋章が描き込まれている。タペストリーは全部で四枚あり、紋章のデザインは全て同じだが、剣と竜の背景色だけが「赤」「青」「緑」「黄」と違っていた。


「イルドライド王立騎士団の紋章だ」


 ホームズの視線の先を追ったのだろう。ラヴォル王が教えてくれた。


「ああ、そういえば」


 ホームズは、その紋章に見憶えがあったのだが、ラヴォル王の言葉で、それをどこで目にしていたのかを思い出した。ラムペイジやグレン、副団長のチャージャーらが装備していた鎧の胸部分に、同じ紋章が付けられていたのだ。


「背景色が違うのは、部隊が四つあるということですね」

「そうだ」ホームズの言葉に、ラヴォル王は、「手前から順に、〈赤竜隊せきりゅうたい〉、〈青竜隊せいりゅうたい〉、〈緑竜隊りょくりゅうたい〉、〈黄竜隊こうりゅうたい〉という」

「各部隊に役割の違いなどはあるのですか?」

「いや、特にそういった区別は設けておらぬな。十数年前に騎士団を分隊化した際、その指令系統の効率化のために便宜上分けているというだけだ。ただ、まだ騎士団が分隊化される前の本来の紋章は背景色が赤だったためか、〈赤竜隊〉が騎士たちには一番人気があるようだな。副団長も〈赤竜隊〉の隊長が兼任するならわしだ。ちなみに、騎士団長の紋章だけは背景が黒になっている。そのため我が王立騎士団の団長は、代々〈黒竜〉などと呼ばれているようだ。グレンにぴったりな渾名あだなだろう」


 ラヴォル王は口髭を揺らして笑ったが、ホームズは自分も同じように笑っていいのか判断しかねた。グレン団長の肌の色と掛けているのに違いないからだ。


「ラムペイジ様は、どの部隊に所属されているのですか?」


 咄嗟にホームズは話題の矛先を変えた。


「私は〈青竜隊〉です」ラムペイジは答え、「ちなみに、アストルは〈緑竜隊〉でした」

「ああ、そういえば、アストル様の鎧にも同じ紋章がありましたね。といっても、王立騎士団の鎧は全部同じデザインなので当たり前ですね。でも、そのときは色までは……」


 ホームズの声が萎んでいく。カチリ、と音がした。ホームズの握っていたスプーンがスープ皿と接触したのだ。ホームズがそのまま手の力を緩めたため、取り落とされたスプーンはスープに沈んでいった。


「ホームズ殿?」


 ラムペイジが声を掛け、異変に気付いたレイチェット、ラヴォル王、アレイドラも目を向ける。ホームズの視線は四枚のタペストリーに突き刺されたままだが、そのじつ、視野には何も入ってはいなかった。

 テセラをはじめ使用人たちも怪訝な顔で、突然押し黙ってしまった〈たんてい〉を窺う中、ワトソンひとりだけが食事に舌鼓を打ち続け、ホームズのことを面白そうな目で見つめていた。


「――ラムペイジ様!」

「は、はい?」


 突如復活したホームズに名を呼ばれ、ラムペイジはびくりと背筋を伸ばした。ホームズはテーブルに手を突いて立ち上がり、


「鉄仮面は、どの部隊に所属していましたか?」

「えっ?」


 全く予想外の質問だったのだろう。答えを返せないまま固まっているラムペイジに、ホームズは、


「アストル様と同じ〈緑竜隊〉だったのでは?」

「そ、それは……」


 ラムペイジが答えあぐねていると、


「そ、そうだ」ラヴォル王が助け船を出し、「鉄仮面は〈緑竜隊〉に所属していたはずだ。印象的な騎士だったので、私も憶えている。より確実を求めるなら、騎士団の詰所に記録が――」

「ありがとうございました!」ラヴォル王の言葉を最後まで聞かないまま、ホームズは、「申し訳ありませんが、俺は部屋に戻らせていただきます。ご無礼お許し下さい。ごちそうさまでした」


 一礼すると、晩餐会場を飛び出していった。

 誰もが唖然とする中、ワトソンひとりだけは、やはり笑みを浮かべて〈たんてい〉の背中を見送っていた。



 部屋の扉が開いて、ワトソンが顔を出した。机に肘を付き、組んだ両手に額を付ける格好で座っていたホームズは、「お前か」と顔を向けただけで、すぐに元の姿勢に戻る。


「どうしたの、ランプも点けないで」


 薄暗い室内でワトソンは、半ば手探りでサイドテーブルに置いてあるランプに火を灯すと、


「はい」


 片手に持っていたトレイをテーブルに置いた。パンが二きれ載った皿と、アーモンドミルクの入ったグラスが載せてあった。


「夕食、ほとんど食べてなかったでしょ。お腹空いてると思って」

「悪いな」


 そう答えながらもホームズは、パンにもグラスにも手を伸ばそうとはしなかった。


「ふわーあ……」と両腕を伸ばしてあくびをしたワトソンは、「僕は、もう寝るよ」


 自分のベッドに向かう。ホームズは視線も向けないまま、


「おやすみ」

「うん、おやすみ」


 揺れるランプの明りに照らされたホームズの背中を見ながら、ワトソンはベッドに潜り込んだ。

 結局、この日ホームズが床に就いたのは、この世界では真夜中といってよい午後九時の鐘が聞こえてから、さらに数時間が経過した頃だった。

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