2-21 誕生秘話

 城に戻ると、すぐにホームズたち三人はアレイドラの部屋を訪れた。テセラが扉をノックして、「アレイドラ様」と呼びかけるが返答はない。


「いらっしゃらないようですね」


 それを何度か繰り返してから、テセラはホームズを振り返る。


「もしかしたら、アストル様のお部屋なのでは?」

「あっ、そうかもしれません」


 ホームズの提案で、三人はアストルの部屋を目指した。



「アレイドラ様、いらっしゃるでしょうか?」


 アストルの部屋の扉をノックして、テセラが呼びかけると、


「どうぞ、鍵は開いています」


 今度は返事が返ってきた。扉越しに、やっと聞き取れる程度の細い声だった。

 失礼します、とテセラを先頭に、ホームズ、ワトソンの順に入室する。見回すと果たして、アレイドラは広い部屋の一番奥、ベッドの横で椅子に腰を下ろしていた。その視線はベッド上に注がれている。先ほどまで、城門前の広場で民衆にその姿を晒していた「石化王子」が、シーツを被せられないまま、その灰色一色の体をベッド上に横たえていた。

 立ち止まった三人に、アレイドラの目が向き、


「〈たんてい〉さん方もご一緒でしたか」


 その口調と表情から、〈たんてい〉が歓迎されているのか、そうでないのかを読み取ることは出来なかった。


「あの、アレイドラ様」とテセラが、「ホームズ様が、お話を伺いたいと……」


 訪問目的の口火を切った。一旦テセラに向いたアレイドラの視線は、再びホームズへと戻ってきて、


「……今さら、私に何を訊こうというのでしょう」

「アストル様について」

「……」


 ホームズが答えると、アレイドラはベッドの上を一瞬見やってから、


「椅子を持って来て、そこへ」


 ベッドを挟んで座るよう促した。


「あの……私は外したほうがよろしいでしょうか?」


 テセラが申し出たが、構いません、とのアレイドラの言葉を受け、三人は部屋にあった椅子をベッドの手前に持って来て腰を下ろす。アレイドラが視線を合わせてきたことを、質問開始の許しと受け取ったホームズは、


「アストル様は、どのような方だった――なのでしょう?」


 思わず過去形で尋ねかけてしまい、ホームズは慌てて言い直した。が、アレイドラはそれに対しては不快感を表すこともまま、


「……やさしく、強く、勇敢な子です。常に国民のことを想い、自分が国王になった暁には、このイルドライドを世界で一番豊かで幸せな国にすると、息巻いておりました」アレイドラは、「石化王子」の体で唯一素肌を晒した部位である顔、その灰色をした冷たい頬を撫でて、「親の欲目だとお思いでしょうね」

「そんなことは。先ほどの式典で、アストル様がいかに国民に愛されているか、実感いたしました」

「ありがたいことです。おかげで、アストルを襲った悲劇を皆が忘れないでくれています。国内外に解毒剤の必要性を訴えかける貴重な機会にもなっていますし。肝に対して莫大な報奨金まで出していただき、ラヴォル王にはどれほどの感謝をしても、しきれるものではありません」

「家族ならば、当然なのではありませんか」

「はい。ですが……ありがたいことです」


 その口調から、夫のリートワイズが亡くなったことで、ラヴォルと自分との間に直接の繋がりがなくなったことを引け目に思っているのだろうか、とホームズは感じ取った。


「アストル様は、ご自身の嫡子を持たれなかったラヴォル王にとって、初めての跡継ぎということになりますからね。ご出産の際は、大変な祝福を受けられたのでは」


 ホームズのこの発言には、だが、アレイドラは沈んだ表情を返した。


「アレイドラ様?」


 名前を呼ばれると、ベッド越しに俯いていたアレイドラは、はっ、と顔を上げて、


「申し訳ありません。アストルが生まれたときのことを思い出しておりましたので……」

「伺っても、よろしいですか?」


 アレイドラは頷くと、ベッド上の石化した冷たい体を撫でながら、語り始めた。


 今から二十三年前のある日。この日、イルドライドの王族は、長年親しくしている同盟隣国へ赴くべく、朝早くに城を出立した。その国の国王の誕生パーティーに出席するためだった。このとき身重のアレイドラは臨月を迎えており、いつ出産してもおかしくない状態だった。甥の誕生を心待ちにしていたラヴォル王は、そのため城を空けることを渋っていたのだが、前々からの約束であり、外交上の結びつきからも、同盟国の国家行事であるそのパーティーに参加しないわけにはいかない事情があった。とはいえ、さすがにアレイドラを連れていくことは出来ないため、彼女と夫のリートワイズの二人は城に残し、ラヴォル王とロミア王妃、レイチェット、その夫ファスタードの四人だけで出発することとなった。一行が城を出立したのは朝早く。帰還するのは三日後の予定だった。


「折りの悪いことに、この子が生まれたのは、その日の夜中だったのです」

「ああ、蠱毒こどくの森の戦いがあったのが、今から五年前で、そのときアストル様は十八歳だったため、合わせて二十三年前というわけですね」ホームズは納得して、「ちょうど、ラヴォル王たちが不在のときに、ご出産を……。ですが、夫のリートワイズ様はいらっしゃったわけですよね?」


 ホームズの言葉に、アレイドラは肯定を返さない。ベッドの上に視線を向けたまま黙しているだけだった。


「アレイドラ様……?」


 沈黙にたまらず、ホームズが名を呼ぶと、


「これは……今まで誰にも話していなかったことなのですが……」言葉を選ぶように、アレイドラは、「この子、アストルが生まれた夜、リートワイズは私のもとにいなかったのです」

「えっ?」

「きょうだいたちの目がなくなったのを、これ幸いと思ったのでしょう。あれは……リートワイズは……その夜、街に出ていたのです」

「それは、もしかして……」

「ええ」アレイドラは、一度重くまぶたを閉じて、開くと、「……浮気でした」絞り出すように口にした。

 その瞬間、テセラは、えっ? と声を発して口元を押さえる。ホームズは、感情を押し殺したように無表情になったアレイドラに向かって、


「それは、本当なのですか?」

「はい。間違いありません」

「ですが、確かにリートワイズ様は女性に対して気の多い方だったと聞いていましたが、それもご結婚されるまでのこと。ラヴォル王にたしなめられてからは、アレイドラ様ひと筋に心を入れ替えられたとも聞いておりましたが」

「ええ。確かに結婚当初は、そうでした。ですが、やはり、あれの女好きを抑え込むことなど無理だったのです。婚姻後、何箇月もしないうちに、何かと用事を見つけては街に出向くようになり、その都度、違った香水の匂いを体につけて帰ってくるようになりました」

「そのことを、ラヴォル王は?」


 アレイドラはかぶりを振って、


「私が言い出せませんでした。あれは表向き、夫婦間には何の問題もないように振る舞い、ラヴォル王もそれを信じ切っておりましたから、そのことを申し立てては悪いような気がして。ラヴォル王は、女性にだらしなかった弟が、私と円満な夫婦生活を築いていることを心底喜んでいらっしゃいましたから。私の胸の内だけに入れておけばいいことだと……。こんな話がお耳に入ったら、今度こそリートワイズは、ラヴォル王に殺されていたかもしれませんし。もっとも、そのほうがよかったのかもしれませんが」


 アレイドラは、顔に薄い笑みを貼り付けた。ホームズは心中苦笑いをすると、


「リートワイズ……様のほうでは、自身の浮気がアレイドラ様にばれているとは?」

「心にも思っていなかったでしょう。あれは、そういう男でしたから。学のない小さな商家の娘など、簡単に欺けると高をくくっていたのでしょう」

「こんなことを申し上げられる義理ではないかもしれませんが……お察しいたします」


 アレイドラは首を横に振って、


「もう、終わったことですから」


 その笑顔に自虐的な色が加わった。


「そ、それで……」ホームズは話を戻し、「アストル様がお生まれになったとき、リートワイズ様はおらずに、アレイドラ様はおひとりだったと」

「はい、ベッドに横になっている最中、突然激しい陣痛に襲われてしまいました」

「お近くに産婆や使用人などは控えていなかったのですか?」

「別室におりましたが、呼べませんでした」

「あまりの激痛で?」

「それもありますが……彼ら、彼女らにしてみれば、私には常に夫が一緒についていることになっていましたから」

「ああ……いざ部屋に駆け込んでみて、リートワイズ様の姿がなかったら、事情が明るみに出てしまうから……」

「はい。私に何かあったら、まず夫が知らせに来るということで産婆たちは承知していましたので、彼ら、彼女らのほうからこちらに様子見に来るということもありませんでした」

「なるほど……」

「ひとつ、幸いだったのは、そのときは夜中だったため、私はすでにベッドに入っていたことでした。誰の助けも呼べないまま長時間の陣痛に苦しんでいた私は、とうとう気を失ってしまいましたから」

「それは……しかし、アストル様は」

「はい。無事、と言ってよいかは分かりませんが、生まれてくれました。発見したのは、夜中に街から帰ってきた夫でした。ベッドで気を失っている私の脚の間に、羊水まみれの赤ん坊が泣いているのを見て、さぞ驚いたことと思います。ですが、あの人は……すぐに大声を上げて産婆や使用人を呼びつけはしませんでした」

「えっ? どういうことでしょう?」

「そのままでは、自分が不在だったことが露見してしまいますから」

「……ははあ」

「あの人は、年老いた産婆ひとりだけをこっそりと部屋に連れてきて、自分と二人で赤ん坊をとりあげたことにするよう、お金を握らせて言い含めたそうです。あの人が書き上げた筋書きはこうでした。自分たち二人でいることを不安に思い、産婆ひとりだけを呼んで様子を見ていたが、私の様態が急変したため、他の使用人らを呼ぶ暇もなく、そのまま出産した、と。その産婆は、それからすぐに故郷に帰っていきました。もちろん、あの人が金を握らせてそうさせたのです。口を封じる意味で」


 アレイドラの話を聞き終えると、ホームズは深く嘆息して、


「……そんなことがあったのですか。……しかし、アレイドラ様、その話をされるのは今が初めてだと最初におっしゃいましたよね。どうして、二十年以上も誰にも秘匿していたことを、今、俺たちに話してくれる気になったのですか? 必然、リートワイズ様がご結婚後も浮気をしていたということまで、告白することとなってしまいましたが……」

「いい機会だと思ったのかもしれません」

「機会、ですか」


 アレイドラは、ゆっくりと頷いて、


「解毒剤を作るための肝が失われたのは、これで四度目です。しかも、今回は死人まで出る騒ぎとなってしまいました。いい加減私は疲れました。こんな騒ぎは、もうこれで終わりにしてしまいたいのです。そのためには、この子の出生にまつわることまで、全て話してしまったほうがよいのではと……」


 アレイドラは、石化した頬を撫でている反対のほうの手で、目尻に溢れてきたものを拭った。


「アレイドラ様、全くの見ず知らずの俺などに対して、そこまで話して下さり、感謝しています。このことは、ラヴォル王はもとより、誰にも口外はいたしませんので」


 ホームズは、左右に座るワトソンとテセラを見た。その二人もホームズと気持ちを同じくする意味で、強く頷く。


「ありがとうございます」アレイドラは会釈をして、「ですが……事件を解決するために必要なのでしたら、今の話はどうぞ、おおやけにしてくださって構いません」

「それは……」

「お願いします」アレイドラは、もう一度頭を下げて、「この子を元に戻すことが、何よりも優先されます。そのためなら私は、どのような汚名も喜んで被るつもりでいます」


 その瞳には、悲愴たる決意が宿っているように思えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る