2-20 疑惑の組織?

「ちょ――ちょっと!」

「きゃっ!」


 前のめりになったホームズから空気の圧を受けたように、女性は小さな悲鳴を上げて後じさった。


「あ、すみません」ホームズは頭を下げると、「その、『石化王子会』のことを、詳しく教えてくれませんか?」

「えっ?」女性は目を丸くして、「あ、あなたも……アストル様に興味が……?」


 ホームズが、真剣な顔で熱っぽく何度も首肯すると、


「で、でも……あなたって、その……だ、男性、ですよ、ね……」


 女性は頬を赤くした。


「それが何か……あっ!」ホームズは、自分の言葉が曲解されてしまったことに気付き、「違います、違います――」


 慌てて両手を振ったところに、


「違いません! この人は――むぐっ!」


 横から口を突っ込んできたワトソンの口を塞いで、


「決して、そういうことではなくてですね……」


 動揺を隠せず、二の句に迷う。女性は軽く握った拳を口元に当て、赤い顔のまま、ホームズとワトソンを興味深そうな目で交互に見やっている。


「わっ、私ですっ!」


 ホームズと女性の間にテセラが割り込んだ。ワトソンも含めた三人に目を向けられて、テセラは、


「私……アストル様に興味がありますっ! でっ、ですから……」

「そ、そうですか……」気のせいか、女性は若干残念そうな表情でホームズとワトソンから視線を剥がすと、「同士は歓迎します」


 にこりと微笑む。


「あ、ありがとうございますっ!」


 テセラは深々と頭を下げた、が、「しかし」という女性の言葉を聞き、ゆっくりと腰を伸ばす。女性は、周囲にちらちらと目を配ってから、幾分か小声になり、


「我々『石化王子会』はですね、入会するに際して、ある条件を設けているのです」

「条件?」


 テセラが首を傾げると、


「はい。入りたいからと言って、そう簡単に入会できる組織ではないんです。なにせ、王室非公認なもので、表沙汰になると色々と問題が……」


 さっきのイラストのことだな、とホームズが思っているうちに、テセラが、


「その条件とは、何ですか?」

「まずですね――ええと……」

「テセラ、です」

「テセラさん、まずですね、王室や王族の方々と繋がりがなく、お城とは無関係のお仕事に従事されていることが絶対条件となります」

「……」

「テセラさん? どうされました?」

「――はっ! え、ええと……」


 浮き上がる冷や汗をふきふき、テセラが視線を彷徨わせていると、


「テセラ!」


 名前を呼ばれた。ラムペイジの声だった。周囲を見ると、いつの間にか「石化王子」の公開式典は終了していた。聴衆も三々五々、あるいは単独で、家路に就き始めている。〈乗車台〉はすでに城内に戻されており、舞台の撤去作業すら始められている。


「えっ? ラムペイジ様?」


 近づいてきた騎士を見て目を丸くした女性は、テセラとラムペイジとを交互に見ながら、じりじりと後じさって数歩分の距離を取ると足を止め、直後、きびすを返して脱兎のごとく駆けだした。


「あっ! 待って――」


 テセラが伸ばした手に空を掴ませ、女性はその華奢きゃしゃな外見からは想像もつかない恐るべき身体能力でもって聴衆の間を縫い、人混みの中に姿を消した。ホームズとワトソンに追跡する間も与えないほどの早業だった。


「ホームズ殿に、ワトソン殿」ラムペイジが近づいてきて、「どうですか? 捜査のほうは。テセラも、お二人の案内はできているか?」


 三人に声を掛けたが、


「もうっ! 知りません!」テセラは頬を膨らませて、「行きましょう、ホームズ様、ワトソン様」


 二人の手を取って、すたすたと歩き出した。


「えっ? えっ?」


 ひとり取り残されたラムペイジは、


「ラムペイジ様、戻りましょう」


 馬上からグレンに促され、首を傾げたまま愛馬に騎乗した。



 テセラは、ホームズとワトソンを城内ではなく、街の酒場に連れて行った。テーブルを囲んで座ると、「保存が利かないのでお店でしか飲めないから」というテセラの勧めで、アーモンドではない牛から採れたミルクを全員が注文し、昼食がまだのため、パンとスープの軽食も摂ることにした。


「もうっ! 何もあんなところで声を掛けなくっても」


 憤懣やるかたないといったふうに、テセラはひと口でグラスの牛乳を半分空けた。


「ラムペイジ様は、こちらの事情をご存じなかったのですから、仕方ないですよ」ホームズはラムペイジをかばってから、「それよりもだな」ワトソンに目を向けて、「お前な、余計なことを口走るなよな! あらぬ誤解を受けるところだっただろ!」

「僕は、交渉を円滑に進めようとしただけだよ」

「余計ややこしくなるわ! まあ、それはそれとしてだな……」


 ホームズは牛乳をひと口飲んで、神妙な表情をする。


「『石化王子会』のことですね?」


 テセラがその原因を口にした。首肯したホームズは、


「ええ、今まで俺は、『解毒剤の精製を阻止する理由』すなわち『アストル様の石化解除を阻む理由』として、次期国王の座を巡る権力争いが原因なのではないかと思っていて、実際、それ以外に動機は考えがたいと推理していました。ですが……ここに思わぬ方向から、新しい動機を突きつけられることになりました。『石化王子』は、『石化王子』だから意味がある……」

「犯人は、『石化王子会』に所属する誰かだと?」

「その可能性もあり得ます。ですが……」

「何ですか?」

「最初の二件、教会で肝を入れた瓶が破壊された事件は、城の内部の人間にしか犯行は不可能ということです。外部の人間が城の中庭に位置する教会に侵入することは、まず無理でしょう」

「確かに、ただでさえ城壁を越えるのは難しいですし、城内でも騎士たちが見張りに歩いていますし。……でも、それでも犯人が城内にいたとしたら、どうでしょう?」

「テセラさん、それは、つまり……」

「はい。城の中に『石化王子会』に所属しているものがいるのです」

「ですが、さっき会った女性も言っていたじゃないですか。あの会に入るには、王室関係の仕事に就いていないことが絶対条件だと。まあ、無理もありませんよね。アストル様の石化を解きたくないなんて、王室に対する反逆に等しい考えでしょう」


 それと、あのイラストも、と付け加えようかどうか、ホームズが迷っているうちに、


「そうですね。まあ、今は個人の思想や考え方などは、昔に比べたらかなり自由になったとは聞きますが……」


 テセラが言って、ワトソンを見る。この手の話題であれば、この少年に振るのが早いと承知済みのようだ。その期待に応えてワトソンは、


「そうだね。大戦前なら、王族反逆罪及び不敬罪でギロチンものだろうね」


 と、手刀を首にあてた。ホームズの。


「何で俺なんだよ! そういうのは自分の首でやるだろ、普通!」


 ホームズはワトソンの手を振り払って、


「とはいえ、ずっとアストル様が石化したままでいることを望むなんて、いくら思想の自由といっても、やっぱり大きな声では言えない不敬なことでしょう。それゆえ、入会させる会員の身元調査は入念に行っているはずです。城の中に『石化王子会』の会員がいるというのは、ちょっと考えがたいかと」

「お金で雇われたという可能性もあるんじゃないですか?」


 このテセラの言葉には、


「うーん……でも、そこまでやりますか? アストル様の石化持続を夢想するのは、個人の思想、妄想の勝手でしょうけれど、それを現実のものとするために実行に移すとなると、話は全然違ってきます。ましてや、今度の事件は殺人にまで発展しています。女性のメルヘンを実現させるためだけに、そこまでの行動を起こすというのは……」

「ホームズ様、それは分かりませんよ」

「えっ?」

「女性って、怖いですからね。望みを叶えるためなら、どんな手段も取りかねませんよ……」


 テセラは目を細めて、おどけた笑みを浮かべる。


「テセラさんの口から、そんな言葉が出るとは」


 ホームズは笑ってグラスを傾けると、


「とりあえず、この問題は保留にしませんか? 今考えていても埒があきません。それに、アストル様がずっと石化したままでいて欲しいというのが『石化王子会』の総意だは限りません。さっき会った女性が、会の中でも『過激派』に属しているだけという可能性もありますし」

「ええ、そうかもしれませんね。『石化王子会』所属員の名簿でも入手できればよいのですけれどね。その中で『過激派』と呼ばれる人物を探れば、容疑者を絞り込めるかもしれません……どうかされましたか? ワトソン様」


 テセラは、じっと自分の顔を見つめているワトソンに気付いたようだ。そのワトソンは、にやりと笑って、


「いや、テセラさんも、ホームズと一緒に行動するうちに、だいぶ〈たんてい〉稼業が板に付いてきたなと思って」

「えっ? そうですか?」


 テセラは自分の頬に手を当てて赤くなった。


「こら、ワトソン、失礼だぞ」ホームズは少年を諫めてから、「でも、確かにそうかもしれません」

「もう! ホームズ様まで!」テセラは頬を膨らませたが、「でも……そうでしょうか?」

「そうそう」


 ワトソンが囃し立てると、テセラは笑みを浮かべて、


「じゃあ、もし、私とラムペイジ様が城を出ることになったら……宿駅じゃなくて、〈たんてい〉をやってもいいかもしれませんね」

「テセラさん……」

「ふふ」


 テセラはワトソンに笑顔を向ける。少しだけ、寂しそうな笑顔を。


「あの、テセラさん」ホームズが話し掛け、「もし、アストル様が石化から復活された暁には、ラムペイジ様も今よりは自由な立場になられるわけですよね。次期国王第一候補というかせが外れるわけですから」

「はい。そのことは、何度もラムペイジ様と話したことがありました。アストル様も寛容な方です。ラムペイジ様のお母様のレイチェット様が何を言おうが、次期国王というお立場において、私とラムペイジ様との仲はこのままで、お城に置いてくれるはずだと……」

「テセラさん、俺は必ず犯人を見つけます。そうしたらもう、持ち込まれた収斂しゅうれん蠱毒こどくの肝が破損されたり、盗まれたりという被害もなくなるはずです」

「はい」

「そこまで来たらもう、アストル様の石化が解かれるのも時間の問題ですよ」

「……はい!」


 テセラは満面の笑みとともに答えた。ホームズも笑顔を返して、


「それじゃあ、城に戻りましょうか。そろそろラムペイジ様のことも許して差し上げたらどうですか?」

「えっ? ゆ、許すだなんて、私、そんなつもりじゃ……」


 テセラは、あたふたと動揺した素振りを見せる。それを見てワトソンは、


「これは無意識に尻に敷くタイプだね。苦労するぞ、ラムペイジ様――むぐっ!」


 呟いていたが、またしてもホームズに口を塞がれた。


 酒場を出ると、テセラが、


「ホームズ様、城に戻ってからは、どうされますか?」

「話を訊こうと思います。重要な関係者でありながら、俺がまだ一度もまともに話をしたことのない方に」

「それは、もしかして」

「はい。アストル様の母親、アレイドラ様です」


 三人は一路、ルドラ城を目指した。途中通った城門前広場からは、「石化王子公開式典」を行っていたときの熱はとうに消え去っており、いつもどおりの平穏な空気が流れているだけだった。

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