2-19 国民の石化王子
「今の話……どういうことなんだ?」
「さあ?」
ホームズとワトソンは、そろって首を傾げた。
「バジリスクに殺された鉄仮面が、死にきれずに化けて出てきたとか……まさかな――あっ!」ホームズは鋭い声を上げて、「おい! もしかして、本物の幽霊だったとか?」
「はあ?」
再度首を傾げたワトソンに、ホームズは詰め寄り、
「だから、幽霊だよ! こんなふざけたことばかり起きる世界だ、幽霊くらいいるだろ?」
「まあ、いるっちゃいるけど」
「やっぱりな!」
「でもね、いわゆる〈
「そうなのか?」
「うん。〈
「俺にもイメージ出来る容姿だな……」ホームズは、自分の世界にもあった、漫画チックに描かれた「お化け」をイメージして、「だが、ゾンビかもしれないぞ。ゾンビなら死体がそのまま動き出すわけだから、整然と姿は変わらないはずだ」
「ホームズ、ゾンビなんて知ってるんだね」
「まあな」
映画で、という言葉を心の中だけで続けた。
「しかし、残念。ゾンビを作るには、それ相応の準備と手段が必要なんだなぁ。普通に死んだ人がいきなりゾンビになるなんてこと、まずあり得ないよ」
「はあ」
「まあ、この世にとんでもない未練があったとかで、死人が生前の姿そのままで幽霊化する事例もあるっちゃある――そういうのは
「でも、あることはあるんだな。じゃあ、さっきのハイプスという魔法使いが見たのは、鉄仮面の亡霊だった可能性もあるな?」
「そうかもね」
「……何だ、やけにあっさりした物言いだな、ワトソン」
「でも、そうじゃないかもしれない」
「そりゃ、そうだろうが……」
「それを判断するのは、ホームズ自身なんじゃないの?」
「……」
「ホームズ自身が、掴んだ手掛かりを重ねて、推理して、導き出された答えが亡霊なら、それはそうなんじゃないの?」
「何だよ、お前、その言い方……」
「ハイプスの見た鉄仮面は、亡霊か? 幻覚か? それとも……本物か?」
「本物?」
そこに、鐘の音が響いた。
「あ、正午の鐘だよ」
「もうすぐ、『石化王子』の公開式典が始まるのか」
「早めに行ったほうがいいね。テセラさんとも合流しなきゃだし」
ワトソンはアーモンドミルクを飲み干すと、グラスを流しに置いた。
「そうだな」
割り切れない思いを抱きつつも、ホームズも空にしたグラスを流しに置き、二人は休憩室をあとにした。
城門を抜けると、広場ではすでに式典の準備が行われていた。広場の城門寄りに、ロープを張った四角形のスペースが設けられ、その中央では、城の使用人と思われる人たちの手によって、一段高い舞台のようなステージが用意されている。その舞台からは、城門側に延びる緩やかなスロープが繋げられている。ホームズとワトソンは、舞台を正面に望める場所に移動した。周囲にはすでに人々が集まりつつあり、広場の脇には、それを当て込んで屋台などの出店も並んでいた。
「ちょっとした祭りだな、これは」
「うん、凄いね」
二人は、ぐるりを見回した。そこに、
「ホームズ様、ワトソン様」
聞き知った声が掛けられ、人波の中からテセラが顔を見せた。
「ああ、テセラさん」
「どうも」
ホームズとワトソンは挨拶を交わして、
「今、ワトソンとも話していたのですが、まるでお祭りですね」
「ええ、以前もお話ししましたが、アストル様は国民の間で人気がございますから」
「グレン団長もおっしゃっていましたね。アストル様の人気を肌で感じてこいと。理解しましたよ」
そんな会話を続けている間にも、広場には続々と人が集まりつつある。その顔ぶれは、まさに老若男女、年齢性別を問わなかった。
「ところで、テセラさん」
「何でしょうか、ホームズ様」
「ラムペイジ様とは、どうでしたか?」
「えっ? あ、いえ……」テセラは顔を上気させて、「少し会話をして、ラムペイジ様はすぐに訓練に戻られました」
「そうなんですか? せっかくだからゆっくりすればよかったのに」
「そういうわけにもいきません。ラムペイジ様も公開式典に参加されますので。ですが、ホームズ様のご厚意には感謝いたします。ラムペイジ様からも、そうお伝えするようにと」
テセラは頭を下げてから、
「ところで、ホームズ様、捜査のほうは、いかがでしょう?」
「申し訳ありません。正直、芳しくありません。この、アストル様の公開式典までには何かいい報告をと、威勢のいい啖呵を切っていたのに、面目ありません」
「そんなこと……あ、そろそろ始まりますよ」
テセラに言われ、ホームズとワトソンは舞台を向く。気がつくと、広場は大勢の人で埋まっていた。
集まった人々の間から、おお、という声が湧き上がった。城門の向こうから、二頭立ての馬車が進んでくる。豪華な飾りや馬用鎧があてられているその二頭の馬を、これも絢爛な衣装に身を包んだ御者が慎重な手綱さばきでもって、ゆっくりと歩かせている。まるで「こわれもの」を運搬しているかのように。馬が引いているのは、一般的な客車ではなかった。屋根がなく、一見荷台にも思えるが、ただの荷台でないことは、豪華な彫り物や装飾で飾られていることから明らかだ。その豪華な荷台には、ベッドのようなものが設置されており、その上に純白のシーツが被せられている。シーツの隆起が形作るシルエットは、ホームズにも見憶えのあるものだった。
その後ろから、もう一台の馬車が続いた。引かれているのは天蓋のついた二人乗り客車のため、そこに座った人物を直接目にすることが出来る。イルドライド国王ラヴォルと、「石化王子アストル」の母、アレイドラの二人だった。
さらに後方には、騎士団長グレンを先頭に、騎乗した騎士たちが数人続いている。その中にはラムペイジの姿もあった。騎士たちは皆、大小二本の剣を腰に帯剣し、手入れされ磨かれた鎧の上にマントを羽織っていた。
舞台へ延びるスロープのたもとまで来ると、御者は手綱を巧みにさばいて馬を反転させる。馬車は百八十度旋回して、荷台の後部がスロープに向く格好となった。騎士が駆け寄り、荷台と馬との連結を解く。荷台は四輪のため、馬と連結を解かれても傾ぐようなことはない。よく見ると、車輪の内側には、木の板を組み合わせたサスペンションのような機構が取り付けられている。これが地面の凹凸による振動を吸収して、荷台に揺れが生じないような設計がされているらしい。ホームズのその視線を追ったのだろう、テセラが、
「あの〈乗車台〉用に作られた緩衝装置です。少し高級な馬車にも使われている技術ですが、あれは、アストル様の乗車台のために特別に設計されたものなのです」
「なるほど」
あくまで「運搬」ではなく「乗車」ということかと、ホームズは細かな言葉遣いに感心した。
連結を解かれた乗車台は、そのまま数名の屈強な騎士たちによって、スロープ上を押し上らされていく。このときの騎士たちの手つきも慎重に慎重を期していることは、彼らの丁寧な所作、真剣な表情からも窺えた。
スロープを上りきり、乗車台が舞台上に上げられると、騎士のひとりが乗車台の側面に屈み込み、何やら操作を始める。騎士が側面からせり出たレバーを握り、回していくと、きりきりという作動音とともに、乗車台上のベッドのようなものが、舞台正面側を軸にして徐々に起き上がっていく。ベッドの裏側に歯車を複雑に組み合わせたジャッキのような機構が取り付けられており、これがベッドを起き上がらせているのだ。その様子を、集まった人々は固唾をのんで見守っている。四十五度、六十度とベッドはゆっくりと起立していき、目算八十度程度になったところで騎士がレバーから手を離すと、ベッドも動きを止めた。その状態になってもなお、ベッド上にシーツが被ったままになっているのは、シーツの四隅がベッドに固定されているためだ。
一礼して騎士たちが舞台を下りると、代わりにラヴォル王がスロープを上ってきた。その後ろには、アレイドラ、そして、ラムペイジも続く。舞台を正面に見て、ラヴォル王が右、アレイドラとラムペイジが左と、ベッドを挟む形で並び立った。ラヴォル王は、広場を埋め尽くした人々を左右に見渡してから、
「親愛なる国民たちよ、我が国を襲った悲劇を忘れぬための、この式典に、よく集まってくれた」
豊かな口ひげを震わせて呼びかけた。聴衆の間から万雷のような拍手が湧き起こる。片手を上げて、それを鎮めたラヴォル王は、句を継いで、
「皆も承知のとおり、我が甥アストルは、国のため、国民のために、恐るべき魔物と戦い、深い傷を負い、その体に忌まわしき凶毒を受けることとなった。この勇敢な若者の姿を、どうかその目に焼き付けてもらいたい。この悲劇を忘れぬために。この若者を目覚めさせる手段をもたらす勇者を募るために」
ラヴォル王は、両手を掛けてシーツを引きはがす。純白の布の下に隠されていた、灰色に染められた若き騎士の全身が露わになる。瞬間、聴衆から一斉に声が漏れた。どよめき、嗚咽、アストルの名、混然一体となった人々の声が、「石化王子」に向かって降り注ぐ。中には、アレイドラに対する同情の声も含まれており、それを耳にするたび、アレイドラは聴衆に向かって腰を折っていた。
「石化王子」は下半身部分を強固なベルトでベッドと固定されているため、ベッドが起き上がってもバランスを崩して倒れるようなことはない。その横では、ラムペイジが、「我がいとこであり最愛の友、アストルを救うための、収斂
「はあぁー……」
ことさら深い嘆息の音を耳にしてホームズが振り向くと、そこには、ひとりの若い女性が立っていた。胸の前で両手を組み、舞台上に向けて熱のこもった視線を投げかけている。ホームズと目が合うと、その女性はにこりと微笑み、
「素敵ですよねぇ……アストル様」
頬を上気させて、もう一度ため息をついた。
「アストル様の、ファンでいらっしゃる?」
ホームズの問いかけに、女性はゆっくりと頷いて、
「それは、もう……。麗しさの中に力強さを兼ね備えた、あのお顔、表情、たまりませんよ……あ、見て下さい」
女性は、懐から一冊のノートを取り出し、ページを開いて見せてくれた。そこには、
「……アストル様ですね」
ホームズの言葉に女性は頷く。ページいっぱいに男性の上半身が描かれている。モデルは紛れもなく、目の前に立つ「石化王子」だったが、「本物」のような鎧姿ではなく、申し訳程度に肌を隠しているだけの、薄手の着衣しか身に着けていなかった。女性は、ページと舞台とに交互に視線を向けながら、
「私が描いたんです」
「……大変上手ですね」
若干引き気味に感想を述べると、
「私……」と女性は若干声をひそませて、「最近、『石化王子会』の会員になったんです」
と、首から提げていたペンダントを襟の中から抜いて見せてくれた。そこには、アストルの横顔がレリーフされた円形のペンダントヘッドが輝いている。
「『石化王子会』? それは、アストル様のファンクラブのようなものですか?」
「ええ。もちろん王室非公認ですけれど」
女性は、ちろりと舌を出す。そんな会までが組織されているとは。「石化王子」の人気ぶりにホームズは舌を巻いた。まあ、さっきのイラストは王族の人たちには見せられんわな、と思っていると、女性はペンダントをしまい、うっとりとした表情で再び舞台上を眺め始める。
「そんなにお好きなのであれば、一日も早いアストル様のご快復を願ってやまないでしょう」
ホームズは、同情を込めた愁眉の表情で声を掛けた、が、
「とんでもないです」
「――えっ?」
あっけらかんとした顔で、全く予想外の答えを返されたホームズは、思わず寄せていた眉を開いた。
「だって……」女性は、ノートを胸の前で抱きかかえるようにして、「『石化王子』は、『石化王子』だから素敵なんじゃないですか。国のために戦い、そのお姿を石と変えられて、永遠に美貌を保ち続ける悲運の王子。こんなに詩的で美しい物語はありませんよ……」
女性が「石化王子」に送る視線は、さらに潤みを帯びる。
ホームズは、ワトソン、テセラと顔を見合わせた。
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