2-17 謎の鉄仮面

「……ああ、鉄仮面の話でしたね」


 チャージャーが頭を掻くと、


「そうでした。聞くところに寄ると」ホームズも話題を戻し、「鉄仮面は、素性が不明なだけでなく、何ですか、外見を醜く変えられてしまう〈呪い〉まで受けていたとか」

「そうです、そうです」チャージャーも声のトーンを戻して、「だから、どんなときも常に仮面を外しませんでしたね。寝るときもですよ。風呂も、あいつひとりだけ夜中の真っ暗な中に入っていましたし」

「では、誰も鉄仮面の素顔を見たことがない?」

「だと思います。素顔はおろか、素肌も一切晒しませんでしたからね、あいつは。手にも常に薄手のグローブをはめていましたよ」

「呪いによって、全身にも痣が出来てしまったからでしょうか」

「だと思います。魔道士ウォーロックが使う、その名も〈呪いカース〉っていう魔法によって」

「相手の姿を醜く変えてしまう魔法ということですが」

「ええ、でも、ひと口に〈呪い〉といっても、その効果は様々あるそうで――」


 チャージャーが言葉を止めた。扉の向こうから足音が近づいてきたためだ。すぐに扉が開き、


「すまなかった、ホームズ殿」


 騎士団長グレンが姿を見せた。昨日と違い、鎧ではなく普段着だった。


「チャージャーも、悪かったな」


 言いながらグレンは副団長の隣に腰を下ろす。いえ、とチャージャーは笑みを見せた。


「どうですか、ホームズ殿、こんなやつからでも、何かいい情報は引き出せましたか?」


 グレンに親指を向けられて、チャージャーは、


「こんなやつは酷いですよ、団長。私だって、ホームズ殿のお役に立ってますよ……ねえ」


 最後の言葉とともに、ホームズに顔を向けてきた。


「ええ、非常に有益な情報をいただきました」とホームズも笑みを浮かべて、「鉄仮面ついて伺っていたところでした」

「鉄仮面のことを?」グレンは怪訝な表情になり、「あいつは、五年前に戦死したが」


 チャージャーと同じことを口にしてきた。それに対してホームズも、何が事件解決の糸口になるか分からないので、と同じ答えを返すと、


「なるほどな。さすが〈たんてい〉は目の付け所が違うな」グレンは感心した表情で顎を撫でて、「……で、どこまで話した?」


 顔を向けられたチャージャーは、


「あいつが受けた〈呪い〉についてです」

「その効果には色々あるそうですが」


 ホームズが中断していた話題を再開させると、グレンは、


「ああ、多いものは、掛けた相手の姿を変えてしまうってやつだな」

「姿を変える」

「そうだ、カエルとか犬とかの動物にしてしまうっていうのが有名だな」


 ホームズは、自分の世界でもそういった内容のおとぎ話があったことを思い出した。それとともに、人間が、カエルや犬のような圧倒的質量差がある生き物に変化してしまえることを考えると、やはりこの世界において質量保存の法則は無視してしまって構わないのだろうか、とも思ったが、今はグレンの話に集中する。


「だが、そんなのはまだいいほうだ。魔道士ウォーロックに対してこんなことを言うのは変かもしれんが、そういう〈呪い〉を掛けてくるやつは、まだ慈悲がある。カエルや犬程度なら、人もそれなりに相手をしてくれるからな。本当に恐ろしい〈呪い〉は……人の姿を保たせたまま、見た目だけを醜悪で恐ろしいものに変えてしまうってやつだ」

「その〈呪い〉を、鉄仮面は受けていたと?」

「ああ……なまじっか〈人〉のままであるがゆえ始末が悪い。カエルや犬にされちまったんなら、これも語弊はあるかもしれんが、そう割り切ることも可能だ。カエルや犬として生きていくって割り切りがな。他人も〈カエル〉や〈犬〉として接してくれるだろう。だが、〈人〉であるという以上は、どう足掻あがいたって〈人〉として生きる以外に道はない。どうしたって他人や社会と接触しなければ、今の世の中生きていくことは不可能だ」

「そういうことですか……」

「そうなんだ。昨日まで普通に接客していた商店が、ものを売ってくれなくなる、なんてのはいいほうだ。そういった〈呪い〉を受けちまった中には、家族や恋人に逃げられたり、人目に触れないよう一生涯牢獄に閉じ込められたり、街や村から石持て追われたりするような目に遭う連中も珍しくない」

「それは……何というか……」

「おかしなものだろ。見た目が変わっただけなんだぜ。中身は何も変わっちゃいないし、当然言葉も話せる。なのに、人ってやつは、それだけでもう、『自分たちとは違う存在だ』とか、『あいつはもう人間じゃない』とか意識してしまうんだな」


 切ない話に、ごくりと唾を飲み込んだホームズは、


「〈呪い〉を解くことは出来ないのですか?」

「出来ることは出来るが、その〈呪い〉を掛けた魔道士ウォーロックの力の程度レベル次第だな。まだ駆け出しの経験のない魔道士が掛けた〈呪い〉なら、ちょっと大きな教会や寺院に行けば、高位聖職者ハイ・クレリックの奇跡魔法で〈呪い解除リムーブ・カース〉出来るかもしれん」

「収斂蠱毒こどくの凶毒と解毒剤の関係みたいな感じですか」

「まさにそうだな。呪いを掛けた魔道士のレベルが高けりゃ、それ相応のレベルの聖職者じゃなければ、その呪いを解くことは出来ない」

「ということは、鉄仮面の受けた呪いは……」

「ああ、鉄仮面はここへ来る前、この国一番の高位聖職者に〈呪い解除〉を試みてもらっていたらしい。だが、駄目だったそうだ。あれは、相当強力な魔道士から受けた〈呪い〉なんだろうな」

「それほど強力な呪いを……そういえば、鉄仮面は記憶もなくしているという話でしたが」

「そうだ。呪いの効果の一部なのかは分からんが、あいつは呪いを受けた以前の記憶がなかったそうだ。それなもので、自分の醜い姿を完全に覆い隠して、ギルドに所属しない〈ヤミ冒険者〉をやりながら旅をして、このルドラに流れ着いたそうだ。で、王立騎士団募集の告知を見て、応募してきたってわけだ。普通の冒険者なら尻込みするような危険な仕事や、手を付けたがらない汚れ仕事なんかもやってきたんだろうな。剣の腕だけは恐ろしく立つやつだったからな」

「そんな鉄仮面を、グレン団長は騎士団に採用した」

「ああ、俺は完全な能力主義者でね。話してみて、性格的にも問題はないと判断した」

「レイチェット様は反対されたとか」

「ああ……」グレンは嘆息して、「そんなどこの馬の骨とも分からない、しかも……呪いを受けて醜悪な見た目になってしまった人間を、栄光あるイルドライド王立騎士団に入れるとは正気なのかと言われたよ。しかし、最終的にはラヴォル王のひと声で解決した。王は騎士団のことは俺に全て一任してくれているからな」

「レイチェット様は、その、鉄仮面の素顔をご覧になったのですか?」

「見るわけがないだろう」


 はは、と僅かに声を上げてグレンは笑った。


「ということは」とホームズは、「先ほど、チャージャー副団長にも伺ったことなのですが、鉄仮面の素顔は、誰ひとり見たことがないということですか?」


 グレンは、そのチャージャーの顔を見る。副団長は頷いて、


「ええ」とチャージャーは、「これも先ほどの回答とだぶってしまいますが、あいつは、顔はおろか、体の一部分さえも外に晒さないような格好をいつもしていましたからね。私たちのほうでも、興味本位で見てみよう、なんて言うものも誰もいませんでした」

「うちの騎士団は紳士ぞろいだからな。人種経歴無関係に、我が騎士団が求めるのは腕の立つ紳士だけだ」


 胸を張るグレンに、ホームズは、


「クラーク博士みたいですね」

「何だ、そりゃ?」

「ええ、いえ、こちらの話です」


 ホームズは、札幌農学校を開校した教育者、クラーク博士の残した「我が校に規則はいらない。ただ紳士たれ」という言葉を頭から振り払って、


「ということは、鉄仮面もそうだったということですね」

「当然だ。寡黙だが、素直で実直な男だった……」


 グレンは表情を暗くした。


「鉄仮面は……アストル様と親しくしていたとか」


 ホームズの言葉に、グレンは、「ああ……」と息を吐いて、


「あいつ、鉄仮面は、その境遇のこともあって、初めは騎士団内でも孤立したような状態だったんだ。だが、皆と訓練や任務を重ねていくうちに次第に打ち解けてきてな。寡黙なことは変わらなかったが、話しかけられれば普通に応対をするようになっていったな。特に、アストル様とは親しくしていたな」

「ええ、アストル様は大変おやさしい方でしたから」と、チャージャーも、「私には、最初は鉄仮面のほうからアストル様に近づいていったように見えました。あいつも世間を渡り歩くうちに、自分の味方をしてくれる人間の匂いを嗅ぎ分けられるようになっていたのかもしれません」

「なるほど……」ホームズは頷いて、「ところで、鉄仮面の年齢はいくつくらいだったのでしょう?」

「さあな……」グレンは顎に手を当てて、「なにせ、記憶を失っていたわけだからな。見た目から年齢を計ることは不可能だったし……」

「私の見立てでは」チャージャーが口を挟み、「そんなに歳をくってはいないように感じました。なにせ、動きが機敏でしたから。老練な技というよりも、若さみなぎる鋭さを感じましたからね。あいつの剣技には」

「そうですか。ですが、その鉄仮面も、五年前の蠱毒こどくの森の戦いで……」

「……惜しい男を亡くしたよ」


 グレンは眉根を寄せてまぶたを閉じた。


「どのような最期を迎えたのでしょう?」

「外傷は見当たらなかったから、バジリスクの尻尾の一撃をくらって、木に叩きつけられたんだろうな。やつの尻尾の力は、鎧を着た人間を撥ね飛ばすに十分だ」


 内臓破裂か、とホームズは思ったが口には出さなかった。「内臓破裂」という言葉が通じるか疑問だったからだ。

 グレンのあとに、チャージャーも、


「あれは……ショックでしたね。まさか、あの鉄仮面がやられるなんて、誰も思ってもいませんでした」

「鉄仮面がやられる瞬間をご覧になった?」


 ホームズに訊かれると、チャージャーはかぶりを振って、


「いえ。現場は混戦で、他の騎士の動向を把握している余裕なんて私にはありませんでした。副団長としては恥ずかしい限りですが……」

「それは俺も同じだ」とグレンも、「俺がみんなの状況を常に把握できていれば、まだ息があるうちにあいつを回収して、随伴していた聖職者クレリックに引き渡すことが出来たはずだ。傷治癒魔法キュア・ウーンズを掛ければ、あいつは……鉄仮面は……一命を取り留められたかもしれん」


 グレンは固くまぶたを閉じた。


「団長の責任ではありませんよ。あの暗く雑然とした森の中で、全ての騎士の動きを把握することなんて不可能でした。まして、相手は収斂蠱毒のバジリスクですよ」


 チャージャーの気遣いに、グレンは、ゆっくりと頷いた。


「では」とホームズは、「死後の遺体の処理はどうしたのですか? 遺体となった状態でも、誰も鉄仮面の素顔は見なかった?」

「そうです」チャージャーが答え、「我が騎士団では――というか、衛兵騎士団を含めて、どこもそうだと思うのですが――戦死者は、死んだその場に墓を作って葬ることになっているのです。鎧や、武器などの装備も着けさせたまま。鎧や武器といった装備が騎士の正装であり、死に装束というわけです」

「葬るということは、埋葬?」

「ええ。鉄仮面も戦死したまま、仮面を被った状態のままで葬ったのです」

「なるほど」


 ホームズは顎に手をあてて頷いた。

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