2-16 同じ月

 ラムペイジに部屋まで案内され、ホームズとワトソンは並んだベッドに身を横たえた。


「あー、風呂、入りたいな」


 ホームズはベッドの中で大きく伸びをした。


「ホームズの世界じゃ、風呂には夜入るものなんだっけ」


 ワトソンが顔を向けてくる。


「俺の世界というか、俺の住んでいた国では、だな。いや、それだって結構最近になって習慣付いたものだろうな。何せ、俺のいた世界も、夜になるとすぐに寝てしまっていた時代のほうが遙かに長いはずだからな。人工の明りが夜を駆逐するようになったのなんて、人間の歴史から見たら、ほんの最近のこと……なあ、この世界にも、魔法で明りを灯すとかの技術はないのか?」

「あるにはあるけど、すぐに消えちゃうよ。半時間も保たない。それに、そういう魔法は冒険者が地下迷宮ダンジョンに潜るときに使う用途で使われるのがほとんどで、日常生活でわざわざ魔法を使ってまで夜を明るくしようなんて酔狂な人はいないよ。寝て朝になれば太陽が勝手に世界を照らしてくれるのに、魔法を使う手間と労力を掛けてまで、どうして夜を明るくする必要があるのさ」

「ごもっとも。どうもこっちに来てからというもの、俺のいた世界がいかに無駄なもので溢れていたのか、痛感させられっぱなしだよ」


 ホームズも寝返りをうって、ワトソン側に顔を向けると、


「なあ、ちょっと事件がおかしな方向に行きかけてるな。鉄仮面とか、ラムペイジ様とテセラさんのこととか」

「ホームズが勝手に変な方向に舵を切ってるだけなんじゃないの?」

「それを言うなよ。だが、思いも寄らないことが事件解決の鍵になり得るっていうのも、本当だからな」


 小説の話では、とホームズは心の中だけで続けた。


「僕には、それがどう『石化王子』に関わってくるのか、よく分からないな」


 ワトソンが眉をひそめると、ホームズは、


「例えばだ、ラムペイジ様は、容疑者から外しても構わなくなったと思わないか?」

「どうして? アストル様のことを慕っているから?」

「それもあるが、ラムペイジ様は、いざとなったらテセラさんと駆け落ちまでする覚悟でいるんだぞ。彼自身言ってたが、そうなったら、このイルドライド王家を継ぐ人間がいなくなってしまう。そんな状況で駆け落ちだなんて、さすがに後ろ髪引かれる思いだろ。それに、本来の王位継承第一候補であるアストル様が元通りになれば、次期国王というプレッシャーが消えるわけだから、この城にいながら、テセラさんと大手を振って付き合えるようになるだろう、とも言ってたな」

「そうだったね」

「だから、アストル様自身に対する想いも含めて、ラムペイジ様が解毒剤の精製を阻止するとは、ちょっと考えられない」

「すると、やっぱり一番怪しいのはレイチェット様?」

「そうなるな。このままアストル様の石化が続いた状態で、現国王であるラヴォル王の身に何かあったら、次期国王は自分の息子で決まりだ」

「ラヴォル王も、ましては母親のアレイドラ様も、アストル様の石化解除を阻む理由なんてないしね。あ、レイチェット様の旦那のファスタード様は?」

「あの人は……無関係だろ。こういう権力争いとかに興味や野心があるようには見えなかった」

「ずっとお酒飲んでたよね」

「とはいえ、自分の息子が国王になることには何の異存もないだろうな。あれは多分、普段の生活から妻の言いなりって感じだし、犯行の計画はレイチェット様が立てて、ファスタード様が実行犯、っていう形もあり得るかもな。冒険者のスティールジョーが殺害されているという事実を忘れちゃならない。レイチェット様が手練れの冒険者を殺すってのは、無理があるだろ」

「なるほど。ファスタード様も貴族だから、いちおう武術の心得くらいはあるだろうしね」


 ワトソンは、うんうんと頷いて、


「じゃあ、鉄仮面のほうは? どう事件に関わってくるの?」

「それはだな……まだ分からん。明日、またグレン団長に話を訊いてみようかと思う」

「そうだね、ラヴォル王も、鉄仮面のことはグレン団長に訊けっておっしゃってたし」

「よし、そうと決まれば、もう寝るぞ」


 ホームズは、ベッド脇のサイドテーブルに灯っていたランプのロウソクを吹き消した。唯一の光源が消え失せたが、夜空に雲はなく、星と、そして月からの明りが流れ込むことで、室内の明度は僅かながらも保たれている。

 しばらく天井を眺めていたホームズが横を向くと、すでにまぶたを閉じ、寝息を立てているワトソンの顔があった。


「〈未成年〉のくせに、あんなに飲むからだ」


 呟いてホームズは窓を見上げた。この世界に来て、当たり前に感じていたことだが、改めて考えてみると不思議に思えることがある。


「こっちにも、同じような月があるんだな……」


 夜空に浮かぶ月が、ホームズを見返していた。

 ホームズのいた世界において、月の成り立ちには様々な説があり、現在(ホームズがこの世界にくる直前)最も有力視されているのが、原始の地球に小惑星が衝突し、その破片が月になったという「衝突説」だ。であれば、この世界においても原始の地球に同じような小惑星の衝突が起きて、あの月が生まれたということなのだろうか? そんな偶然が……。いやいや、もしかして……ホームズは思う。この世界が自分のいた世界と同じ様相を呈しているという保証はどこにもない。が、まさか、この世界は平面で、馬鹿でかい象や亀が支えているわけでもないだろうに……。

 そんなことを考えているうちに、ホームズは睡魔に誘われ、深い眠りの底に落ちていった。



「おい、起きろ、朝だぞ」

「……はふぅ」


 ホームズが体を揺すると、枕を抱く格好で寝ていたワトソンは薄めを開け、あくびとともにおかしな声を上げた。


「うーん……」上体を起こし、ベッドの上で大きく伸びをしたワトソンは、「ホームズに起こされるとは……不覚」

「さすがに飲み過ぎだ」


 未成年のくせに、と続けようとした言葉をホームズは飲み込んだ。


「風呂を済ませたら、朝食は使用人が使う食堂で出してくれるってことだったな」


 昨夜、部屋まで案内してもらったときにラムペイジから聞いていた。


「それじゃ」ワトソンはベッドから降りると、「ひとっ風呂浴びて、朝ごはんを食べ終えたら、また王立騎士団詰所に行くんだね」

「そういうことだ」



「あっ、ホームズ様、ワトソン様」


 使用人たちに混じって、食堂で朝食を摂っていた二人に声が掛けられた。スープを掬う手を止めて振り向いた二人は、


「ああ、テセラさん、おはようございます」

「おはようございます」


 声の主に挨拶した。おはようございます、とテセラも挨拶を返してから、


「昨晩は、ありがとうございました」もう一度会釈して、「私は、今日もお二人につくようにと、ラヴォル王から言いつかっておりますので」

「助かります」

「それで、本日は、どのように?」


 二人の隣の席に腰を下ろしたテセラに、ホームズは、とりあえずの今日の計画を話して聞かせた。


「鉄仮面のことを、ですか」

「はい、どんな情報が事件解決の糸口になるか分かりませんので」


 朝食を終えた二人は、テセラを伴って騎士団詰所を目指した。



 昨日と変わらず、王立騎士団の敷地内では、ぶつかりあう金属、地面を叩く馬蹄、馬のいななき、騎士たちの声などが混ざり合った独特の音が響き渡っている。テセラがまた通りがかった騎士に声を掛け、グレンとの面会を所望すると、これも昨日と同じように詰所の応接室で待っていてくれるよう言われた。


 応接室に入ってすぐ、鎧が鳴る音が近づいてきて、扉が開いた。が、そこに立っていたのはグレンではなく、彼とは違い白い肌をした騎士だった。


「副団長のチャージャーです」騎士は名乗って一礼すると、「団長は、ちょっと用事で手が離せないもので、代わりに私がお話を伺うようにと。団長も手が空き次第来られると思いますが」


 テセラが、グレンに対してしたように、二人のことを紹介し終えると、さっそくホームズが、


「伺ったのは、こちらに以前所属していた、鉄仮面という騎士についてなのですが……」

「鉄仮面、ですか」意外なことを訊かれた、とばかりに目を丸くしたチャージャー副団長は、「あいつは、五年前に戦死しましたよ。蠱毒こどくの森の戦いで」

「ええ、昨夜、王族の方々から伺いました。どんな人物だったのでしょう?」

「恐ろしく腕の立つやつでしたね。戦闘力だけを見るなら、グレン団長以上だったかもしれませんね」


 昨夜、ファスタードが言っていたのと同じようなことを、チャージャーも口にした。


「素性は一切不明で、剣の腕を買われて騎士団に入団したとか」

「そうです、そうです。六年前でしたね、あいつが入ってきたのは。その翌年に蠱毒の森の戦いがあったから、よく憶えています。騎士の補充と増員目的でかけた募集に応募してきましてね。定員五名のところ、そのときの志願者は百人を越えてたかな?」

「そんなに?」

「ええ、王立騎士団なんて古式ゆかしい組織が残っている国は珍しいですからね。中には衛兵騎士団に所属しているのに、こちらに応募してくるものもいますよ。王様に直接仕える騎士っていうのは、やっぱりステイタスじゃないですけれど、特別なものがありますよね」

「なるほど。で、鉄仮面は見事合格した」

「そうです」

「こう言っては何ですが……そんな素性の不確かな人物でも、腕さえ立てば王立騎士団は採用するものなのですか?」


 ホームズは晩餐の席と同じ疑問をぶつけたが、


「ええ、そうです。その時々の団長の方針にも寄りますけれど。でも、まあ、特にグレン団長は実力主義の傾向が強いですね。ほら、団長もブルザリアンだから。家柄や血筋といった、実力以外の部分で人を評価するのが嫌いなんだと思いますよ。かつては、いくら腕が立っても、ブルザリアンというだけで落とされる。もしくは、同程度の実力だった場合、ブルザリアンのほうが落とされる、なんてことが普通にあったそうですし。いちおう、募集要項に制限は掛けていないんですけれど、そんなの形ばかりのところも多いんじゃないですか?」

「ははあ、根の深い問題ですね」

「年寄りは特に、まだ戦中、戦後の意識が抜けていない人がいますね。大きい声じゃ言えませんけれど……」と、チャージャーは声をひそめて、「うちの宮廷魔術師長ロイヤル・ウィザード・マスターなんて、まさにそうじゃないですか」

「ああ……」


 ホームズは、昨日のホイルシャフトとのやり取りを思い出した。


「それなのに、あの爺さん」


 チャージャーが面白そうに口角を上げた。


「どうかしたのですか?」


 ホームズが訊くと、


「いえね、あの爺さん、一度、私と団長を間違えたことがあったんですよ」

「人違いをしたと」

「そうなんです。ちょうど、蠱毒の森の討伐で、陣地にいたときのことです。そのとき団長は、斥候数名を連れて偵察に出ていたんですね。で、私がいつも団長が座る席に代理として座っていたんです。団長から預かった現場責任者の腕章をつけて。そこにホイルシャフトの爺さんが近づいてきて、『グレン、早かったな』とか声を掛けてきたんですよ。で、ずっと話し掛け続けるんですね、今回の作戦についてどうとか。それで、私がずっと口を閉じていたら、『グレン、何を黙っとるんだ!』とか怒り出して。そこにちょうど団長が帰還してきて、『俺がどうかしましたか?』と後ろから声を掛けたものだから、爺さん驚いたみたいで。ぶつぶつと文句を呟きながら、団長のほうに歩いていきましたよ」

「そんなことがあったのですか。ですが、見たところ、この騎士団の皆さんは全員同じデザインの鎧を着ているみたいですし、間違えても無理はないかと」

「ええ。支給品ですから、全員サイズ違いの同じ鎧を装備しています。でも、それに加えて、いくら団長の席に座って、腕章もつけていたものだからってねえ。私と団長を間違えますか? 普通」


 チャージャーは自分の顔を指さした。彼の顔は透き通るように白く、グレンに比較してかなり若く見えた。


「まあ、確かに」

「でしょ。私、ちょっとショックでしたもの」チャージャーは笑って、「昔は凄い魔法使いマジック・ユーザーだったそうですけど、もういい歳ですからね、あの爺さん。本来なら、とっくに引退してもいい年齢なんですけどね」

「アストル様の石化を治すまでは引退できないと、おっしゃっていました」

「その責任感というか、根性は凄いですよね」

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