2-13 王家の人々

 テセラと別れたホームズとワトソンは、散歩がてら中庭にある教会を見にいくことにした。第一、第二の犯行で保管されていた瓶が破壊された現場である。とはいえ、事件が起きてから何年も経っていることもあり、すでに事件の痕跡は全く残されていない。教会は外部とは完全に隔離された城壁内の中庭に位置しているため、ここで犯行が行われたとするなら、犯人は城内部の人間以外に考えられないだろうことを確認しただけに過ぎなかった。すでに荘厳な教会内部の見学に目的が移行してしまっていたホームズは、


「そろそろ時間じゃない?」


 ワトソンに声を掛けられ、


「そうだな」


 教会の窓から覗ける、赤く染まった空を見上げた。



 ちょうど二人を呼びに来た使用人に案内され晩餐会場に入ったホームズは、足を止めて目を丸くした。広い部屋、高い天井、豪華なテーブル、調度。壁の一面には、天井から大きなタペストリーが数枚も提げられており、さらに壁際には使用人たちが一列に控えている。「王侯貴族の晩餐会場」と聞いて一般的に思い浮かべる風景そのままが、目の前に広がっていた。

 テーブルに用意された食事の席は全部で八つあった。ホームズは、まだ全てが空席のままの椅子を見回して、列席するであろう人物を頭の中で整理していく。

 まず、背後の壁に長辺が二メートルは越えようかというサイズの風景画(この城、ルドラ城を遠景で描いたものだろう)が掲げられている席、明らかな上座に座るのは、現国王のラヴォル王で間違いない。この椅子だけが他よりも突出して豪華に飾られていることからも分かる。テーブルの短辺に位置しているが、短辺とは言ってもかなりの長さがあるため、そこに椅子がひとつだけというのはいささかバランスが悪いように思える。が、これは本来であれば王妃の席も並んで設えられることを考えれば納得がいく。ラヴォル王は王妃ロミアを亡くしているということだった。

 その上座から見て右手の長辺には、三つの席が用意されている。バランスから考えると、ここに座するのは、ラヴォルの姉であるレイチェットと、その婿ファスタード、二人の息子ラムペイジの三人だと思われる。

 その向かいには四つの席がある。王族の中で残るのは、「石化王子アストル」の母であるアレイドラのみ。彼女の席がまずひとつ。残りのうち二つはホームズとワトソンのために用意されたものだろう。となると、ひと席余ることになってしまうが、


「アストル様の席もあるってことだね」

「そうらしいな」


 ワトソンも同じことを考えていたようだ。「石化王子」彼は石になった今でも、生きている人間(事実、石化しているだけで死んではいないわけだが)と同じように扱われて部屋に「住まわされている」が、食事の席も同じように毎回用意されているということなのだろう。

 広い部屋の隅でホームズは、ここに案内されたまま放っておかれていることに落ち着かない気持ちでいた。壁際に並ぶ使用人たちの中にテセラはおらず、皆が皆、興味深げに視線を自分たち――いや、ワトソンはこの世界の住人のため、自分ひとりだけが対象なのだろう――に向けている。ホームズは意味もなく腕組みをしたり、頭を掻いたり、所在なく待たされる時間を過ごすことになった。そこに、


「ホームズ様、ワトソン様」


 知っている声が掛けられ、


「ああ、テセラさん」


 ホームズは、部屋に入ってきたテセラに軽く手を上げて答えた。


「テセラさん」とワトソンも笑顔を見せて、「よく来てくれましたね。知らない人ばかりで不安で泣きそうだったんですよ……ホームズが」

「おい!」


 ホームズはワトソンの黒い髪に軽くチョップを当てた。


「すみませんでした」とテセラは笑いながら、「私がお二人をお迎えにいけばよかったんですけど、色々と忙しくしてしまっていて。こちらです、どうぞ。ラヴォル王をはじめ王族の皆様は、間もなくいらっしゃいますので」


 ホームズが睨んでいたとおり、長辺に四つ並んだうちの末席二つをテセラは示した。二人が椅子に座り、テセラも壁際に並ぶと、ひとりの女性がまず部屋に入ってきた。テセラを含め使用人たちは一斉に会釈で迎えた。


「多分、アレイドラ様」


 ワトソンが耳元で囁き、ホームズもそう思って頷き返した。ひとりで入室してきたことから、夫を亡くし息子も石になっている未亡人のアレイドラに違いないだろう。案の定、その女性はホームズからひとつ空けた同じ辺の上座側の席に着座した。目が合いホームズが会釈をすると、女性も同じようにゆっくりとこうべを垂れた。年齢は三十代後半から四十代半ば程度に見える。息子のアストルが五年前に王立騎士団に入隊する十六歳だったというから、年齢の見立てはそう間違ってはいないだろう。真っ白な肌をしているが、透き通るような、という表現を使うことは違和感があるように思えた。異様とも見えるその白さには、気力の衰えからくる病的な作用が働いているように、ホームズは感じたからだ。

 それからすぐに、また使用人たちが頭を下げる。今度入室してきたのは三人連れだった。四十代半ば程度に見える男女と、まだ若い男性という三人の組み合わせ。ということは、女性がラヴォル王の姉レイチェット、男性がその夫ファスタード、若者が二人の息子であり、次期国王候補二番手のラムペイジだろう。とはいっても、道中馬車の中でテセラと話したとおり、第一候補のアストルが石になったままのため、現時点においては、彼が繰り上がりで次期国王筆頭候補となるわけだが。三人は、上座側からレイチェット、ラムペイジ、ファスタードの順に席に着く。

 アストルの母アレイドラが、あまり王族に相応しいとは思えない(とはいえ、ここまで見てきた庶民たちよりは明らかにいいものを着ているが)質素な身なりをして、表情にも物悲しいものを浮かべているのに比べると、レイチェットは身につけているものといい、表情や姿勢に見せる風格といい、王族としての素質を存分に漂わせている。それはアレイドラが王家への入り嫁であるのに対し、レイチェットのほうは紛れもなく前王の血を引いている肉親であることから来る違いであろうか。

 彼女の血を受け継いでいる息子、ラムペイジにも同じことが言えた。テセラの話だと、彼は去年十六歳になって王立騎士団に入隊したそうだから、現在は十七歳ということになる。ラムペイジの表情は、ホームズが知る自分の世界での十七歳の誰よりも大人びて見える。年齢では少年の範疇だが、十分「青年」と称してもいいだろう。アストルは石になってなお、その美貌(と人柄)から国民に絶大な人気を誇っているそうだが、であれば、このラムペイジも人気においては負けず劣らぬものを持っているのではないかとホームズは思った。「青年」と言うよりも、正しくは「美青年」か。

 この母子と比べると、入り婿のファスタードは、テセラの話では貴族の次男と聞いていたが、どこか高貴な雰囲気では妻と息子には及んでいないように見えた。鼻の下に蓄えられたカイゼル髭は、王族としての威厳を様式化するために生やしているのかもしれないが、その平坦な顔つきにはお世辞程度にしか似合っているとは言えず、妙に浮いているように思える。ホームズはこの三人とも視線を合わせて頭を下げたが、会釈を返してきたのは息子のラムペイジひとりだけだった。

 ホームズが、何十本ものロウソクが林立したシャンデリアを見上げていると、室内の空気が変わった。壁際に並ぶ使用人たちの頭が、これまでで一番低く下げられる。上座を使う人物が姿を見せたのだ。アレイドラをはじめ着座していた王族も皆立ち上がり出迎えの姿勢を示す。ワトソンに続いてホームズもすぐに立ち上がった。入室してきたラヴォル王が自分の席の隣に立ち、片手を軽く上げてから上座に腰を据えると、それが合図なのだろう、一礼して皆も着座し直した。ワンテンポ遅れてホームズもそれに倣う。全員の顔を順に見回してから、ラヴォル王は、


「皆、すでに聞き及びのことと思うが、本日はクラナタスの首都バトロサより客人を迎えた。ホームズ殿とワトソン殿だ」


 紹介した二人に視線を固定した。二人が同時に会釈すると、


「お二方は、あらゆる事件を解決する〈たんてい〉という仕事を請け負っているそうだ。これも皆承知のことだろうが……」ここでラヴォル王は一度言葉を止めて、「お二方には、我がイルドライドを混迷させている事件の捜査、解決を依頼した。巷間に言われている『石化王子事件』をだ」


 テーブルを囲む他の全員の目が、ホームズとワトソンに突き刺さる。レイチェットは訝しがるように、ファスタードは値踏みをするように、ラムペイジは興味深そうに。そして、アレイドラは不審そうに横目で二人を伺うと、すぐに視線をテーブルに落としてしまった。


「私は、彼らの捜査に国を挙げて全面協力するつもりでいる。どうか、皆もそのように承知しておいてもらいたい」


 ラヴォル王が言い終えると、一同は了解の意を込めたのだろう、小さく頭を下げた。


「では、いただこうか」


 国王の声に反応して使用人たちが動き、各席に、スープ、シチュー、肉料理、焼き魚と多種多様な献立が運ばれてきた。国王、そのほかの王族、ゲスト関係なく、同じ料理が出されるらしい。が、さすがにホームズとアレイドラに挟まれた空席にまで料理が置かれることはなかった。目の前に並んだ献立の数々は、昨晩泊まった宿駅で口にしたものとは量も見た目も雲泥の差があり、スプーンでひと口スープをすすったホームズは、味も違う、と舌鼓を打った。


「ところで、ホームズ殿」


 名前を呼ばれてホームズはスープ皿から顔を上げた。声の主はテーブル越しに座るレイチェットだった。皿の上の肉にナイフを入れながらレイチェットは、


「捜査の進み具合は、いかがですか?」


 先ほど向けて来た訝しげな視線そのままの口調で訊いてきた。スープを胃に流し込む作業を一旦中断してホームズは、


「はい。グレン団長と、ホイルシャフト宮廷魔導師長に話を伺いました」

「あの二人に?」

「ええ、五年前の事件の詳細を知りたいと思いまして」

「ホームズ殿、事件は現在起きているのですよ。過去のことは関係ないのではありませんか?」

「なにぶん私は〈異界人いかいびと〉なもので、この世界のことに明るくありません。事件の原因となった出来事を当事者たちからじかに聞いて、事件の輪郭を掴みたいと思いまして」

「なるほど。では、まだ犯人の目星もついていないということですか」

「それは……はい」

「まあ、アレイドラは、どうも私が犯人なのではないかと疑っているようですが」

「えっ?」


 ホームズは横を向いた。甥から名指しされた「石化王子」の母アレイドラは、何を言い返すでなく、視線を向けもせず、黙って俯いているだけだった。料理には一切手をつけないまま。

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