2-12 改めて動機の考察

 ホイルシャフトに礼を言って宮廷図書室を辞したホームズたちは、テセラの提案により使用人の休憩室で飲み物をいただくことにした。

 ホームズが誰もいない休憩室の椅子に腰を落ち着けると、


「ビールでよろしいですか?」


 テセラが訊いてきた。


「ええ、お願いしま……いやいや! 駄目でしょう、仕事中なんだから」


 ホームズはかぶりを振る。


「僕は、いただこうかな」


 ワトソンも椅子に座って答えたが、


「お前も駄目」ホームズは睨み、「というか。お前、どう見ても未成年だろ。酒なんてもってのほかだ」

「〈みせいねん〉って?」


 ワトソンが、きょとんとした顔をすると、


「……ああ、そうか。この世界じゃ、そんなこと関係ないのか」

「でしょ」ワトソンは、にこりとすると、「というわけで、テセラさん、僕にビール一杯」

「でも駄目! お前も俺の助手なんだから!」

「ちぇっ」


 ワトソンは口を尖らせた。


「テセラさん、水でいいです。お水を下さい」

「それでしたら」とテセラは、水を所望したホームズに、「アーモンドミルクなどいかがですか」

「アーモンドミルク? いいですね、俺の世界にもありましたよ。飲んだことありませんけど。では、それを下さい」

「はい」


 厨房に入っていったテセラは、アーモンドミルクを注いだグラスを三つ、トレイに載せて戻ってきた。


「お好みでハチミツを入れて召し上がって下さい」


 テセラはグラスとは別にハチミツを盛った小皿を一緒にテーブルに置く。いただきます、とホームズはミルクをひと口飲むと、思っていたよりもずっと薄味だったため、すぐにハチミツを投入した。テセラは、ストレートのままアーモンドミルクに口を付けて、


「それで、ホームズ様、これまでのところ、捜査のほうはいかがでしょう?」

「うーん……」今度は満足そうにミルクを飲んでいたホームズは、グラスを置いて、「ここ、ルドラへ来る途中にも言いましたが、今回の事件の犯人の目的は何かと考えると、やはり解毒剤の精製を妨害することとしか考えられません。であれば、それをやる動機は何か。解毒剤が作られなくて困る人、すなわち、アストル様に恨みを持つものが犯人だとしか。で、もしかしたら、アストル様が石化される原因となった五年前の事件に、何かしら手掛かりがあるのではと、話を訊いてみたのですが」

「五年前の蠱毒こどくの森での戦いで、アストル様が誰かしらから何かしらの恨みを買っていたってこと?」


 ワトソンが訊いた。


「それもあり得ると思ったんだけどな。どうもそんなことはなかったようだな。聞いた限りじゃあ、アストル様の完全な独断行動が招いた災禍みたいだからな。それで被害を被った人がいるとすれば、部隊全体の責任を問われる立場のグレン団長だが、それについてお咎めはなかったそうだしな。ホイルシャフトさんにしても同じだ」

「確かに」テセラと同じく、ストレートのままアーモンドミルクをすすっていたワトソンは、「じゃあ、これもホームズが言ってたことだけど、恨みの矛先は、アストル様のお母さんのアレイドラ様? 息子を助けるすべを奪うことで、間接的に母親を苦しめるという」

「アレイドラ様には、まだ会っていないから何とも言えないが……」

「何か?」

「どうも違う気がする」

「違うって?」

「もし、アストル様や、その母親のアレイドラ様に対して恨みがあるのなら、解毒剤の材料になる肝を奪ったり、使い物にならなくしたりなんて回りくどいやり方をすることないだろ」

「どういうこと?」

「石になったアストル様を、直接破壊してしまえばいい」

「えっ?」


 手を震わせたテセラがグラスを鳴らした。そのテセラを見て、ホームズは、


「どうですか、テセラさん。ワトソンでもいいが……」褐色の肌の少年にも顔を向けて、「石化した人間を力任せに破壊すると、どうなるのです? 接着剤――というものがこの世界にあるか分かりませんが――なり何なりで元通りに修復すれば、何事もなく再び人間に戻すことは可能なのですか?」

「無理だね」


 ワトソンが言下に否定し、テセラも沈痛な顔で頷いた。


「無理、か?」


 訊き直したホームズに、うん、と返事をしてワトソンは、


「石化した状態でどこかしらが破損、欠損すると、そこはもう元どおりに直すのは不可能だよ。破損した、あるいは欠損した状態で石化解除されることになる。服とか身につけているものだったら、ただそれが破れたり壊れた状態で元に戻るだけだけれど……」

「それは、つまり……」

「そう、もし、石化した人体そのものに何かしらあったりしたら話は別だ。腕なり首なりが折れてしまったら、石化解除してもその状態で生身に戻るだけだよ」

「……想像したくないな」

「実際にたまにあるそうだよ。こんな話を聞いたことがある。魔物の特殊能力を受けて石化してしまった冒険者を街まで運んだんだけど、運搬途中で首に亀裂が入ってしまっていたんだ。それに気付かないまま石化解除してしまったものだから、元に戻った途端、首に出来た傷口から、血が噴水みたいに、ぶしゅーって……」

「おおう」

「だから、アストル様に恨みがあるのなら、確かにホームズの言うとおり、解毒剤の精製を阻止するよりも、石化したアストル様を直接破壊したほうが早いかもね。石化魔法で作られた石は通常の石よりは頑丈といっても、そりゃ壊す気になれば壊せるよ」

「だよな。見せてもらったアストル様は鎧を着込んだ重装備だったから、いざ破壊するとなると骨は折れるかもしれないが……」

「でも、その気になれば戦斧バトルアックスでも持って来て一撃だよ。首くらい簡単に落とせる……あ、ごめんなさい」


 暗い表情で俯いていたテセラを見て、ワトソンは詫びた。


「いえ……」とテセラは顔を上げて、「ですが、アストル様のお体は施錠された部屋にあります。誰も彼もが侵入することは不可能です」

「それは、相次ぐ肝の破損事件が起きたことで講ぜられた措置ですよね。以前は部屋に鍵は掛けていなかったそうですが」

「……ホームズ様のおっしゃるとおりです」

「ということは、今ワトソンが言ったように、犯人がその気になったら、石化したアストル様に致命的な傷を負わせることは可能だったわけです。にも関わらず、犯人の取った行動は、保管されていた肝が入った瓶を落として破壊してしまうことだった。瓶が保管されていたのも、同じこの城の敷地内の教会であることから、犯人は――いまのところだが――内部犯だと考えられている。であれば、教会もアストル様の部屋も、侵入の難度はそれほど変わらないと思うのですが?」


 テセラは頷いた。


「じゃあ」とワトソンが、「犯人の狙いは、解毒剤を作らせないこと、それ自体が目的だった?」

「だとしたら、その意味が分からない。貴重な収斂蠱毒の肝が狙いかとも思ったんだが、最初の二件の犯行では、肝は持ち去られずにその場で破壊されているからな。だから、三件目も今回の四件目も、形は盗難だが、肝はどこかで処分されてしまったと考えていいな」

「どういうことなんだろう……」難しい顔をしてからワトソンは、「あ、テセラさん、おかわりいただけますか?」空になったグラスを差し出した。

「はい」とテセラはグラスを受け取ると、「ワトソン様、アーモンドミルク、お好きなのですか?」

「はい、子供の頃、好きでよく飲みました」

「お前は今でも子供だろうが」


 ホームズが突っ込む。


「ワトソン様は、子供の頃はやっぱりブルザリにお住まいだったのですか?」

「ええ、まあ」

「あっ、ブルザリと言えば」とホームズが、「あのホイルシャフトの爺さん、グレン団長のことを露骨に『ブルザリアンの若造』とか呼んで、ブルザリアン自体も『腕力だけが取り柄の野蛮な』なんて言ってたな。しかも、ワトソンが目の前にいるってのに」

「まあ」と褐色の肌の少年は、「まだそういう人もいるよね」

「差別主義者ってことか?」

「うーん……そこまでいかないけど、特に魔法使いマジック・ユーザーなんて、昔は頭の固い知識人しかならないような職業クラスだったから、余計にね。ホイルシャフトさんくらいの年齢なら、奴隷闘争も経験してて、ブルザリアンにいい印象を持っていないのかもしれないし」

「奴隷闘争なんてあったのか」

「うん、第二次人魔じんま大戦の戦中に、人間側の戦力を補うため、ブルザリアンも含む奴隷兵を戦時法で一般兵の身分に引き上げたことがあったんだ。奴隷兵には昇進とか一切なかったからね。これで優秀な奴隷兵は戦果に応じて昇進して、中には将校にまでなる人もいて、それで軍の人材不足は解消されたんだ。ところが、いざ大戦が終わると、またその身分を取り上げて奴隷に戻すっていう動きがあって、それに元奴隷兵たちが一斉に反発して争いが起きたってわけ。まあ、そんなに大きな戦争には発展しなかったけどね」

「なるほどな。そういや、グレン団長もそんなことを言ってたな」

「せっかく人類一丸となって、再び魔界と地上を繋げようとする闇の眷属けんぞくを駆逐したっていうのに、刀身の血も乾かないうちに今度は人同士で争いを始めちゃうんだからね。呆れたよ」


 ワトソンは頭の後ろで手を組んで息を漏らした。


「何が『呆れたよ』だ。その戦争も何十年も昔のことなんだろ。さも見てきたふうに……で、その戦争で奴隷側が勝利して、現在に至るってわけか」

「まあ、被奴隷側の全人類が奴隷制度復活に賛成したわけじゃなかったんだ。むしろ、大戦を経験したことで、奴隷の中にも凄いやつはいるってなって、特にブルザリアンの戦闘力と勇猛さに一目置いた人たちも多かったから。命を預け合った戦場の兵士たちの間では、それまででは考えられなかった、奴隷兵と正規兵との間で友情や愛情が芽生えたりもした。そんなものだから、奴隷制復活を掲げた側がむしろ劣勢で、戦争っていうよりは、一部地域での紛争に留まったね」

「それでも、ホイルシャフト爺さんみたいに、未だ差別意識を持ってる人間はいるってわけか」


 やれやれ、とホームズがグラスを傾けたところに、


「はい、ワトソン様」


 テセラがお代わりを持って来た。ありがとうございます、とワトソンは笑顔でグラスを受け取ると、


「さて、ホームズ、これを飲み終わったら捜査を再開しようか」

「何でお前が仕切るんだよ」

「あ、ホームズ様、ワトソン様」と、そこにテセラが、「もう一時間ほどで、晩餐が始まります。捜査をするには半端な時間になってしまうと思いますが……」

「ああ、そうですか。それじゃあ、今日の捜査はこの辺りで切り上げましょう。まあ、王族の方々に会って話を訊くのも、捜査の一環ではありますが。テセラさんはお手伝いに?」

「ええ、ですので、私はここで失礼させていただこうかと」

「分かりました。では、俺たちは中庭を散歩でもして、時間になったら会場に行きますよ」


 ホームズはハチミツ入りアーモンドミルクの最後の一滴を喉に流し込んだ。

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