2-11 宮廷魔術師長語りき

「ところで」とホームズは扉の前で、「先ほどグレン団長が、ホイルシャフトさんは引退状態だと言っていましたが、かなりの高齢ということなのでしょうか?」

「はい。確か……御年七十は越えているはずです。それなもので、宮廷魔術師長という肩書きを持ってはいらっしゃいますが、実務はほとんど後進の魔法使いたち――といっても、数名しかおりませんが。そもそも魔法使いは人数が少ないもので――に任せていまして、確かにグレン団長の言葉どおり、隠居しているも同然の状態ですね」

「そのような半分引退状態でも、宮廷魔術師長という任務は務まるものなのでしょうか?――あ、これは失礼」

「ホームズ様が、そのような疑問を持たれていたと、私のほうから伝えておきますね」

「テセラさん!」

「ふふ、冗談です」テセラは笑みを浮かべたが、すぐにそれを消して、「……ホイルシャフト様の強い要望によるものなのです。自分が引退するときは、アストル様に掛けた石化魔法を解除するときだ、と。王族の方に魔法を掛けることは、宮廷魔術師だけに許される行いですので」

「ああ……なるほど」

「ええ、やむを得ない処置だったとはいえ、ホイルシャフト様は未だに五年前のことを気に病んでおられますから」

「自分の手で次期国王を石にしてしまったのですからね。とはいえ、話を聞く限りでは、ホイルシャフトさんの行動はやむを得ないどころか、その状況ではベストな選択だったのではと思います。そのファインプレイがなければ、アストル様は確実に毒にやられて命を落としていたわけですからね。そこまで気にすることは……」

「それだけではないのです」

「どういうことでしょう?」

「グレン団長のお話にもありましたが、蠱毒の森討伐でのバジリスクとの決戦において、ホイルシャフト様は陣地に待機しておられました。つまり、アストル様と一緒だったのです」

「ああ、そういうことですか」

「はい。アストル様が陣地を抜け出して戦場に赴いてしまったのは、自分の目が届かなかったせいもあると、ホイルシャフト様は悔んでいらっしゃるのです。帰還後、ホイルシャフト様は、アストル様を石化して毒の進行を止めた功績で、ラヴォル王から感謝の言葉をもらっていたのですが、ホイルシャフト様いわく、この事態を招いてしまった責任は自分にもあるので、王からの感謝を受け取る資格は自分にはないと、終始険しい表情を崩しませんでした……」

「そういうことですか……すみません、足止めしてしまって。では入りましょう」


 ホームズは図書室の扉を引き開けた。


「この前の事件現場になった魔法研究所の図書室よりも、ずっと狭いな。王宮の図書室っていうくらいだから、比較にならないくらい広いのかと思ってたけど」


 入室したホームズは、室内を眺め回す。その横を、ひょいと抜けて敷居を跨いだワトソンが、


「もう、地位の高い人たちだけが富や知識を独占するような時代じゃないからね」

「そのとおりです」と最後に入ってきたテセラも、「かつては、ここルドラ城も膨大な図書を所蔵していたと聞きますが、今はそれらはほとんどを一般の図書館や研究所に譲り渡し、王の一族の歴史について書かれたものや、王族の方々が個人的に所蔵しておきたい書物などだけを残しているそうです。この部屋も元々は貯蔵庫だったそうで、かつての図書室は今は城で働くものたちの食堂として改築されています」


 ここでテセラが先頭に立ち、


「ホイルシャフト様は大抵、テラスで休んでいらっしゃいますよ」


 ホームズとワトソンを先導した。

 三人は書架の間を通り、広い庭を見通せるテラスへ続く掃き出し窓の前まで来た。そこにはテーブルがひとつと椅子が二脚、外に向けて置かれており、そのうちの一脚は使用中だった。


「ホイルシャフト様」


 テセラが声を掛けると、椅子に深く腰を下ろしていた人物は、ゆっくりと振り返り、


「テセラか」


 呼びかけた女性の名を口にした。

 魔法使い以外の何者でもないな、とホームズは、その人物を見て思った。深い皺が刻まれた顔、まぶたの上に積もった眉毛と、顔の下半分を覆う長い髭は見事に白く染まっていた。着衣はゆったりとしたローブで、胸元や袖に豪華な刺繍が施されている。テーブルには、持ち手に綺麗な石が嵌め込まれた杖までが立てかけられている。

 テセラは、


宮廷魔術師長ロイヤル・ウィザード・マスターのホイルシャフト様です」


 とホームズたちに紹介してから、


「ホイルシャフト様、こちら、事件の捜査に来て下さったホームズ様とワトソン様です」


 と二人を老人にも紹介した。ホイルシャフトは、長い眉毛と皺の隙間に埋もれてしまったかのような細い目を向ける。


「ど、どうも、ホームズです」

「ワトソンです」


 ホームズは、老魔法使いの発する圧に押されて、若干体を引き気味に挨拶したが、ワトソンは平然としたものだった。


「お前さんか、アルファトラインが言っていた異界人いかいびとの〈たんてい〉というのは……。さて、今さら、この老いぼれに何の用かね」


 ホイルシャフトは、その見た目に相応しい、しわがれた声を出した。


「事件のことでお話を聞かせていただけないかと」


 ホームズが申し出ると、老人は、ふん、と鼻を鳴らして、


「わしは全くの部外者じゃぞ。その殺された何とかという冒険者には一度も会ったことはないし、怪しいやつも何も見ておらん。話せることはない」


 そう言い捨てて、再び顔を日の当たる庭に向けようとしたが、


「ま、待って下さい。俺が訊きたい事件というのは、五年前のことです」


 ホームズの言葉を聞くと、回していた首をぴたりと止めた。


「……今さら、あの話を聞いて何になる」

「私は、皆さんが言う〈異界人〉なゆえ、この世界の事情に明るくないのです。ですので、少しでも事件に関する情報を知っておきたいと思い――」

「だったら、グレンに訊け」

「グレン団長には、もう伺いました」

「なんじゃと? だったら、なおさらわしが話すことなどないわい。あのブルザリアンの若造が、五年前のことについては最もよく知っておるからの」


 結局ホイルシャフトは、元のように庭に向き直ってしまった。


「いえ」とホームズはテーブルを回り、老魔法使いの正面に移動して、「なるべく多くの視点で事件を捉えたいのです。同じ事件に遭遇していても、グレン団長とホイルシャフトさんとでは、見えていたものに何かしらの違いがあるはずなんです。それに、グレン団長はずっと前線にいたそうですが、あなたはアストル王子と一緒に後方に待機していたのですよね? でしたら――」

「そうじゃ」

「えっ?」

「わしのせいなんじゃよ。わしが……目を離した隙にアストル様は……」


 老人は深く嘆息した。吐息を浴びて白い髭が揺れる。


「あ、い、いえ、俺は、そんなことを言いたいんじゃ……」

「掛けんか」


 その言葉が、テーブルを挟んだ向こうの、もう一脚の椅子を使えという意味だと知ったホームズは、


「ああ……はい」


 テセラに椅子を譲ろうと視線を向けたが、彼女が首を横に振ったため、頷いて椅子に腰を掛けた。床と擦れて、椅子の脚がぎしりと音を立てると、


「あの若造は、どんなことを話した?」

「グレン団長ですか。詳細に話を伺いました……」


 ホームズはグレンから聞いた話を語った。


「ふん」話を聞き終えると、ホイルシャフトはまた鼻を鳴らして、「随分と細かく記憶しておったな。腕力だけが取り柄の野蛮なブルザリアンとはいえ、騎士団長ともなるとさすがに違うものよの」


 ホームズは思わず横目でワトソンを見た。が、ホイルシャフトは平然としたまま動かず、グレンと同じ褐色の肌を持っているその少年のことは気にかける素振りも見せない。当のワトソンは、だが、何を気にした様子もなく、屈託のない笑みを浮かべているだけだった。


「で、ですので」ホームズは老魔法使いに顔を向け直して、「ホイルシャフトさんの視点で見た当時の様子も伺いたいと……」

「何も見とりゃせんよ」

「えっ?」

「正直、あのときはわしも、ずっと後方で頑張っておったわけではないんじゃ」

「ああ、戦いのことが心配で、前線に出てしまわれたとか」

「そうじゃ。あの若造は、この老体のことを考えて、わしを後方に待機させていたのじゃろうが、なにせ相手が相手じゃ」

収斂しゅうれん蠱毒こどくのバジリスク……」


 ホームズの口から、そのとき交戦した魔物の名が出ると、老人は、うむ、と頷いて、


「わしも若い頃に二度ばかり、収斂蠱毒と一戦交えたことがある。蠱毒の結界の作用は、魔物に凶毒を宿させるだけではない、凶暴性をも増加させる。前線には騎士たちの補助のため、若い宮廷魔法使いがひとりついておったんじゃが、どうにも不安になっての。前線で戦闘が始まったと報告が入ってから、いてもたまらず、とうとうわしも前線に馳せ参じることに決め、陣地をあとにしたんじゃ」

「そのときに、アストル様は?」

「……わからん。わしは陣地でおとなしくしてくれているものと信じ切っておった。アストル様は聞き分けのよい子じゃったからな。だが、わしが前線に到着した頃にはすでに勝負は決していて、結局この老体の出番はなかった」

「ということは、アストル様はあなたよりも先に、すでに陣地を抜け出して前線に向かったということですね」

「かもしれんし、わしがいなくなったのをいいことに、直後に抜け出した可能性もある。なにせ、現場の森は深くて暗く、伝令役や負傷者の搬出役の騎士たちなんかが行ったり来たり、何人も右往左往していたからの。その騎士たちに紛れれば、若いアストル様がこの老体の足を抜いて先に前線に辿り着くのは十分可能だったじゃろう。何せ、騎士たちは全員同じ支給品の鎧と兜を装備しているもので、見分けがつかん」

「なるほど……で、戦いが終わって、グレン団長が戦死者の中に……アストル様がいることを発見したのですね」


 それを聞くと、ホイルシャフトは、魂も一緒に吐き出すかのように深く嘆息して、


「そうじゃ。とはいっても、戦闘終了後すぐに発見されたわけではなかった」

「その事情も伺いました。アストル様は予定外に前線に飛び入りしてしまっていたため、戦闘終了後のグレン隊長の点呼でもその存在が確認されなかったとか」

「そのようじゃな」

「それで、毒にやられたアストル様を発見したグレン隊長に相談を持ちかけられて、あなたが石化魔法ストーンドを掛けることを思いついた」


 ホイルシャフトが頷くと、


「そのときのことを、詳しく話していただけますか?」


 ホームズはさらなる話を求めた。老魔法使いは、ゆっくりと体を揺すると、


「アストル様を発見したグレンは、わしのところに来て、震える声で事情を説明した。震え上がったのはわしも同じじゃったが、ともかく、アストル様のところに案内させた」

「二人の他に帯同者は?」

「いなかった。収斂蠱毒の凶毒にやられたのなら、聖職者クレリックの治癒魔法も役に立たんからな。時間を浪費するだけじゃ。事は一刻を争う。何とか、アストル様の体に毒が廻りきってしまう前にと……」

「ということは、ホイルシャフトさんは、その時点ですでに石化魔法を使うことを決めていたということですか?」

「ああ、アストル様のもとに向かう途中に、グレンに説明した。若い頃に似たようなことを経験していたんじゃ。毒ではなかったが、致命傷を負った戦士を石にして寺院まで運び、聖職者が治癒魔法を使う準備をし、万全の体制を整えてから石化を解除して、一命を取り留めさせたことがな。これは冒険者らの間では裏技的に知られた対処方法でな、これしかないと思った」

「なるほど」

「現場に着くと、地面に横たわったアストル様は荒く短い呼吸を繰り返し、触れてみると体も等間隔で小刻みに痙攣しておった。間違いなく毒、しかもバジリスクの毒に侵されたものが示す反応じゃった。わしはアストル様の体に触れて呪文を唱えた。体が完全に石化する瞬間まで、アストル様の呼吸は続いていたから、何とか命を失う前に処置は完了したはずじゃ……あとのことは、あのブルザリアンの若造から聞いておるか?」

「はい。グレン団長が責任を取って団長を辞任しようとしましたが、ラヴォル王をはじめ、アストル様のお母様アレイドラ様にも翻意を促されてそうしたこと。それと、ホイルシャフトさんも最後の役目を果たすため、現在の座に着いておられること」


 それを聞くと、宮廷魔術師長は、真っ白な髭をゆらして、ほほ、と笑い、


「わしも、あいつも同じじゃよ。とんだ失態をやらかしてなお、こうして元の役職にしがみついておる」

「いえ、話を聞く限り、アストル様が遭われた災禍は彼の独断が招いたことで、グレン団長に責任はありませんし、戦闘終了後に団長が見回りをしなかったら、アストル様はそのまま毒に命を奪われていたでしょう。ホイルシャフトさんも最善の策を提案してそれを見事成功されましたし、むしろお二人の行動がアストル様を救ったといえます」


 ホームズの言葉を聞くと、老魔法使いは少しだけ体を前後に揺らした。謝意を示したのか、ただ単に体を揺すっただけだったのか、分からなかった。


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