2-10 戦いの果て

「王立騎士団、衛兵騎士団選りすぐりの精鋭がやられるとは、やはり余程の強敵だったのですね」


 ホームズに言われると、グレンは一瞬、自嘲気味に口角を上げたが、すぐに表情をもとに戻して、


「ああ、収斂しゅうれん蠱毒こどくとなったバジリスクの強さは十分気をつけていたつもりだったが、正直、舐めてたところはあったかもしれん。騎士の中には、『たかがトカゲ一匹にこの人数は大げさすぎる』なんて高をくくっていたやつもいたようだ。逆に、これが初めての実戦という若い騎士もいたしな。

 とにかく、俺たちは後方に逸したバジリスクを追い、後衛の騎士たちも戦闘に加わり乱戦となった末、何とか仕留めることが出来た。が、犠牲も大きかった」

「全部で、五人もの戦死者が出てしまったとか」

「ああ、王立騎士団が三人、衛兵騎士団が二人だ」

「つかぬ事を伺いますが、この世界には〈傷治癒魔法キュア・ウーンズ〉という魔法があるそうですね」

「お前さんの言いたいことは分かったよ。そんな便利なものがあるってのに、どうして戦死者を出してしまったのかってことだろ」

「ええ……まあ」


 ホームズは少し体を小さくしたが、


「〈傷治癒魔法〉――に限らず、魔法ってのはほとんどそうなんだが、使いたいからって、ぱっとすぐに使えるものじゃないんだ。まず、呪文の詠唱を始めて、それが終わらないと魔法を発動できないんだ。この呪文の詠唱ってのがやっかいでな。魔法使いマジック・ユーザーなら、呪文書に書かれた文言を、聖職者クレリックなら、定められた神への祈りの言葉を、一言一句正確に発声しなきゃならん」

「一言一句、正確に」

「ああ、これにやつが多いんだ。考えてもみてくれ、場所は魔物が暴れ狂う戦場、目の前には瀕死の重傷を負った人間、そんな状況においても、冷静正確に呪文の詠唱が出来るようになるには、相当な場数を踏まなきゃならない」

「なるほど」

「しかも、呪文の詠唱がやっかいなのは、それだけが理由じゃない。いざ使おうとしてから実際に魔法が発動するまでに、詠唱の分だけ時間差が生じてしまうんだな」

「ああ」

「そういうことだ。聖職者が重傷を負ったものを見つけて、そこまで駆け寄ったとしても、呪文の詠唱が終わらないうちに息絶えてしまう。そんな事象は山ほどあるんだ。かといって、呪文の詠唱だけを済ませておいて待機しておけ、というのも魔法使いや聖職者にとっては酷な話だ。呪文詠唱を終えても魔法を発動させないで待機状態にしておくってのは、心身にとてつもない負担を掛けるんだ」

「難しいものですね」

「世の中、そんな便利に出来てないってことだな」

「勉強になりました」


 ホームズが会釈すると、


「いいって」グレンは手を振って、「それで、話を戻すとだ、戦いが終わった直後、俺はすぐに生存者の点呼を取って、戦死者の数も数えた。人数はぴったりだった。負傷者の中にバジリスクの牙を受けた者――つまり毒をくらった者――もいなかった。さっきも言ったとおり、皆、毒にだけは細心の注意を払って戦っていたからな。戦死者を出してしまったことは悔まれたが、ひとまず俺は安堵して部隊に休憩を命じ、ひとりで最後の確認のため周辺の散策に出た。そこで……俺は見つけたんだ。背の高い草むらの中に倒れているひとりの騎士を。そいつはまだ息があり、喘ぐような荒く早い呼吸をしていた。……ひと目で分かったよ、こいつは毒にやられたなって」

「その騎士が……」

「ああ……アストル様だった。どういうわけだか陣地を離れ、前線後衛の包囲部隊に紛れ込んでいたらしい。だから点呼の数にも含まれず、すぐには見つけられない場所に倒れていたこともあって、それまで見逃されてしまっていたんだ」

「それで、グレン団長は、どうされたのですか?」


 結果はすでにテセラの口から知らされてはいるが、ホームズは先を促さずにいられなかった。それほどまでにグレンの語り口が迫力を帯びていたためだ。伝え聞いたものと、実際の当事者が語るものとでは、やはり違うとホームズは感じた。


「正直……まず、頭の中が真っ白になった。どうしてアストル様がこんなところにいるんだ? と、疑問を抱くとともに怒りすら湧いたよ。同時に絶望も感じた。というのも、収斂蠱毒であるバジリスクの体は、もう朽ち果てかけて、腐臭を暗い森の中に漂わせていたからだ。俺は万にひとつの可能性にすがって、バジリスクの死骸のもとに走り、それに飛び付くと、腹を裂いて臓腑を漁った。が、やはり無駄だった。普通の生き物でも死ぬと内蔵ってのは一番に腐り始めるからな。あのクソトカゲの腹ん中は、もうドロドロのぐちゃぐちゃで、肝も胃袋も、何もかもごちゃ混ぜのスライムみたいになっちまってたよ」


 その様子を想像してしまったのか、テセラが顔を歪めて口元を両手で覆った。それを見たグレンは「すまんね」と少し笑ってから、


「肝がない以上、収斂蠱毒の凶毒にやられたものは死を待つしかない。何とかならないかと思った俺は、休憩中の騎士たちの中にホイルシャフトの爺さんがいるのを見つけて――」

「ホイルシャフト?」


 初耳の名前が出てきたことで、ホームズが訊き返すと、


「部隊に帯同していた魔法使いマジック・ユーザーのひとりだよ」

「ああ!」

「ホイルシャフトの爺さんは、陣地での待機をお願いしていたはずだったんだが、あとで話を聞いてみたら、心配になって前線に出てきたらしい。まったく、老体に鞭打ってよくやるが、このときばかりは爺さんのその暴走が功を奏した。ホイルシャフトの爺さんは、宮廷魔術師長ロイヤル・ウィザード・マスターを務めてるだけあって、王宮の知恵袋的存在だからな。何かいい打開策を示してくれると思ったんだ。事情を説明して現場に案内したら、やはり年の功ってのは馬鹿に出来ないものだな、唯一にして最後の手段を提案してくれたんだ」

「それが、石化魔法ストーンド……」

「そうだ。アストル様の体を石化して毒の進行を止めてしまえばいい。迷っている暇はなかった。というよりも、そもそもそれ以外に選択肢がなかったんだがね。忍びないもんだったぜ……なすすべなく、目の前でアストル様が石に変わっていくさまを見ているのは……」

「それで、石になったアストル様を連れて、ここルドラに帰還したというわけですね」

「ああ、気が重かったがね。だが、俺は団長として、起きた事実を全て報告しなきゃならない。俺の話を聞き、実際に石になったアストル様を目にしたときの、ラヴォル王とアレイドラ様のご様子は直視できなかったよ」


 語り終えたグレンは深く嘆息した。


「……そうでしたか。ありがとうございます」


 話を聞き終えたホームズも、騎士団長がしたのと同じように息を吐く。ワトソンは首を回して骨を鳴らし、テセラも悲壮な固い表情を崩した。


「それで」と、ひと息ついたホームズは、「つかぬことというか、気を悪くされるようなことを伺いますが……」

「何だい?」

「その、グレン団長が、今も王立騎士団長を務めていらっしゃるということは……」


 ホームズの言いたいことを察したのだろう、グレンは苦笑を浮かべると、


「ああ、俺に対するおとがめはなかったよ。いや、俺は進言したんだ、責任を取って団長を降りるつもりだってな。だが、今回のことはアストル様が持ち場を離れて独断行動をしたことが原因なのだから、俺に責任を預けるのは違うと、ラヴォル王に言われてな」

「それで、辞意を翻意された」

「ああ、大恩あるラヴォル王に、そこまで言われちゃあな」

「大恩とは?」

「俺を王立騎士団に拾ってくれて、こうして騎士団長にまでしてくれたことだよ」

「グレン団長が王立騎士団に入団できたのは、ラヴォル王のおかげだということですか?」

「まさにそうだ。ここイルドライドでも、前王の時代までは、肌の白い人間しか王立騎士団には入団できないっていう暗黙の決まりがあったんだよ。それをラヴォル王が打破したんだ」

「そういうことですか」

「ああ。俺は採用される前年も入団試験を受けたんだ。正直、志望者の中に俺以上に腕の立つやつはいなかった。だが、俺は落ちた。その翌年なんだよ、ラヴォル王が国王に即位したのは」

「そこで、改めて試験を受けて」

「王立騎士団の入団試験を、ラヴォル王も見に来ていたんだ。当時の騎士団長をはじめとした審査員たちが、例年のように俺のことは問題外で落とそうとしていたらしいんだが、ラヴォル王の鶴の一声で翻ったらしい。お前らの目は節穴なのか! と怒鳴り散らしてくれたそうだぜ。レイチェット様は最後まで反対していたそうだがな。栄誉あるイルドライド王立騎士団に、肌の黒い人間を入れることに我慢ならなかったらしい」

「ということは、グレン団長は騎士団所属年数はかなり長いのですか?」

「そうだな。ラヴォル王が即位してからだから……もう二十五年になるな。俺も歳を取るわけだよ」


 わはは、とグレンは笑って、


「おっと、悪い。で、話を戻すとだな、ラヴォル王の他に、アレイドラ様にも、退団を留意するようにと同じことを言われたものだからな」

「アレイドラ様に? アストル様のお母様ですよね」

「そうだ。アレイドラ様も、リートワイズ様を亡くされている未亡人とはいえ、立派な王家の一員だ。ラヴォル王の意見に全面同意して、俺にも翻意を促してくれたんだ。アストル様が、よくアレイドラ様に言ってくれていたらしい、自分の口から言うのは面映ゆいが……俺のことを尊敬して、慕っていると。もし、アストル様が口を利ければ、必ず俺のことを引き留めるはずだと。てなわけで、次期国王に戦場で致命的な負傷をさせ、むざむざ石にしちまった俺が、もったいなくも、こうして無様に王立騎士団長を拝命し続けてるってわけだ、はは」


 ことさら明るく、だが寂しげにグレンは笑った。


「グレン団長、テセラさん」とホームズは二人の顔を交互に見て、「お話に出てきた、アストル様に石化魔法を掛けた魔法使いマジック・ユーザーの……ホイルシャフトさんでしたか、その方にも話を伺うことは可能でしょうか?」

「ええ、ホイルシャフト様は、いつも王宮図書室にいらっしゃいますので」

「さっきも言ったが、爺さん、宮廷魔術師長ロイヤル・ウィザード・マスターっていう、偉い先生なんだぜ。まあ、もう半分隠居状態だけどな」


 テセラとグレンがそれぞれ口にした。



 グレンにいとまを告げると三人は城内に戻り、


「なかなか豪快な人でしたね、グレン団長」


 王宮図書館を目指す道すがら、ホームズが口にすると、


「そうですね。でも、いい人ですよ。何でも、孤児を引き取って育てている施設に足繁く訪れて、剣を教えたり、金銭的な支援もしているのだとか」

「施設にですか」

「はい。そういった施設に預けられるのは、ほとんどがブルザリアンの子供ですので」

「ああ、そういうことですか」

「ええ、ご自身は剣の腕があり、ラヴォル王のご理解もあって、王立騎士団の団長というお立場を得られましたが、世間一般では、グレン団長のようなケースはまだまだ例外といえますから」

「根の深い問題ですね」


 テセラは深刻な顔で頷くと足を止めた。廊下の突き当たり、両開きの大きな扉の前に到着していたのだ。


「『宮廷図書室』か……」ホームズは、その扉に書かれた文字を読み上げて……「……ん? ちょ、ちょっと待て!」

「どうしたの?」


 急に取り乱したホームズに、ワトソンが訊いた。


「どうしたもこうしたも……おい! なんで俺は、?」


 ホームズは扉に書かれた、当然日本語ではなく、アルファベットともまた違った体系を持つ、この世界で使用されている文字列を指さした。


「なんでって……共通語くらい、今どき子供でも読めるよ。第二次人魔大戦以後、世界の教育水準は飛躍的に向上して――」

「そういうことじゃなくて!」ホームズはワトソンの言葉を止めて、「俺は、この世界の『共通語』なんて……習ったことはないぞ!」

「ああ……それはそれ、ほら、あれだよ」

「あれって?」

「えへん……」ワトソンは咳払いをして、「全ては、総世神そうせいしんプライオネルの導きによるものです」


 明らかにアルファトラインの真似と分かる、しわがれた声色こわいろを使って言うと、ホームズは、はあ、とため息を漏らした。

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