2-6 ルドラ城へ

「目的地まで、あとどれくらいですか?」


 ホームズが尋ねると、


「今夜泊まる宿駅には、日暮れの頃に着く予定です」

「では」とホームズは車窓から空を見上げて、「あと三、四時間といったところですね。それまでゆっくりと休みましょう」


 背もたれに深く背中を預けた。


「ホームズ様、この世界の景色が珍しいのですか?」

「ん? あ、ああ……」


 ホームズは視線を窓外に向けたままだった。景色を見る自分の目が、余程物珍しそうに見えたのだろうか。テセラを見やってホームズは、


「そうですね。こんなに自然しかない風景なんて、見たことがなかったかもしれません」

「ホームズ様のいらっしゃった世界には、自然はないのですか?」

「いえ、あるにはありますが……俺の世界では人の住むところと自然のあるところは、はっきりと分けられているんです。まるで境界線が引かれているみたいに」

「この世界も一緒ですよ。主だった街は、全て城壁で囲まれているものばかりです」


 はは、と笑ってからホームズは、


「そういうことじゃないんですよ」

「……そうなのですか」

「そうなんです」ホームズは頭の後ろで組んだ手を枕にして、まぶたを閉じると、「俺は少し眠らせてもらいますね。連日、事務所の掃除に追われて疲れているもので」

「掃除をしてるのは、ほとんど僕とリタさんだけどね」


 ワトソンの声は聞こえなかった振りをして、ホームズは窓側に顔を向ける。薄く開いたまぶたの隙間から、雄大な緑と山々、その上にどこまでも広がる青い空が目に入ってきた。



 御者(と馬)が頑張ってくれたのだろう。テセラが予告していたよりも早く、まだ太陽が沈まないうちに馬車は宿駅に着き、ホームズはワトソンと二人部屋に泊まることになった。一旦荷物を三階の部屋に置いて、一行は二階にある酒場に集まった。ちなみに一階は倉庫や馬を繋ぐ厩舎として使われている。宿や食事の手配などは全て御者がやってくれた。


「いや、早くに着いてよかったね。この時間なら、まだ宿が出す食事にありつける」


 ワトソンが嬉しそうな顔をすると、


「そうですね。到着が日暮れ以降になっていたら、用意していた携帯食で夕食を済ませなければならないところでしたから。私、あれ苦手なんですよね」


 と、テセラも同調した。


「食事って、お前」ホームズはワトソンを見て、「日が暮れてから到着していたら、夕食は出してもらえなかったってことか?」

「当たり前だろ。ホームズのいた世界はどうだか知らないけど、ここじゃあ、みんな日暮れと同時に寝てしまうの。夜に仕事をしてるやつなんて泥棒くらいのものだよ」

「そうなのか? そういや、事務所でもリタさんが早めに夕食を用意してくれて、日が暮れるとさっさと寝てしまっていたな。連日の掃除や部屋の整理で疲れてるから、そうしてるのかと思ってたけど」

「夜中に起きてて何するのさ。明りに使う油がもったいないじゃん。日の出とともに起きて日没とともに寝る。それがここじゃ当たり前なの」

「随分と健康的な生活で……」


 はあ、とため息をついたホームズの前に、肉と野菜を煮込んだ夕食が運ばれてきた。



 食事を終え、ホームズたちは部屋に戻った。テセラは一人部屋を使い、御者は馬の番も兼ねて馬車の中で眠ると言い一階に下りていった。

 ベッドに寝転がったホームズは、


「なあ、どう思う?」


 隣の暗闇に声を掛けた。照明がなく、窓から差し込む月明かりも薄いため視認は出来ないが、そこにはワトソンのベッドがあった。


「なにが?」


 暗闇からワトソンの声が返ってきた。


「石化王子のことに決まってるだろ」ホームズは寝返りをうち暗闇を向いて、「誰が怪しいと思う? やっぱり、ラムペイジ様の母親のレイチェット様か? お前の考えを聞かせてくれ」

「さっぱり分からない」

「あのなあ……俺はこの世界に不慣れだから、お前に助言を求めてるんだぞ」

「そんな弱気でどうすんの」

「とは言ってもなぁ、正直、魔物とか石になる魔法とか……未だにピンときていないんだ。あまりに俺のいた世界の常識が通用しなくてなぁ……だいたいだな、人間が石になるなんて、そんなことあり得るのか? 人体と石とじゃあ比重が全然違うだろ。増えた分の密度はどこから湧いて出てくるんだ? この世界には質量保存の法則はないのか?」

「何それ?」

「はあ、お前に言ってもどうしようもないもんな、分かってる……」

「頼むよ。ホームズは創世神そうせいしんプライオネルが選んだ、真賢者ブラウの神聖遺物ハイ・アーティファクト真実か死かザ・トゥルース・オア・ダイ〉の継承者なんだから」

「……そのことなんだけどな」ホームズは自分の右手を目の前にかざして、「今回の事件……いや、今後、もうこの指輪の力は使わないでおこうと思う」

「えっ? なんで?」


 暗闇から、がばりと音がした。ワトソンが上体を起こしたのだろう。ホームズは、僅かばかりの月明かりを受けて淡く反射している、自分の中指にはまった指輪を見つめながら、


「そりゃそうだろ。考えてもみろ。推理を間違ったら死ぬんだぞ。リスクが高すぎる」

「〈真実か死かザ・トゥルース・オア・ダイ〉なしで、どうやってホームズの推理をみんなに納得させるのさ?」


 それを言われるとホームズは言い返す言葉を見つけられない。彼のいた世界で犯罪を暴く拠り所となる、DNA鑑定も、血液型も、指紋さえもこの世界では証拠とはならないし、そもそも鑑定すること自体が不可能なのだ。


「何か方法はあるはずだ。なにせ、シャーロック・ホームズの時代さえも、やっと指紋鑑定の技術が浸透し始めた頃だったんだからな」

「えっ? ホームズのいた時代が何だって?」

「いや、こっちの話。とにかく、俺はもうこの指輪の力は使わない。真の名探偵なら、こんなインチキチートに頼らなくても、ロジックだけで全てを看破できるはずだ」


 ホームズは右手を固く握った。指輪がそこにあることを示す、月明かりによる反射は見られなくなった。


「……そう、うまくいくかな?」

「何っ?」


 ホームズが思わず隣を向いたのは、ワトソンの声が、それまでとは打って変わって冷たく聞こえたような気がしたためだ。どんな顔をしてそれを言ったのか確かめたかったが、やはり表情はおろか、人が寝転がったベッドがあるということさえも視認不可能な真の暗闇が、そこには広がっているだけだった。人工の明りで照らされたことがない夜というのは、これほどまでに暗いのかと、ホームズは今さらながらおののき、やがて襲いきた睡魔によって、深い眠りの底へと連れて行かれた。



「ホームズ……朝だよ……起きて……」


 自分が水の中にいて、水面みなも越しに掛けられているかのようにぼやけて聞こえるワトソンの声と、体を揺すられる感覚でホームズは覚醒した。まぶたを開けると、当然自分は水中ではなくベッドの上にいて、ワトソンの艶やかな褐色の頬が窓から差し込む朝日を反射しているのが目に入った。肩まで伸ばした黒髪、大きな丸い目の中心に髪と同じ色をした瞳が輝いている、いつもと変わらないワトソンだった。


「お、おう……」


 ホームズは目をこすって返事をすると上体を起こし、大きなあくびとともに両腕を伸ばした。


「顔を洗ったら朝ごはんね。二階の酒場で待ってるから」


 そう言い残すと、ワトソンは自分の荷物を抱えて部屋を出た。隣を向く。空っぽのベッドが、部屋を満たす陽光の中たたずんでいた。



「お昼までには、首都ルドラに到着しますので」


 朝食を終えて馬車に乗り込むと、ホームズの対面に座るテセラが言った。隣にはワトソンが座り、昨日と同じ席順は崩れていない。御者が馬に鞭を入れると蹄鉄の音が響き、馬車は朝もやを切り分けながら街道を走り始めた。


「……どうかした?」

「いや……」


 ワトソンの横顔を見つめていたホームズは、まなざしを返されて視線を車窓に移した。朝もやに遮られて周囲の風景はおぼろげだったが、頬杖をついたとき、右手中指に光る指輪が妙に視界に入った。


 今朝は御者も馬も無理はしなかったのか、テセラが予告していたとおりの時間に馬車は、イルドライドの首都ルドラの城門をくぐった。馬車は中央街道を抜け、王城を目指している。


「連邦の中では小さな国と聞いていましたが、賑やかな街じゃないですか。俺たちの事務所があるバトロサと、ほとんど変わらない」


 ホームズは、流れていく街の風景を車窓より眺めた。それを聞くとテセラは目を細めて、


「戦争が終わって、軍備にお金を掛けなくともよくなったので、その分人々の生活が豊かになり街も栄え始めたそうです」

「今じゃあ」とワトソンもルドラの街並みを眺めながら、「余程の田舎でもなければ、ほとんどのカントリーの首都や大きな街は似たような感じに繁栄してるよ。まあ、その分、どの国も街も、みんな似たような見た目になっちゃって、面白くなくなったけどね」

「年寄りくさいことを言うな、お前は」


 ホームズが呆れると、ワトソンは、はは、と笑って、


「あ、見えてきたよ」


 車窓から馬車の向かう方向を指さした。ホームズも顔を向け、


「おお!」


 思わず感嘆の声が漏れた。

 緩いカーブを描いていた中央街道が直線に戻ると、街道沿いに建ち並んでいた複数階建ての建物が視界から外れていき、広場のような広い空間に出た。その先に、複数の尖塔を持つ、まさに「城」と呼べる巨大な建築物が姿を現わした。


「ルドラ城です」


 テセラが首都の中心に建つ王城を紹介した。


「高いな……というか、そもそも丘みたいな場所の上に建ってるのか」


 ホームズは窓から完全に頭を出し、ルドラ城の全容を視界に収める。


「そもそも城って、戦争のための拠点だからね。攻め込まれる可能性があることを考えたら、少しでも高い場所に建てたほうが有利でしょ」

「なるほど」


 ワトソンの解説にホームズは納得する。

 ルドラ城の外周は堀で囲まれているが、正面に開く大きな門から跳ね橋が架けられているため、そこから場内へ出入り出来る。両側にひとりずつ武装した騎士が歩哨している跳ね橋のたもとまで行くと、御者は馬車を一旦停車させて御者台を降り、受付のような小さな小屋に向かって行く。ここではテセラも客車を降りて一緒に向かう。街に入るための城門を通るときよりも、さらに手続きに時間を掛けてから、ようやく馬車は跳ね橋を渡り始めた。


「それで、テセラさん。これから俺たちはどうすればよいのですか?」


 跳ね橋を渡りきった頃にホームズが訪ねた。


「まず、ラヴォル王に会っていただきます。そこで正式にご依頼をするという形になって、以降は自由に捜査をしていただくことになると思います。恐らく、城内のどこにでも入室、通行の許可をいただけると思いますので」

「フリーパスですか。それはまた随分と……こんな素性も知れない異界人いかいびとに対して、一国の王様が」

「アルファトライン様がご紹介された方ですから、ラヴォル王も全幅の信頼を置いて下さると思います」

「はあ……おい」とホームズはワトソンの耳元に顔を寄せ、「あの爺さん、実はとんでもない権力者だったりするのか?」

「あはは」


 ワトソンは小さな笑い声を返すだけだった。


「それに」テセラは、さらに、「真賢者ブラウの神聖遺物ハイ・アーティファクト真実か死かザ・トゥルース・オア・ダイ〉を継承されたお方ですから。七英雄の継承者ともなれば、それは創世神プライオネルの意思そのものと言っても過言ではありません。どんな王族であろうとも一目置いて当然です」


 そう言うと、まっすぐにホームズの右手薬指を見つめた。それを聞くと、ホームズは城内の様子を眺める振りをして右手を顎の下に当て、指輪が見えなくなるようにした。さりげない動作のつもりだったが、わざとらしさが隠し切れていないことは自分自身でも分かっていた。

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