2-7 石化王子との対面
王の間に連れてこられたホームズたちは、そこでイルドライド国王ラヴォルと対面した。
「遠方はるばる、よくお越し下さった、
玉座に収まるラヴォルを前に、直立不動のホームズは頭を下げ、
「シャーロック・ホームズと申します。こちらは助手のワトソン」
自分も紹介されたことで、ワトソンもちょこんと会釈をする。
「そなたには、この王城のどこへでも入る許可を与えよう」
テセラが言っていたとおりのことをラヴォルは口にした。ありがとうございます、とホームズが礼を述べると、
「何としても犯人を捕らえてくれ。このままでは、アストルが不憫でならぬ」
ラヴォルはまぶたを閉じて表情を歪めた。
「全力を尽くします」
ホームズが答えると、
「事情は、そこの」とラヴォルは脇に控えたテセラを向き、「テセラから聞かされているな」
ホームズは頷いた。
「テセラは、このままホームズ殿について、城内のことなど色々と助けてやってくれ」
ラヴォルの言葉にテセラは、承知しました、と頭を下げた。
「美人が一緒で嬉しいだろ」
ワトソンがにやにやしながら囁いたが、ホームズは、「うるさい」と同じ程度の小声を返した。
「我が王家では、一族全員がそろって晩餐を開くことになっている。そこに、ホームズ殿も参加していただきたい」
「ありがとうございます」ホームズは答えると、「では、さっそく捜査を――」
一礼して
「待たれよ」
ラヴォルの声に止められた。
「何でしょう」
「私にも、見せてはくれぬか」
「……何を――」
「決まっている。真賢者ブラウの
一瞬ホームズは沈黙したが、失礼します、と一礼してからラヴォルに歩み寄ると、ゆっくりと右手を差し出した。その中指にはまる指輪を、ラヴォルは食い入るように見つめる。
「……足止めをして済まなかった」ラヴォルは指輪から視線を上げて、「捜査のほうを頼む」
「はい」
今度こそホームズは、ワトソン、テセラとともに王室をあとにした。
王室を出て、三人並んで城内の廊下を歩き始めると、
「いかがなさいますか? ホームズ様」
テセラが声を掛けた。彼女とワトソンに左右を挟まれた形のホームズは、
「まず、『石化王子』アストル様を見せてもらうことは出来るでしょうか?」
「はい。もちろん」
「石化王子」は、城の三階、アストル自身が使っていた部屋に「いる」という。母親であるアレイドラたって希望によるもので、ラヴォルもそれは容認している。
「アストル様を、いつもと変わりないようお部屋に置いて……いえ、住まわせていることで、少しでもアレイドラ様の慰みになっているのだと思います。毎日の部屋の清掃もアレイドラ様がおやりになっています。お忙しいときは私が代わりに行っておりますが」
「いつか、息子が生身の体に戻る日を信じて、ですか。切ない話ですね」
部屋へ向かう道すがら、テセラとホームズは話した。
「ここです」
テセラは、ひとつの両開きの扉の前に来ると立ち止まった。テセラは、「中にアレイドラ様がいらっしゃるといけませんので」と、一応ノックをして、中から何も返事がないことを確認してから懐に手を入れて鍵束を取り出す。
「常に施錠されているのですか?」
ホームズが訊くと、
「はい。以前はそうではなかったのですが、冒険者たちが届けてくれる
解錠して扉を引き開けたテセラは、二人を室内に招じ入れた。
広い部屋だった。衣装棚、書き物机など、
部屋の奥に、豪華な装飾が施された大きなベッドが置かれている。そちらに向かうテセラの後ろを二人はついて歩く。ベッドの上には白いシーツが掛けられており、シーツの隆起具合から、その下に何かが乗せられ、いや、横たえられていることが察せられる。テセラが反対側に周り、ホームズとワトソンはベッドを挟んで彼女と向き合う格好となった。テセラがシーツに手を掛け、ゆっくりと、丁寧に引き剥いでいく。
「……アストル様です」
その下から現れた「もの」を見て、ホームズは息を漏らした。鎧を着た人間だった。その全身は――素肌、髪、身につけている鎧、無関係に――ただ一色、無機質な灰色に染められている。その見た目、質感から容易に理解可能なとおり、横たわった人間の全身は石と化していた。
「こ、これが……」伸ばしかけた手をホームズは慌てて引っ込めて、「く、詳しく、見せてもらっても?」
「どうぞ」
テセラの諒解を得て、ホームズはベッドのそばに屈み込み、石化した人間をつぶさに観察した。それは、服の皺から鎧の詳細なディテールはもとより、露出した顔面の肌、閉じられた唇、なめらかに通った鼻梁、さらには、まつげの一本一本や、兜から漏れ出ている前髪のうねり、毛先に至るまで、完全に人間のそれと見分けが付かない。どんなに優れた腕を持つ彫刻家であろうとも、石を削りだしてこれと同じものを作ることは絶対に不可能だとホームズは断言できた。それは、すなわち、
「本当に……人間が石に……」
その事実が確固たるものだということを、実際に目にしたのだった。質量保存の法則など犬にでも食わせてやりたい気持ちにホームズはなった。隣では同じようにワトソンも「ほー」と興味深そうな声を漏らし、目を見開いている。
「少しだけ、触れても?」
「はい。表面を撫でる程度でしたら」
またテセラの諒解を得て、ホームズはそっと指先で石の表面――胸鎧の上辺り――に指を滑らせた。指先から伝わるひんやりとした感覚は、間違いなく石のそれだった。
自分の吐く息が触れることで、それだけで繊細なまつげが折れてしまいはしないかと、ホームズは呼吸を止めてゆっくりと立ち上がると、
「いや……これは……」
そこでようやく安心して、肺にため込んでいた空気を吐き出した。その動作を見ていたテセラは、口元に拳を当てて吹き出すと、
「そこまで慎重にならなくても大丈夫ですよ。石化魔法によって作られる石というのは、普通の石よりもはるかに頑丈なんですから」
「そ、そうなんですか? で、でも、この髪の先とか、まつげなんて、ちょっと触れただけで折れてしまいそうで……」
ホームズは改めて、ベッドに
「アストル様は、発見されたときにはすでに危篤の昏睡状態に陥っており、体も満足に動かせない状態にあったということです。あと少し、石化する判断が遅かったら、アストル様は助からなかっただろうと……」
「部隊に同行していた魔法使いの、まさにファインプレイだったわけですね。その……毒を受けた傷というのは、どこに?」
「こちらです」
テセラは二人を自分の側へと手招きした。「そこを」と示すテセラの指の先は、鎧に覆われていない右の上腕で、衣服の一部が破れている。その下、素肌にあたる部分に、鈍い刃で貫かれ、さらに
「バジリスクに牙を突き立たれ、無理やり引き剥がしたためにこのような傷跡になったのだろうと……」
テセラは表情を歪めた。なるほど、石になり灰色をしているため、それは複雑な凹凸としか視認されないが、実際は肉が露出したかなり生々しい傷であるはずだ。ホームズは屈み込んでその傷を眺め、白い肌が鮮血に染まり、赤黒い肉がむき出しになったであろう本来の姿を想像しながら、
「そのときに、牙から毒が」
「はい」
「見たところ、鎧にこそ無数の傷が穿たれているようですが、肉体に受けた傷は、この上腕以外には見当たりませんね。相手が猛毒を持つ魔物だったゆえ、この一撃だけで致命傷になってしまったということなのでしょうね……」
ホームズは立ち上がってため息を吐いた。
もう、よろしいですか、と訊かれ、ホームズが頷きを返すと、テセラはもとのようにゆっくりと、やさしくシーツを被せ直した。「石化王子」は再び白い布の下に覆い隠された。ホームズは、もう一度大きく息を吐くと、
「石化王子――アストル様は、ずっと、このベッドの上に?」
「基本的にはそうですが、半年に一度だけ、城門前の広場にお連れして国民に公開する式典を開くことにしています」
「公開? どうしてそんなことを?」
「この悲劇を忘れずにいてもらうためです。定期的にアストル様を国民を始め多くの人に見てもらうことで、
「なるほど。実際に石になったアストル様を見れば、否が応でも危機感や、何とかしなければという気持ちを高めることが出来るでしょうね」
「はい、それに、国民側からの要望でもあるのです」
「要望? 国民が、石化したアストル様を見せろと言ってくるわけですか?」
「ええ、まあ……アストル様は、穏和な性格と、その……麗しいお姿から、国民の、特に若い女性たちの間で人気がありますから」
「ああ……」
ホームズは納得した。確かに、今しがた見せてもらった「石化王子」の顔は、かなり整った女性受けするものであることに異論を挟む余地はなかった。
「ちなみに、次の公開式典は明日となっています」
「そうなのですか。それまでには、何かいい報告が出来るとよいのですが」
「ありがとうございます」テセラは頭を下げると、「ホームズ様、次は、どちらに?」
「まず、現場を見せてもらいたいです。収斂蠱毒の肝が盗まれ、それを所持していた冒険者――スティールジョーが殺害されたという現場を」
「分かりました。ちなみに、まだ彼の仲間の冒険者たちも、同じ部屋に泊まってもらっています」
「……それはよかった。一緒に話を訊ける」
本当は、殺人現場にそのまま人を泊めておくとは! と文句のひとつも言いたいところだったが、この世界に現場保存を期待しても詮無いことだと、ホームズは何でもない顔で取り繕った。
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