2-5 動機の考察
窓外に広がる風景が石造りの街並みから、森や山々の自然に変わる。一度その景色に目をやってから、ホームズは、
「つかぬことを伺いますが……石化したアストル様が誰かに恨まれているということはありませんか」
「えっ?」
テセラは意外なことを質問されたとばかりに目を見開く。
「ああ、いえ……」とホームズは小さく手を振って、「犯人の目的が解毒剤の精製阻止だったとすると、それ自体が最終目的ではないはずです」
「と、おっしゃいますと?」
「解毒剤が作られなくて困るのは誰か? まず最初に考えられるのは、アストル様当人です。解毒剤がなければ、彼は一生石になったままなわけですからね」
「アストル様を永遠に石にしたままでおくのが、犯人の目的だと? アストル様を恨んで?」
「その可能性も否定できないということです」
「……アストル様に限って、誰かに恨まれるということはあり得ないと思います。どなたの口からも、アストル様についての悪い評判というものを聞いたことがありません。騎士の勇猛さ、紳士のやさしさ、王族の気高さを兼ね備えた、人間として、次期国王として申し分のないお人です。私自身、アストル様には何度もお会いしたことがありますが、お噂どおりの方でした。そんなアストル様が、誰かに恨みを買うなどと……」
「そうですか。すみません」
「いえ……」
「では、アストル様自身にではなく、周辺まで広げてみれば、どうですか?」
「周辺?」
「はい。例えば、アストル様のお父様――現王の弟君、リートワイズ様でしたか――はすでに他界されているそうなので除外するとして、お母様である――アレイドラ様でしたか――のほうはどうでしょう? ひとり息子が石にされたままというのは大変な悲しみであるはずです。アレイドラ様に恨みを持つものが、その悲しみを永続させるために犯した犯行だという線もあり得ます」
「はい。ですが、それもないかと思います。アレイドラ様もご子息のアストル様同様、大変やさしいお方で、恨みを持たれる謂われはないように思います。五年前にアストル様があのような目に遭い、さらに二年前に夫であるリートワイズ様を亡くされて、王族の方々はもちろん、私たち使用人らも皆、心から同情していましたから」
「今のお話ですと、リートワイズ様が亡くなられたのは二年前で、アストル様が石になったほうが先なのですね」
「そのとおりです。アストル様が石化してご帰還し、その御身に起きたことを知らされたときの、お二人の悲しみようは見ていられませんでした。そのときの心労が祟ったのだと思います。元々リートワイズ様はお体が丈夫なほうではありませんでしたから」
「そうですか。そうなると……」
ホームズはここで言葉を切った。「何でしょう?」とテセラが先を促すと、
「そうなると、容疑者は限られてきます」
「誰ですか?」
「申し上げにくいのですが……現王のお姉さん、レイチェット様のご子息です」
「――ラムペイジ様ですか? どうして?」
立ち上がり掛けてテセラは中腰になった。客車内は天井が低く大人ひとりが立ち上がることは出来ないためだ。
「ラムペイジ様、それがレイチェット様のご子息のお名前ですね」
「ええ、それよりも、どうしてラムペイジ様が……」
「単純なことですよ。そのラムペイジ様が、王位継承権を持つ二番手だからです」
「……あっ」
「石になったままのアストル様が、現在におけるイルドライド王家の次期国王第一候補なわけですよね。ですが、石になったままでは、仮に現王であるラヴォル様に不測の事態が起きたとしても、新国王に就任するわけにはいきませんよね」
「それは……もちろん」
「つまり、アストル様が石になったままでいる以上、自動的に次期国王の座は第二候補であるラムペイジ様のもとに転がり込んでくるというわけです。アストル様を治療する解毒剤の精製を阻止する、格好の動機になると思いませんか」
「そんなこと、あり得ま――痛っ!」
今度は勢いよく立ち上がったテセラは、客車の天井に頭をぶつけてしまった。
「大丈夫ですか?」
両手で頭頂部を押さえて屈み込むテセラに、ホームズが手を差し伸べる。
「だ、大丈夫です……ありがとうございます」
頭から片手を離し、差し出された手を握りかえしたテセラは、そのまま助け起こされて再び座面に腰を下ろした。
「と、とにかく……」傷みが引いたのだろう、頭をさする動作をやめてテセラは、「ラムペイジ様が、そんなことをお考えになるなんて、あり得ません。ラムペイジ様は、アストル様のことを本当のお兄様のように慕っていらっしゃいます。無念のご帰還を果たしたアストル様をご覧になったラムペイジ様は、そのお体にすがりついて泣いたのです。冷たい石となった、アストル様のお体に……」
「お兄様のように、ということは、ラムペイジ様はアストル様よりも年下なわけですね」
「そうです。アストル様が王立騎士団に入隊された頃、ラムペイジ様はまだ十歳になられたばかりでした」
「王立騎士団に入隊するのが、確か十六歳からでしたね。ということは、お二人の間には六歳の年齢差があるということですか」
「そのとおりです。ラムペイジ様も十六になられた去年から王立騎士団に入り、日々厳しい訓練に耐えていらっしゃいます」
「そうなると……母親のレイチェット様か? 我が子を王位につけたいがために……」
ホームズは、またテセラから擁護が入るのでは、と身構えた、が、テセラは今度は立ち上がろうとしないまま、
「ここだけの話ですが……」
一度御者台のほうに目をやった。話が聞こえることを懸念しているのだろうか。だとしたら心配は無用だろう。御者台は客車と分離されているうえ、地面を叩く蹄の音と車輪の回転音が邪魔をして、ここでの会話が外に漏れることはない。テセラもそれを確認したらしく、ホームズに顔を向け直すと、
「レイチェット様は、ご自分の息子であるラムペイジ様を次期国王にしたがっている節はあると思います」
「まあ、母親なら当然の考えでしょうね」
「それもあるかとは思いますが、レイチェット様は、アストル様があのように――石に――なってしまわれる前から、アストル様に王位継承の第一権限があることに不満を持っておいでのようでした」
「どういうことでしょう? 長女である自分の息子が王になるべきという考えだと?」
「いえ、それは王家に代々継承されてきた決まり事ですから。レイチェット様が気に入っていないのは……アレイドラ様のご出自です」
「出自って……もしかして?」
「はい。アレイドラ様は街の小さな商人の娘なのです」
「小さな商人の娘は、王家の男子の妻として相応しくないということですか?」
「さすがに公に口にはいたしませんが、そういうことなのだろうと思います。レイチェット様の夫、ファスタード様は、前王の親戚にあたる貴族の次男でして、由緒正しい家柄には、それに相応しいものの血しか入れてはいけないというお考えを持っているようなのです、レイチェット様は。実際、弟であるラヴォル王がロミア様とご結婚されることにも、最後まで反対なさっていたそうです」
「それはまた、古いというか――あ、この世界ではそれが普通の考え方なのですよね?」
「いえ、最近はそうでもありませんよね?」
ここでテセラはワトソンを見た。ホームズからも「どうなんだ?」と、二人に視線を向けられて、ワトソンは、
「そうだね。第二次人魔大戦以降、世界の有り様は様々に変わったからね。どの王侯貴族も大戦で随分と疲弊しちゃって、耐えきれずに滅びた貴族や王家もたくさんあったよ。もう昔のように王家や貴族は庶民とは全く違う高貴な一族である、というような幻想もなくなって、むしろ王侯貴族は彼らを支える国民あってのもの、という考えが一般的なんじゃないかな。王族が結婚相手を
「ご教示どうも」
「いいってことよ」
「調子に乗るな」
ホームズはワトソンの頭を軽く小突いてから、
「なるほど……では、言い方は悪いですが、アストル様が〈石化王子〉となってしまったことは、レイチェット様にとっては渡りに船だったということですね」
「正直……そうだと思います」
「やはり十分な動機になり得ますよね。アストル様が石になったままでいる以上、自分の息子のラムペイジ様が次期国王の第一候補に繰り上がる」
「ホームズ様がそういうお考えなのであれば。私の口からは、何とも……」
テセラは口を噤む。使用人という立場を考えれば無理もないことだと、ホームズは納得して、
「ラヴォル王のほうでは当然、アストル様が次期国王になることには何も不満はないわけですよね」
「それは、もちろん。アレイドラ様の出自に関しても、何も言うことはありません」
「ご自身のこともありますしね」
「そうです。ただ、やさしく何事にもご寛容なラヴォル王ですが、絶対に許さないことがひとつだけあるのです」
「何でしょう?」
「不貞です」
「不貞……つまり、浮気ということですね」
「はい。ラヴォル王が王位に就いたのは、若干二十歳という若さで――先王が
「ははあ」
「まだ未婚の身であるゆえ、それだけならまだよかったのでしょうが、リートワイズ様は、お付き合いされるどの女性に対しても、将来の妃にする、ということを殺し文句でおっしゃっていたそうで。その気になった女性たちの間で諍いが起きたことも一度や二度ではなかったそうです。で、そのことを耳にしたラヴォル王は、それはもう烈火の如くお怒りになったそうでして……古くから王家に使える使用人たちも、あれほどまでにラヴォル王がお怒りを露わにしたのは、今に至ってもあの一度しか見たことがないと。王の証である宝剣を振り回し、真っ青になって逃げるリートワイズ様を追いかけ回したとか」
「それは、リートワイズ様もおとなしくなったでしょう」
「そのようですね。女性関係を清算して、アレイドラ様とご結婚されました」
「お相手の中には、それこそ王侯貴族の女性も大勢いらしたでしょうに、最終的に街の商人の娘であるアレイドラ様を選ぶとは、やはり、リートワイズ様にもラヴォル王と同じ血が流れていたということなのですかね」
「当時を知るものの話によると……一番美人だったからなのではないかと」
「ははあ」
「ですが、そんなリートワイズ様も、余程ラヴォル王のお灸が効いたのでしょう。ご結婚後はアレイドラ様ひと筋で、ご結婚されて二年後にはアストル様というお子様も生まれ、つつがない人生を送ってこられました。晩年に、あのような事件さえ起きなければと、つくづく思います……」
「石化王子……」呟くとホームズは、「すみません。長いことお話をさせてしまって。お疲れになったでしょう」
「いえ、それが私の役目ですから」
テセラは伏せていた顔を上げた。
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