2-3 悲劇石化王子
「と、とにかく」ホームズはテセラに顔を向け直して、「イルドライドの王立騎士団と衛兵騎士団の合同部隊は、その
話を本題に戻した。はい、とテセラもワトソンから語り手のバトンを受け取って、
「戦後、蠱毒の森は未使用だったものも含めて、ほとんどが焼き払われましたが、それでもまだ全てが駆逐されたわけではありません。中には、森で魔物を育てている最中に戦争が終わり、そのまま放置されてしまった蠱毒の森も相当数残っているといいます。そんな放棄された蠱毒の森のひとつが、イルドライド領の片隅に発見されました。そこは森を切り開いて新たな交易ルートを作ろうとしている最中に発見されたもので、このままでは工事が行えないために騎士団で部隊が結成され、討伐に向かったのです。その部隊に、リートワイズ様のご子息、アストル様も加わっていました」
「放棄された蠱毒の森ということは、そこにはまだ魔物がうようよして――いや、もうとっくに最後の一匹になった〈
「おっしゃるとおりです。加えて、その蠱毒の森は経年によって結界に
「そんな恐ろしい任務に、よく王族からの預かりものの坊ちゃんを連れて行きましたね」
「本人たっての希望だったそうです。手柄を挙げて、決して自分は騎士団のお飾りではないということを証明したかったのかもしれません。実際、アストル様は代々の王族男子の中でも剣術の腕には憶えがあるほうだったそうですから。とはいえ、騎士団長も本当にアストル様を最前線に送り込むような真似はしなかったそうです」
「当然の措置ですね」
「はい、ですが……アストル様は周囲にいる者の目を盗んで、前線に赴いてしまわれたそうなんです。そして……」
「まさか?」
「はい。アストル様は〈収斂蠱毒〉の毒牙にかかってしまいました。その蠱毒の森で収斂蠱毒に君臨していたのは、全長数メートルに生長したバジリスクだったそうです」
「バジ……何ですか?」
「バジリスク」とワトソンが口を挟み、「猛毒を持つ恐ろしい魔物だよ。八本の脚を持ったトカゲに似た魔物で、頭に王冠みたいなトサカを生やしてる。戦うときは、後ろ四本の脚で立って、前四本の足先に生えた鋭いかぎ爪を武器にしてくる。他に鞭のような尻尾の一撃も強力だけど、こいつの最大の武器は、なんと言っても大きな口に生えている猛毒を持つ牙だ」
「八本脚のトカゲ……」
「バジリスクは、毒を持つ魔物の王様なんて異名を持つくらいで、蠱毒の森が作られると〈収斂蠱毒〉になる魔物の半分以上はこのバジリスクだと言われてる」
「ただでさえ猛毒持ちの魔物だっていうのに、その毒が〈蠱毒〉でさらに強力になるってわけか」
「そういうこと」
ここでワトソンはテセラに目をやり、語り手の主導権を渡した。
「収斂蠱毒の毒を受けてしまっては、あらゆる薬草も治癒魔法も役に立ちません」
「助かる
「いえ、ひとつだけあります。収斂蠱毒の
「肝、ということは肝臓ですね。確かに肝臓には体内に入った毒物を解毒してくれる機能がありますからね」
ホームズは安堵のため息を漏らした、が、テセラは、
「ですが、それには厳しい条件があるのです。まず、肝は収斂蠱毒が生きているうち、少なくとも死んでからすぐに採取したものでなければなりません。収斂蠱毒は死んでしまうと、肝に限らず体中の器官という器官がすぐに腐り落ちてしまうためです」
「死んですぐに体が腐るですって? そんなこと……」
そのホームズの疑問には、ワトソンが
「それはね、〈蠱毒〉という生物本来では有り得ない、魔法的な無理な生長をさせられたための副作用だと言われてる。だから、取りだした肝はすぐに聖水を入れた瓶に浸して密閉しておかないといけないんだ」
「その処理をすれば、肝は機能を保ったまま保管しておけるんだな」
「うん。それでも、保って一週間ってところだね。それに加えて、蠱毒の毒を解毒するためには、被毒者が受けた毒と同程度以上の収斂蠱毒から取った肝でないと、解毒剤を作ったとしても効き目がないんだ」
「受けた毒よりも弱い毒を持つ収斂蠱毒の肝から作られた解毒剤では、効果はない?」
「そう。だから、万が一収斂蠱毒の毒を受けてしまった場合、その収斂蠱毒の肝から解毒剤を作るのが理想なんだ」
「なるほど、毒を食らった相手そのものの肝から作る解毒剤なんだから、相性みたいなものもいいんだろうな」
ここでワトソンはテセラを見て頷く。自分の解説は終わったということだ。
「はい」とテセラも頷いて、「ですが、アストル様の場合はそうはいきませんでした。毒に侵されたアストル様が発見されたとき……すでに収斂蠱毒であるバシリスクは討伐されていて、腐敗も進行している状態でしたから」
「何と」
「戦場が視界の悪い森だったことが災いしました。アストル様は、背の高い草むらの中に体を横たえておられ、そのため発見が遅れてしまったそうです」
「それで……そのアストル様は亡くなったのですか?」
「そのままでは命を落とすのは時間の問題だったでしょう。そこで、部隊に同行していた
「魔法使いが? 聖職者じゃなくてですか?」
「はい。魔法使いにしか出来ない措置でした。その魔法使いは、毒に苦しむアストル様に対して……
「石化魔法? それは、つまり……」
「そうです。人体を石に変えてしまう魔法です。石になった人間は意識を失い、あらゆる生命活動が休止した状態となります。つまり、体内に入った毒の進行も、石になっている間は止めておけるというわけです。それで、しかるべき処置を施す態勢が整ったときに、石化を解除するというわけです」
「なるほど……それは、妙手というか……」
自分のいた世界では決してあり得ない処置方法に、ホームズは舌を巻いた。沈黙したホームズの前で、テセラは、
「……それ以来、アストル様は石になったままなのです」
「えっ? ちょっと待って下さい、その討伐が行われたのは、確か五年前とおっしゃいましたよね?」
「はい。今に至るまで、解毒剤の入手ができていないためです」
「そうか、石化を解除したとしても、肝心の解毒剤がないんじゃ、生身に戻った途端に、すぐに毒が体に廻ってしまうということですね」
「そうなのです。先ほどもワトソン様がおっしゃったとおり、収斂蠱毒の解毒剤は、受けた毒と同等以上の収斂蠱毒の肝から作ったものでないと効果がないのです。アストル様が受けてしまわれた収斂蠱毒の毒は、かなりの強力なものだったそうです」
「それほど強い収斂蠱毒は、そうはいないということですね」
「それもありますが……話が前後してしまいましたが、蠱毒の森討伐から部隊が帰還すると、当然アストル様の身に起きた事態はすぐさま報告され、それを聞いたラヴォル王は即座に全国及び近隣諸国に通達を発しました。『収斂蠱毒の毒を持ってきて、それがアストル様を救うに足る強度のものであれば、莫大な謝礼を出す』と」
「なるほど。その話が世に広まって、『石化王子』という名前が付いたというわけですね」
「はい。以来、この五年間のあいだに、何度か収斂蠱毒の毒が持ち寄られたことはありました。この手のお金になる話は、すぐに冒険者たちの間に広まりますから」
「でも、未だアストル様が石になったままということは、そのどれもが、彼が受けた毒を解毒できる強度の収斂蠱毒の肝ではなかったということですね」
「それが……」テセラは表情をことさら暗くして、「解毒剤が作られたことは一度もないのです」
「……どういうことでしょう」
ホームズが怪訝な顔をすると、テセラは、
「過去に冒険者たちが持ってきてくれた毒は、解毒剤として精製される前に、聖水に浸した瓶を割られて使い物にならなくされてしまったり、盗まれてしまったり……そういったことが何度も続いているのです」
「……具体的に聞かせてもらえますか?」
「はい。最初に肝が持ち込まれたのは、今から四年前で、そのときは解毒剤の精製を担う
「まさか」
「はい。瓶ごと床に落ちて、粉々になっていました。前回と全く同じ状況です」
「二度続けてですか。それは人為的なものと考えて間違いないですね」
「はい。三度目のときは、まだ肝が城に持ち込まれる前に災禍に遭ってしまったのです」
「どういうことですか?」
「肝を所持していた冒険者が泊まった宿で盗難に遭ってしまったのです」
「えっ?」
「その冒険者一行が首都ルドラに到着したのは日暮れだったものですから、宿に一泊して翌朝、城に持ち込むつもりだったそうです」
「その冒険者たちが肝を持っていることは、巷間に知られていたわけですか?」
「そのとおりです。我が国のアストル様――『石化王子』の話は国内だけでなく、周辺諸国にも知れ渡っています。どこそこの冒険者パーティが収斂蠱毒の肝を手に入れて、イルドライド王家に持ち込むらしいという噂話は、口づてにどうしても広まってしまいますので」
「犯人は、それを耳にして、城に持ち込まれる前に肝を盗んだと」
「はい。肝の瓶と一緒に金貨などもあったのですが、そういった金目のものには一切被害はなかったそうです」
「行きずりの物盗りではない。明確な意思を持った犯行というわけですね。収斂蠱毒の肝を城に持ち込ませない――いえ、それを使って解毒剤を作らせまいとする、犯人の強い意志を感じます」
「ええ、そうとしか考えられません。その盗難事件が起きたのがおよそ一年前でした。そして、つい先日、ようやくまた収斂蠱毒の肝の持ち込みがあったのです」
「それはよかったですね」
ホームズは祝福したが、テセラが浮かべる表情は、祝福にそぐわない沈痛なものだった。
「もしかして」ホームズもすぐに表情を引き締め、「その肝に、また何かあったと?」
「そのとおりです」
テセラは頷いた。
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